【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)17【ダメ工作員】 at OUT
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100:底名無し沼さん
18/01/18 19:50:47.84 szzTa7Pu0.net
ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた
めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ
のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に
関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「
富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画
保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)
整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山
包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基
礎とエムゾネし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理
及び整備に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示す
るため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員



101:及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学 識経験エムゾネ者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存 管理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原 案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を 得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー ム」(表エムゾネ)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」 (表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的か つ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の 協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観 光関係者・エムゾネ神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計 画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設 置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した 「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ



102:底名無し沼さん
18/01/18 19:51:30.57 szzTa7Pu0.net
なお、保全管理区域についても、エムゾネ森林法と景観法で保護されて
いる。富士山山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要エムゾネ構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細に

103:底名無し沼さん
18/01/18 19:56:27.84 szzTa7Pu0.net
する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木
B社寺の境内に含まれる歴史的エムゾネな建造物及び工作物等以外
の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構
成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保存管
理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境
を含めた一体的な保全(3)経過観察のエムゾネ実施(4)整備・
公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資
産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)
信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の
制限についての考え方(2)地区区分についてのエムゾネ考え方(
3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1
種保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章
緩衝地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方
(1)緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整エムゾネ
(3)住民生活との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施
1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要素2負の影響を与
える要因の観察第7章整備・公開・活用1基本方針2整備と公
開・活用第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整
備とエムゾネ役割分担2地域住民等との連携・協働3持続的運営の
ための定期的確認付章1保存管理に関する事業計画一覧表−4
−第1章目的と経緯1目的富士山は、日本を代表し象徴する日
本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世界的に著名であり、
日本人の自然エムゾネに対する信仰の在り方や日本に独自の芸術文
化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸
術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず
、人間と自然との良好エムゾネで継続的な関係を示す景観の傑出し
た類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値

104:底名無し沼さん
18/01/18 19:57:08.37 szzTa7Pu0.net
の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会
と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的
保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界
遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月
26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3
月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検
討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1
回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役
割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成2
1年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要に
ついて・構成資産、エムゾネ緩衝地帯、保存管理区域について20
10年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画
の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年
第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例200
7年12月9日現地調エムゾネ査2008年1月31日平成19年
度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月
21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存
管理計画検討部会の審議エムゾネ結果2008年4月16、17日
現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6
月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回エムゾネ山梨県保存管理計画検討部会・
構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方200
9年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定協力
者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山

105:底名無し沼さん
18/01/18 19:57:51.71 szzTa7Pu0.net
、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、そ
れぞれ具体的内エムゾネ容を含めた説明を行っている。なお、p18,
19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士
山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関わるもの
(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776mを測る富士山
は、日エムゾネ本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対
する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。
富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代エムソ
゙ネを超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文
化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な
関係を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕
著な普遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としてのエムゾネ富士山
とは、富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この
範囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重な
り合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関す
る境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致エムゾネする。なお、「
馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能にな
る地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平
野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き
、絵画などの対象とされることが多いエムゾネ範囲である。写真上空か
ら見た写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−
21−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講
信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域あるいは死後世界である「
他界」と考えられていた。ま


106:エムゾネた、登山道ごとに標高は異なるが 、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はよ り強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する 噴火口である「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信



107:底名無し沼さん
18/01/18 20:02:41.01 szzTa7Pu0.net
岳であり、世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史
以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立
成層火山であり、その山体は南エムゾネの駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強
く秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代から現代に
至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成さエムゾネれ、山体

108:底名無し沼さん
18/01/18 20:04:10.10 szzTa7Pu0.net
く。富士山頂へ向かエムゾネい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が
、現在の4本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に
沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士
講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢
崩れ」といエムゾネう危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道
として利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史蹟
名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護法の下に名
勝エムゾネ、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れに対する砂
防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風による森林の風倒
被害に対する対策に着手(継続中)「御中道」は、標高2,300
m付近から2,800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部エムゾネを
時計回りに一周する約25kmの道である。「御中道巡り」は、修
験道の祖とされる役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士
講の基礎を築いた長谷川角行が行ったことが記録されている。古く
は定まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んにエムゾネなった江戸
時代後期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西
側の大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされてい
た。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神へ
の伺いをたてた上でないと許可されないほエムゾネど厳しいものであっ
た。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許し」を
御師から受けることができた。1816年の資料では年間100人
以上が御中道巡りを行っているが、1977年の転落事故で通行止
めとなり、現在では一周することエムゾネはできなくなっている。写真
御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部の
火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士
山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部におい
て寺院の造営や仏像等のエムゾネ奉納がおこなわれるとともに

109:底名無し沼さん
18/01/18 20:09:21.89 szzTa7Pu0.net
なった比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目
以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分
布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形など
は、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてエムゾネきた。日
本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命
脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士
登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然
に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化エムゾネ
的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示
す傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古く
から芸術活動の対象となり、その結果生み出された「万葉集」
の和歌などの文学作品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作
品はエムゾネ、日本国内のみならず海外にも広く知られ、様々な影
響を与えてきた。それらの作品群は、地球上の特定の地域にお
いて独自の文化的伝統が形成・発展するのに当たり、富士山が
重要な源泉となった極めて強力な関連性であることを示してい
る。このようエムゾネな価値をもつ「富士山」の構成資産は、山梨
県と静岡県の二県にまたがって分布している。これら一連の構
成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確実に保存し、
確実に次世代へと継承するためには、両県共通の考え方を基に
、各構成資産全体を一エムゾネつの資産として包括的に保存管理し
ていくための方法を整理していく必要があることから、個別の
構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係
性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な保存管理
計画を策定しておくことが必要エムゾネである。そのため、山梨県
・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町村、
関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山」包
括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管

110:底名無し沼さん
18/01/18 20:10:01.51 szzTa7Pu0.net
1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者
部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日
平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計
画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その

111:底名無し沼さん
18/01/18 20:10:47.17 szzTa7Pu0.net
での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「
御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神
仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅に
おける仏の世界エムゾネに擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)
」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施
設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日
堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納エムゾネや内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀に
は、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認でき
る。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響にエムソ
゙ネよって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変さ
れた。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記
の行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じ
て富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮エムゾネの写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀
念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下
に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の
下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財エムゾネ団法人静岡県埋
蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定された2010年文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定山頂の
噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰をエムゾネ巡る行為は、古くから「
お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継がれている。13
世紀後半の資料には「いたゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、
このころには山頂の峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える
。16世紀前半には地元為政エムゾネ者が「八要メサルヽ也」との記述
も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思われる習俗

112:底名無し沼さん
18/01/18 20:16:16.86 szzTa7Pu0.net
観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各エムゾネ市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的
保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と
し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備
に係る理念・基本方針とその具体的内容についてエムゾネ明示する
ため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。
学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管
理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置したエムゾネ
。原案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通
認識を得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェ
クトチーム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会
議」(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効
果的エムゾネかつ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など
幅広い方々の協力・助言が不可欠であることから、関係自治体
・地域住民・観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県
保存管理計画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力
者部会」を設エムゾネ置し、連携を図った。さらに、二県学術委員
会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討部会」における
検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策
定した。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保
存管理計画検討部会とエムゾネ学術委員会)2007年11月29
日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管
理計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画
の事例2007年12月26日平成19年第2回包括的保存管
理計画検討部会・目的と経緯・エムゾネ構成資産の概要・保存管理
の包括的な基本方針2008年3月17日平成19年度第2回
学術委員会・包括的保存管理計画検討部会の審議結果

113:底名無し沼さん
18/01/18 20:16:59.51 szzTa7Pu0.net
〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して
いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日
常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に
関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す
る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する
方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後
の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自
然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基
本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平成18年4月策
定F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法
に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成2
1年2月策定市町村森林整備計画平成18年4月策定−エムゾネ1
8−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計
画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計画は、20年月か
ら既に実施され機能されているものである。−19−第2章構成
資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資エムゾネ
産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以
下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類
構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面
積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道エムゾ
ネ含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡
特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山
口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A
5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、エム
ゾネ御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、
富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神

114:底名無し沼さん
18/01/18 20:17:43.15 szzTa7Pu0.net
ことが知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに
山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中に
あるいくつかの仏像エムゾネや石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の
大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを
巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南
西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登
山道であるエムゾネ。12世紀前半、富士山で修行した末代上

115:底名無し沼さん
18/01/18 20:23:03.74 szzTa7Pu0.net
年6月19日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会
−6−・包括的保存管理計画の役割・構エムゾネ成要素と本質的価
値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回包括的保
存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、
緩衝地帯、保存管理区域について2010年3月19日平成2
1年度第2回学術委員会・保存管理計画の考え方エムゾネについて
山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山梨県保
存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9
日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県保
存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議エムゾネ
結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平
成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計
画検討部会の審議結果2008年4月16、17日現地調査2
008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキ
ングエムゾネ・山梨県保存管理計画の策定について2008年6月
10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成
要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方2009
年4月24日エムゾネ平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定
協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨
県保存管理計画策定協力者会議について2009年6月19日
平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補
の概要について・構成エムゾネ資産、緩衝地帯、保存管理区域につ
いて2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について
・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月16日平
成21年度第3回山梨県・静岡エムゾネ県学術委員会・保存管理計
画の考え方について2010年6月30日平成22年

116:底名無し沼さん
18/01/18 20:23:46.40 szzTa7Pu0.net
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺
跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然
記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡
市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価
値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における
富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成
資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
証すエムゾネるために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管
理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」
の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現
在特別エムゾネ名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その
周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に
おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指
定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森林
法で保護エムゾネされている。緩衝地帯との境については林班によ
り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減
するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の
山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを
連続して保エムゾネ護するための措置である。緩衝地帯の範囲につ
いては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山側を
計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本
宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘が
あり、市道をエムゾネ境に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本
宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山

117:底名無し沼さん
18/01/18 20:24:28.97 szzTa7Pu0.net
した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とそ
の活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認で
きエムゾネ、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等
の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年、村山を
神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この
権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理にエムゾネ関
わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での
水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由し
た登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの道者坊
があったことが伝えられ、同時期の絵図である「絹エムゾネ本著色富士
曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山
する人々の姿が描かれている。道者坊はその後統合され、19世紀
前半には5坊となった。また、1600年頃以降、地元支配者によ
り、大宮を経て村山口登山道を利用するこエムゾネとが求められた。登
山道中の宗教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施
設は主に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設さ
れたが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊され
た。これらは再建されたが、そのエムゾネ復興は須走口より遅かった。
主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった
。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部
地方を含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続
であるが、登拝者の記録エムゾネが残され、その数は18世紀後半から
19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平
年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、1860年、初
の外国人登山とエムゾネなる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経
由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡

118:底名無し沼さん
18/01/18 20:30:18.29 szzTa7Pu0.net
山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日
平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計
画について−7−2008年1月23日エムゾネ現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会のエムゾネ

119:底名無し沼さん
18/01/18 20:30:57.89 szzTa7Pu0.net
て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ
れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から
富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が
流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい
ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に
ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理
区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体
の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい
ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地
帯同様に資産を緩衝エムゾネすることが可能な区域であると言える
。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については
、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書
本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、
構成資産毎に策定されエムゾネている個別の保存管理計画等におい
て、それぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p1
8,19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関
わるもの(1)富士山山エムゾネ体及び登山道A富士山標高377
6mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山である。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、
日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育
んだ名山でもある。富士山エムゾネは山岳に対する信仰の在り方や
芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人
間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし
て、世界的にも類例を見ないエムゾネ顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の

120:底名無し沼さん
18/01/18 20:31:44.43 szzTa7Pu0.net
八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登
山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道
線の開エムゾネ通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの
対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ
゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など
をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社エムゾネを起点
とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明
確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山
(珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。1486
年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「エムゾネすはま口」の名
が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12
軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明
水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社の裁定を仰い
でいる。登山道には宝永噴火前の状況エムゾネを描いた絵図で須山御胎
内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの
施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せず、1780年にようやく復
興した。また、1880年代エムゾネの記録では御室浅間神社、中宮浅
間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確認できる
。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使
用された。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本
・東日本両方からのエムゾネ登山者があったことが、宿帳及び案内立札
の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約
5,400人、1840年代前半は年平均約1,700人

121:底名無し沼さん
18/01/18 20:37:11.84 szzTa7Pu0.net
2008年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管
理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管
理計画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺エムゾネ
産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定につい
て2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界
文化遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定



122:ノつエムゾネいて2009年6月17日平成21年度第1回静岡県 保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・ 富士山の緩衝地帯に関する考え方2009年7月13日平成2 1年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議200 9年10月2エムゾネ9日平成21年度静岡県保存管理計画検討部 会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成21年度第 2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年1月29日 平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者部会201 0年3月16日平成2エムゾネ1年度第3回山梨県・静岡県学術委 員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日平 成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委員 会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計画検 討部会の組織は図に示すとおりエムゾネである。また、その構成は 表〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産 及び緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、ま ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施し ている。これらの計画は、包括的保存管エムゾネ理計画と密接に関 連し、日常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存 管理計画に関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産に 影響する可能性がある個別の開発計画大規模集客施設



123:底名無し沼さん
18/01/18 20:37:50.69 szzTa7Pu0.net
約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも
に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで
ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬
登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。
景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山
体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を

124:底名無し沼さん
18/01/18 20:38:33.39 szzTa7Pu0.net
860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離
令後も継続エムゾネしていたが、1883年、須山口二合八勺に接続す
る御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東海道本線が
開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口からの登拝者や登山
者が減少することとなった。1912年には、登山道の一部が陸軍
演エムゾネ習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登
山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道
が確認できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民
により須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興さエムゾネれ
た。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅
間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳
に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六合目からは1
384年の銘のある掛仏が出土している。文献からエムゾネは「勝山記
」の1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利
用すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配
し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建エムゾネ設の独占、薬師堂の
開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も
浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1
703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利について八
合目以上の支配権を主張する浅間エムゾネ大社と争い、正式に権利を認
められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確
認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に、
小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永噴火で
は、これらの施設及び麓エムゾネの浅間神社、須走村は約3mの降砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには
復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名
前後に減少したとの資料があるが、18世紀後半、相模の

125:底名無し沼さん
18/01/18 20:43:44.66 szzTa7Pu0.net
に関する方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場エムゾネ造成に事
業に関する今後の取扱いについて(山梨県)1993年10月
−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡
県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平
成18年4月策定F資産に影響する可能性がある個別の開エムゾネ
発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡
県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成
18年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場
市・小山町)(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存
管理エムゾネ計画は、20年月から既に実施され機能されているも
のである。−19−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世
界遺産「富士山」の構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の
面積、所在地については、以下の表に示すとおりである。表構
成資産の一覧エムゾネ大種別分類小分類構成資産世界遺産条約文化
財保護法自然公園法所在地位置資産面積(ha)緩衝地帯面積
(ha)A富士山(山体)(御中道含む)遺跡特別名勝史跡山
頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡特別名勝史跡A2大宮・村
山口登山道遺跡特別名エムゾネ勝史跡A3須山口登山道遺跡特別名
勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田口登山道遺
跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、小山町
)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖町)県境
未確定地″A6北口本宮冨士浅エムゾネ間神社遺跡建造物記念工作
物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名
勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造物記
念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡市史跡
静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡エムゾネ名勝・天然記念物
静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市N
E2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普

126:底名無し沼さん
18/01/18 20:44:24.43 szzTa7Pu0.net
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21
−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で
ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な
るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以
上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ
一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す
るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿
された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また
、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15
〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷エムゾネ川角行によって開
かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、
富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理
・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
仮指定1936年国立公園法の下に(富士エムゾネ箱根)国立公園
に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指
定1969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)1
996年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手
(継続中)「御中道」は、標高2,300mエムゾネ付近から2,
800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周す
る約25kmの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされ
る役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築
いた長谷川角行が行ったことが記録されているエムゾネ。古くは定
まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後
期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西側の
大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされていた
。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師エムゾネ

127:底名無し沼さん
18/01/18 20:45:07.21 szzTa7Pu0.net
や関本の道了尊エムゾネとセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加
し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピー
クを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方か
らの登拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下
山に適エムゾネした須走口へ下山する形をとった。また、1831年、
須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による
登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場

128:底名無し沼さん
18/01/18 20:49:37.07 szzTa7Pu0.net
を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山
体への良好な眺望を保証するために、個々の構成エムゾネ資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構
成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性
を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、エムゾネ
保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「
富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲につ
いては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく
、その周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。こ
の範エムゾネ囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護さ
れ、特別名勝指定地外から標高1,500mの区域については
自然公園法と森林法で保護されている。緩衝地帯との境につい
ては林班により線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等
への影響が軽エムゾネ減するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖
、西湖までを富士山の山体として考え、範囲付けしたことは、
展望地点から山頂までを連続して保護するための措置である。
緩衝地帯の範囲については、当初国道469号から県道72号
にかけての富士山側をエムゾネ計画していたが、国際専門家から飛
び地の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝
地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩衝地帯を設
定した。その際、富士山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確
保するため、富士山に向かってエムゾネ約36度の広がりで設定し
た。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、
自然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域
の範囲については、三保松原から富士山を眺望する際、その阻
害要因を軽減させるために、溶岩が流出エムゾネした範囲を基本と
して設定した。そのため、静岡県側においては、裾野

129:底名無し沼さん
18/01/18 20:50:16.56 szzTa7Pu0.net
、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許
し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間
100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の
転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな
っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮
)富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施
設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験
道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。
登拝者は山頂周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される
噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝した。また、火口エムゾネ壁
にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して
巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なう
ことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、
修行僧末代により建立された大日寺(大日堂)が最初とさエムゾネ
れ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院
への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山
口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された
。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1エムゾ
ネ874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ
て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された
。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通エム
ゾネじて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の
写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在

130:底名無し沼さん
18/01/18 20:51:00.98 szzTa7Pu0.net
び1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離エムソ
゙ネが長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され
続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間大
社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。またエムゾネ、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年
、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下の登
山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ
る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道エムゾネ北口本宮冨士浅
間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である。15世紀には、富
士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広ま
っていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備エムゾネが整うようになった。1
6世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、
18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教
的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増エムゾネ加した18世紀後半以降は、年間
数万人を数える富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富
士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御
岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す
る登山者は激減したエムゾネが、六合目以上については、現在残る登山
道の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登
山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩
で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護エムゾネ、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名

131:底名無し沼さん
18/01/18 20:56:16.69 szzTa7Pu0.net
場市、小山町に流出している溶岩流の範囲については、保全管
理区域とはしていない。なお、保全管理区域についても、森林
法と景観法で保護されている。富士山山体の東にエムゾネ位置する
、演習場(北富士演習場・東富士演習場)については、従前よ
り大規模開発が予定されていないことから、緩衝地帯同様に資
産を緩衝することが可能な区域であると言える。3構成資産の
概要構成資産及び保存管理状況の概要については、以下にエ

132:底名無し沼さん
18/01/18 20:56:55.33 szzTa7Pu0.net
エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ
の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰
を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八
葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的
意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる
お鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富士講
講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。
内院にエムゾネ賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつか
の仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高
峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼した。写
真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社及びエムゾネ村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山
道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開削した
登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とその
活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測エムゾネできる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在
が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発
心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年
、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えて
いる。この権エムゾネ利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登
山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって
、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社には1

133:底名無し沼さん
18/01/18 20:57:38.73 szzTa7Pu0.net
保エムゾネ存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝富士山保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法エムゾネの
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富士山として指定−2
6−2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山エムゾネ祇命を祀る
神社である。富士山の遙拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され
、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社
は領主からの崇敬が厚く、境内に現存するエムゾネ3つの社殿は、15
61年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進した
ものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が
行われ、現在にみる境内の景観のエムゾネ礎が形成された。北口本宮冨
士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属し
ており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた
。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びていエムゾネる。富士講や吉田御師と密接な関係を
持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯19
07年古社寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定195
2年所在地が文エムゾネ化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法
の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解
体修理工事を行う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管
理計画エムゾネ」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を

134:底名無し沼さん
18/01/18 21:02:12.85 szzTa7Pu0.net
記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書本文に
て説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、構成
資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、それ
ぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p18,1
9表エムゾネのA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に
関わるもの(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776
mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山でエムゾネある。その自然的な美しさと崇高さを基盤と
して、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術
文化を育んだ名山でもある。富士山は山岳に対する信仰の在り
方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極
めて深い関連性を示しエムゾネ、生きた文化的伝統の物証であるの
みならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値
を持つ山である。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山
体の内、標高約1500m以上エムゾネの範囲である。この範囲は
、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重なり
合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関
する境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、
「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、エムゾネ宗教的観点からも
不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が
大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線
が優美な曲線を描き、絵画などの対象とされることが多い範囲
である。写真上空から見た写真に資産範囲を線でエムゾネ示したも
の(推薦原案と同じもの)−21−−22−標高約2500m
付近の森林限界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、
神聖な地域あるいは死後世界である「他界」と考えら

135:底名無し沼さん
18/01/18 21:02:53.55 szzTa7Pu0.net
半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び
村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者
坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1
600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登
山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17
世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世

136:底名無し沼さん
18/01/18 21:03:36.27 szzTa7Pu0.net
74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年
「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富士山の火山
活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に位置エムゾネする。
富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
集で〜の海が詠われたほか、いくつかの文学作エムゾネ品ともゆかりが
ある。写真西湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成され
た堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修
−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初のエムゾネ洋風ホテルはこの精進湖
畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだった
。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北西に位エムゾネ置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写
真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。富士山は、プロエムゾネ・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮
影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅
陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖
畔の春」という写真は有名である。この写真は、1984年に採用
された5千エムゾネ円札及び2004年に採用された千円札の図柄とし
て使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構


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