皇室御一行様★part3317
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50:可愛い奥様 18/03/18 20:27:59.70 LNo3iKtr0.net 逝去1年前から極秘準備=昭和天皇「大喪の礼」−石原元副長官 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018031700193&g=soc 昭和天皇が亡くなられる1年ほど前から、病状の悪化を懸念した首相官邸が国の儀式として営まれた 「大喪の礼」の準備に極秘に動いていたことが17日、明らかになった。 当時の内閣官房副長官だった石原信雄氏(91)が回想録の中で明らかにした。 天皇存命中のこうした準備は厳重なかん口令が敷かれ、準備の費用も一時大手ゼネコンが立て替える特別な措置が取られた。 このほど出版された回想録「一官僚の矜持(きょうじ)と苦節」(ぎょうせい)によると、 副長官就任後に昭和天皇の容体を知った石原氏は、大喪の礼の主会場となる葬場殿建設を極秘裏に進めることを決意。 節のない均一の太さの希少なヒノキ20〜30本が必要で、その調達から乾燥、着工までに時間がかかるため、 亡くなってから造り始めるのでは遅いとの判断からだった。 石原氏は明治政府が台湾の阿里山に植林し、ちょうど伐採期に当たっていたヒノキに白羽の矢を立てた。 調達するには予算措置が必要だが、天皇の存命中に政府が葬儀の準備をしていることが予算計上をきっかけに明るみに出れば、 世論から非難を浴びることが予想された。 そこで石原氏は、大正天皇逝去の際に葬場殿の受注実績があり、社長が同窓で面識のあった大手ゼネコンに費用を一時立て替えてもらい、 同社の責任でヒノキを取り寄せるというアイデアを竹下登首相(当時)に提案。 竹下首相は「おおそうだ、それしかないな」と応じたという。 昭和天皇は1989年1月7日に逝去し、大喪の礼は同年2月24日、東京・新宿御苑で営まれた。 担当したゼネコンは、新宿御苑とは別の場所で葬場殿建設準備をひっそりと進めたという。(2018/03/17-05:47)
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