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205:エリート街道さん
18/02/19 18:17:53.17 Epv+2/yM.net
吉見 信一(よしみ のぶかず、1894年(明治27年)5月22日 - 1988年(昭和63年)5月18日)は、
日本海軍の軍人として太平洋戦争を戦った海軍少将。
戦後は慶應義塾大学医学部を卒業し、医師として活躍した。
戦後復員した吉見は、医師として再出発することを決意する。
中学時代に岡山医専に合格し海兵に進んだという経緯はあったが、
既に51歳という年齢でそもそも医学部が入学を認めてくれるのかという問題があった。
幾つかの大学に相談しても遠慮してほしいという回答であったが、
慶應義塾大学医学部長・西野忠次郎に面会したところ、
「学問に年齢は関係ありません。入試に合格すれば入学できます。」との回答を受け、
東大を目指す長男と共に受験勉強に励み慶應義塾大学部医学部に合格。
ともに大学入学を果たす。
卒業後の1952年(昭和27年)7月「吉見小児科医院」を開業。
しかしながら経済力の無い患者からは100円しか診察料を取らないなど経営は難しく、
船医として世界中を回ることとなる。
嘗て部下を失った海域にさしかかると黙祷を捧げる吉見の姿が見られた。
埼玉の老人専門病院に招かれ老人医療にあたるが、見舞いもしない家族に嘆いていた。
自らを「三等医者」と称していたが、
吉見の葬儀に寄せられた香典袋の中にあった手紙には、
雪の中を往診した吉見に幼い子供の命を助けられた親からの感謝の言葉が綴られていた。
URLリンク(www.php.co.jp)
吉見先生ありがとう
51歳で医者への道にすすんだ元海軍少将
著者 森下 研 作/依光 隆 絵
税込価格 1,363円(本体価格1,262円)
内容 南太平洋、ウォッゼ島に司令として赴任し、
多くの尊い命を奪われた海軍少将・吉見信一が、戦後、五十一歳で医学部を受験。
命を救うために生きた感動の一生を描く。
こんな人も居たとは・・・


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