小山ひな子サンをデマ誹 ..
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149:本物の大和魂
17/02/07 16:21:56.07 .net
横井庄一の帰国後に戦死した日本兵がいた【最後の戦死者】小野田さんとの30年…日本軍最後の戦死者「小塚金七陸軍一等兵」の最後。敵
は激しく撃ってきた。応戦しながら、背後の谷へ一気に走れば離脱できる。今迄、何度もあった事だ。だが、どうした訳か、小塚は一度掴んだ
銃を取落とした「肩だ!」小塚が叫んだ。振向くと右肩から血が流れていた。「銃はオレが持って行く。先に走れ!」「胸だ!ダメだ」私は小
塚の銃で五発、自分の銃で四発撃った。小塚が逃げる時間を稼ぎたかった。敵の銃声が途絶えた。今だ!私は二丁の銃を持って後ずさった。退い
たものと思っていた小塚がいた。「小塚!小塚!」私は片手を伸ばして彼の足首を握り、激しく揺すった。反応がない。顔をみた。見る間に
両眼にスーッと白い膜がかぶり、口から血が流れ出た。私は両手に二丁の銃を持って、一気に灌木の斜面を駆け下りた。激しい銃声が後を追
った。私は最後の戦友を失った。小塚、51歳であった。
ねずきちのひとりごと ひとりでも闘う 日本軍最後の太平洋戦争帰還者小野田さんの手記
高度成長期の1972年「恥ずかしながら帰っ
て参りました」で有名な横井庄一さんが太平洋戦争(大東亜戦争)終結から28年目にして帰国した。然し、実は同年の10月に、日本人最後の
戦死者が出ていた。30年戦い続けて、帰国する事無く戦死したその兵士は「小塚金七」。生きて帰ってきた横井庄一さん、小野田寛郎さんは
有名ですが、小塚金七さんは余り知られていない。若い記者の一人が、こんな質問をした。「小塚金七さんが亡くなって、山を下りようとい
う気持になられたのですか」この質問を受けた時、小野田は怒りを浮かべて反論した。見事でしたね。「寧ろ逆さの方向です。復讐心の方が大
きくなりました。目の前で、30年もの仲間が倒れた時の口惜しさって有ませんよ」小野田さんの言葉に、若い記者はあっけにとられていまし
た。私はこの記者会見のTVを見ていて、もののふの心意気を感じました。今の若い人達の軟弱さを見せつけたんですから。すごい小野田さん
の気迫です。小塚の死に対し小野田は「復讐心が高まった。目の前で30年もの戦友を殺された時の口惜しさなんてものはない」と後年怒り
を込めて述ベている。小塚の三八式歩兵銃は小野田が日本帰還後に小塚の両親に渡したと言われている。 


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