●●●日本の合唱曲 ..
57:名無しさん@お腹いっぱい。
05/05/18 08:08:57 +x4oYhQ+.net
昔したらばでさんざ書いたことだが、思い出し程度に又カキコ。
西洋音楽史において、13世紀以降職業音楽家が、教会からの依頼を受けて作曲に携わることがあったが、
大抵は聖職者によるものであり(給金が安いので、名のある音楽家は富豪のパトロンの庇護の下で活動していた)、
現在は逆に作曲家が教会の聖歌隊に演奏を依頼することがほとんどであり、教会からの依頼はほぼ皆無である。
そもそも教会の依頼による作曲が流行ったのはマショーの時代からルネサンスまでで、16世紀のトリエント公会議でかなりの典礼曲が廃止され、
その後バロック時代に民衆の音楽の隆盛と共にすぐ息を吹き返すのだが、その辺の話を書くときりが無いのでこの辺で。
ちなみに1962〜65年の第二ヴァチカン公会議で、日本で最も貢献した人間の一人に高田三郎が挙げられる。
この会議により、カトリックでの典礼がそれぞれの国の言葉で扱うことが可能となり、
高田三郎は「やまとささげうた」を作曲し、これをカトリック教会に捧げたのである。
仏教では古くは声明や御詠歌があり、後者は現在様々な合唱曲が存在する。
声明も元々は中国の音楽との説もあり(少し三国志と絡んでいる)、大人数で行う声明は重唱ともいえよう。
宗教絡みでなければ、日本は平安時代から「催馬楽」や「朗詠」が盛んであった。
前者は管楽の伴奏での独唱、後者は独唱者に伴奏と複数人数の斉唱がつく。
教会音楽で定番のポリフォニーについても、ルネサンス期当時のベルギーの政治情勢を考慮に入れておかなければならない。
もしそれとの関連が無ければ、典礼曲はいまだ5度の重唱止まりだと言う研究者もいる。
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