何故、魏は大国であり ..
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651:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 16:59:56.87 mUq7Mf5g0.net
いずれにせよ
使者が邪馬台国に到達できた魏 >>>>>>> 大船団を送ったが失敗した呉

だな

652:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 17:01:28.13 SyjbMHOj0.net
>>634
曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155〜220)。
その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。
中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、
東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。
同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。
潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
 金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。
翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)
URLリンク(www.asahi.com)
URLリンク(www.asahicom.jp)

653:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 17:03:25.35 SyjbMHOj0.net
>>636
光栄坊やは何をもって比較するのかw
卑弥呼の目的は通交であって孫権の人狩りとは違うぞw

654:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 22:10:04.73 eoJ6H2AG0.net
光栄坊やがどうやらうるせーわ
どっちも邪魔、喧嘩するなら別のとこでやれや

655:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 22:18:01.08 Hx0TGw+o0.net
少なくとも鍾会の官職知らない馬鹿は消えた方がいいわ
何でコイツが曹髦の論壇の四人に数えられてるくせに情報ないのかも考えられんのか

656:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/08 23:47:24.20 wAVKK9Rs0.net
単芝ガイジ去ね

657:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 06:18:29.31 TnOXo3Xz0.net
専ブラ使っている人は  

          光栄坊や

をNGワードに指定しよう。

658:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 07:29:03.74 be5O8Olz0.net
呉は資金力あるんだがいまいち攻めきれないな
やはり馬が足りないのだろうか

659:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 10:22:09.56 NK4TAApz0.net
>>643
そう考えると
おそらく騎馬運用に長け水軍も使えて調略を駆使して襄樊を追い詰めた関羽ってスゲーって感想になる

660:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 12:17:33.76 RCG5+pZb0.net
>>644
実力で言うなら文句なしだからね
でも方面軍を指揮するには多角的・客観的視点が不足していたのも間違いない
兵站や外交といったお膳立てがあれば魏を瓦解させられたとは思う
問題はそのお膳立てをやれる人物が漢では壊滅的であったこと
劉備諸葛亮クラスじゃないと関羽は言うこと聞いてくれないだろう

661:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 12:25:12.73 NK4TAApz0.net
>>645
兵站は大量の降伏者の影響が大きい
降伏者を埋めれば良かったのかな?
襄陽の包囲を解いた後も呉の手引きで漢水の補給路が攻撃されるまで樊城包囲を続けてた事実からも補給についてはかなり考えてたと思えるけどね
そして何度も言われてる事だけど仮節の関羽に外交をどうにかする権利は無い

662:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 12:36:19.73 NK4TAApz0.net
おそらく関羽の死で一番立場が無くなったのは孔明だろうね
なにしろ兄が呉に仕え呉との同盟を成立させた対呉外交の第一人者なのに呉の裏切りをなんとも出来なかった訳だし
まあ漢中攻めの立役者で一緒に蜀科を作った法正の病でそれどころじゃ無かったのかも知れないけど

663:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 12:42:46.14 RCG5+pZb0.net
>>646
そこが客観的視線の不足なのよ
人数をいたずらに増やしすぎても統率や維持にかかる負担が大きくなる
統率が行き届かないと戦線崩壊をもたらす
維持できると踏んで吸収したあげく外交問題起こしておいて攻め続けたのが失敗
後世の石勒はそれがよく分かってるから将に率いさせる軍も4万程度を限度としていたし
当時の西晋の主力+有力者+官吏の塊だった司馬越残党軍を容赦なく37564にした
大義と小義の差はここ

664:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 12:49:07.65 NK4TAApz0.net
>>648
于禁降伏後も普通に戦線が保たれてた事からも致命的では無いんだけどね
これは推測だけど呉の資料で関羽に食料を奪われた件は多分普通に供出してたんじゃないかと思う(確か位置的にも遠くて関羽が襲うのはおかしい位置だったはず)
関羽を裏切った後付けで襲われた事にしたと考えるのが妥当(そうでなきゃ関羽の油断を誘えない)

665:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 13:00:37.51 RCG5+pZb0.net
>>649
まあ関羽性善説に則るならそうだよな
兵糧欠乏してもすぐに影響は出ないからここら辺は平行線を辿るんで置いとく
外交権ないなら劉備に上奏しなかったのが落ち度なのは変わらんけど

666:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 13:06:55.29 NK4TAApz0.net
>>650
孫権との婚姻も
普通に考えれば従属要求で引き抜き案件やから劉備に上げる様な話じゃ無い
というか外交なら孫権が劉備に使者送るやろ

667:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 13:09:23.94 NK4TAApz0.net
関羽性善説というより
その方が自然というだけの話やからな
まあ魏との大一番真っ最中で要請が高圧的だった可能性はあるけど

668:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 14:45:11.07 xzL+gA8A0.net
>>651
臣下の親族問題では、諸葛瑾が息子を諸葛亮の養子にする際に君主の孫権に話を通してるからな
そもそも引き抜きというより独立勢力になってたというほうが正しいように思える
荊州領有を争った時も215年に劉備と和睦したはずなのに、217年に袁龍が関羽と通じで反乱を起こした以上
関羽とも話をつけなければいかんと踏んでもおかしくはない

669:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 16:22:48.56 NK4TAApz0.net
>>653
それは兄弟とはいえ違う君主を持った臣下同士の話だから全然違う
関羽を独立勢力として見る人がいるけど
いくら影響力は強くても所詮は仮節
政務は劉備の信任厚いハンシュンが仕切り
糜芳士仁も劉備が下につけただけの同僚で
全然独立してないよね
袁龍というか217までの緊張関係の詳細はよく分からない

670:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 17:44:58.06 A4kGSveP0.net
>>654
劉備と魯粛がなんとか和議を取り持って決まった境界線にいる呉の将軍が関羽に寝返るため反乱したのよ
呉からしたらふざけんなって話だし、俺は漢に任免されたから呉に従う義理はないって嫌味を裏切った将に言われてる
そりゃ関係が破綻しますわ

671:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 17:51:31.30 A4kGSveP0.net
>>654
劉備と魯粛がなんとか和議を取り持って決まった境界線にいる呉の将軍が関羽に寝返るため反乱したのよ
呉からしたらふざけんなって話だし、俺は漢に任免されたから呉に従う義理はないって嫌味を裏切った将に言われてる
そりゃ関係が破綻しますわ

672:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 17:52:18.96 A4kGSveP0.net
多重投稿スマソ

673:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:09:28.79 x4f/BF5s0.net
>>642
誰もしてくれないぞ光栄坊やw
一人でレスして流そうとするなw
自演好きの光栄坊やw

674:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:10:49.55 x4f/BF5s0.net
>>657
光栄坊や一人で多重投稿もクソもないw
隠蔽捏造の常習者光栄坊やは逃げるなよw

675:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:17:23.25 oYMlvf7m0.net
>>656
というか孫呉と劉備は同盟関係だったけど漢中王名乗ってからは実力はともかく名分的にはもはや対等な関係はありえないよね?

676:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:21:19.17 x4f/BF5s0.net
朝六時から自演続ける光栄坊やの人生の無残さよw
光栄坊やは専ブラでsageるのをデフォルトにしないと自演すぐバレるぞw

677:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:35:22.80 6CzbsyWS0.net
>>660
そのころにはもう呉と決裂してるからな
関羽に仮節鉞が渡されるというのはそういうこと(好き勝手に軍を動かしていいぞって意味)
でも義兄弟というアングラな関係を正当化するための建前なのは皮肉

678:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:44:31.53 NK4TAApz0.net
>>656
長沙は215の時点でも反乱起こしてるから孫権支配のウケが悪かったんやろな
反乱を起こしたら関羽を頼るしかないけど結局関羽と衝突してないしな

679:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:44:47.10 6CzbsyWS0.net
>>654
所詮は仮節であり部下も名目上は同僚なのだが義兄弟という不文律がすべて台無しにした
それでいて関羽は一番の年長(ただし名目上は皇帝の末裔抱えているため劉備が主)
この関係ゆえに関羽に逆らうことは義兄弟の劉備に逆らうことに直結しており、糜芳士仁は実質言いなりにならざるを得ない
関羽は処断する権限の節を握ってる上劉備は関羽を強く叱責することはできないから関羽の行動は全て正当化されるという図式
この建前と本音の乖離を仮節鉞という形で劉備は認めざるを得ず、敗戦時も関羽に与した将は他国へ逃げなければ生きられなくなった
義兄弟として劉備は関羽の失態を責められず関羽に与した将をスケープゴートに用意するから

680:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:50:56.51 6CzbsyWS0.net
>>650
劉備は漢中を得るために必死で関羽に自由にやらせざるを得なかった側面もある
意地でも漢中を得て劉邦の故


681:事に倣うことで正当性を主張するために だから孫権との縁談を上奏したら多分呑まされる 漢中を得て更に涼州雍州を取ることで中原を制するための騎馬を得たいから、病原菌の蔓延る当時の荊州は後回しになる



682:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:52:52.93 NK4TAApz0.net
>>664
仮節は当時文官のハンシュンに関係ない
関羽と同僚の関係性に問題が有ったのは確かだけど独立勢力って話とは別ものだよね

683:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 18:58:12.61 6CzbsyWS0.net
>>666
それでも止められないのが義兄弟という繋がり
例え関羽を静止しても関羽を名目上罰せるはずの劉備がそれをできない
だから結局関羽は遅かれ早かれやりたい放題になる
奇しくも演義の劉備に名誉を仮託された朱元璋もそれに苦しみ解決するため虐殺に走った

684:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 19:10:05.82 NK4TAApz0.net
>>667
それは現場の(ドイツ大好き)独断専行であって独立勢力という話ではないよ

685:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 19:27:26.01 tjxCdSk/0.net
>>668
独断専行なら外交を引き抜きとして蹴ったりなどしない
あくまでそれは宗主の国是に沿った行動が独断専行であって、国是を脅かす事を勝手にするのは越権行為
中立を謳いながらドイツ派であったギリシャを攻撃したイタリアみたいなもの

686:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 19:35:43.58 NK4TAApz0.net
>>669
そもそも現地の仮節の将軍に外交仕掛ける呉サイドさんの行動がおかしい

687:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 20:04:14.08 ouaGaIwo0.net
>>670
何でも呉のせいにするのは演義の悪い癖
何故仕掛けてきたかを知って然るべき行動を取れなかった蜀サイドにも問題がある
そしてそれを問題視する暇がないほど蜀は漢中が欲しかったのに水を差した関羽がいかにダメダメなことか

688:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 20:11:26.03 ouaGaIwo0.net
>>664
上庸が安定していないのに無理矢理援軍要求された申兄弟や孟達
こいつらは仮に動いたら漢中の守備が緩むから劉備か諸葛亮に処罰されかねん
でも動かなかったせいで関羽が死んだことで責任取らされるから逃走
逃げなかった劉封は処刑
ここら辺の裁定がほんと歪んでる

689:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 22:15:42.07 HW4H2GSi0.net
>>672
劉封 = 豊臣秀次
劉禅 = 豊臣秀頼

みたいな立場だったからなあ…。

690:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 00:15:28.91 V7xn/WjoO.net
俺もあれは体のいい粛正だったと思う。

691:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 06:09:26.22 N+M3A2TX0.net
三国志 Three Kingdoms
URLリンク(www.sangokushi-tv.com) 
を見たが、晩年の司馬懿がカルト教団の教祖みたいな
非常に怪しい味を出していたw

692:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 07:37:03.67 N+M3A2TX0.net
そう言えば。
王凌は史実ではそこそこ活躍したのに最後は司馬懿に殺害されてしまい。
さらに「三国志演義」にはまったく登場させてもらえなかった、非常に気の毒な人だ。
それにしても王凌はクーデターを起こすすなら司馬懿が死ぬのを待ってから起こすべきではなかったか?

693:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 10:54:08.95 EvlNfeZh0.net
王凌の生年は諸説あるが父が王允に連座して死んだことからそれ以前
有力扱いされてるものでは170年前後だから王凌が反乱を企てたのは80歳
同僚は次々先立ち蒋済も司馬懿に与したことを後悔して死んでいる
にも関わらず世論を気にして諸侯に決起を促すなど回りくどいことを続けた結果露見
むしろ立ち上がるのが遅すぎた

694:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 11:56:56.41 U99pHiA80.net
曹丕→外征に失敗
曹叡→専守防衛
これではなぁ

695:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 13:00:38.23 xnzr69vh0.net
>>678
曹叡は異民族への政策がおざなりなせいで必要以上に北方に手間取ってるのがな
土木工事を失業対策にしても支払った富で買うものが限られていたりと全体的に視野の狭さを感じさせる
曹丕の呉への執着も私情が大きいし、自分のために臣下を省みないという独裁皇帝の負の一面が見える

696:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 16:48:39.51 IVECY2Ti0.net
蕭何の大業 とはなんぞや

697:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 17:09:50.17 KVMEeEAJ0.net
>>677
いやー。隙がない司馬懿を相手にクーデターは不可能でしょ。

698:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 19:49:30.67 64+Se63K0.net
>>680
秦で終わる可能性もあった中華の中央集権化を現実的な路線で定着させた事やな

699:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 20:32:53.20 U99pHiA80.net
>>680
豚肉料理に貢献
素麺の薬味に貢献
もつ煮や魚の煮物にも貢献

700:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 22:21:31.08 INKvaKEz0.net
>>682
曹叡が宮殿造営に際して放った言葉なんだが>蕭何の大業

701:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/10 22:53:59.58 EvlNfeZh0.net
>>681
それは後世の西晋建国を知ってるからこその色眼鏡
政変〜王凌蜂起の間に不可解なほど中央の人間が死んでおり完全に足元が固まったわけではない
さらに少しでも曹爽に関わった若手〜中堅の臣下が罷免されており権力の空白ができた
それを司馬懿以外にそれに踏み入れられない体制を固めるまでの隙がある
成立前から議論され欠陥だらけだった州大中正を置いて名士に媚びたのもそれを知ってのことだとは思う
司馬懿ほどの人間が当代のみを考えて施策する人間ではないから
>>684
壮麗に非ざれば重威なし
ざっくり書くと権力者であるならば相応のものを備えねばならないという意味
献帝が死んだ後の曹叡は天下人として振る舞うことに終始してる
これは勝てる展望がないのに要害の地に籠る呉蜀への魏の正統性アピール
秀吉の北条攻めの巨大バージョンとも言える
それを支える群臣諸侯が抑圧され天下人の死以後に権力争いになるのも含めて

702:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 00:52:16.04 SOZMMpVH0.net
>>684
馬上天下を取り住まいは秦の離宮で十分というリアリストの劉邦に対してだから意味のある諫言だけど
皇帝本人が言うのはなんか違うな

703:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 12:31:35.65 jA4r+uuY0.net
>>686
財政に余裕ないのをわかっていて曹丕が散財をしなかった反動だな
なまじ頭がいいから状況と立場を棚上げした上で理論の意味を抜き出して宮殿造営に及んだ
それを返せないところにも前例踏襲と階級社会を重視する儒教の弱点が見え隠れする

704:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 12:47:25.28 jA4r+uuY0.net
>>683
漢方医学にも貢献
キョウイの漢字変換にも貢献
も追加で

705:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 13:28:59.94 3wk9kukx0.net
>>687
文帝紀や明帝紀の記述されてる限りだと曹叡よりも曹丕の方が宮殿造営に積極的だったと思うんだけどね
なんで曹丕の宮殿造営が悪く言われずに曹叡ばかりが悪く言われるのかよくわかんないなぁ

706:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 14:04:44.65 +Swe6c8E0.net
>>689
そりゃ連続してやるからやろ
曹丕は皇帝になった立場もあって宮殿の造営が必要だけど連続して曹叡が行うには根拠が足りな過ぎる
天下統一でもしたのなら話は別だろうけど

707:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 20:15:10.25 3wk9kukx0.net
明帝紀読み返してみると曹叡の治世の末期ではちょくちょく疫病や水害が起きてるんだね
災害対応を疎かにしたまま公共工事に明け暮れた結果支持を失うって面もあったのかなあ

708:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/11 21:27:32.10 AH2p7pix0.net
>>691
実際あったかどうかは別として、陳寿は天災を細かく書くことで魏は天命を喪っていると匂わせる手法を使ってる
貨幣経済がある程度復活するほどの国力があり国内で殆ど反乱がないことから、天災があっても武装蜂起には至らない程度の状況なのは間違いない
問題は後継者が幼帝であり、後見人に凡庸な皇族と有能な貴族という両極端をあてがったこと

709:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/13 20:08:49.74 UdI38sAd0.net
曹叡は農繁期に農民を集めて工事してるのが悪い
寒冷化してる頃だから天災は多かろう

710:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/14 07:45:32.82 IlgI4WOx0.net
蜀。
姜維より王平のほうが軍事的才能はあったんじゃないかという奇説もあるようだが、どうなんだろうな?

王平はたしかに
「ローリスク・ローリターン」
「負けない戦い」
をする人だが…。

711:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/14 11:20:34.58 LEGf5Ruo0.net
異民族で字も読めないのに漢の軍制を勉強したんだからすごいよね

712:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/14 12:35:39.44 TR55u4x+0.net
>>694
王平は戦争屋としてはスゲーけど大規模戦略の立案運営はまた別の話でしょ

713:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/14 13:39:03.57 fgMUlGTI0.net
王平は自分で選択するというよりは上官の意向とその目的への最適解を見つけたらそこで頑張るタイプで
全軍を自分の立てた戦略で動かすタイプの将ではないだろうね。
防衛線で守り切るというのとかは向いていると思う。
魏だと曹仁も先鋒を務めて失敗が多く、守って強い将で同じタイプかなと思う。
戦略を立てるタイプは割り切って見方を犠牲にしたりリスクはあってもリターンの面が大きいとそれを選ぶタイプが向いている。
曹操、夏侯淵、臧覇とか周瑜、呂蒙、陸遜とか。
蜀だと張飛、魏延、姜維。
関羽は立てた戦略と別に個人のポリシーを持ち込んで戦略を潰してしまうし関羽1人に荊州任せなければならないほど人材が不足していた蜀は関羽が生き残っていても江陵を維持できる体制ではなかったかもと思う。
?統、法正どちらかが生きていれば諸葛亮は江陵に戻って関羽の司馬を兼ねたポストになり、外交面の一部を伊籍他荊州出身の有力者と行い関羽の独断を防げていた可能性も出てくるだろうし。

714:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/14 21:23:14.87 D7ZpzGfm0.net
>>697
関羽の


715:場合は独断を防ぐというよりは、独断させるためのバックアップをさせるというほうが成功率が高い気がする 最終的に切り捨ててもいい状況にしながらも表ではへりくだって兵站確保や呉の内情収集や撹乱が主か



716:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/22 15:55:15.35 Qit8R0mx0.net
>>697張飛、魏延は基本、劉備や諸葛亮の立てた戦略に沿って動くタイプの軍人だと思う

717:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/19 11:47:34 V3L3W96i0.net
>>697
>>698
諸葛亮は魯粛と仲良しで親呉派だから
劉備関羽と違って呉との仲を荒立てたりしない
諸葛亮は呉を切らないが関羽を切るかもな

718:
19/10/20 17:49:38 wc8UjSS80.net
この話題好きだな、お前ら。
何年前からループしてんのよ。

719:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/21 20:20:54 iYXKikI40.net
二千年くらいじゃないの

720:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/21 20:22:09 6+e/BcPl0.net
>>702
それ三国志の前からやん

721:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/24 20:53:08 iYgLGE8W0.net
>>1
他の時代と比べると天下統一できる器もった人物がいないからやろ
要するに雑魚しかいない

722:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/24 22:33:06 Q/b4V6kv0.net
むしろ逆に天下人の器のある奴が複数いてしまった結果が三国鼎立なのでは?
統一王朝築いた司馬炎より器あるでしょ。

723:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/24 23:51:08 sxkEEsqr0.net
光武帝なんて敵勢力みんな勝手に自爆する馬鹿揃いなのに総マンセーだからな

724:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 02:58:27 8N4e7drA0.net
劉邦も項羽があまりにも政治音痴すぎたから勝てたとこあるしな

725:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 07:16:46 yUzeKpBa0.net
>>705
少なくとも曹丕曹叡は司馬炎よりはるかに下

726:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 10:30:43 5YDf97Z20.net
劉備も李特李雄と比較すると微妙

孫権は六朝歴代君主と比較すれば結構上の方かな

727:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 14:39:57 wGHgqbrX0.net
>>707

韓信や陳平をうまく活用すれば項羽の圧勝だった。

728:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 15:03:18 R9w4njFW0.net
>>710
項羽に勝ったオッサン「范増一人使いこなせんから勝てんのやぞ」

729:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/25 17:16:19 8hCdKmXN0.net
実績重視で歴史の人物を評価すると曹操も劉備も孫権も司馬炎に遥かに及ばない、という無常な正史。

730:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/26 02:03:23.61 ePM33vSI0.net
南朝の貴族にまで「石勒以下のカス」呼ばわりされるモートクとシバチュー

731:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/26 20:00:14.32 3+sajsPk0.net
英雄性が後の時代まで持続しない英雄もどきほど悲しいものはないな

732:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/27 18:59:49 UEQJbbqz0.net
総人口800万人程度の時代だから弾が少なくて守備>攻撃と膠着しがちだったんだろう
魏40万強
呉20万強
蜀9万
くらいだろ
秦帝国の動員数が推定200万
黄巾の乱前の後漢の動員数が推定560万
三国時代は力押しができない状況

733:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/03 01:22:36.53 QW7zOm5n0.net
>>1 魏が大国っつっても、呉蜀が連携すれば普通に拮抗するだろ

734:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/03 11:14:29 ZMy7MfrR0.net
連携出来なかった。
呉が荊州を獲った時点で滅亡はほぼ確定。

735:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/03 22:32:51 6QGlKDxy0.net
一番の原因は江陵を返却しなかった事だな

736:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/04 00:57:53 LxQ5tvlL0.net
呉蜀の足並みが揃わなかったのが魏の思う壺だったな
呉が攻勢に入ったので蜀も北伐を始めたがその頃には呉が兵を引いてたとかそんなんばっか

737:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/04 04:10:29.64 INPonuT50.net
それは関羽が諸将と連携とれなかったのと大局的に変わらない
三国が拮抗したのは動員力の低下による力攻めができなかったこと
だから姜維みたいに異民族に影響力持ってることが相当なアドバンテージになるし、無謀とわかっていても勝ったら勝ちきるしかなかった

738:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 19:35:44.84 3agJkIqu0.net
どの道遠過ぎて連携は無理だろうな。あらかじめ決めても呉で事件起こる確率高いし

739:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 20:24:22.24 /YlD/yDW0.net
まあ、関羽が一番最初に問題起こしてるしな

740:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 20:49:01.49 gVQrkVSm0.net
荊州で好き勝手やっていた、関羽の政治的立場って何なのさ?って話で

741:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 22:44:59 F0QQUfO80.net
食料強奪したり同盟国と小競り合いしてる事だろ

742:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/14 12:35:00.16 ZZkUWsWh0.net
随分伸びてるなと思ったら、やべえ奴らが罵声浴びせあっているだけだった

743:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/14 13:00:17 jjHdEDa00.net
関羽アンチのネットでの荊州失陥叩きはもう15年以上は続いてるな。
もはや一生ものの奇病かもな。

744:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/14 16:41:50.83 8/tYIkqy0.net
ネットじゃなければ爺さんたちもやってそう。

745:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/14 22:19:35 jjHdEDa00.net
糞爺「全部…全部…関羽が悪いんじゃあ…」

介護士「はいはい、お爺ちゃん。もの食べながら同時にウンコするのやめましょうね。」

746:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/14 22:29:14 Vu3+8/PN0.net
15年以上でも関羽儲はまともに反論出来なくて
>>728
みたいなキチガイしかいないだよねえ

747:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 06:19:56.39 uwmkB60C0.net
髭ヲタは「関羽学」とか怪しげな(中国のアカデミズムでも聞いたことない)事を言い始めた当たりから頭がアレな人やと解釈してる

748:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 08:34:45 YFI15PjC0.net
関羽は宗教

749:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 08:35:23 YFI15PjC0.net
×関羽は宗教
◯関羽はカルト

750:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 12:46:28 96TuR07W0.net
関羽に対する研究は専門的すぎるんだよ。
入門書レベル(1000円程度)で買えるような一般書籍と違って
都会の紀伊国屋とか、中国書籍専門店などに5000円〜10000円くらいの
いかつい値段で鎮座してる。
完全に関羽に対する信仰史、神話史の話だから
三国志しか知らないようでは手に負えないだろうし
一般人はそんなお高い専門書なんて買わんだろうね。

751:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 20:08:43 RA+jn7600.net
そもそも三国志の研究書自体そんなに多くないもん
神保町の東方書店行っても一般書や同人本は目立っても分厚い研究書は数少なく、さらにその中でもマイナーなジャンルが関羽ネタや

752:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 20:25:37 96TuR07W0.net
専門的な研究ってそもそもマイナーでしょ。
異常なほど値が張るのも専門家か、マニアしか買わないからだし。

関羽の話で荊州失陥程度の話しかできないのも日本の三国志ゲームや
漫画から入ってきた初心者レベルだからでしょ。
まあ、関帝信仰のことを知らずに三国志だけでしか関羽を語れないってのは
情報としてマイナーな上に知識としても底浅いんだが、そういう自覚もないから
余計にめんどくさくて厄介。
知識への向上心があるのか、ないのか分からない珍奇な生き物が関羽アンチ。

753:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/15 23:37:48 QWYw4kUVO.net
関羽に帝号を追贈したのは乾隆帝?

754:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 01:41:18.90 SUVNziQL0.net
諡号も勝手に変えたんやで

755:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 01:58:10.58 E3ZEQUtm0.net
三國志だけで十分じゃないの?
民間信仰とかそのへんの部分までいる?

756:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 02:28:32 H4Tb74LS0.net
ぶっちゃけ関羽の民間信仰とかスレ違いじゃね?

757:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 06:45:23 009YiAQ10.net
民俗学とか宗教学の世界だからね。

敢えて言うなら関帝様()を時の政権が政治利用してきた流れとかくらい
(徽宗とか謎の称号を与えたりしてる)

758:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 12:16:39 P1b0NMvm0.net
荊州問題のループで毎度のように関羽叩いてたら
15年くらい同じ話してる老害扱いされて、キレて更に関羽叩いたら
マニアにボコられました。という話ですよ。

これ以上長引かせるなら、更なるネットスラング共に関羽叩きを
やめない老人達がしつこく粘着してくるぞ。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 12:32:08 gVl60yEv0.net
荊州問題って呉蜀の道義性をめぐる観点から語られること多いけど
そもそも劉備勢力にとって長期的に保持が可能だったかどうかという観点から語られることってあんまりねえよな

あれだけ孫権から圧迫受けてたら劉備の代は良くても次の世代まで保持し続けるのは難しかったと思ってる
失陥が早かったか遅かったかだけの話

760:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 14:15:02 djELGl0H0.net
>>742

土木工事でガチガチに要塞化するってのは当時の技術では不可能だったのかな?

761:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 15:26:42 sIa9vszn0.net
>>743
後の時代に陸抗が要塞化した西陵でも
陸抗が陥落させ(守将:歩闡ら)
王濬・唐彬が陥落させ(守将:留憲・成璩ら)
落ちない城は無いので無意味

762:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 17:15:41.11 km3v4C7a0.net
木の要塞って燃やせば終わりそう

763:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/16 17:32:29.76 QyCaOxDo0.net
版築じゃないのかよ。

764:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/17 02:23:45.08 FJnCxNTf0.net
遠い。

765:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/17 02:51:17.60 iT0jCicc0.net
>>742
そりゃそうだ
呉と蜀なんてお互に争わない前提じゃないと魏に対抗できないのに
魏と手を結んでまで欲しがってるのを永遠に防げる訳無いやん

766:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/17 11:44:25 ROaoiVuh0.net
呉と蜀が争ってたら滅亡しかない。
土地と引き換えに命運は尽きた。

767:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 03:07:37.70 +NcN5Pjg0.net
異民族や反乱への備を残して魏が早い段階で呉蜀攻めるしたらどれくらい動員できんだろ
青洲の兵が南方に動員されるのはよく聞くけど冀州并州幽州が動員されるのはあまり聞かないし攻め切れるだけの兵士揃えられんのかね

768:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 06:09:24.14 Fz9XQjWR0.net
司馬懿の進言通りに
曹操が漢中を得た勢いで蜀に攻め


769:込んでいたら成功しただろうか?



770:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 08:09:12 OO3iTMIw0.net
当時荊州は呉蜀で戦争状態だったし、益州も制圧したばかリで一つに纏まっていたか疑問だし、勢いに乗って呉とも共同すれば行けたと思う。
ただ、漢中戦は当初曹操も形勢不利として撤退を始めてたらしいから、蜀の制圧には消極的になっても不思議じゃない。

771:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 08:33:20 7c1Kpgb60.net
蜀への侵攻はいつでも補給との勝負
涼州の政情も含め漢中制圧したばかりの状況で攻め込むのは絶対負けるとは言わないまでもリスクが大きすぎるやろな
呉と手を組んで最低荊州の関羽を牽制してもらいつつ短期間で劉備本隊を壊滅させる必要があるというハードモード

772:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 17:22:53 KPG9+uDQ0.net
魏が蜀も併合すると呉は風前の灯。
協力するわけが無い。

773:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/20 21:35:19 uLuL37340.net
単に漢三傑みたいな有能な人物がいなかっただけやろw

774:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 01:10:06 tt6uIZpz0.net
曹操は赤壁前と漢中前で判断ミスをしてしまったな
赤壁では直接戦わずに政治的に圧力かけるべきだったし
逆に漢中を占領した後はすぐに益州に攻勢をしかけるべきだった

775:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 02:08:16.70 la+DAXI50.net
荊州北部落とした時点で長江の水軍は手に入ったわけだしな
この時点で即南進よりそれこそ長安漢中の攻略しつつ長江水軍と政治的な圧力かけとけば呉の官人のそれなりの人達は呉から魏へ降ってただろう
漢中まで取って涼州の軍閥に分断工作行いつつ改めて呉に侵攻してしまえば長期戦前提で江陵、江夏方面をまず確保して寿春方面から建業けん制で呉を滅亡か孫氏降伏まで持っていけそう

776:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 06:54:20 td6vpkfU0.net
後知恵過ぎて草

777:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 09:28:24 oy4KTH2P0.net
>>757
赤壁前はほぼ荊州全土手に入れてたよ
その上で反抗勢力残党のの劉備叩こうとしたら孫権呼び込まれて痛い目見たって流れや
んじゃあ劉備を無視出来るかって言えば魏の本隊以外が何度も負けてる相手だから絶対無理(本隊撤収したら荊州南部から荒らされるのが目に見えてる)
結構避けられない流れなんやで

778:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 23:26:27 zublj3vm0.net
三国時代なら五胡十六国に出てくる畜生武将でも簡単に統一できたやろね
それこそ宇宙大将軍とかでもw

779:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/21 23:45:31 tt6uIZpz0.net
五胡十六国の武将どもは勝ってる時はマジで強いけど負ける時は三国志の武将以上に大惨敗するから
統一できるイメージがわかないわ

780:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/23 11:26:20 TzFq7WDA0.net
三国時代の人物は過大評価すぎる

781:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/23 11:52:54 4zwxayVk0.net
そもそも三国志は資料が少なすぎるわ。
ギリ後漢末まではなんとか把握できるけどそれ以降は
正史三国志(注釈含む)しか文献資料ない上に発掘資料も貧弱。
民間の人気がいくらあってもアカデミズムでは冷淡な扱いを受けるのも残当や。

782:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/23 14:08:04.22 lXyHxidG0.net
古代の歴史の学問研究は真実の追求ではないからなあ。
関羽が霊異を顕した話なんて明〜清の時代には正式な文書として
扱われてるもんだから、霊的な要素を信じられる人間じゃないと
その世界の学問研究の世界にはいられない。
大き


783:ネシンポジウムだってあったから それも学問研究の世界でも冷淡とはいえないな。 そもそも、民間人気がないと資金調達が困難で 研究なんて出来るの?って話だけどな。 清やそれより前の人気のないマイナー古代史の研究如きに 公金なんて使ってたら金の無駄遣いだろうに。 始皇帝の兵馬俑だって、民間人気が高くて見学で金集められるから その時代なんかの研究費なんかもおりるのだろうし。 中国の歴史研究の分野ってほとんどが民国〜中華人民共和国に集中してないか? 古書店なんかいっても孫文や毛沢東の実績の研究記録の本が圧倒的なんだが?



784:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 00:15:16 H3KiOca90.net
>>762
三国志の人物を下げるために他の時代の人物を過大評価してるところもあると思うけどな

三国志は一代で統一できる英雄がいない二流の時代と評価する人間を見かけるが
劉邦は項羽が政治音痴のおかげで統一できたとこあるし
光武帝こそ敵が二流三流ばかりだから統一できたと言って良い

785:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 02:32:33 xwUXvi+h0.net
三国志の時代が評価高いのは漢民族が中原を保ってた最後の時代だからだよ
三皇五帝から連なる中原の歴史が晋で失われた事によって分裂しながらも外に対して対応出来ていた三国の時代を評価せざるを得なくなったのが実態

786:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 05:38:52.28 xHSZw5d10.net
それ言ってるの日本の三国志オタだけやぞ

787:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 11:51:00 j+QDMHut0.net
そもそも漢民族ってなんなんだよってな話だよな
漢帝国を興した劉邦だって元々は周代は荊蛮と呼ばれ華夏の民と扱われてなかった楚の人間なんだし
初めて中華を統一した秦だって周代では西戎の一部族に過ぎん
「純粋な漢民族」なんてもんは最初から存在してないのさ

788:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 15:05:40 fUQNSrj+0.net
>>765
その手のことをいう奴は「戦略家」のみを評価してるだけなんだろうな。
三国時代は優秀な政治家、戦術家、化け物みたいな豪傑の豊作時代だったけども
一流の戦略家だけはいなかった。
だから、三国共に自分たちの得意な戦術レベルの戦に特化して一進一退を繰り返した。ってことだと思う。

そういうものは自ずと後の創作話の多さにも影響してくるしな。
元々が凄かったので、それを元に作られた三国演義も歴史ものの中で
逸群の出来前になったし(水滸伝や西遊記はオリジナル要素や神怪要素に溢れている。)、曹操以上の話題性を持つ政治家、戦術家だっているのか怪しいもの。

中国歴代のマルチプルな才能に長けた天才と言われたら、中国史の専門家であっても
曹操の名を上げるんじゃないの?
関帝の知名度は言うに及ばずだろうし、今や道教では最高神の玉皇上帝にもなった。
他の時代に関羽以上の大衆ヒーローが居るのなら
関羽像以上のめちゃくちゃでかいモニュメントが建ってもおかしくない。
中国ってのはそういう国だし。それに義弟の張飛だって有名な神様の1人でもある。

諸葛亮や趙雲も主役になってる大河ドラマや映画もある。


三国時代以上に中国文化の様々な方面で
有名になってる人物ってそんなにいるのかね。
当然、三国時代が劣る分野もあるだろうけども。

789:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 16:13:43 r+bSCMja0.net
そりゃ単に三国志ヲタが無知なだけやぞ
世界史的には九品官人法しか残らないのか三国時代で
五胡十六国〜南北


790:朝と比較してもしょぼい事績しかなく プロの研究者からと敬遠されるほどアカデミックからは 見捨てられた時代や。 発掘資料も後漢初期の公孫述の政権の方が蜀漢より出土資料が多くて呆れ返る殆ど後世に残ったものがない



791:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 17:00:38 fUQNSrj+0.net
プロの研究者とかアカデミックとか知ってる言葉を連呼してるだけなのか…?
世界史的=高校〜大学レベルの世界史の教科書程度のこと言ってるだけとか。
その程度の知識ならそれは「入門書」っていうんだよ。

792:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 17:24:07 qEBNscRm0.net
あれだけの乱世でありながら書物はたくさん残ってるほうだってNHKで言ってたぞ。

793:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 19:47:41 vIfAIzCr0.net
王猛クラスの人材がいればどっかが統一してた

794:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/25 00:19:54 +GBLPUGd0.net
>>755 五虎大将軍なんて、所詮は田舎の亡命小政権・蜀漢内の五人の副将軍でしかないもんな、しかも関羽・張飛なんて何度も城奪われておいて奪還できねえわ、部下に寝首掻かれるわで、英雄扱いするにはショボ過ぎる
二人とも、母国びいきの陳寿が三国志書いて無かったら、全く歴史に残らないレベルだよ

秦帝国の大将軍だった白起や章邯よりも全てにおいて足下にも及ばない

795:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/25 12:55:23 nulpjtm20.net
その章邯を少ない軍勢で破った項籍ってやばくねえか?

796:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/25 15:47:03 duKgW7V50.net
史料的な分析もなく、自身の感情で将の上下比べなんてやる程度のレベルなら
プロの研究者だの、アカデミックなど軽々に口にせん方がいいぞ。
そういう人たちは自身の見解が暴走しないように、膨大な史料から丹念に調べ上げて
自身オリジナルの見解でありながら、その世界の新規解釈に繋がるような論証を創り上げてるからな。苦労と努力を積み重ねている。
感情だけでモノをいうド素人とはレベルどころか、次元が違う。

797:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/25 22:00:02 1C8tFow90.net
劉備の放浪時代が長いせいでもあるけど蜀の文献が残ってなさすぎるのがな
文化レベルの差が三国間で見事に出てしまってる感じある

798:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/25 23:16:54 d3dr8JH70.net
>>774
関張は、二国にも武勇は鳴り響いてるレベルだから普通に歴史に残るだろ
特に関羽は荊州争奪戦で良い意味でも悪い意味でも存在感発揮しまくってるから絶対残る

ただ陳寿が三国志書いて無かったら呂布と同じような扱いだったかもな

799:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/26 00:33:26.68 lvyjRH0r0.net
英雄として名を遺すってのは、人格的な欠点があったとかは
あまり関係のないことだよ。
そもそも、欠点のない人間なんていない。
歴史の中から見ると、関羽の場合は武勇の他に義人としての
行為が称賛されたことに加えて
霊異を顕したことによる、神霊としての英雄性が高いね。
民国になってそういう迷信は排除されて袁世凱によって
忠義の化身としてのみ関羽と岳飛が祀り上げられたけど、結局現在の関羽は
極めて神格の高い神としての方が一般的になっている。
関羽みたいな英雄の中の英雄みたいな存在は
忠義、武勇、霊異と様々な要素を持ってることが特徴的だね。
ageる要素が多いから、英雄としての格も上がるんだろう。
後、ネット世界なら日本でも中国でもアンチも相応な数が居るのも
らしくていいね。
スポーツの世界なら王、長嶋、アントニオ猪木みたいなもんだ。

800:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/26 23:22:37 CIHQkEp20.net
陳寿が三国志書いてくれて良かったわ
陳寿が書かなかったら魏以外は
楚漢戦争における楚や光武帝の敵勢力みたいに
君主以外はその他みたいな扱いになって列伝も無かっただろうな

801:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 00:14:51 zGkerH/K0.net
さすがに晋書の載記くらいの分量はもらえたんじゃないの?
そうなると蜀臣で附伝になるのは諸葛亮以降の宰相連中だけになっていたと思うけど

成漢の載記とか本当に薄い

802:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 06:45:40 yRYW82UZ0.net
蜀オタや髭ヲタって陳寿嫌いな奴多いけど
陳寿がいたから髭の顔良斬りもハルヒ益徳の長坂下も書けたんやからな

陳寿いなかったら蜀の記述は諸葛亮プラス四名臣の伝記で終わったろうし、姜維に至っては陳寿抜きなら「母親を捨てて栄達を求めたクソ」で終わった可能性が高い。

803:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 13:43:25 dyPwuwEd0.net
それはどうだろうな?
正史は中央集権体制の確立から書かれてるものだから
地方野史の収集も少ない。
と、言うことは権力者以外はその人物の出身地での専門研究の方が盛んであり
信頼性も高くなるということだ。
現に、関羽の研究に対しては中国では関羽の父や祖父の名前なんかも判明している。
これを嘘と断ずるのは、史実研究に対する単なる冒涜に過ぎないことでもあり
地方野史に疎いという自身の浅学な未熟さを証明してしまっている。

それに史実ではお供としてついていった単なる猿が
斉天大聖なんて巨大な神に化ける国だぞ。
巨大な力を生む民衆支持には、元になる存在なんて人間どころか
猿でもいいということだな。

蜀志が書かれていなくとも姜維のような忠臣は野史の視点から
民衆支持を受け、国家がその「忠」を称賛して必ず評価されるよ。


民衆支持→それに応じて国家もその流れに乗る。
中華圏に知れ渡る偉大な英雄や神はみんなこの流れからしか
生まれてはこない。

斉天大聖もそうだが、天后とまで称された航海守護の神の媽祖も元はただの少女。
正史に掛かれてるどころか、一般人や動物でさえ時の権力者など問題にならないほどの強大な存在に進化することは中国の歴史観が証明してるよ。

804:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 15:28:36.83 +PLNG0bw0.net
>>783
>それに史実ではお供としてついていった単なる猿が
おい…おいおい

805:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 15:31:46.46 EnU/h9pI0.net
豚と河童も史実

806:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 16:12:03 yRYW82UZ0.net
ま〜た髭ヲタが無学晒したのかよw

玄奘と西遊記の三蔵なんて別人に決まってるやろw

807:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/27 16:44:11 dyPwuwEd0.net
そのあたりは詳しくないんだ、悪かったな。
西遊記の成立の過程の知識に対して無学だったのは謝るよ。

しかし、歴史に「もしも」はないんだから
陳寿がいなかったら…なんてことは普通考えないんだけどな。

それに過去がどうであれ、斉天大聖という神が居る現実は変わらないわけだし
そんな部分の粗探しなんかしてどうするのよ?


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