】【春秋時代】晋の六卿について語ろう at CHINAHERO
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[前50を表示]
600:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/13 15:19:44.15 iRXqDdCi0.net
URLリンク(youtu.be)
おもろいから聞いてみ
ちなみに帽子かぶってないほうがマスオさんです!
このスレよりこっちのほうが絶対おもろいよ

601:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/13 19:13:46.15 RNqB39ms0.net
六卿スレはあれど晋自体のスレは無いからな
晋のことなら何でもいいんじゃないの

602:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/15 14:49:50.62 HITgMHeu0.net
>>381
>>401
こういう話、好きw

603:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/15 18:25:20.87 qlwxJn980.net
三郤「悪意を感じる」

604:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/16 13:12:26.16 pXOmcGrx0.net
張孟「俺が歴史の証人や。捏造やないでw」

605:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/22 01:14:06.57 vAwQ2fLj0.net
>>381の話って何年のことなんだろ。
上のほうの表(>>59)で、荀庚が中軍の佐だったのがBC578だから、
そのあたりと考えていいのかな

606:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/22 08:07:07.59 tPnzfX1m0.net
趙旃「なんでワイの台詞ないんや」

607:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 00:37:12.93 G79iBxf10.net
三郤コメントの方が共感できる希ガス

608:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 02:10:40.88 8gaH69AX0.net
人を祝うべきときに祝うことのできぬ人は、その悪声がおのれにふりかかってくるものです

609:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 03:03:05.26 oI0WtO300.net
郤リ「祝ったのに…」

610:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 12:12:46.25 tDyZrLzA0.net
>>606
それ謎だよな。年代が違うのかな

611:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 14:00:13.88 yZa99Ccc0.net
>>605
たしか趙武の生存が韓厥によって景公に知らされて復興を認められたのが583年
そこから慣習に則り(足かけ)3年の服喪を終えてからの様だから、581年頃の事では
ないかなと思うんだけど
で当時は4軍だったから卿8人に序列に順って挨拶したって事なんだろうけど
>>608が晏弱なら>>607は高厚って事なんかな

612:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/24 22:02:05.58 oI0WtO300.net
高氏より国氏のが好き(唐突)

613:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/25 04:53:20.74 usZ8zA/00.net
斉君「両卿が俺の翼だ!」

614:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/25 07:58:55.76 hJPMo9rV0.net
実際、三位一体だから二卿の衰弱と共に太公望以来脈々と続いてきた伝統国・姜斉も墜落したね、惜しい。

615:名無しさん@お腹いっぱい
16/06/25 17:23:26.16 SkhLdTY70.net
なんで斉スレになっとるんや!

616:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/27 00:10:59.03 sbpiaRWN0.net
晋にしても斉にしても
公族筋の名家が消える→公室の権威が衰える→異姓or外来の氏族に乗っ取られて伝統ある国が亡ぶ
残念なことよ
日本と違って垣根のない大陸は社会の流動性が高く伝統維持の難易度高杉や

617:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/27 00:12:36.55 x1SY6K0u0.net
>>611
なるほど。
>>59
>583BC
>中軍将 欒書   上軍 将 荀庚   下軍 将 ??
>   佐 荀首     佐 士燮      佐 ??
とあるけど、服喪の間に荀首が引退or死去して卿の構成があの8人になったのかな。
>>606が疑問に思ったように、BC578時点の表と見比べると、郤犨と趙旃が入れ替わってるのは不思議だよね。

618:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/27 11:00:21.11 WW0O5Dg00.net
>>616
周以降、前近代の中国には同姓不婚(例外あり)という公族の結束と権勢の維持に大変不利な文化がある。
なんだかんだ国家と公室を安定的に存続発展させるには藩屏たる同族の勢力と権威が不可欠、重大な欠陥だ。

619:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/29 17:19:40.77 fonADX0E0.net
韓氏とかいうれっきとした晋の公族なのになぜか戦国期まで生き残った一族
韓氏は晋の公族っていう感じが薄いけど

620:名無しさん@お腹いっぱい。
16/06/30 16:04:09.65 gHh6K6CT0.net
>>618
確かになー
宗家と分家、公族系の名門同士が縁遠くなる一方のシステムは宜しくない。
>>619
六卿ブランドに染まりきってる。

621:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/02 13:27:53.14 Q7Xx2eSF0.net
斉の田氏は斉公室の外戚になったのがデカかったね

622:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/06 00:15:00.15 9CWWWKYh0.net
襄公と悼公は早死にしてはいけなかったよな。
次の代がアレな感じになっちゃって権力が臣下たちに行ってしまって・・

623:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/06 23:30:53.46 cOAHr5mW0.net
悼公は14歳で即位してよく晋を治める事ができたものだなって思う
晩成の文公に次ぐ晋の名君が早世の悼公だというのが面白い

624:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/07 19:54:22.55 Uh1xvE8n0.net
悼公は詞を暗殺した正卿の欒書がほどなく歿してくれたのは大きいかな
やり手だけど名門意識も高くて鼻息荒い老齢の大臣なんて少年の君主には
扱い難いことこのうえないし、へたすれば詞の二の舞にされかねない
もう一人の荀偃がまだおとなしめの人間なのもよかったろうし
それに即位ほどなく刷新した人事が絶妙だろうな
強欲だったり傲岸だったりといった大きな偏りの少ない、能力や人格のつり合いのとれた
人物を昇進させてるんで
代表的な魏絳なんて三国志(正史)でもたびたび出てくるくらい後世にも有名だし

625:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/07 23:30:32.78 vU8C7/Ka0.net
韓厥・知罃と連続で、できるいい人を正卿にできたのが当たりだったよな。
若くして即位した悼公に人事権があったかは微妙だが・・
襄公も10代で即位したはずだけど、生きている間目立った失敗もないし
もう少し長生きしていれば結構名君扱いされた気がする

626:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/10 01:10:24.98 Dgs0p2+c0.net
襄公は在位は短いけど十分、名君じゃないか?
秦の穆公の中原進出を阻み晋の覇権を守ったのは立派な功績だ
失敗というなら先シンを死なせてしまった事ぐらいか
まあ襄公が悪いかというと微妙だが

627:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
16/07/10 13:23:49.09 IDW8VQF10.net
長いこと権力の頂点に立ち続ける
長く政権を守ってこそ名君だから在位短いのは大きなマイナス要素
でもまあ襄公の成績は非凡なんで名君といえるだろう

628:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
16/07/10 13:29:09.97 clIDlpvE0.net
文公は9年程度しか在位してないけど
五覇の代表格だよな

629:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
16/07/10 16:48:59.01 97zygzQy0.net
即位した年齢を考えればまぁ・・

630:名無しさん
16/07/10 19:56:25.97 2LF3Wrjm0.net
あの年齢なら周囲も覚悟できてるしね

631:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/11 00:49:14.60 VsXLevze0.net
晋で名君ベスト3を挙げるとすると
1位が文公、2位が悼公、3位が襄公になると思う

632:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/11 16:18:49.89 /02uokDZ0.net
襄公が20年長生きすれば晋の公室も少しはマシだっただろう
襄公以降は家臣に擁立された君主だったから力が無い

633:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 12:02:11.64 SaWZQr0U0.net
武公・献公「俺たちの長生きは評価してくれんのか?」

634:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 13:07:35.24 DmpHwM860.net
御二方の武断武徳によって晋は超大国の高みに駆け上がった本当にありがとうございます

635:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 14:12:25.82 0xHn7gNV0.net
献公のおかげで格段に領土が広がったからな

636:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 15:32:33.01 dT8ZGX7h0.net
いくら晋を大きくしたといってもあの大乱を思えば献公はあまり評価できないわ
人間が下衆過ぎて

637:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 15:59:27.93 SaWZQr0U0.net
武公在位中にいっぱい人材獲得したこともお忘れなく

638:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 21:45:08.69 fM4gxBKg0.net
公族弱体化政策を少しやりすぎて国にまとまりがなくなったのはマイナスだけど
晋が覇者になれたのは間違いなく献公の武断と機会主義のおかげなんで高評価
あれだけ急拡大すれば試練(乱)の一つや二つは発生するもんだし
地政学的に有利というわけではなく四方は強敵だらけ
既存の秩序に反しながらも強引に突破し覇者になった晋(曲沃)
この国の歴史を通観すると敵対的な外敵による緊張感って大事だな、と思う

639:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/12 23:59:28.67 4pZYb0Su0.net
献公は覇業の礎と三晋の分裂の遠因を作った
良くも悪くも晋の未来に多大な影響を及ぼした
評価としては上の下もしくは中の上

640:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/13 11:07:18.61 NTIFaJyZ0.net
献公の攻略が無ければ魏も虞もカクも文公の時代も残ったままだっただろう
そうだったら文公の覇業なんてほとんど出来なかったよ
斉が桓公の後に伸び悩んだのは領土拡大を怠ったのも一因

641:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 00:39:21.10 dGCejeoo0.net
前世代の仕事の成果は次の世代に顕れるからねえ。
ヤルことやって障害潰してくれてたら綺麗に伸びるし逆なら次世代の為に悪戦苦闘しなきゃならん。
>>638
献公時代の爆発的な軍事拡大とそれに伴う国際的地位の向上をみるに
統一の効果ってやっぱすげーわ。

642:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 06:02:37.79 idq45qMh0.net
そらどんなに優秀な為政者&勢力でも国家分断で常に足引っ張られてちゃ平均以下のパフォーマンスしか出んからな
執念と武力さえあれば他のモノは後からついてくることを証明した曲沃さん

643:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 16:31:53.67 B1n1yR0I0.net
大望を持つ者(国)ほど摩擦と困難に直面するからね
十全を望んでたら突き抜けられない

644:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 17:45:01.43 lcTYrkKt0.net
晋に勝るとも劣らない伸張を成し遂げた上に分裂することもなく栄え続けた楚と楚王室

645:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 18:09:21.46 Qxh0z/pL0.net
十全老人「朕を愚弄した罪で>>643を凌遅刑に処す

646:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/14 20:13:00.40 dGCejeoo0.net
なんだかんだ戦国末まで高い次元で安定してる楚はすごいな。

647:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/16 16:11:30.52 ShJ7kR1b0.net
献公って評価分かれてるね

648:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/16 18:05:54.71 0RvZ+sKx0.net
清朝は棚ぼたで明王朝の力を受け継ぐ→武力は劣化しつつあったけど国力で伝統的な外敵を全部平らげる→長期の平和、超人口増
十全老人含む歴代皇帝は優秀だったけど上手いこといきすぎて弛緩しちゃったな
>>647
献公は始皇帝に近いと思う

649:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/16 18:53:01.46 3LVTgZcF0.net
親政開始後の始皇帝と似てますね
次世代への相続でやらかすし

650:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 01:08:38.31 bmvU+Y3F0.net
領土や人口が増えすぎると引き締めきれずに空中分解or資源不足窮乏化で破滅する

恵公〜文公初期に悪名全開大活躍した郤氏って何気にスゲーと思う
ムチャクチャなのに然程国力を落とさず文公にバトンタッチするとか只者じゃない

651:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 01:57:55.02 tRWxzU260.net
斉桓公と晋献公って大雑把に同時代君主で、
両者ともに大規模に領土を拡張して、死後の後継にしくじってるのに、
片や五覇の皆勤賞で片や暗君扱い、は言い過ぎでも猪武者だったり晩年耄碌扱い
一体どこに差があったのか

652:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 04:00:04.69 IDAPVcQ30.net
>>651桓公も菅仲頼りの駄目君主とか割と駄目な評価貰ったりしてるけどな

653:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 05:50:25.70 FayM6U81O.net
>>651
管仲がいたかいなかったかの一言に尽きるでしょうなw

654:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 09:17:56.98 6ElitwfJ0.net
桓公というか管仲は領土拡大より商工業の発展に力入れたでしょ
斉は領土を2倍に出来たと思う

655:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 11:53:30.95 mxqhd7i40.net
>>651
当時の覇者の定義に則って考えれば自明に過ぎない気もするけどな
そもそも晋の献公は領土を拡大させても諸侯を総覧するでもなく、周に対して勤王の
姿勢を対外的に示すでもなく、一地方の強豪、酷な言い方すればお山の大将
ましてや同姓諸侯をあれやこれや滅ぼしてるわけで覇者でもなんでもない
斉の桓公や晋の文公が覇者として揺るぎない双璧扱いなのも、楚や異民族の外圧で
苦慮する周や諸侯を援けた事が最大の要因だもの
斉の桓公はたしかに後継を曖昧にして死後に内乱の種は残したが、その一方では
他国からの亡命者を迎え入れる度量があるし、公族を虐げもしなければ側妾を妄信して
子を殺すなんて愚行も犯してない
晋を拡大飛躍させた献公の事績そのものが大きいのは疑いないのだけど

656:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 11:58:14.04 L0HS1SmT0.net
>>655
同意。献公には覇者にふさわしい信義が不足していた

657:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 12:42:20.65 MWeFOPjs0.net
でも斉は桓公が継ぐ前から大国だったけど晋は献公によって大国の仲間入りした、と言える

658:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 14:28:00.43 dLD5cwZj0.net
でもそれだって文公が名君だったからだろ
途中で死んでたり殺されてたら秦に吸収されてたかもしれない

659:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 17:29:45.37 exWMmtBr0.net
>でも斉は桓公が継ぐ前から大国だったけど晋は献公によって大国の仲間入りした、と言える
これな、献公というか当時の晋は斉の桓公型の覇者になろうと思ってもなれない
中小国の状態で信義を掲げた覇者レースに参戦したら宋の襄公、いや虢公のように滅ぶだろう

660:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/17 21:15:57.86 bmvU+Y3F0.net
東方諸侯には大藩が多い気がする

661:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/18 01:32:24.67 N5fPgtW/0.net
桓公が君主となる前に斉も釐公と襄公が国を拡大化させたのが結構大きかったと思う
そういう点では文公が君主になるまでに武公、献公によって大国化していった晋と一緒

662:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/18 12:25:46.35 AhfAD6EI0.net
ただ恵公と懐公が国威をどん底に突き落としてくれたという

663:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/19 14:35:04.49 G8qsRwcZ0.net
文公が王室のいざこざを解決した時って、
一軍すら編成できなかったんだっけ?
んで解決した後王室から四城を与えられて
国力増大→三軍編成へ

664:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/23 07:47:14.93 t/ZeGqAu0.net
>>631
老齢の君主にまだ10代の太子ってあまりいいイメージないけど、
文公と襄公は例外やな

665:名無しさん@お腹いっぱい。
16/07/26 18:38:00.21 wu2ZuGaY0.net
晋の名君は俺なら
文公・悼公・武公・襄公って並べるな。
5人目は献公かな、さらに100年昔の文侯も候補だけど

666:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/01 16:45:55.61 +WbcmF8O0.net
郤犨って臭そうな名前だなとかつい思ってしまう人いる?

667:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/03 15:55:45.37 HSdU80Yz0.net
wikiに記事ある君主って平公までなんだね。
それ以後は存在軽すぎて書くこともないって感じか

668:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/03 18:08:01.20 YZkRiPwe0.net
春秋はマイナー、日本語記事書いてくれるマニアが少ないんや

669:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/10 07:46:33.30 knRUIo5M0.net
別のスレでwikiの内容が、
宮城谷小説のコピペレベルだって話を
してた人がいたけどどうなんだろうな

670:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/12 14:13:12.59 MPmfk2JA0.net
山本太郎
愛媛県の伊方原発が再稼動される。正気とは思えない判断だ。東電原発事故や熊本地震から一体、何を学んだのだろうか?
URLリンク(ameblo.jp)

マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。
注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。

2011年
3月18日  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
        事故に直接責任のある清水・勝俣に20億円を支払い、事故当時の経営陣は全員、全額退職金を税金から分捕って逃亡

671:名無しさん@お腹いっぱい。
16/08/20 08:13:14.94 N5xCQDKH0.net
先月の盛り上がりはどこへ・・?

672:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/02 09:08:50.24 xcNIxe9+0.net
趙武が成人した時、智罃に「趙の忠節、趙盾の文徳を見習いなさい。」
って言われた話と、韓起が叔向に貧しさを相談した話を見比べると
時代の変化が感じられるな。
韓起が時価の都合ばかり考える人だったと解釈して、
公室への忠誠心が旺盛な宰相は趙武が最後だったのだろうと考えたくなる。

673:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/03 01:22:17.12 UD41zDr20.net
>>672趙武は色んな意味でもっと評価されても良いと思うわ
趙武が死んだ後は平公の暴走を叔向が止めれなくなるしな

674:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/05 18:43:11.56 wUCmIHU40.net
なぜか士匂だけwikiに記事がない・・
悪名強めだけど影響力あったはずだし

675:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/06 01:18:20.59 Wy2MpMOA0.net
>>674人格面では全然誉められないけどその能力はやっぱ士会の血だなって思う

676:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/18 18:44:00.84 BpboJ7p60.net
六卿の序列で中軍の将、中軍の左とかあったけど原文はどうなんだろう
ネットで見ていたら将中軍、中軍将とあってどっちが正しいのか分からない
それと序列1位が正卿で2位が次卿なら3位以下は卿だけで○卿じゃないのかな

677:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/20 21:24:06.58 +ls5RX6F0.net
>>676
ネットで見ていたらって、それが原文か日本語の記事かで判断できない?

678:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/23 23:10:38.53 0DnTicij0.net
pixivで六卿を女体化してる人がなんだそりゃと思った

679:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/30 17:15:36.33 JdjwS25Z0.net
原文の肩書が知りたい
今の中国語ですら当時の表記と同じとは限らないから

680:名無しさん@お腹いっぱい。
16/09/30 22:13:57.08 PBJ+IyrK0.net
俺の考えでは県知事が以前は知県事だったようにどっちでも良いんじゃないかと思う。
どっちも「県の事を知る」と読んで意味は同じだ。

681:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/02 00:16:23.32 hzuXBBpP0.net
>>673
韓起は駄目だったか

682:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/05 01:13:24.60 sQMU4xH40.net
将軍の語源が軍を将いるだよね
通常軍のトップは司馬だったり宰相だったり将だったり
春秋戦国辺りの正式な名称が何なのか気になる
ウィキペディアの中国版でも○国とかってなってるけど
本当は国じゃなくて邦のはずだよね
関係ないけど漢文で国君なのに和訳を国王にしているのがふざけるなって思った

683:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/15 22:42:04.12 Culko5PO0.net
郤缺か士会

684:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/15 22:43:07.69 Culko5PO0.net
すまん誤爆

685:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/16 09:53:46.79 Z/UKEXLL0.net
名宰相スレのことか。
こっちも盛り上げようぜ

686:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/18 19:17:50.86 o4t8NfZ70.net
史実では趙韓魏が晋を三分したが
もし残りの三卿が国を興してたら国号はどうなってたんだろう

687:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/18 20:08:10.10 nYQmtRfV0.net
他の二家はともかく中行は難しいな

688:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 15:08:25.97 BG9LVg+z0.net
>>485
能臣の活用とか結構描かれてたと思うが

689:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/15 21:47:53.11 XyJakJCT0.net
>>341
焼死で笑ってしまったw
亡命とか戦争とかシリアスなのに混じって

690:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/16 16:26:58.73 naVYuv3q0.net
私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなり脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から起きた事で、どこに訴えて出ると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。

691:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/01 18:53:22.37 VZy/vyoH0.net
武公が晋の統一をしたことはもっと評価されるべき。
人材の獲得もしたし

692:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 12:34:21.31 POZkM+yl0.net
最近ほかの春秋戦国系スレが盛り上がってるしここも盛り上げようぜ

693:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 20:50:30.31 Tr76ZWVR0.net
とはいっても一日に複数回レスする数人で過疎スレを半ば無理やり盛り上げてる状況、春戦系スレ分散しすぎですわ。

694:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 21:31:16.46 4DacH9wO0.net
それはいえる。どこかのスレに統合する?

695:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 04:32:17.86 +6c3HvhT0.net


696:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 12:54:08.46 wonlnxW80.net
URLリンク(youtu.be)

697:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 00:29:09.06 13Pz7zOh0.net
>>686
魏の形が何度見ても納得いかない

698:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 08:49:46.93 P0hAmRKh0.net
>>697
確かにゆがんだ形の国土だなww

699:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 17:10:02.96 Y4Vu/oze0.net
URLリンク(goo.gl)
この記事本当!?
ショックだわ。。

700:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 21:59:17.58 XAC/ODpN0.net
>>685
スレリンク(chinahero板:483-583番)
あのスレで今度は名君を選ぶらしい

701:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/26 07:39:19.60 E9KvWQuc0.net
文公の死後の三行ってどんな人が将を務めたんだろう?

702:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/08 17:20:03.14 c0iqJ+Dl0.net
平公死後の晋の様子ってあまり語られないよねと思ったら、
ここの上のほうで結構語られてるな

703:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 17:31:59.63 E06vY84L0.net
春秋時代後半自体が我が国では超マイナーゆえ語る人が限られるし
唯一目立つイベント智氏滅亡関係エピソードも人気があるとは言えない

704:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 20:03:11.66 Oag8IR/60.net
春秋後半は呉越戦争に人気が移るからね

705:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 20:37:32.80 E06vY84L0.net
移るほどの人気は多分ない・・・
わかりやすい呉越物語は春秋時代の中では圧倒的だな、六卿はちょっと複雑すぎる

706:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 22:23:40.54 q6c8e8Dc0.net
個人的に、六卿の興廃は未だによく分からん
気がついたら知氏が最強勢力になっていて、危機感抱いた残り三氏に滅ぼされてた感じさえする

707:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 22:49:08.39 GAEzOT9F0.net
それで合ってんじゃねーの。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 22:52:39.67 nVt7Q+dm0.net
都市国家から領域国家への転換期だよねこの時期?
范・中行氏を滅ぼした時にどういう風に分配したんだろう

709:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 23:38:03.96 P/x4oNyJ0.net
他国だとどんなのあるっけ?魯の三桓とか鄭の七穆くらい?

710:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 23:43:46.74 nVt7Q+dm0.net
斉人「我が国もいろいろありましてね」

711:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 00:48:55.79 tstokU780.net
>>706
この時代の事がよく分かってる人ってこの世に存在しないと思うw
時代も人物も空白部分が多すぎて分かったつもりになるのも難しい

712:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/11 08:34:55.07 5y2Av0vl0.net
智氏滅亡は左伝の範囲外だからなあ

713:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/11 10:44:43.10 8fl8au5O0.net
URLリンク(www.youtube.com)

714:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 08:23:54.31 i5ZesmbY0.net
>>710
これは田氏のステマ

715:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/18 12:57:52.17 WLxe9HN90.net
>>706 >>711
確かにな。史料も少ないしどう勉強すればいいのか・・

716:邯鄲人
17/02/18 23:57:55.70 1fD96nCc0.net
>>712
呉期「経文の範囲外だが最後に少し書いてあったぞ」

717:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/19 00:20:56.96 FQBDRrl30.net
依拠できる史料は限られ必然的に材料は乏しい
それは仕方ないよ何事も限界はあるし無理に勉強することは無い

718:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/22 17:56:45.91 luGWF7Y90.net
>>701
全然聞かないけどどうなのか
誰か知らない?

719:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/23 15:03:22.31 dsBYEouo0.net
>>701>>718
俺も気になったので、ざっと調べてみた
晋が三行を設けたのは前632年
三軍を増やして六軍にするところを、本来、六軍を率いるのは周王のみというところに
遠慮して、「軍」ではなく「行」としたといわれる
このときに中行を荀林父、右行を屠撃、左行を先蔑が率いる
しかしこの三行は3年後に五軍に再編される
その後は荀林父の系列の当主が中行伯と呼ばれた様に、名称にのみ残ったと思われる
その後、史料に見えるのは前524年に右行辛という名と、前520年の右行詭という名のみ
右行辛は賈氏だとする説もあるが断定はなされていない
ざっと史料をあらっただけなんで、こんなとこ

720:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/23 16:45:27.93 r2eJbxqZ0.net
>>719
>このときに中行を荀林父
それで中行氏になったのか。

721:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/23 19:12:02.24 7u2+Ev6E0.net
>>719
>しかしこの三行は3年後に五軍に再編される
なるほど、道理で「三行」をすぐに見かけなくなったわけだ

722:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/04 21:32:50.30 LLBjN0dt0.net
いよいよここも話題切れか?

723:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/07 11:08:00.51 ElRowLfa0.net
>>719
左行だけ名乗るものがいなかったのか・・

724:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/19 11:38:09.75 00Rvk5T50.net
>>674
欒書しか記事のない欒氏・・

725:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 12:11:28.85 o6nhkKXT0.net
さっき気が付いたんだけど欒枝って結構長生きじゃないか。
父親の欒成が死んだのはBC709
欒枝が死んだのはBC622だから
90歳前後まで生きたと思われるのだがどうであろう?

726:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/28 05:08:15.85 kVStiN/R0.net
テスト

727:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/28 05:16:34.14 kVStiN/R0.net
前から思ってたけど、六卿や三晋の領地の変遷って気に成りますよね。
魏の根拠地が安邑と大梁で、韓の根拠地が最初平陽って普通に韓の領地で魏は
東西に分断されて無いって疑問に思うんだよね?

728:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/28 20:58:00.05 Z752gYEf0.net
魏氏が安邑もらったのは魏絳のころだったっけな。

729:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/03 14:24:09.61 +kd9sPN90.net
三晋が独立した後の晋は絳や曲沃だけになり、最後は三晋に攻められた
絳や曲沃は魏に囲まれてるのに三晋で攻めるってどうなんだろ?
旧主だから1人では攻めにくかったのかな?

730:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 16:24:06.47 ZFL6pE/E0.net
晋陽や邯鄲、温とか持ってることもあったし、智伯を滅ぼすまでは邑を点で持ってる状態で、分断という感覚はないんじゃないかな?

731:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 21:47:12.87 TgYWuB6K0.net
この時代はまだ領域国家じゃなくて点と線だからそうかも。

732:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/23 23:16:12.43 sG+y4h/70.net
六卿画像でググると六卿時代と趙韓魏智の領地が完全に分断されていて正に点と線だ、
>>590を見ると平公時代も重なり韓起だけ妙に長期政権だったのか意外だった、
政権基盤もそれ程強くないのに大変そうであり趙武時代のような理想を追えなくなったのか

733:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/25 11:49:25.06 aUE82sea0.net
>>732
韓起の正卿時代が長いのは趙武が思いのほか短命だったせいもあるかな
趙武って50歳くらいで歿してるのよな
しかも最晩年は耄碌したと云われてるし
六卿時代の領地図は俺も昔に作りかけてた事があるんで飛び地が多いのは
ある程度は知ってたけど、改めて見てもバラバラだね
三晋が生き残ってからは領地の交換やら韓が南部に拠点を移したりで纏まっていく
みたいだけど

734:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/25 13:07:17.12 lpoTip8I0.net
耄碌したというより生に執着しなくなったってイメージなんだよな
もうすぐ死にますよって言われて喜んだみたいな記述もあるし

735:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/01 18:46:17.21 TeB6SLgd0.net
age

736:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/18 21:58:00.54 AQl6v1ad0.net
三晋が諸侯になってもまだ魏侯が晋の正卿だったのには驚いた

737:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/27 21:32:19 NLo5nml10.net
URLリンク(i.imgur.com)

738:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/21 21:20:54.90 UxYmIMmk0.net
魏の恵王は正卿だったのか

739:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/10 07:07:07.57 gRCOmzqp0.net
>>729
多分イメージ的に足利将軍じゃないかね。足並みをそろえないと他の晋の卿に旗印に
されるんで睨み合いに成ってたんでは。
山之内上杉だって元家老の越後守護代の長尾に担がれて北条氏は偉い目に遭ってます。
長尾為景は以前山之内の当主殺してるんで、北条氏も予想外だったんでしょうが。
でも実際担がれると、元家老の所に逃げたんで大義名分に。

740:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/12 22:48:19.04 ttBp570k0.net
ほとんど力のない、周だってずっと滅ぼされなかったしね
秦は他の全ての国を敵に回して戦えるから滅ぼしただけだし
人口3万しかいなく、しかも、西周と東周に分裂しているってね
結局、晋は分家に乗っ取られ、分家内でも一族を滅ぼし、最後はその分家の韓に滅ぼされ
韓は周に圧力を掛けて、秦の属国どころか郡県と変わらないありさまに

741:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/13 21:24:43.85 s4j/f1Es0.net
>>732
本当に錯綜してるよね、六卿画像で見ると。まあ同じ国って建前の時は普通に交通が
出来て補給線とか関係無かったのかもしれない。
韓の本拠が平陽で、魏の本拠が安邑で無茶苦茶入り組んでる。趙は晋陽と邯鄲に二分されてて
間に大きく知領があるし。
逆に言うと、六卿時代までは同じ国って建前があったんだろな。
あの形は守りにくいだろうし。

742:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/14 23:46:21.36 y2RiQj0o0.net
>>741
建前というか一応は同じ国だよ
六卿は実質王みたいになっていただけで

743:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/15 10:18:40.59 ClyEzKC20.net
>>742
晋公室の直轄領が殆んどないのに驚いたよ、以前はあれ以外に祁氏や羊舌氏の所領が
あったにしても公室弱い。
正に将軍家の領地が保々無い室町将軍家ですね、あれは。
六卿画像は実に興味深い。字体からすると元ネタは中国人が作ったんでしょうけど。

744:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/15 23:54:29.81 wjaUqUv10.net
祁氏や羊舌氏の領地は滅んだ際に公室無視して勝手に分け取りしてるしな
欒氏や郤氏の領地はどう分布してたのかも気になるけど
やっぱり以前に放り投げないで自分でも作っておけばよかった

745:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/17 20:42:00.10 6Cbptf850.net
大貴族が実質王以上の権力を持っている
君主にはどうしようもない
君主がころされたり、亡命したりもしている
内乱に周辺諸国が2つに分かれて戦争に参加したりで実質同じ国ではなくなっている
ただし形式的には周に諸侯と認められてもまだ晋の正卿だったりする
例えて言えば、千葉県知事が国際社会から独立国認定されているが
形式的には日本国に所属していて内閣総理大臣を兼任している
ただし、日本国の言うことは全く聞かないし
気に入らなければ天皇を退位させたりころしたりしているような状況
天皇は埼玉県知事、東京都知事、千葉県知事の家を頭を下げて回っている
知事の嫡男を皇族として、天皇の血族は国外追放

746:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/20 20:31:28.40 ymoMEPI50.net
晋は公子を国外に追放して、オスマンは兄弟ころし

747:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/06 14:06:16.08 9uEWuF820.net
 公弘は若輩ではあったが、抜きん出た精神の持ち主だった。
 二十歳で夭折し、花を開くに至らなかったのが残念である。
                                                         程公弘を賛える

748:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/04 20:34:08.80 a/4aiu2I0.net
13年も前のスレですね 晋はその200倍も前の話だけど

749:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/07 20:23:31.27 Zdu33aY/0.net
>>743
文公以降、いや、恵公からとも言えるが
世継ぎ以外は全部国外追放、公族は国の根本と言われても無視
そして、卿の嫡子を公族として扱う
オスマン帝国は皇子を黄金の鳥かごに幽閉して
舌を切り取られ鼓膜を破られた宦官が世話
日本は子孫を残さないように仏門に入れたり臣籍降下

750:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/07 20:25:19.72 Zdu33aY/0.net
日本で例えてみれば、
皇太子以外の皇族は全員国外追放
華族の嫡子を皇族、親王とする

751:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/27 22:48:33.95 3XzPLH2t0.net
七卿

752:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 13:23:36.66 /3quxyL90.net
春秋晋では文公が三軍を創設してより、各軍の指揮官である将と佐が卿として国政をも運営し、この将佐を指して“六卿”と通称しました。
将中軍が宰相である正卿を兼ね、以下、佐中軍、将上軍と続き、末席が佐下軍となりますが、初めは必ずしも将佐=卿ではなかったようです。
又た後には、軍と卿が増設された時期もありました。
六卿は本来は“時の六卿”を指していましたが、公室の衰えが決定的となり、伝統的な卿族が六家に絞られたB6世紀半ば以降は、范氏・中行氏・智氏・趙氏・韓氏・魏氏の総称でもありました。
尤も、その期間は半世紀ほどに過ぎません。

753:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 13:24:58.56 /3quxyL90.net
BC633年に文公が三軍を創設した時の六卿は、郤氏(中軍)・狐氏(上軍)・欒氏(下軍)・先氏(下軍)から出され、文公の末年(B628)までに胥氏・趙氏・箕氏が加わっています。
ちなみに、重耳の亡命に従った五賢臣は、趙衰・狐偃・胥臣(賈佗)・先軫・魏犨とされています (程度の差こそあれ、本国の一族との接触を保っていた事は、恵公や懐公が国内の重耳派潰しに躍起になっていたことでも解ります)。
荀氏は霊公の時代、士氏(范氏)と韓氏は景公の時代に挙げられ、魏氏が卿に列したのは悼公の時代になってからでした。
このうち、郤氏・欒氏・先氏・韓氏が公族で、荀氏は土着の大族、魏氏が姫姓、士氏・趙氏は他国出身で、狐氏は異民族出身です。
重耳が帰国した当時、晋で最大の勢力があったのは恐らく郤氏で、でなければ、宗家が恵公の腹臣をやっていながら、
支族の郤穀が重耳の入国を援けたくらいで亡命組をさし措いて将中軍とか、宗家が程なく卿に復帰して正卿に駆け上がりとかありえないと思います。まあ、狐氏や趙氏が大人の分別ができたということでもありますが。

754:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 13:25:49.45 /3quxyL90.net
文公の卿族で真っ先に没落したのが狐氏と先氏で、文公を嗣いだ襄公の継嗣問題で狐射姑と先蔑・先克が趙盾に蹴落とされ、士氏も瀬戸際に立たされました (先氏は公族とはいえ、狐氏と同じで亡命時代から重心を重耳に置きすぎていたような感じです)。 又たこのタイミングで箕氏も一代卿として退場しますから、亡命組で残った卿族は趙氏と胥氏のみとなります。
ただ、この胥氏もパっとしないまま霊公の時代に潰されるので、襄公の死を引鉄に、文公側近派に対する反動が実現したような感じです。 霊公−趙盾体制下で地着きの荀氏が挙げられ、士氏も復帰してますし。
個人的には、趙盾は箕鄭を嗾かしといて、先克が滅ぼされるのを待ってからシレっと箕鄭を討ったと捉えてます。

755:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 13:26:50.96 /3quxyL90.net
悼公の一代は当人の絶妙な政治センスもあって大過なく、晋も覇権を回復しましたが、次の平公の時代には欒氏が范氏に滅ぼされ、稍く六卿と六氏が同義となります。 B514年に、公室から分かれた祁氏・羊舌氏が六卿に廃ぼされたことで、君権は更に縮小しました。 公族の粛清が結果的に公室を没落させて新興層の抬頭を促すのは、諸国に共通する社会現象です。

756:名無しさん@お腹いっぱい。
21/06/04 10:05:13.78 lMMExh1Y0.net
趙トン

757:名無しさん@お腹いっぱい。
21/08/04 00:05:47.71 tr2k2wSb0.net
日孫名阿a美辰沄繾翅報順瑳檀彌固。日祖乳之。命高天使鷄。載而降臻。是爲~祖。蓋日孫讀如戞勃。高天使鷄讀如胡馬可兮。辰沄繾翅報。其義猶言東大國皇也。

758:名無しさん@お腹いっぱい。
21/08/04 00:47:00.58 tr2k2wSb0.net
又遣使伊鎩河畔。載龍髯酬以遠鎩河及頌卑離。乃亦令勃婁達修杜キ那、置納祇米行高密帥志、禳寇云。鑑罄乎此矣。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
21/08/04 00:51:55.53 tr2k2wSb0.net
辰沄繾翅報 案斜踧岐 賁申釐倪叔斿
珂洛秦弁支廉 勃剌差笏那蒙緬

760:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/10 09:18:13.93 AUduLkAy0.net
晋は後の強度と同じように姫姓ではなかった

761:sage
21/09/11 15:23:46.30 Cc20Puc00.net
>>760
陳舜臣の『中国の歴史』@では、晋は周王室化した狄(古代トルコ系)とする説を唱えたね

762:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 18:13:13.29 myQx1lSZ0.net
晋は異民族だろうね
どうでもいいけど斉も荘公が2人いるとか絶対最初の方の君主は後から創ったと思う

763:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 20:18:10.67 myQx1lSZ0.net
武王が紀元前1021年ころに崩御し、当時は末子相続だったため、
11歳あるいは14歳になる幼い末子の太子季誦が即位した(成王)。
しかし、摂政となった魯の周公旦の統治に不満を持った唐君は間もなく反乱を起こした。
周公旦自ら唐の討伐に向かって、これを滅ぼした。

764:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 20:19:23.62 myQx1lSZ0.net
その一方、成王のすぐ上の同母兄に唐叔虞がおり、字は子于であった。
彼らの生母である邑姜は叔虞を身籠ったときに、
生前の武王は天帝から「汝はこれから男子を儲けるであろう。
その子に「虞」と名付けるように。彼は唐の主となるであろう。
彼の末裔は栄えるであろう」という天の告げの夢を見た。
武王はそのことを太史の尹佚に話した。
まもなく邑姜が男子を産むと「虞」と名付けられた。
叔虞は武王の6男であり、徐伯・密仲・邘叔・応叔・韓叔という異母兄がいた。

765:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 20:20:02.19 myQx1lSZ0.net
前述の周公旦が唐を滅ぼすと、
その後釜として太史の尹佚はまだ封地がない叔虞をその主にするように進言した。
周公旦も賛同したので、成王は兄の叔虞を唐侯に封じ、以降から叔虞は「唐叔虞」と呼ばれた。
後に唐叔虞が亡くなると「太公」と謚され、子の丁公燮(爕)が後を継いだ。

766:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 20:21:12.91 myQx1lSZ0.net
しかし、丁公の子・唐侯遂の代になると、
外従兄弟である古代トルコ系翟(白狄)の狐氏出身の晋の武侯寧族が反乱を起こしたために、
国を追われた唐侯は本宗家の周の昭王瑕の下に逃れた。
これを憐れんだ昭王は成公に対して唐の封地を南方の溳水あたりに移転させた。
同時に昭王は遊牧的で強大な軍事力を誇る武侯寧族の強引な要請に屈して、
(武侯の)母方の「姫姓」を賜り、唐に代わって「晋」の建国を認めさせた。

767:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/11 20:21:55.61 myQx1lSZ0.net
紀元前506年に唐の最後の君主である成公は同族の随と蔡とともに、
南方の蛮族と蔑まれた呉(姑姓)と盟約した。
そのため、翌紀元前505年秋7月に楚の公子結と秦の子虎・子蒲兄弟の連合軍によって、
成公は捕虜となり、ついに唐は滅亡した。

768:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/12 17:09:46.52 ASqkC1zM0.net
当時は末子相続だとしているけど
それだと次男の武王が後を継いだのがおかしくなる
康叔またはそれが幼くても近い誰かが継ぐのではと
状況的に最年長が継ぐべきだったなら武王の後も長子が継ぐはずだし

769:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/12 17:26:13.27 hzuyBrz70.net
>>768
武王が亡くなったとき成王は幼少だったと、史記には記されてるが
亀レスになるけど、チンギス・カンのモンゴル部も末子相続だったし
基本的に遊牧民は、年長の子は早く独立し、年少の子が相続する仕来りだったし
周の場合も、文王の父の季歴が末子だったし、文王の次男の武王が後を継いだのは周が開花して漢化した影響だろうか?それとも天下分け目の戦いだったから?
本来なら武王の末弟の冉季載が、文王の後を継ぐのが筋道って感じはするけど
この辺は謎だな…

770:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/12 20:49:32.01 ASqkC1zM0.net
武王の少子が後を継いだとあるけど
年少の子と説明あったりするけど、異説だと兄達がいたけど継いだになるし
こんな殷勢力の反乱とか色々ある状態で継がせていいものか
周公とかにとってはその方が自由にやれて良かったのか
だけど末子相続なら周公も他の弟達も無視されて
生きていた文王の息子の最年長が継いでいるんだよな
それに清とかも権力からむなら兄達が不満を持たないのか伝統だからいいのか

771:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/12 20:52:33.98 ASqkC1zM0.net
意外に北方民族は血統を重視するんだよな
その血筋以外は上になれないのが徹底しているとか
周の幽王の時とかも犬ジュウとか戦車使ってたらしいし見下して馬鹿にしているけど実態はほとんど同族だったのかもしれないな
本当に見下していたなら王の后を申侯の娘とかにしないだろうし
日本も外国人差別はいけないと言いながら結婚は嫌がるの多いし

772:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/12 22:06:39.17 SXe3hsVt0.net
中国は有史以前から既にから多民族社会だからな

773:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/19 10:47:30.88 lBg7FvTS0.net
チョウジって42か3で亡命するまで妻子はいなかったのか?
URLリンク(www.youtube.com)

774:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/20 12:26:55.32 VqNiCDBW0.net
>>773
単に記録がないだけでは、翟に逃亡したときに産んだ二人の子が
長男、次男とは限らないと思うし…(わからないけど)
あるいは、逃亡する前に産んだ子はすべて女子の可能性もあるのかな?
梁の武帝も40歳前後まで、男子に恵まれなかったからね
それにしても、晋は翟の孤氏と血のつながりが濃厚だね
陳舜臣がいう、周王室と縁戚になった翟出身の説もあり得るね

775:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/21 14:27:23.36 vNtpKh1O0.net
伯儵と叔劉というだけあって普通に考えれば長男と三男って事だけど
嫡長子とは限らないし庶長子がいないとも断定できんしな

776:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/22 16:14:32.46 WLbs7aoy0.net
重耳の異母兄の申生に子供の名が記されてないのは、
単に記録がないからかな?
もし、いれば「公孫」になるけどね…

777:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/23 08:58:22.24 mzEyoPC50.net
本当に子供がいたら申生が亡くなった後担ぎ出されてそうだな
まあ女児しかいなかったから記録に残されなかったかもしれないが

778:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/24 23:18:28.02 GIGB7ffd0.net
晋侯僰馬 チンホウホーマー
晋侯喜父 チンホウシーフー
晋侯穌  チンホウスー
晋侯邦父 チンホウバンフー

779:名無しさん@お腹いっぱい。
21/09/24 23:18:32.33 GIGB7ffd0.net
晋侯僰馬 チンホウホーマー
晋侯喜父 チンホウシーフー
晋侯穌  チンホウスー
晋侯邦父 チンホウバンフー

780:名無しさん@お腹いっぱい。
21/11/29 06:52:46.59 Rb/umubP0.net
匈奴はトルコ系、匈奴はトルコ人、匈奴はテュルク、匈奴はツルク
匈奴は北方民族、匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い、呉は異民族、呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族、晋の姫姓は偽り
北魏は異民族、隋は異民族、唐は異民族、宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷
漢は秦なり
この世の文字は全てウルクの文字が起源、甲骨文字はインダス文字なり
人間は存在価値がない動物

781:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/17 17:11:34.70 0JcLQzDv0.net
URLリンク(www.youtube.com)

782:名無しさん@お腹いっぱい。
22/02/19 23:30:10.91 QUn/R5Xe0.net
「直指使者」「繍衣使者」

783:名無しさん@お腹いっぱい。
22/02/20 13:22:23.41 Xz4Cvx1S0.net
>>777
子供も始末されたかも

784:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/04 12:37:27 STR6GBRF0.net
春秋晋では文公が三軍を創設してより、各軍の指揮官である将と佐が卿として国政をも運営し、この将佐を指して“六卿”と通称しました。 将中軍が宰相である正卿を兼ね、以下、佐中軍、将上軍と続き、末席が佐下軍となりますが、初めは必ずしも将佐=卿ではなかったようです。 又た後には、軍と卿が増設された時期もありました。

785:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/24 17:51:14 oSTzUgR+0.net
夏や商は、洛陽という四方の交易の地を押さえ、栄華を誇ってきた。
交易をすれば仲間であり、
この交易を脅かす者は蛮夷である。
それは四夷であり、後の中華思想に影響を与えていく。
本来の中華は平和的商業国家を志向。

786:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/24 18:19:47 oSTzUgR+0.net
結局のところ、
この約300年の主役は異民族だったのである。

787:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/24 18:32:15 oSTzUgR+0.net
徳があっても慕うようになるまでには

それなりの時間が必要である。

788:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/24 18:40:14 oSTzUgR+0.net
丞相、都督中外諸軍事、使持節となる。

789:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/24 18:42:15 oSTzUgR+0.net
様々な勢力に配慮して何も決められない人物だった。

790:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 07:33:44.31 JFw3Ptx10.net
専門家「中国はこれから先、日本の失われた30年よりひどいことになると思う!」 日本人、大歓喜へ

791:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 07:49:09.73 JFw3Ptx10.net
日本企業も工場を日本に戻したり他の国に移したり中国依存から脱却する流れになってきてるからな
日本に限らず欧米の企業もそう
撤退のフェーズに入ってる

792:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 08:02:39.61 JFw3Ptx10.net
悪くなるのは日本の方だよ…

793:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 08:09:39.26 JFw3Ptx10.net
八本指

794:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 08:15:53.31 JFw3Ptx10.net
人口も違うからなあ
農村部はルーマニアとそんなに変わらないのでは
流石に無理やり産ませるのではなく、中共はクローンデザイナーベビーで子供園で生まれてから高校まで政府で面倒見るとかやりそうだけど、問題は金よね

795:名無しさん@お腹いっぱい。
22/08/27 08:16:31.67 JFw3Ptx10.net
俺の知ってる実情とぜんぜん違うなぁ
石炭はオーストラリアからの輸入をやめて冬に長期に渡って停電になっちゃったよね
野菜とかの自給率は高いのかもしれないけど、とにかく好物の大量に必要な豚肉の維持は大変で
飼料はブラジルや米国などからの輸入に依存してる
再生可能エネルギーの弱さが今出てて、干ばつで水力発電ができなくなり暑いのにエアコンが使えず死人が大量に出てる所


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