【真?】戦国逸話検証 ..
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95:人間七七四年
09/02/02 19:11:55 KUbNwuiJ
政重は前田家でも親兄弟とのつながりを生かして、幕府から取り上げられそうになった越中を交渉で
守り抜き、二万石を加増されました。この時更に五万石と言われたところを固辞して、替わりに名物
「村雨の壷」を拝領し、以後は「五万石の壷」と呼ばれ今に伝わっています。

兼続と政重の仲は関係は続き、政重は大名並五万石で500人以上の家臣を抱えましたが、大半が
上杉家から連れてきた者でした。関が原後の上杉家の再雇用対策にも協力しているわけです。
大久保事件で景勝の義弟、武田信清がとばっちりを受けそうに成った時も、政重の協力で事なきを
得ています。逆に宇都宮釣天井事件では、幕府から政重は関係無しと影響はありませんでした。

その後。
直江家では、景明が早死にしてしまい、以後養子縁組を断ったので、断絶してしまいました。
政重も長男と妻が亡くなり、三番目の妻の子の政長が跡を継ぎました。
兼続姪との子は、長男早世、次男は正純、政重の末弟(大名)に養子入りするが早世、三男は
他家に養子入りするが出戻って弟の家臣となり、樋口姓を名乗ります。
子孫は前田家直臣となった後、青地家に養子入りして幕末まで続きました。
兼続の親友、前田慶次郎の逸話を語るときによく引用される「可観小説」の作者が青地礼幹で、
礼幹は室鳩巣の高弟、加賀騒動での反大槻派ブレーンでも知られます。



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