【真?】戦国逸話検証 ..
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2:人間七七四年
07/12/04 23:32:18 dpRNFZkr
で          あるか

3:人間七七四年
07/12/04 23:33:58 hmTPxLqS
初2

4:人間七七四年
07/12/05 00:11:43 2NT7l6ec
上杉謙信、堺で宿屋の主人に切れてあたり一帯焼き討ち。

5:人間七七四年
07/12/05 00:26:43 eoFtJsH8
地元の話
三方が原合戦において
・家康が逃げるとき、食った小豆餅と、捕まった銭取
・酒井忠次が城を開けて太鼓を叩いた
ここまでは創作とのことだけど
・犀ヶ崖夜襲
これはどうなんだろう?
平手汎秀が討ち取られた場所も実は不明とか
意外にも詳しい記録が無いらしいこの戦、さて?


6:人間七七四年
07/12/05 00:35:23 HgwJ+kEq
よう、ご近所。

7:人間七七四年
07/12/05 00:46:42 2NT7l6ec
ものすごく有名なのに実は完全創作の「直江状」

8:人間七七四年
07/12/05 11:27:05 Tn8REROu
>>7
伊達政宗をいじめる話とかもなんかとってつけたっぽいしな。


9:人間七七四年
07/12/05 19:29:28 eoFtJsH8
石田三成と大谷吉継の茶会エピソード
真偽はもちろん分からないが、湯飲みは洗ったんだろうか?
それともそのまま飲んじゃったのかな
この場面、物語としては感動的だがどうしてもそこが気になる

三成でついでに、石高半分で島左近召抱えのところは時期的に違うみたいだね
つーか島左近の強さ自体が逸話のような希ガス・・・はっきりした経歴無さ過ぎない?
関が原での奮戦は間違いないけど、それぐらいなような?

10:人間七七四年
07/12/05 19:34:23 eoFtJsH8
>>4
謙信といえば、川中島の信玄との一騎打ち
こりゃもう創作決定してるけど一応スレ違いでもないから

そして川中島といえば、信玄弟・信繁戦死のときの、信玄号泣はどうなんだ?
そして啄木鳥破れたり、といえども、突撃して戦死する山本勘助も
一見かっこいいけど無謀じゃない?
普通の戦死をかっこよく創作しちゃったとかじゃないの?


レス内容の正誤は二の次、レスが付いて賑わえばいいのさw


11:人間七七四年
07/12/05 19:47:36 EWm4MyDQ
>>7
直江状が成立したのはいつ頃の年代だろ?
幕末や明治以降だったりするの?

12:人間七七四年
07/12/05 19:52:22 bmAlfVFl
庭の木の枝を折った信長の小姓が正直に名乗り出て手討ちに遭った話はマジ?

13:人間七七四年
07/12/05 20:04:00 Uic+vYLd
軍師山本勘助自体存在怪しいからな

14:人間七七四年
07/12/05 21:06:53 26ybzzP4
山内一豊が光秀の最期を看取ったのはウソだよ

15:人間七七四年
07/12/05 21:11:30 pMGVnqko
>>9
島左近(と思しき人)が家督を継ぐ際に一家を殺しまくったと
多聞院日記だかにはあるらしい

16:人間七七四年
07/12/05 21:31:42 2NT7l6ec
>>11
幕末の大阪の講談、あたりが有力だろうなあ。

17:人間七七四年
07/12/05 21:49:03 pMGVnqko
ただ、家康が書状を見て激怒したという資料もあり、
兼続が何らかの返書をよこしたのは事実らしいが・・・
まあ、今伝わっているアレは偽書だよね

18:人間七七四年
07/12/05 22:04:29 S5fE2pwO
講談やら創作話をはぶくと
歴史が凄い地味になるんじゃないかと思う

19:人間七七四年
07/12/05 23:21:49 ZZHMaitB
「直江状」には原本、すなわち兼続直筆のものは存在しない。

『編年文書』(前田育徳会尊経閣文庫架蔵『尊経閣古文書纂−雑纂文書』所収)

『古今消息集』(国立公文書館内閣文庫所蔵)

などにその写しが現存するのみである。

20:人間七七四年
07/12/06 01:16:24 yaRMNePa
>>13
存在してたのは確定してない?
役目までははっきりしてないけど


家康の激怒・・・思い出すのは真田の九度山脱出のエピソードだな
これ自体が創作とは思うが、更に輪をかけてびびって震えたっていう話はどうなんだろう?
仮に昌幸だとしても、やっぱり恐れるよりも激怒で震えたと思うな
そもそも真田と上田で戦ったのは家康本人じゃなかったし
でも大坂方の抵抗は確かに変わっただろうねえ
昌幸の下で指揮系統が1つに統率されたかと思うと・・・
つくづく長生きした家康の運の強さといったら

21:人間七七四年
07/12/06 01:37:20 YzTMq7Cc
>>20
>更に輪をかけてびびって震えたっていう話はどうなんだろう?

夏の陣で信繁に強襲されてボコられたことを知ってる後世の人間が追加したネタじゃない?

22:人間七七四年
07/12/06 01:40:54 9Fq270hO
山本管助はいたが山本勘助の存在は確認されてない

23:人間七七四年
07/12/06 03:57:31 yHVRGK0M
>>20一応軍師って書いたんだけど
同名の人物はいるよ


あと本当かはしらないけど徳川三傑を秀吉が調略しようとした話がすきだな

24:人間七七四年
07/12/06 09:24:01 d0DkJgOO
忠勝への調略に関しては贈った兜が現存してるからガチじゃね?
忠勝といえば戦場での逸話が群を抜いてるよな
無傷伝説に武田四名臣の内二人は忠勝の隊に討たれたって話もあるし

25:人間七七四年
07/12/06 10:46:12 1prZLJbB
忠勝が初めてケガしたのが彫刻してた時で、その時に死を予感したってのはマジかな?

26:人間七七四年
07/12/06 17:57:08 /E47YXps
忠勝逸話だったら蜻蛉切り
でもどう考えても・・・まああの武将にしての逸話だね
その辺の武将の話にされても全然ハクが付かない

さすがに晩年は大変になって長さを短くしちゃったとかいう話も


27:人間七七四年
07/12/06 18:41:45 Wrn8Dro5
忠勝の逸話と言うか、ちょっと面白いなと思った話なのだが、信長の母違いの弟が
いろいろあったあげく忠勝の家老になって、忠勝が死んだときには殉死までしているな。

28:人間七七四年
07/12/06 19:54:17 9ynFDgpu
>>26蜻蛉切り
中学の頃、プールサイドで、水面に産卵する為に集まってきたトンボを
竹棒のデッキブラシで叩くという遊びをやったが、
5、6人で馬鹿みたいにやって3時間経ってようやく一匹殺せただけ。
とても無理

29:人間七七四年
07/12/06 20:03:37 /E47YXps
>>28
それ意味が違う(ノ∀`)
分かってると思うけど

30:人間七七四年
07/12/07 01:31:07 k7MTfMzM
>>9
薄茶なら1人1椀ずつ茶を点てる。
濃茶なら人数分を1つの椀に点てて、順にまわし飲む。

31:人間七七四年
07/12/07 02:11:55 5SvM3mjW
まさか茶の種類が問題点になるとは・・・

勝手な想像では、一応茶碗を洗わせたが、しかし石田以外は遠慮した、というのが妥当?


32:人間七七四年
07/12/07 02:13:55 13fcUpiW
>>9
そもそも大谷の茶の話は、三成じゃなくて秀吉だったと聞いたことがあるな。

33:人間七七四年
07/12/07 07:15:36 fC6x0x94
その茶会では、回し飲みで
他の人は飲む振りをして次の人に回したのを
三成か秀吉が飲んだという流れだったはず

34:人間七七四年
07/12/07 17:54:02 xeasihL3
でもさ、あれだけ義に厚いと言われてる大谷が
もしもそれが秀吉だったとき、家康追討を言われたときに、
石田の意見を必死に反対するかな・・・
秀吉のためと考えてたらそこで早いうちに賛同しちゃいそうにも思える
で、そこから茶会の話に戻って、石田と共に戦うことを決意する、という繋がりになるし
もちろん逸話の上での流れね
いやそれでも家康との対決は無謀だから、秀吉への義があっても、
冷静に見て先ずは反対するよ、という意見ももちろん間違いでは無いとは思うが
どっちかねえ?

35:人間七七四年
07/12/11 21:44:37 OtWgNTm4
さっき立ち読みしてきたんだが
ネタ忘れちまった・・・

36:人間七七四年
07/12/11 22:20:02 MEb77iso
こういうスレを待っていた。だが、ネット検索クラスの知識じゃどうにも成らな
い気もする…

竹中重治、通称竹中半兵衛。人気実力とも超一流の扱いではあるが、実際は創作
の世界の話で、史実では殆んど存在が確認されていない人物である。

しかし、その逸話の中でも一際輝きを放つ『稲葉山城占拠事件』この元ネタは、
尼子経久だと言う事は解るが(もしかしたらそれ以前に元ネタがあるのかも知れ
ない)、これだけの事件であれば気軽に創作できる範囲を逸脱している様に思う
のは、わたしが現在の人間で在るからであろうか?

この事件の真相はどうであったのかをお教え頂きたい。

37:人間七七四年
07/12/12 08:45:31 SeTfzVl0
>>36
このスレは単に好き勝手な自分の妄想を書き綴る
それに対して別の人間が同意したり自分の意見を述べたりしていくスレだから
好きに書けばいいの

自分で現地に足を運んだり、図書館だの市役所だのに問い合わせて
真剣に検証するスレじゃないから大丈夫ww
専門家だって400年前のその場を見てきたわけじゃないしね

38:人間七七四年
07/12/12 08:53:53 cr9C7Id4
竹中半兵衛は事暦だけ見れば、軍師と言うよりも明かに信長と羽柴軍との調整役だな。
信長からもかなり信頼されてて(多分秀吉よりも信頼されてた)、羽柴軍の中で相当の権限を持っていたってのは随所に見て取れる。

39:人間七七四年
07/12/12 16:57:30 pxgHvMiE
>>38
他スレなら未だしも、このすれでそれの意見はどうかと思うな。
光秀を信長が秀吉より信頼していたというなら納得できるが、竹中重治と秀吉
を比べるなんてありえないし、信長と竹中重治の接点すら明確じゃない。
羽柴軍の中でも云々も全く理解に苦しむ。

40:バロン曽志崎
07/12/12 21:50:39 E1OgT6Iu
美濃の快川紹喜が飛騨の僧侶に宛てた手紙に以下の記載がある。

金華山(稲葉山)城、菩提城主竹中遠州子半兵衛、去六日白昼、奪取与伊賀守(安藤守就)両人、
而一国領之。奪取時、斎藤飛州以下、以上六人打殺也。太守(斎藤龍興)与備中・揖州・青木等、
不及一戦、無恙退散。(下略)

41:人間七七四年
07/12/12 22:33:49 WP9wabKp
難しくて読めん!


42:人間七七四年
07/12/12 22:50:44 cr9C7Id4
>>41
このくらい読めるだろ…。

43:人間七七四年
07/12/13 00:16:47 thJLAxEK
半兵衛の城盗りも俗説ではいいように書かれてたみたいね


44:人間七七四年
07/12/13 00:48:16 +xxvBxOn
>>32
茶会の席で吉継の顔から膿がたれて茶に入った
その光景を目の当たりにした諸侯がどうしたものかと躊躇するなか、
秀吉が嫌な顔ひとつせずその茶を飲み干したって話だな。

大谷吉継が秀吉の実子だって説もあるしな。

45:人間七七四年
07/12/13 00:58:57 O8prVuta
>>40
それは知らなかった。
それが本物なら(本物でなくても良いが史料的価値がある写しならば)、稲葉城
占領事件は本当だと思っても良いね。

46:人間七七四年
07/12/16 14:07:02 wYL/V4s6
今、テレ東でインチキ番組やってるぞw 武功夜話、準拠の生駒マンセーw

47:人間七七四年
07/12/16 14:31:32 g7eCRvNj
エロ

48:人間七七四年
07/12/16 15:27:04 IfaSeaUd
武功夜話は知名度高くて、逸話満載だっけ


49:人間七七四年
07/12/16 19:35:00 1o0XQ3Vu
>>48
創作だけどね

50:人間七七四年
07/12/16 21:02:56 0y3+95tf
敵は本能寺にあり


なんて言ってません

51:人間七七四年
08/03/17 21:48:24 HxjULDnE
あげ

52:人間七七四年
08/03/18 00:38:48 qvqR3Ufj
>>50
頼山陽が言い出した話だっけ、これ。

53:人間七七四年
08/04/19 12:03:08 kLdb8Gf7
陣中で博打のしすぎで文字通り裸一貫、褌一丁になったものの
錦の褌を締めて出陣して大暴れして敵の織田信長(?)に
生かして捕らえろと言われた奴がいるって本当?

54:人間七七四年
08/04/19 14:30:40 fYU+Kueg
昨日風呂で2つ思い浮かんだんだが
出たら忘れちゃった・・・

55:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 03:14:07 QTtY/mWS
あげます!

56:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 15:32:45 /liSss8K
鞭声粛々夜川をわた…ってない。

57:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 18:26:09 trShHW44
ちょっとした本なんかを見てて、たまに戦国ネタが扱われるときがあるが
逸話を注釈付けずに実話みたいにして書いてるのが結構あるよね
あれはどんなもんかと・・・

58:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/05 22:09:43 3qoIj2k/
コンビニに売ってたりする戦国ネタ本は、
江戸時代の講談本からの伝統を受け継いでいるから。
エンターテイメントであり、おもしろければよいという立場。

59:人間七七四年
08/07/23 18:09:30 AUZ/S/KD
中国大返しについて

60:人間七七四年
08/07/23 19:32:08 gy4tpWd9
検証スレ! 

61:人間七七四年
08/07/23 19:47:05 CA8tTL46
>>59
信長の援軍があるので、京までの街道に軍需物資が豊富につまれており、そのおかげで可能だった>大返し

62:人間七七四年
08/08/20 22:19:33 scjA5ER2
明智?

63:人間七七四年
08/08/21 02:26:17 xiV7szLw
は天海か?

64:人間七七四年
08/08/21 07:00:26 DKwBbw3S
加藤清正の虎退治は本当は黒田長政の配下の武将の話だった。

65:人間七七四年
08/08/21 14:12:04 KPMrudVp
>>36
●竹中半兵衛のクーデター(国人衆が味方にならなくて結果失敗)は事実。
ちなみに、紹喜の手紙にある、斎藤飛州(飛騨の守)は、
かつて半兵衛に小便をかけるなどの虐めを繰り返したため、真っ先に殺されたと言われている。

●秀吉の与力になったのは、浅井と対立している時、浅井家臣の堀氏調略に関わったころ。

一級資料ではこれくらいかな・・・
後は小瀬甫庵の「太閤記」や後の「絵本太閤記」に派手に書かれているが、ほとんど嘘。



66:人間七七四年
08/08/21 19:43:26 JLO5aoz5
>>65
>後は小瀬甫庵の「太閤記」や後の「絵本太閤記」に派手に書かれているが、ほとんど嘘。
絵本大功記には重治の話があるが、哺庵の太閤記には竹中重治の記述ないけど?
三顧の礼とか三国志を意識した形だけどね>絵本大功記
それで哺庵太閤記に何がどう書かれてて、どう嘘なの?


それと稲葉山城乗っ取りは安藤が主犯で竹中は娘婿として参加したんだよ
西美濃の国人衆と龍興が対立して、後和解したのであって失敗したとかそういう話ではないよ

67:人間七七四年
08/08/23 15:16:36 EF12hpAU
>>66
「哺庵の太閤記には竹中重治の記述ないけど?」

あるぞ。
巻の18に「竹中半兵衛尉」というタイトルがある。
例えば、
長篠の合戦で、まだ形勢不明の頃、武田軍の動きをどう判断するかで、谷大膳(秀吉の臣)と意見が対立した。
秀吉は大膳の意見を採用し命令を下したが、半兵衛はこれを無視。
結果、半兵衛の言うとおりになって秀吉は面目を失うが、勝ち誇った態度は微塵も見せなかった。

という記述。講釈師見てきたような嘘を言いの類だ。

68:人間七七四年
08/08/23 16:47:05 gumSjyFA
鳶の巣攻略時の信長・忠次のやりとりはどうなんだろう
そもそも密会状態だよね
それとも右筆だっけ、記録係はそういうときも同席してるものなのかな

69:人間七七四年
08/08/31 23:21:18 yfqnQq84
信長が父・信秀が死にそうな時、坊主に祈祷してもらったって話あるよね?
結局信秀は死んで、坊主達も寺に押し込められ殺されたんだけど、
その際、信長が行ったのは焼き打ちと銃殺どっち?

戦国武将列伝読んだら銃殺だったけど、焼き打ち説もあったよね?

70:人間七七四年
08/09/01 16:46:42 IJzNjKx5
焼き打ち

71:人間七七四年
08/09/14 17:18:53 9jS9oq7i
家康と北条氏規の人質時代の話って無いのかな
近所だったのは確からしいし、
後年小田原落城のときに顔見知りだったからなんのかんのと話があったようだから

72:人間七七四年
08/09/14 17:43:54 kcDMkAcB
どうなんだろ?
小さい頃の家康はすっげー短気で、家臣が気に入らない事をすると、すぐぶっ飛ばすような
手の付けられない若様だったらしいが。

73:人間七七四年
08/10/10 06:12:00 bqt3/VhU
>>4
伝承のソースすら不明ww

74:人間七七四年
08/11/02 14:00:22 gJn2jpGw
>>72

75:人間七七四年
08/11/02 14:43:16 jwpxDTCM
鳥居元忠をぶっ飛ばしたことがあるからじゃね。

76:人間七七四年
08/11/03 10:25:10 TQE3zQVy
家康を追いかけた小豆餅屋のばあさんも馬を持ってたのか

77:人間七七四年
08/11/03 12:30:51 TQE3zQVy
ラジオでやってるから思い出したが
伊達政宗の目を抉り出したというあの話
本当なのかね

ラジオはサウンドトラベル
今週仙台特集 

78:人間七七四年
08/11/04 06:17:00 ny/5cyKZ
>>67
見当違いのレス
>>66が言ってるのは竹中のクーデターの記述のことだろ


79:人間七七四年
09/01/31 17:15:38 thkOfZjX
2009.01.15 三傑の女性に対する価値観 

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 23:24:35 ID:IpCq9Sps
>>214
> 魔王と恐れられた信長

この「魔王」なんだけど、実は信長の「自称」なんだよねw
たしかフロイスの書状にしか出てこない話だったと思うけど、
上杉謙信が信長にあてた書状に「オレは毘沙門天」って書いてあって、それを見た信長が
対抗して「じゃあオレは第六天魔王ー!」って書いて送ったって言うw

----------------
まとめサイトのここの部分、信長に書状を送ったのは謙信じゃなくて武田信玄。
「オレは大僧正」と署名してあったので、ならば仏敵の第六天魔王だ、と書いたもの。

80:人間七七四年
09/01/31 17:26:05 thkOfZjX
武田信玄の有名な「諏訪法性の兜」は、江戸時代に講談で有名になって、それから
デフォ設定になってしまったといわれています。
現物はこれですね。
URLリンク(www002.upp.so-net.ne.jp)

実際は江戸期に入ってから作られたようです。ただし兜鉢の部分は戦国時代製。
それに、この白くて長い毛の飾り(白熊)が特徴的ですが、織田軍からの戦利品の兜の白熊を
勝頼が珍しがったという文献がありますので、信玄の兜には付いていなかったのでしょう。

81:人間七七四年
09/01/31 17:48:53 thkOfZjX
信長と言えば南蛮甲冑のイメージを外すことは出来ないですね。
しかし、文献上で日本に南蛮甲冑が輸入されたという年は、1588年です。
着用の確実な遺品もありますが、腹巻形式ですので、イメージ的にはちょっとあわないでしょう。

ただし、大河「天地人」で信長がかぶってる南蛮兜の元ネタはあります。
信雄直系の天童藩に伝わった南蛮道具足です。現在は岐阜市歴史博物館に所蔵されています。

実物の写真はありませんが、これですね。
URLリンク(www.yonezawa-naoe.com)
URLリンク(www.yonezawa-naoe.com)

そして、そのイメージ作成は、既に江戸時代からはじまっていました。

信雄が南蛮兜を作って子孫に伝える

兜しかないのは物足りないよね 
↓ 
じゃ、兜と釣り合った鎧を作っちゃえばいいんじゃね?(これが江戸後期) 
↓ 
立派な南蛮胴できたー! 
↓ 
そういや信長公といえば南蛮趣味だよね 
↓ 
これは最初から信長公のものですが何か? 

織田家はかつての天下人の家系として、江戸城中の席次も高かったのですが、不祥事から大幅に
待遇を落とされてしまいました。しかも領地も北方の山形県になり、家中の不満を押さえるために
すがったのが、信長の威光でした。この南蛮具足をでっち上げた時期は、天童へ国替えの時期と
一致します。
移った後も貧乏で大騒ぎでしたが、そこではじめた内職の将棋駒が現在も天童の代表的産業です。

82:人間七七四年
09/01/31 19:05:41 IoC9IFvQ
>>81
こういう流れなんだ。ありがとう良く理解できた。

83:人間七七四年
09/01/31 19:52:53 J5dO+eyM
ここに書いても、まとめブログには載せてもらえないんじゃ
かなり過疎だし

84:人間七七四年
09/02/01 10:33:07 msAIbNW2
いい話、悪い話スレまとめでここも取り上げてもらってるみたいだぞ。

85:人間七七四年
09/02/01 18:59:52 8UzwcVpH
>>79
そんななめた手紙書くから同盟破棄されちゃったのにね のぶながのアホは

86:人間七七四年
09/02/01 19:11:52 gPz/obs3
秀吉が亡くなる直前、家康に秀頼成人までの政権を委ねたのは創作?

87:人間七七四年
09/02/01 19:18:51 gPz/obs3
安土桃山時代は泡を立てて飲む薄茶は存在しなかった。
薄茶を点てているドラマは間違い。

88:人間七七四年
09/02/01 19:59:04 JkqI5DHG
濃茶って慣れないと飲みにくいよな
茶が嫌いな武将とかもいたんだろうか

89:人間七七四年
09/02/01 20:56:10 +Y1KltAM
>>86
浅野家文書の「遺言覚書」に前田利家に秀吉のいる大坂城番、
徳川家康に伏見で諸職の采配をすること、秀頼を孫婿にすることなど
11カ条を残している

90:人間七七四年
09/02/01 21:27:27 Xsbt0oel
>>88
茶は、江戸時代に茶道として喫茶の部分を抜き出して体系化されるまでは、
ぶっちゃけパーティの一要素なんだよね。

91:人間七七四年
09/02/01 21:31:34 msAIbNW2
伊達政宗と森忠政なんて茶室で酒飲んでたらしいし。

こいつらがフリーダム過ぎるだけかもしれんが。

92:人間七七四年
09/02/01 21:39:12 Xsbt0oel
>>91
いや、本来茶はそれでいいんだよ。
「茶」というのは、中国の「飲茶」って言葉からも分かるように、軽い食事をさす事もある。
つまり、正式の宴会ではない、ごく軽い私的な宴会のもてなしの体系が「茶」なのよ。

それでも室町期の武士や貴族の茶はものすごく大規模化、豪華絢爛の方向に行って
本来の茶の利点である簡便さがなくなっていった。
それを思い切って簡素化し、簡略化したのが利休の「侘び茶」

93:人間七七四年
09/02/01 22:34:43 TqyI/gLF
茶道って懐石食ったりするもんな。

94:人間七七四年
09/02/02 19:09:47 KUbNwuiJ
いい話スレに本多政重の話がありましたが、それだけじゃいい話にならなそうなんで、直江兼続と
本多家のかかわりについて。

直江兼続の友人といえば当然、石田三成ですが、実は本多正信とも仲が良かったのでした。
天地人での義と愛の人と陰謀家ではちょっと意外かもしれませんが、どっちも能吏タイプの
ひとということです。
関が原後の処分についても、正信の口添えがあったと言われています。
本多政重は親兄弟に似ずに武辺者であったといいますが、残されている甲冑群も実戦仕様の
ものばかりです。
さて、直江兼続には実子がいましたが病弱でした。そこで本多政重を娘婿としてむかえ、後継ぎと
します。幕府の実力者との関係強化でお家の安泰を図ったのでしょうし、婿入りが成ったのも以前
からの正信との関係あればこそです。
なお、上杉家自体の跡取に据えるつもりだったという説もありますが、婿入りは景勝の子の定勝が
生まれた後です。
しかし、兼続の娘は子ができる前に病死してしまい、関係の維持を願う兼続は姪を養女にして
再び嫁がせます。兼続と政重の仲は良かったのですが、兼続実子の景明が無事成長したので、
政重は直江家を離れて、前田家に再仕官しました。
景明は戸田氏鉄の娘を娶りますが、外様大名の家臣が譜代大名の娘を娶ることが出来たのも、
政重と本多家の力です。



95:人間七七四年
09/02/02 19:11:55 KUbNwuiJ
政重は前田家でも親兄弟とのつながりを生かして、幕府から取り上げられそうになった越中を交渉で
守り抜き、二万石を加増されました。この時更に五万石と言われたところを固辞して、替わりに名物
「村雨の壷」を拝領し、以後は「五万石の壷」と呼ばれ今に伝わっています。

兼続と政重の仲は関係は続き、政重は大名並五万石で500人以上の家臣を抱えましたが、大半が
上杉家から連れてきた者でした。関が原後の上杉家の再雇用対策にも協力しているわけです。
大久保事件で景勝の義弟、武田信清がとばっちりを受けそうに成った時も、政重の協力で事なきを
得ています。逆に宇都宮釣天井事件では、幕府から政重は関係無しと影響はありませんでした。

その後。
直江家では、景明が早死にしてしまい、以後養子縁組を断ったので、断絶してしまいました。
政重も長男と妻が亡くなり、三番目の妻の子の政長が跡を継ぎました。
兼続姪との子は、長男早世、次男は正純、政重の末弟(大名)に養子入りするが早世、三男は
他家に養子入りするが出戻って弟の家臣となり、樋口姓を名乗ります。
子孫は前田家直臣となった後、青地家に養子入りして幕末まで続きました。
兼続の親友、前田慶次郎の逸話を語るときによく引用される「可観小説」の作者が青地礼幹で、
礼幹は室鳩巣の高弟、加賀騒動での反大槻派ブレーンでも知られます。


96:人間七七四年
09/02/02 19:17:59 DYDEmUdo
>>95
オチは何処?

97:人間七七四年
09/02/02 19:23:06 jHcr0HH1
そういえば兼続と正信はそれぞれ越後、駿河にいたときから、外交担当者として交流しているね。

98:人間七七四年
09/02/03 19:10:14 kIziAUmr
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

ここで家康の長可評の出所を尋ねたい。
意訳されてて多少、文面が変化してそうだが誰か知らない?

99:人間七七四年
09/02/03 21:23:55 6HpFDHnt
>>86
律義者・・・を装ってた家康に託すのは当然ではないかと
きっと後で譲ってくれるだろうと

100:人間七七四年
09/02/03 22:53:55 EpN6yusF



101:人間七七四年
09/02/03 23:48:43 mZcr0ZUp
>>98
たぶん森家家譜。
森家関連の逸話はたいてい森家家譜に載ってる。

102:人間七七四年
09/02/17 15:21:38 EnT4ceOK
家康が秀康や忠輝を醜いからと遠ざけてた、って話は創作?

103:人間七七四年
09/02/17 19:40:02 HZEj7cyK
>>102
「醜いから嫌われた」と言うのは後世の創作の可能性が高いと思う。
特に忠輝に関してはそう。彼はタイミング的に損をしたことはあるが、
基本的には家康に溺愛されたと言っていいほどの扱いを受けている。

「顔が醜い」と言う理由は家康が神君となって、秀康に関しては家康も含めたその生母の男性関係、
忠輝に関しては家康の育成に対して、表立った批評が出来なくなったために、当時の
合理的な思考として「顔が醜かった」という理由付けがなされたのだと考えられる。

どうも家康マンセー論のように思われてしまったのだけど、言いたいのはそっちの方じゃなかったんだよね。
家康に限らず信長でも秀吉でも信玄でも、容貌が醜かったり体が欠損したりしている人間を、
それだからといって差別しないのが特徴なのですよ。徹底して実力で見ている。
当然だよね。軍の中には負傷しカタワになった人たちがたくさんいるんだから。

そういった意識を家康は秀康に伝えようとした逸話であると思ってあの話を書いたのだけど、
どうも文章力が足りなくて旨く伝わらなかった。残念。



> 940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 19:19:55 ID:Y5rSdwle
> >>923
> 参考になったよ
> という事は信康が家康と秀康を対面させた逸話も江戸時代以降のもの?

信康が対面させたって件はおそらく事実。ただ、家康が認知しなかったのは醜いからと言うより、
家康の、秀康の母親への疑念、ぶっちゃけ「ホントに俺の子か?」って部分が大きかったと思う。

それで秀康だけど、秀吉の所に養子に行った時のエピソードには、「流石家康殿の子だ」
見たいな評価がやたら出てきて、どうも、秀康は、顔形も含めて家康に似てたらしい。
三歳で認知されたと言うのは、信康が「顔似てるからやっぱり父上の子ですよ」って事が
あったんだと思われる。

104:人間七七四年
09/02/17 19:48:10 Y5rSdwle
サンクス。
後年に最年長の息子にも関わらず秀吉に養子に出されたりしたのは
母親の素性の問題だったのかな


105:人間七七四年
09/02/17 19:51:56 luPZKN1G
長子が人質に出されるというのは一般的

106:人間七七四年
09/02/17 19:54:47 HZEj7cyK
毛利隆元とかな。

107:人間七七四年
09/02/17 19:57:19 LW3WsP8d
秀康って猶子じゃなくて養子だったんだっけ? となると鶴松や秀頼が生まれなければ、
正式に豊臣家を継いでいた可能性だってあったわけで。

しかも、秀吉の年齢からすると、鶴松や秀頼が生まれない可能性は高かった。

108:人間七七四年
09/02/18 00:59:18 zR1o4N3I
秀次・・・

109:人間七七四年
09/02/18 06:40:07 MneU+3TS
一応秀保もね

110:人間七七四年
09/02/19 23:07:16 S6cgwvi7
>>103
嫁に気を使ったということもあるんじゃない
なんせ今川一族の令嬢だから

111:人間七七四年
09/02/21 00:16:12 e1omwX7e
何だかんだで十年近く子供作らなかったしね

112:人間七七四年
09/02/27 20:28:01 2eYOSpKt
島津家久の死
・島津家によるもの
・豊臣方によるもの
・病死・事件・事故など
どれだろう

家久死後の活躍のおかげで島津一番人気は義弘になってるけど
早死にしてなかったら天才的戦略戦術家の家久は義弘以上に人気は出てた可能性はあるはず
実に惜しい

113:人間七七四年
09/02/27 20:42:05 eBAYPVTD
普通に酒の飲みすぎだと思うよ。

URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

というか飲まされすぎた。

114:人間七七四年
09/02/28 00:25:33 YiCIKV3q
謙信みたいなものか

115:人間七七四年
09/03/08 15:06:30 YB+xCiuS
>>658
あれ?
一族復興を手伝って欲しいなら飛び降りてみろ→すぐ飛び降りる
じゃなかったか?

116:人間七七四年
09/03/08 15:46:00 w05jYnTa
>>115
ここはいい話スレではないぜよ

117:人間七七四年
09/03/18 20:07:49 9tco4EK3
柳生宗矩の七人切りの嘘がどうやって出てきたのか知っている人はいるか?

118:人間七七四年
09/03/18 21:16:59 LJ9+Le9n
信忠と信康の技量差を見て、不安に思った信長が家康に信康切腹を命じさせた・・・

という逸話
なんで出てきたんだろう?
あまりにも家の規模が違いすぎて、普通なら信長が生きてるうちに徳川家は吸収されただろうし
(徳川一行の堺遊覧がすでに同盟が終わり臣従契約の一環という見方もあるぐらい)
なんといっても義兄弟、うまいことやればこれも普通に信康は信忠の片腕にでもなっただろう
親の七光りかもしれんが、本能寺の頃にはすでに信忠はかなり強力な力はあったはず
なのになぜあえて信忠はイマイチだから〜などという話を作り出したのか
徳川史観云々にしてもちょっと強引な気がする
出典はどこなんだろう

119:人間七七四年
09/03/18 21:27:45 06KaCeau
だって基地外で敵に内通したから粛正されたとは書けないもの

120:人間七七四年
09/03/18 21:31:51 l/b+ljG1
Wikipedia項目リンク

121:人間七七四年
09/03/18 21:45:04 ZMQDFVYW
>>118
それが言われだしたのは比較的に最近
当時の学会での権力者、高柳光寿氏が言い出した説

122:人間七七四年
09/03/19 02:35:34 9Rl7f+lX
>>117
「安藤治右衛門家書」に乗っている話なので、嘘とか柳生の捏造宣伝と言えるようなものでもない。
信憑性を云々したら、そちらが挙げた小野忠明の逸話の方がかなり怪しいものばかりなんだが。

123:人間七七四年
09/03/19 10:44:27 lf/y4yvX
>>122
柳生が金を払って書かせたという考えもある。
小野忠明の逸話は日取の多少のずれがあるくらいで行動そのものに嘘は無い。
仮に実際には起きなかったことだとしても、
そういう逸話が伝わるほど、小野忠明が強かったという事実は変わらない。

124:人間七七四年
09/03/19 10:54:11 W49Zg7pa
これはまぁ見事な検証否定で

125:人間七七四年
09/03/19 11:17:17 lf/y4yvX
だから柳生の嘘を検証してくれと言っている。

126:人間七七四年
09/03/19 13:21:16 82m7dUyM
>>123>>125
「柳生は嘘をついている」と主張しているあなが、史料を挙げて嘘を証明してください。
立証責任はあなたにありますから。

現時点で検証しろというのならしますけどね。

残された史料から言って、柳生が嘘ついたとか捏造したとか言えるものではない。
真実だと断言できるほどのものでもないが、虚偽だと断定できるほどの根拠もない。
一方であなたの嘘をついているという主張には、信憑性のある根拠がまるでない
のでとても信じられない。

>そういう逸話が伝わるほど、小野忠明が強かったという事実は変わらない
小野忠明あが強かったことは、誰も否定していませんよ。
問題は、柳生と絡んだ逸話の信憑性であり、さらに言うならば、小野の逸話が
事実だったとしても、それで柳生を剣術流派として過小評価する理由にはならない。

小野忠明には、「どんなに強くても、その強さを他人に教えることが出来ないなら
意味はない」と家康が嫌ったなんて逸話もありますしね。

127:人間七七四年
09/03/19 13:28:28 +HonyLMQ
悪い話スレにもまだ湧いて出てきているよ、このID:lf/y4yvXというキチガイ…

128:人間七七四年
09/03/19 14:43:30 lf/y4yvX
>>126
それがわからないから聞いているんだ。
証拠があれば信憑性も出るから探しているのに、
どうして先に証拠を出せと言うのか。

あと、一刀流は現代剣道として広く伝わっている。
他人に教えることができないなど嘘もいいところだ。

129:人間七七四年
09/03/19 19:06:00 k0buJzjW
>>128
あなた、根拠も何も無く「柳生は嘘ついている」と主張したんですか?
そういうのを妄想・妄言・中傷誹謗というのですよ。

130:人間七七四年
09/03/19 19:19:05 lf/y4yvX
>>129
もう一度言うが、だから柳生が嘘をついている証拠がないかと聞いてるんだ。
あったらこんなところで聞いてない。
それを妄想・妄言・中傷誹謗とか失礼な。

131:人間七七四年
09/03/19 20:20:47 cfpUWU66
仮にも記録に残ってる事なのに嘘である事を前提で話してるからおかしくなる
というか何で他力本願なのにこんな偉そうなんだ

132:人間七七四年
09/03/19 22:30:28 DS31a19R
>>130
無い。まあ私が知る限りでは、だが。
しかしそんな明確に嘘ついたと判るような別史料があるのなら、とっくに
指摘されていてもおかしくはないと思うが。

根拠もなく「柳生は金で嘘書かせた」なんて言うのを中傷誹謗と言わずに
何と言うのやら?

133:人間七七四年
09/03/20 00:48:18 5/KCxJFn
>>130
もう止めとけよ、これ以上一刀流に迷惑かけるな。


134:人間七七四年
09/03/21 12:22:09 4nkHw0hu
>>121
それ以前は何が主流だったのかねえ

135:人間七七四年
09/04/14 00:47:59 iHbMPweJ
小牧長久手
本多忠勝を見て、秀吉は泣いたのか?

136:人間七七四年
09/04/14 16:44:49 7iDNsXpl
>>135
合戦記としては史料的価値が高いものとされる渡辺図書頭「小牧御陣長湫御合戦記」にある
「秀吉卿御泪被流」

137:人間七七四年
09/04/14 18:02:26 bnqkJSL4
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
西田局長みたいだな

138:人間七七四年
09/05/29 13:26:49 y2KVc6io
謙信女性説って、まるっきり荒唐無稽なトンデモ?


139:人間七七四年
09/05/29 15:57:43 R94rzlYE
幼少の頃寺に預けられた事が嘘になる
普通幼女は政略結婚の切り札になるので寺には出されないし
それを担ぎ出して兄に挿げ替えようという豪族もいないだろ
女とバレた途端、かついだ神輿が神輿で無くなるからな

140:人間七七四年
09/05/29 18:59:41 LHoeir8i
そういえばそうだな
いまだに女説出してるやつってなんなんだろ

141:人間七七四年
09/05/29 19:22:58 lK84txWP
一種の陰謀論者と一緒で、変な夢を見たいんだろうな。


142:人間七七四年
09/05/29 21:29:12 v/dwBp3v
結論に導く事柄しか言わないしね。

なんで不犯なのかから飛躍したんじゃね?

143:人間七七四年
09/05/29 21:42:50 IRsz9UBN
卑弥呼みたいに呪術的才能が謙信にはありそうだが。

144:人間七七四年
09/05/29 21:59:44 LHoeir8i
最後がかっこわるい、謙信

145:人間七七四年
09/06/16 00:29:59 thP3ts4S
大坂で真田が家康を追い詰めたという話は有名だけど
あれも実は創作だという話もあった
実際どうなの?

146:人間七七四年
09/06/16 00:39:26 RGwtTNf7
>>145
毛利勝永軍の活躍を真田の物と勘違いしていたという説もあるな。

つか、夏の陣はぶっちゃけ良くわからない部分が多い。
ま、旗本の旗が倒れた云々くらいはあったかもしれないが、
家康が切腹を覚悟するほど追い詰められたとか言うのは、明らかに後世の作り話だな。


147:人間七七四年
09/06/16 01:10:33 /G84xFGM
確か榊原家の文書では真田信繁は夏の陣の最終戦で戦わずに逃走を企てたってのがあったね
嘘だろうけど

148:人間七七四年
09/08/01 16:51:57 gk/qKclB
妙向尼が本願寺救った話って嘘?

149:人間七七四年
09/10/13 11:32:45 htYa/qqu
ここにある話は本当なわけないよな

URLリンク(2chcopipe.com)

関が原後、徳川の覇権が確立した頃の事
江戸城に出仕した上杉景勝。広間に座っていると、そこに結城秀康がやってきた。

関が原の折直接対峙した二人ではあるが、互いに尊敬しあっている
間柄である。
そうはいっても、秀康はいまや天下人の息子であり、景勝は敗軍の将である。
景勝は座を立って秀康に

景勝「…」
秀康「?」

兼続「秀康様、殿は『秀康殿、どうぞ上座にお座りください』と申しております。」
秀康「いやいや、景勝殿の方が先に着座なされていたのだ。どうぞそのまま。」

景勝「…」
兼続「『ここは江戸城でござる。身分も同じ中納言であれば、家康公のご子息である
   秀康殿が上座にあられるのが当然』と、申しております。」

秀康「何を言われるか。同じ中納言とは言っても任官されたのは景勝殿の方が先でござる。
   後輩は先輩を立てねばなりませぬ。それに私は今は結城家の者。結城家と言えば、
   世が世なら関東管領たる上杉家に従わねばならぬ家。ささ、お気になさらずどうぞご着座を。」

景勝「…」
兼続「『かたじけない思いやり、痛み入る』と申しております」

このようにして景勝は江戸城内において恥をかくことなく、徳川の世になっても、上杉家の
体面を保った。景勝のことを尊敬している秀康も、その事がとても嬉しかった。
そして秀康はいつも思うのだ。直江兼続の翻訳は、本当に正しいのか?と。


150:人間七七四年
09/10/13 18:52:42 DwIVxu2/
初めて見た

151:人間七七四年
09/10/13 19:02:32 YR4zQCpX
間に入ってる兼続の通訳はともかく、
秀康が景勝に席次を譲った話は実際にあるな。

152:人間七七四年
09/10/25 22:51:57 5CXNaq/1
竜造寺に攻め込まれそうになった有馬の救援要請に対しての家久の言動

本当なら泣きそう

153:人間七七四年
09/10/26 07:57:52 79upCue1
>>152
「我に余剰戦力無し。現有戦力を持って戦域を死守し武人としての本懐を全うされたし」?

154:人間七七四年
09/10/26 08:23:23 hgd0GVAj
>>153
それ、某皇帝のお言葉では?w

155:人間七七四年
09/10/26 18:08:50 LY/a0yRU
義久<兵力が足りんから無理だ!
家久<頼られて放置は島津として恥、俺だけでも生かせてくれい!
義久<数は出せんぞ
家久<承知の上!武士として死ぬなら本望

みたいなやりとり?

156:人間七七四年
09/10/26 18:09:32 LY/a0yRU
誤字ったけど気にしない

157:人間七七四年
09/10/26 18:28:00 79upCue1
>>154
つい書いてしまったw
実際家久が述べた言葉を知ってるなら教えて欲しいが。

158:人間七七四年
09/10/26 21:02:32 JG55OZsU
あれだろ、家久の息子の兜の緒の話

159:人間七七四年
09/10/27 00:12:15 tPhvgjnB
>>155という話を某サイトで見たんだが、
それがその歴史サイトの人の創作なのか
書物に残ってたものかが分からない
そしてそのサイトのURLを見失った・・・
その真偽を知りたい

160:人間七七四年
09/10/30 10:05:31 z5Hr6dGo
>>149

最後の一文…www

161:人間七七四年
10/01/01 23:59:15 MN5c12zD
向こうで書くと大荒れ必死なのでこちらで
>ある日のこと、彼が妻の八重、妻の妹のサクラと
こういう嘘をさらっと入れると台無し
というか一気に信憑性がマイナスになる
もしかしたら逸話じゃなくて創作話なのかも

162:人間七七四年
10/01/13 23:11:32 gx8bAr7z
駄作大河では救出後千姫は家康を嫌っていたが
実際は家康は助けたかったんじゃないか?
秀忠の方は秀頼とまとめて殺してもかまわないと思ってたほどで


163:人間七七四年
10/01/13 23:14:10 64mCZX0X
>>162
そうだよ。
今更あんな大河のことを語るのもうんざりだが。

164:人間七七四年
10/01/13 23:59:32 gx8bAr7z
やっぱ孫は可愛いよなあ



早く嫁が欲しい(´・ω・`)

165:人間七七四年
10/02/06 02:53:46 AH/lYaYT
よくある仮定の話だけど、
大和大納言がもう少し長生きしていればって実際どーなの?
秀長存命中の秀吉の理不尽な粛清や虐殺、
文治派と武断派の対立ってあった?

166:人間七七四年
10/02/06 03:24:43 NoMs5Lwj
>>165
晩年の秀吉は完全な独裁者であり、仮に秀長が生きていたとしても、
秀吉の意向を掣肘するような行動を起こせばたちまち排除されていただろう。

秀吉は

秀頼>>>>>>>>>>>>>>>>豊臣体制

という意向だった。

秀長がもしその間も生き延びることが出きたなら(個人的にはその可能性は非常に低いと思うが)
秀吉死後の状況は変化しただろうが、秀吉の在世中に関しては、その残虐行為が
より凄惨なものになった可能性すらあると思う。

あと文治派武断派なんて明確な派閥は存在しない。
個々の武将のその時その時の立場でなんとなく別れた、ってくらいのもの。

167:人間七七四年
10/02/06 16:29:55 s0KGK69J
秀吉の暴令に困った大名が秀長に相談して秀吉をいさめて解決って立場を
秀長死後にできたのは家康か利家なわけで
諸大名をかばうことが豊臣政権下での権力奪取につながる。
そういう意味では秀長の延命は
家康への求心力一極集中へのタイミングはずれたかも試練ね。

168:人間七七四年
10/02/06 19:25:29 dZnF2llD
>>17最近では現在伝わってる直江状は内容はほぼ原形をとどめてると
言われてるよ。豊臣奉行衆が家康に「直江は田舎者だから怒らないで」
って諌止してる書状もあるし。

怪しい逸話は鳥居と家康の涙の別れかね。三成が挙兵すると思ってたに
しても、伏見城を捨てるなんてリスクが大きすぎる。
最近言われてるように、三成の謀反を過小評価してたんだろう。それを
ごまかすためにこんな逸話が生まれた。

169:人間七七四年
10/03/10 16:11:28 +fs0BLaT
>>9
大谷の茶会エピソードは明治以前に遡れないのが現状
福本日南の『英雄論』『豊太閤』がいまのところ初出で
英雄論には呉起の逸話が元ネタと書かれてる
秀吉(or三成)を持ち上げるために作られたものじゃね?

170:人間七七四年
10/03/10 16:17:56 +fs0BLaT
>>167
ただ、それを秀頼誕生後も秀長がやっちゃうと
秀次と同じようなことになったんではないかと思う

で、秀長が誅殺されてしまうと、それこそ決定的に家康や利家に奔る大名が増えるわけで
やっぱり結局は同じようなものじゃないかと思うんだよな

171:人間七七四年
10/03/10 22:52:12 +zUevwW1
>>169
茶を飲んだ
というのも三成だけでなく秀吉だったという説も有ってこれまたぶれてるし
それにいくら親友といっても、膿を飲んでしまうものなのか・・・

172:人間七七四年
10/03/10 23:27:51 UtW+MrMR
>>140
不犯の他にあまり戦国武将が読みそうにない源氏物語を愛読してたからとかあるようだが

>>170
いつも思うんだがもしその辺りでifをつけるとしたら
もし秀長が生きてたらとか淀殿が死んでたらじゃなく
もし秀吉がまともな頃にねねとの間に子供が生まれてたらだと思うんだがなあ

173:人間七七四年
10/03/10 23:33:15 3W7heOj6
>>172
> あまり戦国武将が読みそうにない源氏物語を愛読してたから

それは現代の感覚で、当時は源氏も立派な、男子の教養の一つだわな。

174:人間七七四年
10/03/11 20:42:28 olHo0f7S
寺で修行してたっていうのは男の証拠なんじゃないの?

まさかそれも逸話・・・


175:人間七七四年
10/03/11 20:45:26 5K9XAPPc
>>174
寺に入れられてたのは確か。

たまに頭の可笑しい女性説論者が
「寺に入れられてたのは別人でそれと娘を入れ替えたんだよ!!」なんて言うが。

176:人間七七四年
10/03/12 08:26:41 xG9G233L
>>173
源氏講だっけね
公家や守護職なんかの重要な知識だわな

177:人間七七四年
10/03/12 20:01:25 PEopFBfN
細川幽斎の、勅命による助命
あれって実際どうだったのかね
ドラマ的要素はものすごいんだけど
古今伝授はなにも幽斎だけのものでもなかったのに
という意見もあり
だから天皇ではないが将軍の落胤説にも繋がるのかな

178:人間七七四年
10/03/12 20:05:11 IvZ7/+J4
>>177
どうも同時代的にはあの和睦はかなり評判が悪かったらしい。
武士の癖に全力を出して戦わずに海上するとは何事かと。
息子の忠興もかなり恥ずかしい思いをして相当頭にきていたようだ。

179:人間七七四年
10/03/12 20:28:43 a4xUrIVN
>>173
前田慶次も九条植通から源氏物語の講義を受けて、米沢で講釈していた。

180:人間七七四年
10/03/12 21:00:35 PEopFBfN
>>178
第三者から見れば十分だと思うけどねえwww
戦力差といい、戦略的意味といい


181:人間七七四年
10/03/12 21:21:41 IvZ7/+J4
>>180
あれが戦略的に意味があったのは最終的に東軍が勝ったからで、
やはり余力を残した上での開城と見られるのも仕方が無かったと思う。

182:人間七七四年
10/03/12 21:26:57 PEopFBfN
関が原自体が、家康から見て、「賭けに近かった」と見れるし、
「勝算があったものだった」とも見れるし
これがまた実話・噂・推測含めて語れる題だしねえ

183:人間七七四年
10/03/13 08:05:03 6ODTbUsi
戦で100%なんてないからなあ
予想はある程度つくかもしんないが勝算なんてむしろなければやんないだろうし
現代の選挙とかだって確実な予想なんてできないのと同じで
結果を知ってから語ってる我々にはたぶん想像もつかない部分もあるんだろうな

184:人間七七四年
10/03/13 09:54:23 pZhksPyE
「内府ちがひの条々」を送り付けられた時なんかは相当焦っただろうな。
『慶長記』でも「上方が全部敵になった」とか書いてるし、
平尾氏の記録では「徳川オワタ「\(^o^)/」と噂された。

185:人間七七四年
10/03/13 13:56:34 bk22E319
しかし西軍は恐ろしくもろかった。実質的に家康が赤坂に旗印を上げた瞬間崩壊していた。

186:人間七七四年
10/03/13 15:30:50 raSMTy10
蒋に一番大事なのは、人望なんだろうなぁ。

187:人間七七四年
10/03/13 22:07:36 lugcaHrp
上に立つ者の器量で勝敗が決まった例と思う。

188:人間七七四年
10/03/13 22:08:21 0GBrakTQ
仕込み八割の一例

189:人間七七四年
10/03/14 02:51:26 yT8nXfTP
本当は戦わずして勝つのが良かったんだろうけど
あのときはそれは無理だったんだろうなあ
三成嫌いが興奮しちゃってたし
だからこそ精一杯の裏工作だったんだと
吉川を止めたのはまさにそこが成功

190:人間七七四年
10/03/14 03:00:17 gIaXg5e+
関ヶ原といえばこれ見ると
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

毛利は最初っから領地削減の条件で大阪城退去したように思われるな。

191:人間七七四年
10/03/14 03:17:14 lGq3Rrh1
ツタンカーメンの死因は近親相姦による虚弱体質での病死ってのが明らかになったように
陰謀論のある不審死って大抵本当に事故死、病死だと思う。
四条天皇とかもありえねーバカ過ぎる死にっぷりのせいで陰謀論も出たが、やっぱ事実なんだよな。

192:人間七七四年
10/03/14 12:19:47 zxI7Mv5F
>>191
近親相姦なら半島が当たり前のようにやってるが
それほど病死とか早死はないよ

193:人間七七四年
10/03/15 01:01:16 b4Pq0ELh
>>189
豊臣方にも屈して生き残るチャンスはあったのに

その後はたぶん秀頼と淀は切り離されて
若い秀頼をうまいこと丸め込めば
大きな戦いとか日本分裂も無いままいけたんだろうと


194:人間七七四年
10/03/15 11:41:23 1n6IBlPD
>>190
日付が9/20だし、その後の顛末を見るにやっぱり前久の情報は正しかったんだろう
家康は秀頼を擁した輝元の出馬を恐れてたと言われるが、
恐れるどころか動かないことを計算に入れてたわけだわな

>>193
関ヶ原以降の大坂方はほんっとガタガタだからなあ・・・
「やっちゃいけないこと」を率先してやるような奴らが権力持ってたから仕方ない
大坂の陣までの一連の流れは家康のいない信雄が小牧長久手になだれ込むみたいなもんだ

195:人間七七四年
10/03/15 12:27:04 bzFtr2Hn
>>194
事前の約束では半分だが、更に四分の一に減らされている

196:人間七七四年
10/03/15 12:53:43 v8suGHnw
>>195
物事は正確に。

「”前久の情報では”半分だが、実際には三分の一」

これが正しい。あと「更に」の使い方間違えてる。日本語も正確に。

197:人間七七四年
10/03/15 15:06:24 bzFtr2Hn
周防・長門2国は慶長5年の検地によれば29万8480石2斗3合なので四分の一が正しい

198:人間七七四年
10/03/15 16:50:35 Bodh1Y6z
でも、前久の情報では「半分で」ということでも、9月19日の輝元自身や
9月22日の井伊・忠勝の書状では所領を安堵という話になってるんだよね。
9月25日には藤堂や黒田、福島らが22日付書状の内容(所領安堵)を保
証しているし。「2分の1だけど家は存続させますよ」という意味での「安堵」
なのかね。普通はそうは言わないと思うけど。


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