■■本能寺の変徹底考察スレA+■■ at SENGOKU
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50:人間七七四年
08/06/23 22:13:05 1BGQrYxZ
> 秀吉が先に参陣しても頼らない可能性すらありそう

それで下手に戦線が膠着でもしようものなら、それはまためんどくさいことになりそうな。

51:人間七七四年
08/06/23 22:19:38 qqb5RG05
信忠はすでに織田家の当主だからな。秀吉には信孝や丹羽を従えたようには出来ないよ。

52:人間七七四年
08/06/23 22:42:51 qIb6lJIQ
だね。
信忠存命な以上、秀吉の目はないよ。あるとすりゃ信忠殺すしかない。

53:人間七七四年
08/06/24 00:23:19 opkDWVD8
>>47
>信忠に「父の仇も撃てなかった不覚人」って悪評が
>たてられ、それは織田家当主を降ろされる圧力になる
>>51のいうように信長は甲斐平定後、信忠に「天下の御
与奪を与え」て(信長公記)いるので、彼が名実ともに
織田家当主かつ日本国王。
信忠おろしは謀反そのもので、大義名分がないから、あり
えない。
>>48に同意だな

54:人間七七四年
08/06/24 00:25:02 eXYADOnE
変の時、逃げ切れずに討たれたのが信忠の限界だから、生き残ってたら、という仮定もちょっと仮定の二乗のような気はする。
お坊ちゃんであったことは間違いないだろうから、どうなってても秀吉はうまいこと織田家乗っ取りに成功してた気はする。
信忠が秀吉に対抗できるだけの武将であった、という仮定はなかなか厳しいだろうしね。

しかし、変直後の2年ぐらいの秀吉は神業の如き手腕だもんな。もちろん強運もあったろうけど、それを生かしきったというのはすごいもんだ。
ちょっとスレチになるが、変が無くても単に信長より長生きしてたら秀吉はやっぱりうまいことやってたかもしれない。
家康が最後にうまくやったようなことが、信長ー秀吉にも十分あったと思うんだ。

55:人間七七四年
08/06/24 00:31:44 sAyQLnQG
まあ、信忠が、信長という存在が突然いなくなった後の織田家中をまとめられるか、っていわれると
確かにクエスチョンは付くわな。信長の時代ですら謀反が起こりまくっていた体制で、しかも信長の
突然の喪失と言うことで家中は動揺しまくっている。その動揺を収められるほどの手腕を信忠が
持っていたかどうか、と言うのもやはり未知数だしね。

56:人間七七四年
08/06/24 00:44:32 eXYADOnE
そうだよね。
実際に丹羽&信孝軍からは兵が逃げ出してるし、滝川とか変が起きてひどいめにあったのはいっぱいいる。
ということはあくまで織田家ではなくて信長個人の力を皆が恐れていたわけだから、残った織田家を信忠がまとめたとしてもその家臣団まで含めるとちゃんとまとめるのは至難の業だったと思う。
秀吉から見たら、なんとでもなるここは勝負のとき、と仕掛けて来たに違いないしね。

秀吉の凄いのは小牧長久手の時に、兵数は圧倒的に自分のほうが多いのに自分から引いたこと。
つまり相手の力量、状況、そういう読みが神業だったんだよね。
その前の清洲会議あたりからも、他の武将の力量、とりまく状況、そういうのを読みきっていて完璧に行動してる。
もちろん織田家内のペーペーだった頃からそういう点に気を配って出世してきたわけなんだけど、増大していく己の立場をも見誤ることなく相対的に冷静に把握してた点は、現代のホリエモンや村上きんちゃんと比較しても、ただただ感嘆するばかり。

57:人間七七四年
08/06/24 00:46:14 /a/nvbmc
>>54
その秀吉に対抗するって出発地点が間違いだから。
なんで当主が家臣に対抗せねばならんのかと。

58:人間七七四年
08/06/24 00:46:48 0uRENEWQ
>>54
それも難しいと思う。まあここまでくると明確な根拠もない、各人のそれぞれの人物に対する
思い入れによる推測になってしまうが。

なぜかというと、秀吉も家康も上位権力が喪失された、権力空白期間を利用したから。
秀吉の時は、信長とナンバー2の信忠が同時に消滅し、織田諸将は誰の命令を聞けばいいのか
不明になった。その空白に上手く自分をもぐりこませたのが秀吉の契機。
これは秀吉死後の家康も同じで、秀頼が幼少で権力を揮えない状況を利用した。
信長死後も秀吉死後も、ちゃんと権力を継承して振るうことができる成人の後継者がいれば、
そう簡単に簒奪はできなかっただろう。
秀吉の場合は難しいが、信長の場合は信忠という万人が認める後継者がいたから、そちらが
健在なら多少の能力差では上位権力を揺るがせることは難しい。

言ってしまえば、家康死後だって同じ。単に能力で言うのなら、秀忠以上の大名はいただろう。
江戸幕府の機構の整備されて支配体制が強固なものになるのは、秀忠家光以降の話。

59:人間七七四年
08/06/24 00:49:41 /a/nvbmc
>>58
だね。絶大な当主が死んだ後はみんな謀反起こさなきゃならなくなる。家康死後の伊達とか島津とか

60:38
08/06/24 00:53:40 opkDWVD8
もし、方面司令官が織田家の中枢ならば、席次は@勝家A秀吉B光秀となる。
高柳氏のいう野望説は謀反でBからトップをとりたい(天下が欲しかった)
って論法。
一方、方面司令官が中枢とは無縁のドサ廻りとするならば、大和・丹後検地・
馬揃えをやって、かつ京都近辺に所領をもっていた光秀が@ってことになる。
よって、氏の論法ではあえてトップを狙う必要がないから野望も生じないって
ことになる。

そこで聞きたいんだが、織田家の@って誰なの?今までは素朴に柴田だと思って
たが、スレ見てて分からなくなってきた。



61:人間七七四年
08/06/24 01:02:33 sAyQLnQG
>>57
> なんで当主が家臣に対抗せねばならんのかと。

それが戦国時代というものだよ。

62:人間七七四年
08/06/24 01:03:20 eXYADOnE
>>58
そうだね、結局はあの3人に関しては、同じような結論になってたような気がする。
で、伊達とか島津とかそういうとこまでは論理を拡大してはいないので、誤解なきよう。
ほんで反論じゃないけど、秀吉の場合は次男三男は実際に無事だったのにも関わらずうまいことやってる。
もちろん無能に近くて、ちゃんとした継承者、じゃなかったから秀吉はうまいことやったのだろうけど、もしちゃんとした継承者がいても、秀吉なら行動をおこしたのではないか、とね。
結果はともかく。
ま、このあたりは小説のネタなので面白おかしく語ったほうがいいのかもしれないな。

63:人間七七四年
08/06/24 01:07:55 sAyQLnQG
>>60
> そこで聞きたいんだが、織田家の@って誰なの?今までは素朴に柴田だと思って
> たが、スレ見てて分からなくなってきた。

織田家は本能寺まで信長のほぼ完全な独裁。ナンバー2はいない。
はっきり言えば勝家も光秀も秀吉も使用人に過ぎない。
織田家の政権中枢は信長そのもので、その信長が事毎に、必要と思われる人間の助言を聞いて
政策を支持し、実行させていた。

だから信長時代の織田家に、他家のような家臣序列があったと考えるのは間違いだと思う。

64:人間七七四年
08/06/24 01:09:57 eXYADOnE
>>60
ナンバー1の定義を決めたほうがいいと思う。
領地なのか、信長の覚えめでたいという意味か、将来性か、今までの付き合いの長さか。。
たとえ領地にとしても単に大きさだけで判断できるのか、京に近かったり交通の急所を持っているか、とか。
じゃないと、結局論が細かくなってグダグダになってしまうのが流れ。
ちなみに勝家と光秀は生い立ちも全然違うしなかなか比較にはならないと思うのだよね。

65:人間七七四年
08/06/24 01:16:04 /a/nvbmc
>>61
それ一昔前の間違った戦国観。大義名分はやっぱり必要なのだよ。

66:人間七七四年
08/06/24 01:20:21 sAyQLnQG
>>65
いやあ、勢力さえ大きくしちゃえば大義名分は後から付いてくるものだよ。
細川家に対する三好、斯波対する朝倉織田、京極に対する尼子、みんなそう。

67:人間七七四年
08/06/24 01:23:44 eXYADOnE
秀吉はその大義名分の重要性をとてもよく理解していたからね。
変の後の行動はすべてその大義にかなったようになるよう画策してる。
実際に変から1年でかなり不忠というか悪逆非道の行動をしてるけど、案外非難はされてないのじゃないのかな。
詳しいことは知らないけど。
そのあたりの、うまいことやったなも、というのが恐ろしさなんだよね。

68:人間七七四年
08/06/24 01:28:39 /a/nvbmc
>>66
それだっていきなり謀反して下剋上したわけじゃなく、主家の凋落や民心の離れから豪族も民も新しい支配者を望むからとって代われた。
昔の戦国史観だと無法の時代で主君が無能だったら家臣が謀反を起こして乗っ取ったみたいな感じだけど、それは明らかに誤り。

69:人間七七四年
08/06/24 01:28:49 sAyQLnQG
秀吉が余り批判されないのは、ぶっちゃけた話豊臣家が滅んだからだよ。
批判する主体が存在しない以上、恨みつらみも長くは存続できないわけで。

70:人間七七四年
08/06/24 01:32:57 sAyQLnQG
>>68
それもそれであまりに大義名分論に凝り固まった解釈じゃないかな?
実際の下克上はもっと複雑で、家中の勢力構図や政治的な方向性で決まることが多い。
だいたい、君の上げている条件の中にある「主家の凋落」は、まさに本能寺直後の織田家に当てはまる。

どうも議論がかみ合ってないなこれはw

71:人間七七四年
08/06/24 01:39:47 eXYADOnE
うん、かみあってない不毛の論だなも。

ケースバイケースとしか言えないと思うんだ。

72:人間七七四年
08/06/24 01:41:48 /a/nvbmc
>>70
>細川家に対する三好、斯波対する朝倉織田、京極に対する尼子、みんなそう


みんなそう。大義名分ありき。

で、君は本能寺がどうしたって?

73:人間七七四年
08/06/24 01:46:18 sAyQLnQG
>>72
どうも君は僕の事を「古い下克上史観の保持者」と脳内認定して、そこで「古い認識を啓蒙してやろう!」って形で
議論を進めようとするから変な事になっているんだと思うぞ?

74:人間七七四年
08/06/24 02:46:43 Jgp9kNi4
お互い、レッテル貼りで印象操作にやっきになってるなw

75:人間七七四年
08/06/24 03:22:42 fEHSgimX
どっちも厨くさいな
レベルを下げないでほしいわ

76:人間七七四年
08/06/24 09:57:47 ow2nKwKA
>>64
>ナンバー1の定義を決めたほうがいいと思う
これには同意。
桐野・谷口・高柳氏は謀反の理由に「光秀の地位の低下」をあげている。
もし、天正9年以降、検地・馬揃えの起用で光秀の地位が上昇していたのであれば、
この論者の前提が崩れる。

また、信長がなんらかの序列をつけていた事実は、信長が方面司令官に茶器を与え
茶会を開催する権利を留保していた点からも推論できる。
よって、序列は存在していたし、その順位を論じるのは無益ではないと考えます。


77:人間七七四年
08/06/24 12:40:12 d3pBarWA
>>76
「地位の低化」というのも難しくて、別に光秀自体が下がったのではなくて、秀吉があのままでは自分をこえてしまう、そういう将来的な不安に対する先制攻撃、みたいなのもあったかもしれない。
だもんで桐野たちの論も、実際の低下なのかその可能性におびえた、のかそのあたりを個別に検討したいとこなんだよね。

信長が各部下に序列を与えていたのはあると思うけど、それを競争心をあおった信長の上手な部下把握術、みたいな解釈はまたどうかと思うけどね。
単に信賞必罰的なシンプルなもの、そういう風にとらえたい意味もある。

78:人間七七四年
08/06/24 12:45:18 HnhFlg0b
茶会の席順は誰の主催か誰の弟子か何番弟子かなど関係するだろうから
織田の序列に繋がるか微妙

79:冬広
08/06/24 13:03:33 Ug6qKthu
>>77,>>78
そうなんだよね。
論点は
1、方面司令官内で序列は存在したか
2、方面司令官という仕事は織田家全体の序列の高位にあったか
3、織田家中で序列はそもそも存在したか
だと思う。
現在のスレの流れは複合説だから地位の低下がなかったとしても、複合説の理由のひとつが
否定されるにすぎないので、複合説自体の否定にはならないが、「光秀が織田家でどんだけ
えらかったか」はすごく興味はあるし、光秀が地位の低下におびえたとすれば、どの事実を
もってそう考えたのかそのパラメーターも知りたい。


80:人間七七四年
08/06/24 13:38:27 d3pBarWA
光秀の「どんだけえらかったか」ですけど、自分でどう思ってたか、信長がどう思ってたか、回りがどう思ってたか、についての個別の認識が必要でしょうね。
ほんで、光秀自身はそれを客観的に把握してたか、これが最も重要でしょう。
いきなり結論っぽくてあれですが、信長は京や室町の故事に詳しいであろう光秀を武将であると共に文化人としてもある程度の評価はしており、光秀自身もそれはわたっていたでしょう。
ほんで、それをよく理解して決して光秀や各武将よりも目立つ行動をとらなかった秀吉も、状況把握という点ではさすがだったでしょう。
で、光秀がその秀吉を見誤った点、これが本能寺から山崎、ひいては統一への元となっているように思いますね。

つまり光秀から見ると信長をワンチャンスでやってしまえば、後は自分がナンバー1である、朝廷ともつながりはある、そう短絡的に考えてしまったように思います。
そのきっかけは四国政策とかなんでしょうけど。
これは光秀の失敗と言うより、秀吉がすごすぎただけ、という意味でもあるんですけどね。

話をすすめてしまうと、本能寺は格別歴史を変えたすごい出来事、ではなくて日本史特に戦国にはよくある普通の謀反劇、家中劇、そういう風にも思うわけです。


81:サイコメトリー
08/06/24 14:53:18 WrSiOTL4
皆さん、スレ立て早々白熱してますね。
>>80
確かに戦国期によくある謀反劇のひとつだと思います。けども、日本史の中では
大きな分岐点だと思うなぁ。


82:人間七七四年
08/06/24 15:28:43 Kk6VIf9O
普通の謀叛とは違うわな。

83:人間七七四年
08/06/24 16:05:54 d3pBarWA
>>81
信長の次に出た秀吉と家康があまりに強力なので、信長はもっと強力であろう、そしてそれが生きてていたら、という二つの仮定は魅力的でしょうね。
ただ、やっぱり戦国勝ち抜き戦で途中でやられてしまったのは事実だし、もし生きていてもやっぱり秀吉、家康は何らかの形で頭角を表していたでしょう。
つまり本能寺では戦国の流れは大きくは変わらない、あまりに劇的で突発的な流れになっただけ、そのように思うのですよね。

このあたりは個人の見解ですし、生きていたら、という仮定の話なので軽くにしておきましょうか。

84:人間七七四年
08/06/24 16:06:50 BPqSorVJ
信長が死んだ時点で、日本史の流れが変わったと言わざるえないと思う。

織田家の組織体制に関しては基本的に>63に同意。
序列基準が問題だが、光秀・秀吉・勝家・一益が織田家四天王かな?

85:人間七七四年
08/06/24 16:09:29 HnhFlg0b
織田四天王は上から柴田丹羽滝川明智です

86:人間七七四年
08/06/24 16:20:47 d3pBarWA
>>82
どうでしょうね。
やっぱり個人の見解ですが、光秀は朝倉、足利、信長と見事にのりかえて成功してます。
このあたり実に機を見て敏、状況判断と人物評価に長けた超一流の武将だったでしょう。
それが主君を倒してさらにその上を望んだ、そういう意味で普通の謀反と思いますよ。
やられてしまった信長を評価するのは、あくまで秀吉と家康の主君、仲間だったから、という点が大きくてことさら信長自身の武将としての力量を評価したものではないように感じます。

ま、天下が見えてきた時点での謀反、という意味でなら意味は大きいでしょうが、特に格別の主君殺し、ということもないように思います。

ちょっと話がズレますが、光秀なんかは逆に信長を利用してた、こいつならある程度天下を治めるからどっかでやっちまうか、なんてことを考えていたかもしれません。
義昭との利用合戦をまじかでみていたわけですからね。自分ならもっとうまくやるな、なんて思ってたかもしれませんよね。
さらに言うと秀吉もそうです。あのまま信長配下の1武将で終わっていたとは思えません。
実際にそうだったわけですし。
小説になっちゃいますけど、実際の1582〜1585なんてのは小説以上の展開ですものね。

87:冬広
08/06/24 16:45:38 ow2nKwKA
>>84,>>85
ソースは知らないがそのメンバーはよく挙げられてるよね。「四天王」=織田家全体の序列の1位から4位
って認識でいいの?
一益が入っているのは解せないが、大和検地の奉行を光秀と一緒にやったからか、関東方面司令官だった
からかどっちなんだろ?丹羽はまったくわからない。

>>80
少なくとも、天正10年1月では光秀は信長の自筆の掛け軸をかけたりして、神扱いしているから、
自分の地位に満足していたといえる。
>そのきっかけは四国政策とかなんでしょうけど
おそらくそうだと思います。1月以降に何かあったと思う。

>後は自分がナンバー1である、朝廷ともつながりはある
これはどうかなぁ。(光秀自身がカンチ入ってたとしても)客観的にナンバー1であること
を示す史料ないし、朝廷とのつながりって馬揃えぐらいでしょ。

>>86
>光秀なんかは逆に信長を利用してた、こいつならある程度天下を治めるからどっかでやっちまうか、
>なんてことを考えていたかもしれません。
ズレてないと思う。藤本鈴木本にあったが、光秀は72のだましのテクをもっている(「日本史」)という記述を
再評価すべきっていっている。
本能寺の結果踏まえた記述だから、ある程度差し引く必要があるけど、相当したたかな武将だったと思うね。

88:人間七七四年
08/06/24 17:55:20 I0ZGWlIX
>>87
>少なくとも、天正10年1月では光秀は信長の自筆の掛け軸をかけたりして、神扱いしているから、
>自分の地位に満足していたといえる。

むしろ、そうまでして忠誠心を示さねばならなかったんじゃないかな。

遡れば、変の丁度一年前に家中に軍法を発布しているのも然り。
暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから、その頃から光秀は
信長との関係に気を揉む様になっいたと考えられる。

長宗我部との関係が拗れ始めたのもその頃だしね。

89:人間七七四年
08/06/24 18:24:38 Ol4E/mKz
藤本鈴木本というのがまだ最近であまり論評されてるところを知らないからなんだけど、結構前からそういう光秀野望説みたいなのはあったんだよね。
ただ戦国の世だし、今だって会社で出世していくのを出世欲がある、なんてことさら強調しないから、光秀独自の野望、って意味でもないのですよね。
主君を乗り換えていくぐらいだから当然そういう欲求は人一倍あったと思うし。
あくまでよくある、一山あててやろぉ、ってなもんで、そういう意味でも本能寺は格別な謀反とも思わないのですよね。

だもんで、黒幕どころか謎ともあまり思わないし、光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。




90:人間七七四年
08/06/24 18:26:02 HnhFlg0b
>>87 総見寺資料だったかな 序列と関係ある共ない共いえません
私は7本槍みたいなものじゃないかと想像してます
滝川や丹羽が入っている理由は私などにはわかりませんw
他の部分に佐久間林の名もあるらしく関東の頃以前の話みたい

91:人間七七四年
08/06/24 19:12:09 0uRENEWQ
光秀に野望があったのは事実だろうが、野望といってもいろいとあって、立身出世を望むのも
野望なら、自分が天下人になるというものまで。

>>86
信長が生きていたら、秀吉は織田の一武将で終わったでしょう。それは買いかぶりのしすぎです。

92:人間七七四年
08/06/24 19:28:55 Ol4E/mKz
>>91
反論ではないですけど、もし秀吉が1武将で終わって、どこかで信長が先に死んでたら天下を取ったかも、というのは買いかぶりと思うのですよね。
何ですけど実際に先に信長が死んだら見事に天下を取った、ということは秀吉の実力と言うのは事実なわけですよね。
それもここでは繰り返しませんが、マイナスの状態からたった3年で関白にまで上り詰める。
家康がいたのにもかかわらずです。
ということは、秀吉は光秀以上に、殿があぼ〜んしたらわしのもんだがや、と思ってた可能性はあるでしょうし、もしかして自分が変を起こしていたかもしれないわけです。
買いかぶり、というのは信長のためにあるようなもので、秀吉や家康にはそれでも足りないぐらい、そのように思います。

このあたりは、誰が先に死ぬか、で戦国の地図が変わってきたでしょうが、信長が一番長生きして朝廷滅ぼして信長王国作ってた、みたいな仮定をしない限り結局は同じような展開、誰かが幕府を作って戦国の終焉を迎えた、そのように感じます。

93:人間七七四年
08/06/24 19:39:01 CqZNQmww
方面軍司令官という概念は史料的根拠が無いから、序列を語る上では使わない方がいいんじゃない?

94:人間七七四年
08/06/24 20:20:31 FawkqCaI
>>92
あんたの秀吉贔屓が気持ち悪い。

95:人間七七四年
08/06/24 20:29:48 sAyQLnQG
まあ光秀がどうあろうとそれを可能ならしめたのは、信長の完全な油断だわな。

「信長公は武田信玄が死んでから気が緩んだ」細川幽斎

確かにそんな気がする。

96:サイコメトリー
08/06/24 20:35:52 WrSiOTL4
方面軍とい言葉を初めて使ったのは、高柳光寿氏だそうです。
確かに>>93が仰る通り、その言葉を用いて序列を計る事は一概に出来ませんが、
1582年当時、柴田・羽柴・明智が織田家で最も所領を預かっていた事も事実です。


97:人間七七四年
08/06/24 21:07:12 0uRENEWQ
>>92
>58 参照。
史実の秀吉が「信長と信忠が同時に死んだから」その状況を利用して天下を取れたことと、
仮定として「信長が死んで信忠が健在でも」秀吉は天下を取れたかはイコールにはなりません。

これは秀吉の能力の問題ではありません。秀吉には「本能寺後」の状況から天下を取る能力が
あったことは史実で証明されていますが、「本能寺がなく信長から信忠にスムーズに権力が継承
された」状況でそれでも天下が取れるとするのは贔屓のヒキ倒しです。
これは家康も同じことですが。

98:人間七七四年
08/06/24 21:29:06 Kk6VIf9O
96
97
に同意。
どう考えても、その三人がTOP3だと思う。佐久間が筆頭だとするスレもあるが‥。

秀吉の力は認めますが、信忠生きてたら、彼は力を出せない状況でしょ。
仮に画策しても、与力武将以外が靡くはずがない。

99:人間七七四年
08/06/24 21:35:17 BPqSorVJ
95
その幽斎の言葉、信長の死後でしょ?
エケイのたか転びと変わらないレベル。

100:人間七七四年
08/06/24 21:47:07 Ol4E/mKz
てす

101:人間七七四年
08/06/24 21:55:13 Ol4E/mKz
>>97
よくわかりますよ。すべてあくまで仮定の話ですからね。
ただ、からむわけではないですが、信長から信忠にスムーズに継承されたとしても
その状況がどこまで安定して続いたか、信忠の能力もふくめて、やっぱり仮定の仮定とも
思うのですよ。
とすると、その仮定の二乗の状況下で、秀吉が単なる1武将で終わった、というのもあくまでも
可能性のひとつでしかない、そのようにも思うのですよ。

仮定続きで申し訳ないけど、信長がもう少し長生きして継承がうまくいく、そういう可能性というのも案外少なかった
そのようにも思うのですよね。
まあ、あくまで生きていたら、の話なのでそれが信長の限界とも思えてしまいます。

102:人間七七四年
08/06/24 22:01:57 Ol4E/mKz
よく信長の油断といますが、視点を変えると、信長が部下の能力と本質を見誤っていた、という言い方はできませんかね。
まさか光秀に反乱されるとは夢にも思ってなかったでしょうし、
その後ハゲネズミが関白になるなんて夢にも思ってなかったでしょう。
だもので、結果を知ってると油断とかどうして軽武装で京に入ったか、なんて謎扱いしますけど、
信長が部下のそういう重要な点を見誤っていた、それまでのことであるというか。

言い過ぎかもしれませんが、自分がそうやって策略、計略で勝ち上がってきた、しかも浅井とかの裏切りも経験している、
にもかかわらず、すぐ近くの光秀にはそういう可能性を感じとれなかったのは、油断と言うより、まさに信長の力量そのもの
、限界、そういうように思うのですよね。
さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ、そういうのを感じます。


103:人間七七四年
08/06/24 22:13:15 BPqSorVJ
↑それが油断と言う。

よく本能寺なくても、いずれ信長は家臣に裏切れたっていうけど、ない、ない。

104:爆音小僧
08/06/24 22:16:03 +2tijk1b
信長は秀吉にころされたんだ!!

105:人間七七四年
08/06/24 22:18:01 sAyQLnQG
まあ、少なくとも長篠以降の信長は散漫な印象を与えるなあ。
既に太平の世の天下人気取りと言うか。

106:人間七七四年
08/06/24 22:28:19 Kk6VIf9O
ほぼ天下人じゃん。
だからこそ、油断があって本能寺じゃん。

107:人間七七四年
08/06/24 22:29:00 sAyQLnQG
>>106
「太平の世の」な

108:人間七七四年
08/06/24 22:29:28 ft31LFhF
サイコさん一応切り取り次第ではありますが越中50万石を貰い
本能寺前日に切り取った佐々は軍団長では無いのですよ

109:人間七七四年
08/06/24 22:36:26 /a/nvbmc
>>93
地方の攻略を任され、一職の令を受けた軍団が存在したのも事実。便宜上使用するのは問題ないと思われる。

110:人間七七四年
08/06/25 06:19:45 buteCGPK
>>109
ということは本能寺時点で光秀に攻略を任されている地方は無いから、方面軍ではないってことだよね

111:人間七七四年
08/06/25 06:43:27 E6RlVTZP
>>110
近畿

112:人間七七四年
08/06/25 07:11:07 buteCGPK
>>111
近畿というのは畿内周辺という意味かと思うけど
紀伊以外終わってたじゃん
光秀は紀伊に関わってないし

113:人間七七四年
08/06/25 09:38:50 6xO+29P3
>>108佐々前田らの最強寄騎を付けられている柴田がやはり名実共に1ですね

114:人間七七四年
08/06/25 10:19:30 sjbbxhg/
マジですけど、ササナリマサの直系の子孫と一緒にバイトしたことがあります。
何気に歴史の話したら、どえりゃあ告白をされてびっくりしました。
ただその時はまだ戦国はあまり知らなかったのですよね。
もう少しお知り合いになっておけば良かったな。

115:冬広
08/06/25 12:36:25 zaTUmH0H
>>88
>暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから
あやつけるつもりはないが、これは違うだろ
確かに、「きよし」を「気好」(お気に入り)だとする論者はいるけど、ほかの資料で「信長の妾
が光秀の妹と確認できないから「御旨」(心配した)と解釈すんのが自然っていう桐野氏の見解に
賛成したいね。

>>89,>>102
>光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。
>さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ
身もふたもない意見だが、案外これが真理をついているのかもしれない。
「五月かな」の歌を謀反に関連づけて解釈するのも、本能寺って事件をわれわれが知っているから
にすぎず、本人は単に五月の風景を詠んだだけかも知れないしね。
紹巴にあやつけた秀吉も案外そんな気持ちかも…

>>112
紀州は織田信張がいるね。規模は小さいがこいつは紀州専従なんで光秀は無関係。
いわゆる近畿方面軍は丹波平定後の天正8年に組織されるも、9年の因幡援軍・10年の甲斐後詰・備中援軍など、
結成後に方面軍の主体的関わりが全くできてない。畿内にあるという地理的特殊性を加味しても、他の方面軍
にはない地味さ。「方面軍」って認識がそもそも誤りなのかも知れない。>>110にやや同意。


光秀の地位は低下ではなくむしろ上昇していたのではないか?
光秀は天正8年以降に、大和検地・馬揃え・丹後検地を行っている。私見では馬揃えは単なるお祭りと考えるの
で、(差出)検地が重要な任務と考える。
検地は課税対象の確定を目的とするものであるから、織田家の財政の中枢に関わる任務といえる。注目すべきは
大和検地で(奉行は光秀・一益)、大和は従来守護不設置の国である点である。現に「多聞院日記」では奈良の
僧侶がブチ切れて光秀を閻魔王よばわりしている。
また、組下は軍事指揮権のみ司令官に従属するので、光秀の組下の所領である大和検地・丹後検地は司令官によ
る越権行為である。本来ならば、和泉検地を行った堀のように吏僚が派遣されるはずだが、かかる権限を付与さ
れているのは光秀が中枢に関わっているからといえる。
馬揃えに政治的意味を見出す論者であれば、中枢関与はより補強される。
よって、地位は上昇したと妄想してみる。 



116:サイコメトリー
08/06/25 12:54:32 Wz5gEOIM
>>108
佐々成政、確かに本能寺直前で越中一国を預かる形になってましたね。
申し訳ない。ちょっと調べたサイトでは越中石高約38万石だったよ。

URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
もしくは、戦国スレの『戦国大名、初期〜中期〜後期の石高』

本能寺の直前の佐々成政の越中一国預かりは、一時的なものだったと思われます。
越中半国を預かっていた神保長住の失脚により、成政の一国統治となったわけだから、
石高を利用した動きが当時は取れないと思う。その点が他の3人とは違うね。

信長存命なら、佐々成政は織田家の重臣中の重臣になった可能性はあるね。
なんか、言い訳くさくなってスマン。



117:人間七七四年
08/06/25 13:56:26 t4wjmvn3
>>115
おやおや、最新の研究動向をご存知ないのかな。
光秀の妹のおツマキは、天正四年に前久の長子・尊勢が興福寺一乗院で得度する際、
信長からの上使となっているんだよ。

確かに側室ではなかったけど、かなりお気に入りの女性であったことは、『言経卿記』
の記述からも明らかなんだけど。

118:冬広
08/06/25 14:53:56 zaTUmH0H
>>117
全然知らなかった。指摘d!
兄妹そろって優秀だったんだね。
ぜひ読みたいので、どの研究論文・書籍に載ってるのか出典を教えてくだされ。


119:人間七七四年
08/06/25 18:19:35 0SHe8Twd
高柳はもちろんのこと、桐野でももう古いってとこなのかな。
ただ、最新の研究が正しい、とは限らないのがこの世界の難しいところ。

120:人間七七四年
08/06/25 18:49:33 z6A0M79t
冬広さん
光秀が奉行を努めた『馬揃え』が単なる祭だというのに異論。

馬揃えは、確かに形としては祭典だが、実際はもう織田の天下だよと朝廷衆・京衆・地方大名に見せ付ける政治的パフォーマンス。

京でやる事に意味があり、光秀は更に公家衆と親密になった事だろう。この手の仕事は出来る人間が限られる上、家柄+故事典礼+ある程度の地位所領が必要となり、織田家で光秀以上の適任はいないでしょうね。
検地も大事ですが、今も昔も権力者にパフォーマンスも大事な様です。

121:人間七七四年
08/06/25 19:40:25 0SHe8Twd
祭りも政治的パフォーマンスもある意味似ているところはあると思うけど、それをさらに強力にした朝廷恫喝説
なんてのはさすがにもう流行らないか。
ただ天皇のリクエストに応えて2回もしてるからか、信長ー朝廷仲良し説というのもどうかというところ。

このあたり最新の解釈はどうなってるのかな、他でも聞いたのだけどちょっと中途半端になっちゃってて。
対立とまではいかない微妙なバランス、というところでいいのかな。

とすると政治的意味合いというのは単なるパフォーマンスでとどまらずに、信長側から見るとある意味メッセージとも
言っていいぐらいに思うのだけど。
暦、東大寺切り取り、みたいにいろいろ仕掛けてるのは信長のほうだしね。

なかなか面白いテーマですよね、このあたりは。

122:人間七七四年
08/06/25 20:04:52 t4wjmvn3
>>118
Yahoo掲示板の光秀トピで紹介されているから見てご覧。


123:110
08/06/25 21:14:39 kg3pybh+
>>115
「軍事司令官は吏僚の役割をしないもの」という理屈には、
「堀は近江衆の指揮官でもあった」という反証ができます。
さらに塙の例もあることから「光秀の比較対象は堀や塙の方が良い」
という結論になってしまいます。
大和検地を中心に光秀と一益を比較するのが良いのではないでしょうか?

124:人間七七四年
08/06/25 22:50:59 NJ6n1y8q
大和検地で光秀と一益を比較って‥‥。

125:人間七七四年
08/06/25 23:18:26 vXzkvdnQ
Q太郎応援したいけど
仕事が伝書鳩みたいな感じだからな

126:冬広
08/06/26 01:25:44 QdOuaZD7
>>123
塙か〜、いいとこに目をつけますね。
光秀と塙は、行政手腕もあって軍隊の指揮もそこそここなす点が似ていると思います。
谷口・親衛隊本に事跡が詳しく掲載されているが、大和守護として筒井・松永を左右に
従えて能を見物している場面は象徴的ですね。
大和検地の評価はあくまで妄想だとエクスキューズしているので、逆に110さんに
聞きたいのですが、検地=中枢の仕事っていうそもそもの認識は共感できますか?
研究者で指摘しているのは管見の限り高柳本だけで、氏も単に検地があったという
事実しか挙げず何ら評価を加えていないので、どうにも自信がなくて…

(この時期には彼は長浜城主ではないという前提で)堀が指揮官ってのはどうかな?伊賀征伐
で旗本率いたから指揮官には違いないけど、自前の兵隊なんて知れているし、この点は留保です。
塙・滝川を比較対象にすることには異論はありません。

>>120
確かに政治的パフォーマンスの効果はあったでしょう。だからこそ「信長公記」の馬揃えでの
牛一の喜びようはハンパない。
でも、馬揃えで何らかの政治的変動は生じていない。
たとえば、朝廷と不和だったのが融和したとか、意のままにならない朝廷がペコペコしだし
たとか、支配権の及んでいない遠国の大名を参加させたとか、参加させようとしたとか、
そういう事実があれば祭り以上の成果があったといえるが、特に思い当たらないので「祭り」
と表現しました。政治的パフォーマンス(今なら、ガソリン値下げ隊)意図までは否定する
趣旨ではありません。




127:人間七七四年
08/06/26 06:05:10 g/6ZwOlv
信長ってなんで手元に十分な兵力を残しとかんかったんじゃろ。

128:人間七七四年
08/06/26 07:29:30 EDgCd3Ax
陸奥虎彦がいたから

129:冬広
08/06/26 10:16:52 QdOuaZD7
>>121
>信長側から見るとある意味メッセージとも言っていいぐらいに思うのだけど。
天皇譲位のこと?もともと譲位は天皇が望んだんだよ。
また、桐野・堀氏の見解では馬揃え=左義長ー爆竹、のこと。
爆竹をやめたのは、前年に親王の生母が亡くなったことに信長が配慮して祭り
を簡素化したからっていう、氏の見解に賛成したい。
メッセージの内容は権力誇示というより、喪で沈滞している天皇家を楽しませたと
いうのが近いと思う。
蘭奢待切り取りは権力誇示ってのは同意。

130:人間七七四年
08/06/26 10:50:55 L8e7nbkC
信長は皇室や公家との交流を相当楽しんでいるよな。
上流階級のサロンに受け入れられて大喜びしている新興ブルジョアジーって感じだ。

131:人間七七四年
08/06/26 10:52:24 tzICar30

少なくとも、一族以外の為に光秀が変を起こした事はまず、なかろうと思う。


132:人間七七四年
08/06/26 13:36:23 z3EfWzGu
>>129
天皇譲位を天皇側が望んだ、のは事実のようですが、それは1581の馬そろえの後の話ですよね。
父親の信秀は内裏修理の時にどえりゃぁ金額を納入します、しかし義昭を奉じて信長が最初の上洛をした時に信長は天皇側と
接触をあまりしません。このあたりから天皇側は信長を異質な存在、よ〜わからんでおじゃる、と思っていたでしょう。
で、1573ぐらいに信長から最初に天皇に譲位を提案、天皇もいったんは快諾はします。
このあたりは、「お金は出すなも」「お気持ちは受け取っておくでおじゃる」と最初のジャブ、かけひきであったでしょう。

その後は講和の仲介とかいろいろあったわけですが、信長が無官であったこと、強大な力をつけたこと、安土城を作ったこと
そしてなんといっても誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、などから天皇側がやっぱり信長に脅威を感じていたように思います。
そのギリギリの駆け引きが1581の、自分から譲位を言い出した、ことだと思うのですよね。
「本当にお金をだしてくれるでおじゃるか」と。これはつまり、主と臣の確認というか、かなり天皇側もせっぱつまった状態だったと
思います。

ちなみに馬そろえで天皇が喜んだ、というのも、圧力におびえてたり弱みをみせないための、まさにギリギリのかけひきであった、
そのように思えてしまうのですよね。
史料には友好的に解釈できるようにもあるわけですが、それをそのまま受け取るのは少し危険な感じもします。

このあたりは室町以来の大名、武家、と天皇とのやりとり駆け引きそういうのから判断したりするとわかりやすいですよね。
なんといっても、義満、という前例があるわけですから。

133:人間七七四年
08/06/26 13:47:38 L8e7nbkC
>>132
そう言う歴史解釈を「我田引水」と呼ぶ。
自分の考えに沿って資料を解釈しようとすれば、もうどんな解釈だって出来るわけで。

134:人間七七四年
08/06/26 14:04:04 z3EfWzGu
>>133
自分の考えなんて恐れ多いことはなくて、いろんな研究者の本なんか見ていてわからない点があるので、
詳しい方にいろいろお聞きしたいだけですよ。
特にここ10年ぐらいの本や説はあまり知らないので、最新研究なんかがどうなっているか、ぜひ知りたいわけで。
決して、自分が正しい、と主張しているわけではないので、間違っている点なんかはどしどし指摘してほしいです。
年号や誤字に関してはご容赦を。

135:人間七七四年
08/06/26 14:19:40 CD2APO94
私は逆に天皇及び皇太子が公家以外の権力者にこれほど親密な関係を
持ったのは後にも先にも信長ただ一人と見ていますが
豊臣から徳川時代を経て明治に入り天皇家は初めて織田信長を弔った事実があります
色々な見解があるのでしょうけど豊臣徳川の世で何か理由があり弔う事が出来なかった
単純に織田以外の権力者の世では無理と言う話もありますが天皇家は弔える機会を待っていた
に違い無いと思います
ぶっ潰そうと考えていた野心家を祭る事はありえない←これが言いたいだけね

136:人間七七四年
08/06/26 14:26:05 pEGeW2yU
>>132
信長と朝廷は、上洛前から接触持ってるよ。
特に美濃を征服した直後の通称「決勝綸旨」こそが、信長に上洛を促したという
見方もあるほど。

上洛戦のときも入京前に朝廷と使者をやりとりしたり、その後も内裏の建造や朝廷
財政の再建に自ら関わったりと、明らかに将軍と別に直接朝廷と結びついている。

137:人間七七四年
08/06/26 14:33:40 z3EfWzGu
>>135
井沢流に言うと、怨霊鎮魂のため、つまり朝廷黒幕説、になってしまうわけですね。
と、これは冗談ですが、信長が何を考えていたかもはや歴史の謎でして、本当に天皇家をぶっつぶそうと
していたのか、これはともかく野心家であったことは間違いないでしょうね。

入鹿、高、義満、信長、と天皇に匹敵する強大な権力をもったのは、ぎりぎりのところで
みんな殺され又は死んでてますよね。
半村良の「ネがでた」とはまさに言いえて妙、ってとこですが不思議なものです。


138:人間七七四年
08/06/26 14:49:05 z3EfWzGu
>>136
どもです。ちょっと書き方が未熟で申し訳ない。
朝廷と接触していたのは知ってますが、上洛時に天皇には謁見してませんよね。
もし、天皇側から上洛を促すようなら当然謁見の機会はあったでしょう。
にもかかわらずそうしなかった理由がわからなくて。
単に「よくわからんでおじゃる」なんですよね。

上洛してしばらく、公家さんたちが信長の下にみやげを持ってワラワラやってきます。
その時に信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってるフシはありますよね。
義昭から見たら「主役はわしじゃ」と不快だったでしょう。
このあたりまでの信長は朝廷と将軍家の良いパトロンであったでしょうが、このあたりから
さらに上を見始めたというか視界が広がったというか。
決して天下を狙ったという意味だけではなく、地方の成り上がり大名がいい気分になっとる、
そんな人間くささを感じるのですよね。

139:人間七七四年
08/06/26 15:33:24 LkUTuIv1
だから、変には朝廷関係
ないから!

変について語ろうよ。

140:人間七七四年
08/06/26 15:49:11 aTo34+Km
「変には朝廷関係ない」ということを証明するためにも、
当時の朝廷の問題を語るのは問題ないと思うけど。

他に語りたい話題があるのなら、自分で話題を提起して議論を誘導すればいいよ。

141:人間七七四年
08/06/26 16:00:06 L8e7nbkC
光秀の立場に立って見ると、反乱の「成功」は畿内の軍事的空白状態から言ってある程度見通せたと思うのだけど、
一歩進めて反乱の「成立」、つまり信長を倒すことはあくまで手段であり、信長権力の崩壊後、自分を中心とした
体制(天下政権にせよ割拠政権にせよ)を作り上げることが目的だったはずなのだが、光秀はそれに関しては
どういう見通しを持ってやっていたのだろう?「それを提示する暇も無く滅んだ」と言われるとそうなのかもしれないが
光秀の反乱は、どうもそのあたりが見えにくい。

142:人間七七四年
08/06/26 16:23:09 KhO54fGh
そういう見通し、事前準備がみあたらないことが、突発的犯行、の根拠になってるのでしょうね。
ただ、結果を知ってるからそう言える訳で、光秀からみたらやっぱり回りは猿や野蛮人やアホ息子にお坊ちゃん2代目、
こんなだったら自分が中央は押さえられると普通に考えていたのでしょう。
四国とはうまく行ってるし、毛利とは講和を結ぶだけ。
自分が将軍になれないまでも割拠政権の中央を押さえているというのは大きい、そのぐらいまでは思って
いたのじゃないのかな。

ただあまりに回りをナメすぎというか、実質上何も考えてなかった、のは事実ですけど、10日ちょっと
で猿にやられるとはびっくりしたでしょうね。
「是非におよばず」は光秀にも似合うなも。

143:人間七七四年
08/06/26 16:42:00 KhO54fGh
>>130
連続で悪いけど、そういう大喜びしてるなんとか、というのには大賛成ですね。
新興ブルなんてもんじゃなくて、もっとロコツに、味噌カツで一発当てて東京進出した社長が銀座で
チヤホヤされて舞い上がってる、そんな風に思えますよ。
なんだけど、だんだん自分がカモにされてることがわかってきて、ちゃんとそれに気づく
このあたりは単なる田舎もんじゃないとこですよね。

右大臣をやめた、というのも、東京銀座商店街の副会長に任命されたんだけど、「バカにされとるだけじゃにゃぁか」と
気づいて「こんなんやめたるがや」ってね。
そうしてみると信長と朝廷の緊張状態とは案外情けないレベルだな。

自分が名古屋だもんで、東京行って「言葉が変」なんていっつも言われるから、よ〜くわかるんだ。

144:人間七七四年
08/06/26 17:04:56 aTo34+Km
>>143
勝手にお前如きと重ねあわされて共感されても、信長も迷惑だろうなw

145:冬広
08/06/26 17:37:53 QdOuaZD7
>>139
>だから、変には朝廷関係ないから!
京都馬揃えについてあと一言いわせて。
本来、左義長とは小正月に行われる伝統行事で、内容は今日の「とんど焼き」と同じ。
しかし、信長は左義長を独自にアレンジした。
「信長流左義長」とは、陣列を組んだ馬で行進し爆竹で囃し立て、馬を走らせるというもの。
「信長公記」で「爆竹」の表記に「さぎっちゃう」とカナをふっていることで、それは証明さ
れる。(以上、宮本説より引用)
換言すれば、信長流左義長(とんど焼き)とは馬揃え+爆竹、をいう。
あとは>>129でカキコした通りだが、京都馬揃えが今日の軍事パレードを想起されるのか、朝廷
を威圧したとかいう論者がいるが、かかる解釈は馬揃えの外形に拘泥し、馬揃えが信長流とんど
焼き(の一部)っていう本質を看過したものであるというのが、私の見解です。

>>141
>光秀はそれに関しては どういう見通しを持ってやっていたのだろう?
>>5でも指摘されていたが、細川親子あての文書では「50〜100日で近国を平定できる」
といっている。近国とはおそらく近畿・美濃あたりを指すと思われるが、明智自身は
かつての三好氏・細川管領家のような「天下」を望んでいたのかも知れない。
もしそれ以上の領地拡張を望んでいるなら、同文書で「息子にあとを委ねたい」なんて
呑気なことはいえないと思う。
なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、根拠としては薄弱
かも知れんが。

146:人間七七四年
08/06/26 17:41:30 L8e7nbkC
>>145
> なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、

立花氏の資料の読み込みは全く信用できない。

147:冬広
08/06/26 17:54:53 QdOuaZD7
>>146
禿同!あの本なら、八切本のほうが夢があっていいな。
でも、女史は光秀の花押の年次比定研究ではいい仕事やってたんじゃね?

148:人間七七四年
08/06/26 18:12:33 pEGeW2yU
>>138
上洛時に謁見の機会ならあった、以上。

>信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってる
何でこれが舞い上がってることになるのか判らん。

149:人間七七四年
08/06/26 20:26:40 a58o/NXS
余りにも羽柴秀吉が早く帰ってきたのが、最大の明智光秀の誤算だったと思う。
すぐ側に四国遠征軍がいるじゃないか、という指摘が散々されているが、トップは神戸信孝で、独立した1万以上の軍勢を率いたことはない。
補佐役として、丹羽長秀、津田信澄、蜂屋頼隆が付いているが、皆、独立して軍勢を率いた経験は無かった。
私が調べた限り、1万以上の軍勢を独立して率いたことのある本能寺の変の当時の織田家の家臣は、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀位。
そして、津田信澄は自らの娘婿である以上、神戸信孝らに敵視され、自らに味方せざるをえなくなる以上、四国遠征軍は分裂必至と読むのはおかしくない。
そして、軍勢を率いる能力は、自分の方が上である以上、自分が勝つと考えるのは、明智光秀の立場に立てば、そうおかしくない。
羽柴秀吉は信長に援兵を求める苦境にある、柴田勝家も上杉が足止めするし、すぐには戻ってこれない。
そうなると、四国遠征軍を打ち破れば、筒井、細川も嫌でも自分に味方する、と明智光秀は考えたのだろう。

結果として、羽柴秀吉が早く帰ってきて失敗したのは事実だが、純粋な野望説でも、そう無理なく成立する余地はあると思う。

私としては、四国政策破綻と自らの老いからくる将来の不安の方が大きいとは思うが。

150:人間七七四年
08/06/26 20:42:06 L8e7nbkC
津田信澄は敵通云々ではなく、信長の跡目争いの競争者になると見られて殺された、って説もあるな。

151:人間七七四年
08/06/26 21:12:27 Qfj0IZbT
だが純粋な野望説だと、何故信忠も油断無く殺害しなかったのかという疑問が残る。信長、信忠の二人を殺害しないと乗っ取りにならない。信忠が死んだのは偶然が大きい。

152:人間七七四年
08/06/26 21:15:28 LkUTuIv1
149
対毛利、秀吉は苦境にたってないが、基本的には野望+将来不安って所ですね。
俺も畿内掌握野望なら同調します。老いを気にしてって所は‥‥。

153:人間七七四年
08/06/26 21:38:34 /m/YOZuI
151
そこよ、そこ。全く同意。そこが野望説の難点。

用意周到さを画に描いた様な光秀らしからぬ所。

154:人間七七四年
08/06/26 21:40:47 L8e7nbkC
でも結果的に、大物で逃したのは家康くらいで光秀大成功。

155:人間七七四年
08/06/26 21:51:27 LkUTuIv1
光秀よりの考え方したら、信忠の情報把握してたかもね。

156:人間七七四年
08/06/26 21:52:41 4k7Vhr0p
149だが、追加。
信忠は、当時、京都にいた。
光秀としては、ほぼ同時に二人を襲えるように計画していたのだろうが、夜間行軍による軍勢の乱れから、時差が生じ、信忠は逃げようと思えば逃げられる状況になってしまったのだと思う。
当時は、伝令を走らせるしか、戦場での通信手段はなく、事前の計画と手筈が狂うのはよくあること。
信長の生涯を概観しただけでも、金ヶ崎の退き口等、信長が危うく命を落としそうになったことはある。

谷口説だと、光秀は67歳、通説でも55歳、今ならともかく、当時としては、そろそろ隠居してもおかしくない。
若いころなら、また別のところに仕官して、とか楽観できるが、老齢の身で、佐久間のように追放されては、下手をすると野垂れ死にしかねない。
四国政策で失敗した、佐久間のように追放され、貧窮の末死ぬかもしれない、それならいっそ、大ばくちを打ってやる、と光秀は考えたのだと思う。

157:人間七七四年
08/06/26 21:54:33 Qfj0IZbT
信忠が妙覚寺から二条御所に場所を移せるって時点で光秀の大失態。それが事実。

158:人間七七四年
08/06/26 22:11:16 L8e7nbkC
>>157
妙覚寺から二条御所って同じ洛中の中のたいした事の無い距離の移動が、そんな重要かねえ?

159:人間七七四年
08/06/26 22:14:54 Qfj0IZbT
>>158
重要。信忠側があの光秀なら検問もぬかりなかろうと勝手に勘違いして討ち死に覚悟しただけで、逃げようと思えば有楽みたいになんぼでも逃げれた。

160:人間七七四年
08/06/26 22:14:59 aTo34+Km
最低限信長だけでも殺しとけば、なんとかなると思ったんじゃない?
信忠ごとき、信長さえ殺せばなんとかなると。
家督継いでるとはいえ、まだ信長あっての信忠なんだし。
逆にいえば、信忠は逃がしてでも、信長だけは確実に最優先に仕留める必要があったと。

161:人間七七四年
08/06/26 22:16:57 Qfj0IZbT
>>160
信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。

162:人間七七四年
08/06/26 22:27:52 L8e7nbkC
>>161
> 信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。

織田家中の内実を嫌ってほど知っている光秀がもし、「信忠はどうでもいい」、と考えていたとすれば、
それは現代の我々の信忠に対する認識を大きく変えないといけないな。

信忠が逃げても、信忠では織田家はまとまらない。との認識があったのかも知れないぞ。

163:人間七七四年
08/06/26 22:28:54 aTo34+Km
>>161
だからその「信忠を頭にして家中がまとまる」という根拠も無いよね。
信雄や信孝でもできなかったわけだし。
嫡子というだけで、隔絶した実力・声望があったのかな?
少なくとも、信長とはまだまだ格段に劣ってたとは思うけど。

164:人間七七四年
08/06/26 22:37:51 L8e7nbkC
信忠は武田攻めの時の突出などで、信長についている家臣団からは反感を持たれていたって事は
ある程度想像できるな。「お世継ぎが手柄立ててどーする気だよ」みたいな。
そこからはプラス方向にもマイナス方向にもいろいろ想像できるw

165:人間七七四年
08/06/26 22:38:12 /m/YOZuI
有楽等はなから眼中になかろうて。

信長殺しちゃえば、信忠なんてって発想は分からなくもないが、敵の嫡男は例え乳飲み子でも排する時代だからね。お市の嫡男がどうなったか知ってるでしょ。

166:秀吉
08/06/26 22:58:16 49XG5lKY
高松で遊んでる振りして、
ちょっと京でやっちゃった。

信長油断しすぎwww


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