テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド at OCCULT
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509:,
08/05/28 20:15:50 TD/3JVYb0



優生学に関する「大予言」

将来、人類が発達させることになるとシュタイナーが述べている「3つの能力」のうち、残り不
意辰は医療に関するものです。
そして、その一つ目は、優生学に関する能力です。
 優生学とは一般に、人間を含めた生物の遺伝的素質を改良する方法を研究する学問の事
を指しますが、ここでいう優生学とはそれとは少しニュアンスをことにするもので、シュタイナーはそれを、
「人間の生殖を単なる恣意や偶然から独立させること」(GA72)
と定義づけています。

【大予言25】人間は受胎と誕生を高度にコントロールすることになるだろう。」

東洋の人々の内部で、本能的に明確な知識が発達してくるでしょう。その知識は「人口の
法則が、どのようにしてある種の宇宙的な減少と平行して進行していくか」ということに
関するものとなるでしょう。つまり、人々は、ある星の位置と調和させることによって受
胎をコントロールし、そうすることによって、善良な人間をあるいはそうでない人間を地
上に誕生させるきっかけを作り出すようになるでしょう。アジア住人の民族の連続を、地の
連続を形成している人間だけが、「今日混沌としたまま、恣意的に地球上で作用している受
胎や誕生を、どうすれば個々の具体的な場合において、宇宙の大いなる法則と調和し得て
ながら作り出すことができるか」ということを洞察する能力を獲得できるのです。ここで
は抽象的な法則は役に立ちません。ここで獲得されるのは具体的な能力です。その能力は
個々の場合において、「いまは受胎してもよい」とか「いまは受胎してはならない」という
ことを知るようになるのです。
                           (GA186  72〜73)

510:,
08/05/28 20:18:03 TD/3JVYb0

有史以来人類は長い間、受胎と出産に関してはすべて自然のままにまかしてきました。子
供がいつ胎内に宿るか、いつ誕生するのかと言ったことはすべて、人間の力を超えた領域
に属する事柄とされてきたのです。また、生まれてくる子供が男か女か、勉強が得意かスポ
ーツが得意かいったこともすべて、人類は偶然の手にゆだねてきました。
 ところがシュタイナーは、将来人類は受胎と出産にかかわる事柄までも居のままに操作する能
力を身に付けるようになるだろう、と述べているのです。1920年前後にどれほど医学
がまだ未発達であったかを考慮に入れるなら、その当時シュタイナーからこうした説を聞かされ
た人々は、さぞかし呆気に取られたことでしょう。
 しかし、その当時から4分の3世紀を経た現在、医学の分野ではどのようなことが行わ
れているのでしょうか?
 そこではすでに、遺伝や染色体を操作することによって男女を産み分けたり、遺伝的な
病気を克服したりする試みが行われています。また、薬物を用いて排卵や出産の時期をコント
ロールすることも、多くの病院で実行に移されるまでになりました。
一見荒唐無稽に移った―特に今世紀初めの人々にとっては、そうだったにちがいありま
せん―シュタイナーの予測は、当時から70有余年たった現在、ようやくその的確性を確認で
きることとなったわけです。なぜなら人類はすでに「いかにして自分の望むとおりの子孫
をこの世に生み出すか」と言う方法を探究し、相したテクノロジーの一部を実行しはじめ
ているからです前掲のシュタイナーの予言において注目すべきことは、星の位置と言う宇宙的な事象と人間の受
胎あるいは誕生との関連について述べている、と言う点です。太古の昔にバビロニアや昔の
人々は、天界の事象と人間の運命の間には密接な繋がりがあると信じていました。
 当時の占星術は―占星学と呼ぶべき―学問であり、星の位置や運行に関して正確な
知識を必要としたとこから、今日の天文学の基礎が生まれました。



511:,
08/05/28 20:19:36 TD/3JVYb0

 ところが、近代になって自然科学が発達するとともに、占星術は迷信として退けられる
ようになりました。そして、天体を人間から切り離して研究する天文学のみが学問として
認められるようになりました。というのも、天体の運行と人間の運命の結びつきに関して
は、今日の自然科学のように物質的因果律のみによって証明することは困難だったからで
す。ところが今世紀に入ると、科学者の側からも従来退けられてきた占星術的な諸現象を
研究しようとする動きが現れるようになりました。なかでも代表的なものは、C・G・ユング
とW・パウリが共同で行った研究です。(自然現象と心の構造)。アジアの人々が、シュタイナーの示
唆する

【大予言26】医療倫理は荒廃するだろう。

 優生学や医学上の問題を考える場合には、倫理上の問題を避けることはできません。体
外受精・遺伝子操作・臓器移植などの医療行為の倫理性を巡って、様々な論議がなされて
います。
 しかし、医学の領域においてもテクノロジーの進歩はあまりにも急速です。それにたいして人
間のモラルの進歩はとてもゆっくりとしたものです。今のままで推移するなら、いつ何時
恐るべき事態が発生するかもしれません。いや、すでに恐るべき事態は幾つも起きている
のです。
 心臓移植は1970年代にはすでに実地されています。しかし、現在では中止されてい
るようです。
 なぜでしょうか?
 移植手術を施した結果、患者の自我に変化を来たし、自我は別人のそれのようになって
しまったのです。
 かねてシュタイナーはこう警告していました。すなわち、
「心臓はポンプではない。人間の臓器はオートバイの部品のように扱ってはならない」と。
ような能力をいつ獲得するのかはわかりませんが、すでに私たちは彼の示唆する方
向に向かって歩み始めていると言うことができるようです。

512:、
08/05/28 20:20:58 TD/3JVYb0

 人間を徹底して機能的にとらえる現代医学の外科手術は、予想もしない結果を引き起こ
しました。つまり、機能的にはとらえることの決してできない精神と言う領域に、述語の
変化が現れたのです。これは明らかに機能的・物質的因果関係では説明することのできな
い結果です。
 しかし、こう述べたからと言って、決して現代医学を一面的に非難したりするつもりは
ありません。ただ、私たちが現在置かれている現実について、正確に述べようとしている
に過ぎません。
 医学の新たな挑戦は今後も盛んに続けられるでしょうし、そのたびに私たちの倫理観は
大きく揺さぶられることでしょう。
 シュタイナーもアジア陣が獲得するであろう優生学上の能力の前提として、
「そのためにはまず、人類が道徳的に成熟することが不可欠になるでしょう」
                          (GA173  215)
 と、述べています。
 さらにシュタイナーは、この能力はロシアかアジアの周辺地域で開発されるだろう、と予測していま
す。これはヨーロッパから見た極東地域つまり中国あたりを指している可能性がありますが、
もしかすると日本のことかもしれません。



医学に関する「大予言」

将来人間が獲得することになるとシュタイナーが予測した3つめの能力も、医療に関するものです。

【大予言27】神秘的な衛生学が発達し、人々は外面的な医学を必要としなくなるだろう。


513:,
08/05/28 20:21:56 TD/3JVYb0

この能力は、「誕生から死まで続く人間の人生が病気のプロセスとまったく同一のプロセスにした
がって信仰する」と言う洞察によって成熟します。病気のプロセスは、誕生から死まで続く通
常のノーマルな生のプロセスが特別に過激に変形したものに過ぎません。私たちは自分の中に、病
気を起こす力だけではなく、健康を作り出す力をも備えているのです。―中略―未来
において、物質主義的な医学はその基盤を失うことになるでしょう。なぜなら神秘的な衛
生学の能力が発達する瞬間に、人々は外面的な物質的医学を必要としなくなるからです。
そのためカルマ的な原因によって発生する病気以外の非伝染性の病気は、心理的な方法で予防
的に取り扱うことが可能となるでしょう。この点において、すべては変化するでしょう。
現在のところ単なる夢物語のように思われるとしても、このことは非常に近い将来に実現
することになるでしょう。
                          (GA186 174〜175)

人間有機体を一種の機械のようなものと見なす医学は、このころ目覚しい発展を遂げつつ
ありました。
 日本からも北里柴三郎(1852〜1931)などの優秀な医師が渡欧し、最新の医療
知識や技術を熱心に急襲しようとしていました。
 そうした時代に、ルドルフ・シュタイナーが時代に真っ向から逆らうようなこうした見解を述べて
いたと言うことを、私たちは深く記憶しておくべきかもしれません。


514:,
08/05/28 20:23:59 TD/3JVYb0
「神秘的な衛生学」などといわれると、どこかうさんくさいように思われる方もおられる
かもしれませんが、それはことばにこだわるからで、ここでも私たちはシュタイナー以後の医学
がどのような傾向を帯びたか、それを事実を持って検証する必要があるでしょう。
 まず第一に挙げられるのは、フロイトとユングの登場です。二人は活躍した地域(オーストリアとスイス)
も年代(19世紀末〜20世紀初め)も、ルドルフ・シュタイナーとほぼ同じです。二人は協力して
フロイトが創始した精神分析学の発展に努め―後に袂を分かちましたが―、心理学の発展
の基礎をすえました。

フロイト オーストリアの心理学者・精神医学者。人間の心理生活を、下意識または潜在意識の領域
内に抑圧された性欲衝動(リビドー)の働きに帰し、心理解明の手段として精神分析の立場
を創始。1856〜1939.

ユング スイスの心理学者・精神医学者。ブロイラーに協力、連想検査をつくり、また、性格を外向
型・内向型に分類。フロイトの考えに共鳴し、精神分析運動の指導者となったが、後にフロイトと
別れた。1975〜1961 
                      』
2人が当時の医学会に与えた衝撃と影響はおおきなものでした人間の病気を物質的因果関
係の枠内で考える立場は、心理や意識・無意識を研究することによって、微妙な変化をき
たしはじめました。
子供が腹痛を起こしたときには、
「何か悪者を食べたのだろう」
とか、
「朝食を食べ過ぎたのだろう」
などと外的な原因を探すだけでは不十分であり、場合によっては原因は、まったく内的―
―心理的なものであるかもしれないのです。すなわち、
「学校に行きたくない」
とか「親の注意を自分にひきつけたい」
という子供の心理的な要因も研究する必要があります。
こうして精神分析や心理学は、臨床医学にも頻繁に応用されるようになって行きました。
 バーニー・S・シーゲルはこのような分野の研究者の一人ですが、がんのような病気の場合です
ら、その背後に罪悪感や愛の欠如と言った心理的な要因が潜んでいる可能性がある、と述べています。


515:,
08/05/28 20:26:07 TD/3JVYb0

「自分のせいで病気になったと考えて罪悪感を持ったり、病気を治すことができないと敗
北感を感じたりする人は、体の治癒システムにマイナスのイメージを送っていることになる。こう
した罪悪感や敗北感は、捨てなければならない。そうすれば、生まれつき体に備わってい
る治癒能力は、否定的メッセージに邪魔されることなく、存分にその力を発揮できるだろう」
シーゲルは、これからの医学は単に物質としての肉体を治療することを目指すだけではなく、
「人間は心と身体が一つに結びついた存在である」
という考え方のもとに患者の自然治癒力を引き出すことを同時に考慮しなくてはならない、
と主張しています。

『個人のライフ・スタイルや感情が健康に影響すると言う考えは、百年前には当然のこととして受
け入れられていた。今日では、感情が身体に化学的な変化を起こすことが明らかにされな
い限り、感情に生理的影響があるとは認められない。だが幸いなことに、現代の科学によ
って、そうした変化が実際に起こっていることが証明できるようになった。生理学者の研
究により、愛が身体に与える影響は測定できることがわかっている。愛情を与えられない
赤ん坊は骨の発達が送れ、志望することもあるのに対し、体をなでてもらった赤ん坊は成
長が早いのだ。
―中略―
医学はもはや、説明のつかないものを奇跡として片付けるだけの、機械的な学問にとどま
ってはいけないと思う。治癒のプロセスについて再び勉強を始め、これに対してこれまでの医
学とは違うアプローチをするときがきている。病気と死ではなく、健康と生へ目を向ける
のだ。
 医学の理論と実践においてこのような転換を行わない限り、発展は望めない」
(シーゲル博士の心の健康法)


516:,
08/05/28 20:27:38 TD/3JVYb0
ルドルフシュタイナーがどのような意味を込めて「神秘的な衛生学」といったのかをすべてあきらか
にするのはとても困難なことですが、ここではさしあたり、
「心=外的な医学ではとらえられないもの=神秘的」と理解しておくだけで十分でしょう。
そうすれば、あのシュタイナーの見通しが荒唐無稽なものではまったくなく、それどころか大変
な先見性をもつものであったことが、誰の目にも明らかとなることでしょう。
ルドルフ・シュタイナーは、さらにこう述べています。

【大予言28】第3に、人間はさほど遠くない未来において、病気と健康についてのあら
ゆる考えかたが変革されるのに気づくようになるだろう。
医学は、精神の中でとらえることができるものによって浸透されるようになるだろう。な
ぜなら人間は、まさに病気を精神的な原因の結果として認識することを学ぶようになるからだ。
                             (GA173 215)

ここまでくれば、もはやシュタイナーの見通しの確かさを疑える人は居ないでしょう。二十世紀
の医学の進歩の大きな潮流の一つは、まさに「病気を精神的な原因の結果として認識する
ことを学ぶ」過程そのものであったからです。
「物質的な医学はその基礎を失うことになる」という表現はいささか強すぎるような気も
しますが、医学の基礎が外的―物質的な認識から内的―精神的な認識へと変化してい
くことを指摘したものと考えれば、理解しやすくなるのではないでしょうか。
 シュタイナーはこのような衛生学の能力は「ライン川から東アジアに至るまでの地域」で発達するだ
ろう、と予測しています(GA186  75)。そうだとすると、これまで書いてきたこ
とを総合すれば、機械に関する能力を英語圏が、優生学に関する能力をアジアが、そして新
しい医学を中部ヨーロッパが担うことになります。


517:,
08/05/28 20:28:43 TD/3JVYb0


人類を破滅させるかもしれない「3つの能力」
人類が精神的に進歩しないままで「3つの能力」を濫用するならば、どんなことになるで
しょうか。
 ルドル・フシュタイナーは「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(GA182 138「天使と
人間」)と題された講演の中で、先に掲げた講演の調子とは一転して、これらの「3つの能
力」を人類を破滅させるかも知れぬ危険をはらんだものとして紹介しています。
こうした未来に暗い影を投げかけるものについて、できることなら考えたくはないという
のが偽らざるところですが、 いま をしっかり生きるためにも、シュタイナーの未来に向けた
警告に耳を貸すことも、あながち無駄ではないでしょう。
 まず、主として英語圏で発達すると言われる「機械に関する能力」については、どのよ
うな危険があるのでしょうか。

【大予言29】あらゆる技術は荒廃し、人間はそれを歓迎するだろう。

人間はある特定の力に精通するようになります。この力を用いて人間は、ほんのわずかな
きっかけによって、つまりある種の振動を調和させることによって、世界に多数の機械の
力を解き放つことができるようになるでしょう。まさにこのような方法で人間は、機械的
かつ力学的な存在をある精神的な方向に向けるすべを本能的に知ることになります。その
結果、あらゆる技術は荒廃するようになるでしょう。しかしながら人間のエゴイズムにとって、
この荒廃はむしろ非常に役立ち、歓迎すべきものとなるでしょう。
(天使と人間72)


518:,
08/05/28 20:30:57 TD/3JVYb0

「世界に多数の機械の力を解き放つ」というところまでは、すでに現実となっていると言
えるでしょう。それに続く言葉は、いささか奇妙な感じを受けますが、まさに戦慄すべき
ものではないでしょうか。
「機械的かつ力学的な存在をある精神的な方向に向ける」とは、何を意味するのでしょう
か?そもそも後半部分の表現はなぞめいていて、今のところ私たちにもはっきりした具体
的な解釈はありません。しかし、この言葉に秘められたもののニュアンスくらいは、誰でも感じ
取ることはできるでしょう。
「機械的かつ力学的な存在」とは、例えば原子力もその範疇に入るのではないでしょうか。
「ある精神的な方向に向ける」と言う言葉はまったく解釈が困難なのですが、後に「人間
のエゴイズム」と出てくることから判断して、あまりよいニュアンスを伝えるものとは思えま
せん。すぐに思い浮かぶことは、たとえば原子力の兵器利用です。現在の世界では、原子
力に限らず、あらゆる「機械的かつ力学的存在」の武器利用が計られています。そして、
それらは世界平和の維持と言う美名の下に維持されていますが、そこに一部の国家や支配
層の「ある精神的な方向=エゴイズム」が隠されていないとは、誰にも断言できません。
 また、こうした国家レヴェル・地球レベルの話でなくとも、例えば一部の企業がまさに利
益だけのために秘密裡にあるテクノロジーを開発し、人類を危機に陥れるようなことは部分的に
はすでに行われていることですし、今後そうした事態が拡大しないとは保証の限りではあ
りません。
近い将来、テクノロジーは私たちの想像力をはるかに超えて、ますます発展していくに違いあり
ません。 テクノロジーは諸刃の剣のようなものです。もしそれが善用されればその利益は無限に大きな
ものとなりうるでしょうが、もしあくようされればそれはわたしたちに破滅をもたらしま
す。私たちは、無限大の希望と無限大の不安のもとに生きることを強いられているのです。
人間精神はかつてなかったほど深刻な試練に見舞われているといっても、決して過言では
ないでしょう。
すべては私たち人間の心、精神にかかっているのです。

アジア辺縁地域で開発されるという「優生学に関する能力」に関して、起こりうる最悪の事
態とは一体どのようなものなのでしょうか。

519:,
08/05/28 20:32:34 TD/3JVYb0

【大予言30】有害で破滅的な性本能が現れ、社会生活に浸透するだろう。

すなわちこの場合、人類進化の内部で起こることに関して、「性生活と性の本質の中から本
能が、明るい目覚めたいしきの中で人類にとって有益な方法で生じるのではなく、むしろ
有害で破滅的な方法で現れることになるだろう」と言い表すことができるのです。本能は
単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形を
とるまでになるでしょう。性生活を通して地の中に現れてくるものによって、人間は他の
何者にもまして強い影響を受けます。そして地球に何らかの友愛の精神を展開する代わり
に、人類は友愛の精神を絶えず拒絶することになるでしょう。私がここでいう本能とは、
このようなものになるでしょう。

(天使と人間69〜70)

「性生活と性の本質の中から本能が、、、現れる」というシュタイナーの予言もやはり、解釈が困
難なものです。
しかし、私達はここで、何かをかすかに思い出さないでしょうか。
そう、70年代にアメリカ西海岸を中心として沸き起こったヒッピー運動(フラワー・チルドレン)です。
とりわけヒッピーたちが熱心に主張し実践したのは、フリー・セックスでした。


520:,
08/05/28 20:55:54 TD/3JVYb0

そして、フリー・セックスが「悟りに通じる」ものだとして、宗教的意味づけと許しを与えたのは、
「堕ちた神(グル)」と呼ばれたインド人バグワン・ラジニーシ(和名 和尚)です。ここで、バグワ
ンの問題に深く立ち入ることはしませんが、この教団の姿を詳しく知りたい方は『ラジニーシ・
堕ちたグル』をお読みになってください。
バグワンの教団は多国籍型のカルトで、インドのみならずアリゾナ・マウイなどに共同体をもち、我が国
にも少数ながら活発に活動しているグループがあります。
 まさに彼等の狂った教義は「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部でかたちを形を
とる」までに、この日本でもすでになっているのです。
 インドで近隣との摩擦を引き起こし、自己防衛と信者の囲い込みのために軍隊を造ったり、
アメリカで選挙運動に参加し有利に運ぶために細菌をばら撒いたり(最近ある地方新聞で報道
された)、信者にお布施を強要して莫大な富を築いたりと、信者獲得のために真の目的とラジ
ニーシの名前を隠して「セラピー」などの講座を全国各地で開く―オウム真理教の場合は「ヨガ」
ですが―など、この教団のすることはオウムそっくりなのです。おそらくオウムのほう
がラジニーシの手口を真似たのかもしれません。
 しかし、性本能が「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部で形をと」り、「有害で破
滅的な方法で現れ」ているのは、オウムやラジニーシのような極端で破滅的なカルト教団ばかりでは
ありません。
大都会の夜を彩る性を売り物とする様々な商業主義的施設もこれにあたるでしょう。
こうした堕落した性の文化の中で、多くの未来ある若者たちがそれと知らずに傷つき、人
生を台無しにしているのです。
「本能は単に混乱を引き起こすだけでなく」と、ルドルフ・シュタイナーは指摘しています。オウムが
こんなひどい「混乱を引き起こし」たかは、ここでわざわざ説明するまでもありません。
 いつまでも彼等の活動―カルトはオウムばかりとは限りません―を放置するならば、家庭
も、友情も、愛も、それどころか生命までも、永遠に奪われてしまいかねないのです。
 ルドルフ・シュタイナーの立場は、理想的にも信仰的にも、こうしたカルト的退廃文化を生み出した
ニューエイジ運動とはまったく無縁のものであり、断固としてそれらに反対するものです。

521:,
08/05/28 20:58:37 TD/3JVYb0

シュタイナーのことばの恐るべき予言性に、慄然たる思いを感じるのは私だけでしょうか?
 ところで、「性生活と性の本質」とはなんでしょうか?それだけでも大問題です。しかも
シュタイナーはこれとは別のところで、
「性の秘密は最高の神秘学に属することなので、いまはまだそれを明らかにすることはで
きない」
 と、いっています。
「最高の神秘学」などといわれると、いささか権威主義的な感じがするかもしれませんが、
決してそんなことはありません。例えば20世紀アメリカ文学を代表する文豪ヘンリー・ミラーの主要
な作品は、あくまでも文学的な表現方法によるものですが、性の世界と言う主題のあくな
き追求に貫かれています。
また、やはり現代アメリカ文学を代表する作家ノーマン・メイラーも、「性は小説家に残された最後の荒
野であり、フロンティアである」
と、書いています。
私たちはまだ、性についてほとんど何も知らないのです。
しかし、ここでもやはり、私たちは事実を追及することができます。
第一に考えられることは、受胎と誕生に関わるテクノロジーの問題です。人間が受胎と誕生を思
いのままに操作することが近未来において実現するであろうことはほとんど確実なのです
が、その結果人体にどんな影響が出るのかはよくわかりません。
 あるいはまたここで述べられていることは、エイズのような病気を予想していた可能性が
あります。「性生活を通して血の中に現れてくるもの」というシュタイナーの表現には、十分にそ
れを実感させるものがあります」。エイズは病気として出現してきましたが、それはまさに「社
会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形をとるまでに」なっています。シュタイナーが示
唆するものがエイズに決まっていると主張するつもりはまったくありませんが―というの
は、エイズ以外にも今後どんな病気が出現するのかは誰にもわかりませんから―すでにエイ
ズを知り体験してしまった私たちにとって、シュタイナーのこの言葉は思い響きを持つものでは
ないでしょうか。

522:,
08/05/28 21:01:23 TD/3JVYb0

 いずれにしても、シュタイナーは性および性生活と私たち人間のエゴイズムの関連を深くとらえ、
重要視しているようです。性の商業化や乱れた性関係などの底辺に、欲望と言う名のエゴイズ
ムが潜んでいることは否定しがたいことです。いまや私たち人類は、シュタイナーのこうした予言
を、事実を持って確認するだんかいにはいってしまったのではないでしょうか。それを認
めることはとてもつらいことですが、だからといってそれを否定したり無視したりするこ
とに何の意味があるのでしょうか。いまこそ事実を正面から見据え、それを意識化しなけ
ればならないのではないでしょうか。
 最後に、中部ヨーロッパの人々が担うことになるとシュタイナーが指摘している「第3の能力」に
ついて、検証してみることにしましょう。それは医療と衛生学に関するものです。先にも
紹介したように、シュタイナーはこの能力は主に中部ヨーロッパで発達するだろうと予測していまし
た。

【大予言31】薬や治療に関する本能的で危険な認識が生まれ、恐るべき損害をもたらすだろう。

 つまりこのとき、ある治療薬についての本能的な認識が生まれてくるわけですが、それ
は有害な認識なのです。医学に関することはすべて唯物論的な意味において、著しく促進
されることになるでしょう。人間はある種の物質や処置が備えている治癒力に関して本能
な洞察を身に付けますがそのためにまた恐るべき損害を引き起こすことになります。しか
し、人々はこの損害を、むしろ有益なものだと言い張ることでしょう。人々は病的なもの
を健康的だと考えたがることでしょう。というのも人間は、ある処置を施していると、し
だいにそれが気に入るようになってくるものだからです。人類を不健康な方向へと導いて
いくものが、単純に好まれるようになることでしょう。こうしてある事象や処置が備えて
いる治癒力に関する認識が高まるわけですが、このような認識は極めて危険な領域に足を

523:,
08/05/28 21:02:49 TD/3JVYb0
踏み入れることになります。というのも、人間は取り分け本能を通して、ある種の物質や
病気に対する処置が生み出す効果に関して、知識を得ることになるわけですが、この場合、
まったく利己的な動機にしたがって、病気を引き起こしたり、引き起こさなかったりする
ことができるようになるからです。
                      (天使と人間71〜72)
先に紹介したとおり、シュタイナーは、医学がこの先正しい方向に発達していくとしたら、それ
は現在のような物質主義的な医療のあり方を乗り越えたものとならなくてはならない、と
考えていました。すなわち、人間の心と病気の結びつきに関する深い洞察に基づいた医療
が、将来現れることになるだろう、と予測していいました。
 しかし、シュタイナーが想定していたことは、そうした楽観的な未来だけではありません。こ
こに掲げたようなまったく悲観的な事態も、ありうることとして考慮に入れたのです。未
来を単純に白と黒のように予想することはできないと言うのが、シュタイナーの教えです。未来
が悲観的なものとなるか楽観的なものとなるかは、わたしたち人間次第なのです。私たち
が人生を生きなければならない意味もそこにあります。
 したがって、ここでもシュタイナーは、人類が精神的に進歩することを怠ったまま、なおも現
在のような唯物論的な医療のあり方に固執し続けたらどうなるか、そうした事態を想定し
て述べているのです。治療効果を追求するあまり、人類は今以上に薬物や物質主義的な医
療技術―そこには当然ハイテクノロジーも含まれます―の開発に先進するだろう、だとするな
らば、その結果人類は「恐るべき損害」を被るだろう、とはっきり断定しています。


524:、
08/05/28 21:04:05 TD/3JVYb0

現在でもすでに大きな発展を遂げた先端医療や新薬は、めざましい治療効果をあげる反
面、さまざまな弊害をも引き起こしています。こうした現状を考慮に入れれば、シュタイナーの
予想はすでに実現してしまったと言っても過言ではないのかもしれません。新薬の投与や
臓器移植に伴う副作用の問題は、既に十分に深刻なものとなっています。しかし、医療者
にしてみれば、新薬や先端医療こそ最も効果的な治療方法なのです。
まさにシュタイナーの観察どおり、「人々は病的なものを健康的だと考えたがる」のです。

さて、こうした3つの事態が現実のものとなったら、いったいどうなるのでしょうか?

【大予言32】人間は性本能の逸脱を賛美し、醜いものを美しいとし、美しいものを醜いとするだろう。

ある種の事象や物質の治癒力に関する認識を本能的に拡大していくことに、人間は楽し
みを見出します。また人間は、道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚えます。
超人間的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこの
ような性本能の逸脱を賛美することでしょう。ある意味において醜いものが美しいとされ、
美しいものが醜いとされるのです。そして、人間はこのような事態について何も気がつき
ません。なぜなら、人間はすべてを自然の必然とみなすからです。しかし、それでは、人
類は人間自身の本質に命じられた道程から逸脱することになってしまいます。

                         (GA183 156〜157)



525:、
08/05/28 21:06:20 TD/3JVYb0

シュタイナーのこの警告は、まるで75年前に、現在のラジニーシやオウムなどの狂信者集団の登場を
予告しているとしか思えません。
「道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚える」
とか、
「超人的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこ
のような性本能の逸脱を賛美する」
という指摘は、そのままカルト教団の悪魔的な本質をみごとに見抜いているようです。ラジニ
ーシが「堕ちた神(グル)」と呼ばれることは、まことに的を得ているといえるでしょう。
 さらにシュタイナーは、人類はたとえ誤った道を歩むとしても、そのことにまったく気づかな
い、というのです。この指摘を理解するには、マインド・コントロールにかけられたオウムの幹部や信
者たちの状態を想起してみれば、よくわかるでしょう。
そして、事態が取り返しのつかないところまで悪化したとき、人類はようやく自分たちの
誤りに気づくのですが、これもやはり、警察に留置されて少しずつマインド・コントロールがほどけ、
ようやく人間の心を取り戻して供述を始めているとされるオウム幹部たちのことを考えてい
ただければ、よく理解できるはずです。しかし、シュタイナーはこうした問題について、決して
楽観してはいませんでした。

【大予言33】それは人類にとって極めて悲惨な目覚めになることだろう。
と、シュタイナーは述べています。
さて、このような取り返しのつかないような状況にまでたっした後に、人類はどうなるの
でしょうか?ふたたび正しい筋道へと戻る機会は与えられるのでしょうか。それとも人類
は自らなした行為によって、そのまま消滅するしかないのでしょうか?
 残念ながら、ルドルフ・シュタイナーはこの先のことについては何も語ろうとはしませんでした。

この部の前半で紹介したとおり、シュタイナーは、将来人類は機械・優生学・衛生学に関する3
つの能力を開発するだろうという予測を立てていました。そして、そのことが国際間の強
調を生み出すきっかけとなるだろう、という明るい見通しを明らかにしました。ところが、
相する一方で、人類の未来に対して、シュタイナーはこのように非常に暗い予言を語っていたの
です。いったい、シュタイナーのこうした矛盾した態度を、私たちはどう受止め、理解したらよ
いのでしょうか?

526:、
08/05/28 21:09:21 TD/3JVYb0

 結論から先に言えば、未来の帰趨はあきまでも人間次第ということです。そのいみで、
人間の行為や思考は決してむなしいものではないし、意味のないものでもないのです。現
在の人間の思考や行為の中から、未来は生まれてくるのです。
したがって、
「人類が精神的にも道徳的にも進歩を続けながら、確実な基盤の上に立って3つの能力の
開発に力を注ぐ」
と言う前提に立つならば、人類は明るい未来を迎えることができるでしょう。しかし、そ
れとは反対に、もし人類が精神的に向上しないままで、現状のように、3つの能力を性急
に、しかも物質主義的な方向のままで「開発しようとするならば、遠からず破局が訪れる
ことになるでしょう。

第二部 堕天使アーリマンの受肉は目前に迫っている。
第一章 シュタイナーの「大予言」はなぜこれほど当たるのか。

関東大震災を警告した寺田寅彦博士

第二次世界大戦前に寺田寅彦という人物がいました。寺田寅彦は自然科学者としても有名
でしたが、文学者としても、かの文豪夏目漱石の弟子として広く知られていました。その
寺田博士が大正11年の1月に、「断水の日」と題したエッセーを朝日新聞に発表しました。博
士はそのエッセーの中で、東京と言う都市が、地震のような天災に対してはまったく備えがで
きていないことに、次のように警告を発しています。

『私の頭の奥のほうで、現代文明の生んだあらゆる施設の保存期間が経過した後に起こる
べき種々な困難がぼんやり意識されていた。これは昔天が落ちて来はしないか心配した 
木己国の人の取り越し苦労とは違って、あまりに明白すぎるほど明白な有限な未来にきた
るべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合には年の水道やガスがだ
めになるというようなことは、初めから明らかにわかっているが、また不思議に皆がいつ
でも忘れている事実である」
                       (寺田寅彦随筆集第一巻)

527:,
08/05/28 21:11:20 TD/3JVYb0

寺田寅彦博士のこの不吉な予測が、はやくもその翌年には現実のものとなったのは、誰で
もよく知っている事実です。大正12年9月1日、帝都東京は関東大震災によって壊滅的
な打撃を被ったのです
それでは、なぜ寺田博士にとっては「やや大きな地震が」が、「明白すぎるほどに明白な有
限な未来に来るべき当然の事実」だと考えられたのでしょうか?
 それはまず第一に寺田博士が、大都市東京の構造上の弱点を、冷静な科学者の目で徹底
的に観察したからにほかなりません。『断水の日』を読むと、大正10年12月に東京でか
なり大きな地震が起こり、水道の溝渠が崩れる騒ぎがあったことがわかります。
そのとき、ほとんどの人は、水道が復旧するとともに、地震のことなどはすっかり忘れて
しまいました。
「のどもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺どおりに、人々が地震をけろりと忘れる様子を、
寺田博士は「不思議」だと評しています。
しかし、優れた科学者である博士の目には、さまざまな不安要素が映りました。
断水の日に、寺田家では電気のスイッチが壊れました。また銀座では煉瓦が破損しました。
こうした事実から、寺田博士は次のように考えました。

『水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品につ
いて、平生から不満に思っていたことを一度に思い出させられるような心持になってきた
―中略―水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し
根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、
そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、
誰も容認しないことになっていたのならば、恐らくそれほどのことはないと思われる。』

しかし、それでは寺田博士は、こうした防災に関する意識や対策のみで、不安を克服でき
ると考えたのでしょうか?
もちろん、防災に対する意識や対策がなんの役に立たないなどと考えるべきではありませ
ん。全力を尽くしてそうした対策に取り組むべきであることは、ここでわざわざ強調する
までもありません。それは、先進国の中でも特に対策が遅れていると言われているわが国
では、特に強調されるべきことです。


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