最悪の邪道外道の軍事を徹底的に追求するスレッド
at ARMY
606:、
07/07/28 11:24:30
スレリンク(uwasa板:46-86番)
ラッセルが中国を愛したのは中国人の示すこの寛容な怠惰のためであった(『怠惰礼讃』
(In Praise for Idleness and Other Essays, 1935)。この『怠惰礼讃』は、私が自分の
父親の書斎で見つけ、私がはじめて読んだラッセルの本であった。
中国から帰ってからラッセルはほとんどペンと講演のみで生活することになる。彼はアメリカに
講演旅行をする。アメリカについての彼の感想は「電話がうるさい」ということであった。
アメリカ人たちが浅薄で皮相なのは、講演だけで何でも知ったつもりになることからきているのだとも言った。
1926年、彼の『教育論』(On Education)が出版された。ラッセルは教育ということに
大きな関心を長い間一貫して寄せてきたが、この『教育論』は、主として幼年期のそれを取り扱った
ものであるが、その第2章「教育の目的」という1章は彼の人生観をきわめてきちんとまとめたものとして、
私はずいぶんと教えられた。彼は教育の理論に興味を持っただけではない。1927年には、新しい実験学校、
Beacon Hill School を妻といっしょにやりだした。(写真は、Beacon Hill School 食事の時間)それは子供の
自由を大幅に尊重する学校であった。そしてそれゆえに学校の生活は混乱し、結局、成功しなかった。
子供を完全に自由にさせておいたのでは教育はできない。だから、少なくとも、約束を守らせる、清潔にさせる、
他人の財産を尊重させる、安心感が得られるに足るだけの日課が必要だということ―彼は、後年、このように、
子供の自由を(ある程度)制限しなければ、教育はだめだと言っている。
1929年、『結婚と道徳』(Marriage and Morals)が出版された。彼はこの本の中で
きわめて大胆に性の自由を主張した。一夫一婦婚を強制することは、人間を不幸にする
ことにほかならないとも書いた。さらにまた、男も女も、性の経験なしに結婚するのはよくない
とも書いた。1930年代、彼は何冊も通俗的な書物(popular books)を書いた。『幸福論』
(The Conquest of Happiness, 1930)もその一つであり、その他、『科学的なものの見方』
(Scientific Outlook)、『宗教と科学』(Religion and Science, 1935)などがそれだ。
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