与謝野晶子の詩集を持っていただけで13歳の少女を半殺し!これが恐怖の治安維持法だ [803819328] at POVERTY
[2ch|▼Menu]
1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
17/06/16 20:09:22.91 HAfabaTc0.net BE:803819328-2BP(1000)

◯治安維持法を認め、反省も無い金田法相
法相の認識は治安維持法による犠牲に対し、あまりに無神経で無反省だと言えよう。
◯猛威をふるった治安維持法
治安維持法とは、1925年に制定されたもので、当初は共産党員の取締りにのみ使われるはずだった。
だが、適用の対象を一挙に拡大する改正案は1928年、議会で通すことができなかったため、
緊急勅令というかたちで強引にその強化が行われた。つまり、共産党系の団体のメンバーでなくとも、
そうした団体の「目的遂行のためにする行為」(目的遂行罪)を行ったとみなされた場合に、
処罰対象となるようになった。そのため、労働組合の活動、文化運動、弁護士の治安維持法被
告のための活動までもが「目的遂行罪」として処罰対象とされるようになった。
さらに宗教団体や農民団体、団体とすら言えないような集まりにまで、
その摘発対象が拡大していき、猛威を奮ったのだ。
◯治安維持法と恐るべき拷問、逮捕者は数十万人
治安維持法は、令状なしの逮捕、長期間の拘束、そして激しい拷問とセットであった。
その被害者として最も有名なのは、作家の小林多喜二だろう。共産党に入党していた小林は、
1933年2月、特高警察により拘束され、拷問の果てに殺されてしまった。その拷問がいかに凄まじかったか。
小林の遺体を引き取った小説家の江口渙の記録によれば、
・首や両手首に細い縄で縛り上げたとみられる痕が溝となって残っていた
・顔には複数の打撲傷、特に左こめかみに、強く殴られた痕
・下腹部から性器、太ももが赤黒く腫れ、大量の内出血
・両膝にはそれぞれ10数カ所、釘のようなものを刺した傷
などの凄まじい拷問の痕が小林氏の遺体に残されていたのだという。小林の事例は例外だったわけではなく、
当時の衆議院議員・山本宣治は1929年2月8日、議会において、次のように治安維持法で逮捕された人
々が以下のような拷問を受けたと発言している。
・鉛筆を指の間にはさむ
・三角型の柱の上に坐らせてその膝の上に石を置く
・足を縛って逆さまに天井からぶら下げて、顔の血液が逆流して気絶するまで放置
・竹刀での殴打
・生爪を剥がす
など。これらの残虐な拷問は、戦前の当時でも合法ではなかったが、
上記山本の議会での告発にもあるように、実際には激しい拷問が野放しになっていたのだ。
その後、治安維持法による逮捕や拷問はますますエスカレートしていき、
1943年には、13歳の少女が与謝野晶子の詩集『乱れ髪』を持っていただけで、
特高警察に捕まり、半殺しになるまで殴る蹴るの暴行を受けるということまで起きた。
与謝野の反戦歌「君死にたまふことなかれ」に線を引いていたことが、治安維持法に反するとみなされたのである。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)


レスを読む
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2557日前に更新/78 KB
担当:undef