"最底辺の家庭"で育った、40歳の配達員。毎日何を考えて生きているのか at NEWS
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21/01/25 04:32:08.68 SjhYx4a00●.net BE:976717553-2BP(2000)
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コロナ禍でもっとも注目されている業種の一つに「配達」を挙げることができるだろう。
 政府や自治体による「外出自粛」の要請もあり、客が減った飲食店が、続々フードデリバリー事業者と契約し始めている。それまで出前サービスを行ってこなかった店舗も、商品を顧客に届けるサービスと契約することで販路を開拓、少しでも収益を確保し、コロナ禍をなんとか生き延びようともがいているのだ。街の中を多くの配達員が行き交っている光景は、コロナ禍以降全国で見られるようにもなった。
 都内在住のフリーター・桂豊明さん(仮名・40才)は、そんな「サービス」の配達員の仕事によって生計を立てている一人。現在では、複数事業者の配達員として登録をしており、昨年の夏以降、丸一日休んだ日はないと話す。
「以前は倉庫で働く派遣社員で、昨年の4月以降は給与の出ない在宅勤務となり、6月に契約を切られました」
 桂さんは小学校、中学校時代にいじめに遭い、不登校になった。いや、原因はいじめだけではない。父親が病気で働けず家計は火の車、にも関わらず、毎日酒を飲んで母親を殴るような家庭で育ったことも影響している。劣悪な家庭環境に耐えられなくなった母親は、小さかった桂さんを置いて一人、家を出ていった。今も母の行方は分からない。残された働けない父と子供だけの暮らしは生活保護頼み、自分の家は「最底辺だ」と、小学校の低学年頃には意識していたという。
「給食が一番のご馳走で、給食が楽しみで学校に行っていました。でも、学年が上がるにつれて、僕は普通の人と同じように暮らしてはいけない、勉強する資格もないと思うようになりました。もらっていた生活保護は税金だと知り、申し訳ないと思ったからです」
「でも、いじめられるだけで済んだのは幸いでした。着ている服もよく見るとボロボロでしたし、みんないじめられているほうに気をとられて気づかず、最後まで貧乏は隠し通せたからです。高学年になる頃、クラスの女子から『なんか臭い』と言われて、もう隠せないと思い学校に行くのをやめました。生活保護者が多く暮らす九州のある市営住宅に暮らしており、家には風呂がなかったためでしょう。当時はどの家庭にもあった固定電話すら、わが家にはありませんでした」
(中略)
23才で会社を辞めると、地元のOAサービス会社に転職。工場にずっといても将来が見えないだろうと、パソコンに詳しい上司が職場を紹介してくれたのだ。希望に胸を膨らませた再スタートだったが、ここに思わぬ盲点があった。わずかに自信を取り戻した桂さんではあったが、他者とのコミュニケーションは、相変わらず取れなかったのである。
「転職先では、営業もしつつ、得意先のITコンサルも行わなければならず、まともに人と話せない私は、すぐに会社で浮いた存在になりました。パソコンを使った作業はできるのですが、指示がなければデスクから動けず冷や汗をかき固まっている」
 取り戻したはずのほんの少しの自信は消え去り、またしても「自己否定」に陥った桂さん。クビ同然で会社を辞めると、自室に舞い戻り、再び引きこもり生活が始まってしまった。


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