【サッカー】岡田武史氏「クレージーだった」W杯を戦う過酷な重圧「失敗すれば逃げて帰るところもない」 [久太郎★] at MNEWSPLUS
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1:久太郎 ★
22/10/04 12:03:04.09 CAP_USER9.net
<岡田武史論1>
 想像では計り知れない重圧がかかる自国のサッカー代表監督は「クレージージョブ(常軌を逸した仕事)」と言われる。日本代表の森保一監督(54)は、日本人指導者としては初めて、前回ワールドカップ(W杯)から丸4年を全うして本大会に出場する。日本で唯一2度のW杯指揮を誇る岡田武史元監督(66=日本サッカー協会副会長)が、約40年にわたって密着してきた日刊スポーツの歴代担当記者と「岡田武史論」を展開。四半世紀前の初出場からの挑戦回顧を通して、カタール大会(11月20日開幕)に挑む森保監督に全5回のエールを送った。
  ◇  ◇  ◇
 「岡田監督任せろ“W杯4強”」
 1997年(平9)11月18日付の日刊スポーツ1面の見出しである。
 岡田ジャパンは同16日にイランとのアジア第3代表決定戦を延長戦の末に制して、W杯初出場を決めた。日曜日の深夜にもかかわらず、試合を中継したフジテレビの平均視聴率は47・9%。列島は一夜にして祝福と歓喜に染まった。
 翌日の会見で岡田武史監督が言った。「ベスト4もいける。0・001%の可能性ですが」。サービス精神から出た冗談交じりのコメントだった。アジアの3番目で初めてのW杯。冷静に考えれば、あり得ないが、私はこの言葉に飛び付いた。一気に膨張した国民の期待感に、相応すると思ったからだ。今思うと、常軌を逸していた。
 アジア最終予選から国民もメディアも、異様なほど一喜一憂した。チームへの期待と批判と称賛が、まるでジェットコースターのように上下した。標的になったのが成績不振で解任された加茂周監督を引き継いだ岡田監督。当時を「クレージーだった」と振り返る。
 岡田氏 電話帳に電話番号を載せていたので、脅迫状や脅迫電話がいっぱいきた。家の前をパトカーが警戒していて、警察から子どもが危険だと言われて、かみさんが毎日、学校への送り迎えをした。世の中すべてを敵みたいに思っていたよね。
 日本だけが特別ではない。自国の代表チームを率いる監督の過酷さについて、あのフランス人の名将アーセン・ベンゲル氏も「クレージージョブ」と語っていたと岡田氏は話す。負ければ容赦のないバッシングにさらされるからだ。特にW杯を戦うプレッシャーは想像を絶するものだという。
 岡田氏 成功すればいいけど、失敗すると逃げて帰るところもない。その後もこの国にずっと住んで、サッカー界で付き合っていかなければならない。家族もいるしね。外国人監督と自国監督では立場がまるで違う。だから自分たちは勝って結果を出すしかない。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
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