【音楽】矢井田瞳、デタラメ英語だからハマった!大ヒット曲「my sweet darlin’」…大学4年の快挙 [湛然★] at MNEWSPLUS
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1:湛然 ★
22/08/08 05:33:44.75 CAP_USER9.net
矢井田瞳、デタラメ英語だからハマった!大ヒット曲「my sweet darlin’」…大学4年の快挙
8/7(日) 11:30 スポーツ報知
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誕生日当日に取材に応じ「かわいいプレゼント!」と花束を抱いて喜ぶ矢井田瞳(カメラ・堺 恒志)
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 シンガー・ソングライターの矢井田瞳(44)が、レーベル移籍してから初のアルバム「オールライト」を9月7日に発売する。代表曲「my sweet darlin’」(2000年)がヒットし、サビのフレーズから“ダリダリ旋風”を巻き起こした。歌手生活22年を振り返り、曲に関する秘話や、母になったことでの変化、今後の展望を語った。(増田 寛)
(※中略)
 4~7月には有観客で5年ぶりに弾き語りツアーを完走し、すっかりギターを担ぐ姿が板についているが、ギターを始めたのは関大生の19歳の時。歌手デビューの約2年前だった。
 「大学に入った時に、解放感がすごくて。当時は格好つけて授業をサボってた。その解放感の延長で、今までとは違う自分と出会いたかった。全く違うことに挑戦したかった。そんな理由で、触れたことのない弦楽器のギターを弾こうと思いました」
 初めて買ったのは、YAMAHAの1万2000円のアコースティックギター。当時は貧乏学生で1万円を握りしめて楽器屋に行った。
 「私が物欲しそうな目でギターを見ていたらしくて、店員のお兄さんが見かねて値引きしてくれた。割り引いてくれなければギターは買ってなかったかも。アーティスト・矢井田瞳は生まれなかったかもしれないですね」
 意外にも、小中高と楽器経験は小学生時代の習い事でのピアノ以外なかった。情熱のほとんどをスポーツに傾け、小学生の時は水泳、中高生の時はバレーボール部に所属していたという。
 「中学時代は“ムキムキバレー部”と言われるくらい、練習が厳しくて。あの当時、私の腹筋が割れていた。でも当時のスポ根魂がギターの練習で生かされた。『もう少し頑張ろう!』という持続力が、ギターの練習の挫折を乗り越えさせてくれました」
 弦楽器に幼少期から触れてはいなかったが、音楽は身近にあったという。父親が音楽好きで、70年代ポップス、洋楽、映画音楽など、日常的に音楽は家に流れていた。
 「自分で洋楽の歌詞カードを写して、英語が分からないから発音を調べてカタカナで書いて歌ったりした。あの時に歌うことの楽しさを知らなかったら、ギターの弾き語りはやっていなかったかも」
 特に影響を受けた洋楽は、米歌手のジョーン・オズボーン(60)の「Relish」(1995年)だったという。
 「それまではアコギって楽しいかも程度だったけど、この曲を聴いて、ベースやエフェクターの意義を考えた。ぶーんぶーんと鳴っている音が最初はベースの音と分からず、エレキギターのかすれた音の出し方もエフェクターを使うとは知らなかった。レコーディングや作る側に興味を持たせてくれました」
 「英語は得意ではないし、今もイマイチです」というが、矢井田の知名度を爆発的に広めた「my sweet darlin’」の歌詞のほとんどが英語だ。
 「曲を書く時に、デタラメ英語で下書きすることが多くて、今でも作曲や作詞でやる手法。英語は言いたいことが詰め込め、柔らかくなる。『my―』も最初はデタラメ英語で作ってた。ダリダリ~ンと鼻歌程度で口ずさんでいたら、ぴたっとマッチ。その名残でほぼ歌詞が英語になりました」
 “ダリダリ旋風”を巻き起こした時、矢井田は関大4年生。卒論にいそしむあまり、「全く旋風を起こしていたことが分からなかった」と笑うが、当時のヒットを「日本語でないからハマった」と分析する。
 「あの歌詞を日本語で歌うと、すごいカタコトになると思う。英語だから滑らかに音に乗って伝わった。1番のAメロにありますが、色と自分の気持ちを重ね合わせるのは、洋楽でよく出てくる技法。でも、自分にとっては自然なことだから、父の洋楽が無意識に効いているのかな」


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