【ラジオ】TAKUROが明かすGLAY結成エピソード「TERUはドラムだった」 [湛然★] at MNEWSPLUS
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1:湛然 ★
20/08/13 22:40:08.33 CAP_USER9.net
TAKUROが明かすGLAY結成エピソード「TERUはドラムだった」
8/13(木) 20:13 TOKYO FM+
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

GLAYのTAKUROさんが、8月12日(水)放送のTOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」にゲスト出演。パーソナリティのさかた校長、こもり教頭が、10代のころのエピソードやバンド結成の経緯などを聞きました。
さかた校長:このSCHOOL OF LOCK! は、10代の生徒(リスナー)がたくさん聴いてくれているんですけど、TAKURO先生が10代のころはどういう生徒でしたか?
TAKURO:いろいろ迷って迷って……悩み多き10代でしたね。印象的だったのは、通知表に『損得で計る人間になるな』って書かれたことがあって。俺に直接言うか?! って(笑)。
こもり教頭:(笑)。
TAKURO:先生は俺のことをそう見ていたのか! と。そこから「これではいかん」と、「人のために生きていける男に大人になろう」と思ったんです。その先生には感謝していますけどね。
さかた校長:それがターニングポイントになったんですね。音楽は10代から始められていたのですか?
TAKURO:やっていました。最初は曲が書けないので、日々の苛立ちとか感じたことをノートに……しかも、人のメロディを借りてやっていました。それが作詞の練習になっていたんですけど、15、16歳くらいでコードを覚えて曲が作れるようになりましたね。なので音楽とはいえ、言葉が先でしたね。
こもり教頭:前に聞いたことがあって……知っているメロディに歌詞を乗せるから、最初のうちは言葉が違うだけでまったくそのままになってしまったって。
TAKURO:そうですね。『泣き顔でスマイル すりきれてシャイン』はBOOWYの(「わがままジュリエット」の)歌詞なんですけど、最初は何を言っているのかわからなくて(笑)。でもこんなかっこいいのを書きたい! って思って、50回、100回書き直していたら、最初の憧れから気持ちだけが残って言葉は自分のものになったり。曲もそうですけどね。そうやってオリジナリティみたいなものを磨いていったのが、15、16くらいでしたね。
さかた校長:メンバーの皆さんとも10代で出会ったのですか?
TAKURO:そうですね。16歳くらいのころには曲がたまったんで、オリジナルをやるバンドを作ろうと思って幼馴染のTERUを誘ってGLAYの原形ができました。TERUは最初ドラムだったんですけど、後から歌がうまいということを知ったんです。それで「ドラムを探して来るからTERUはボーカルをやったほうがいいよ」と言って、ボーカルになりました。
さかた校長:最初は歌声に惚れて、とかじゃなかったんですね。
TAKURO:なかったですね。ドラムって人口が少ないんですよね。場所もとるしお金もかかるし、音もデカいってことで。でもTERUの部屋は、いくら音を出しても大丈夫な仕様になっていたので……(笑)。
こもり教頭:それは初耳です(笑)。
TAKURO:GLAYの中で、唯一のブルジョワだからね(笑)。彼の家だけはどれだけ音を出しても、ちゃんと夜食が出てくるしおやつも出てくるし(笑)。
さかた校長:じゃあ、たまり場みたいになっていたんですか?
TAKURO:そうですね。夜中に遊びに行って、10人くらいで雑魚寝していましたね。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


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