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1:靄々 ★
20/04/05 00:51:54 GKrJpkL69.net
志村けん逝去に思う。「PTAが日本一嫌ったタレント」は海を越えていた
URLリンク(2019.images.forbesjapan.media)
志村けんの訃報に接し、瞬時に蘇ったある女性の記憶━。彼女はザ・ドリフターズをこよなく愛するアメリカ人だった。
毎日新聞社でジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、英文毎日局長などを歴任後、「AFPBB News」編集顧問も務めたジャーナリストの伊藤延司氏にご寄稿いただいた。
志村けんを愛した「ゴーモンさん」
志村けんと聞くと、必ず浮かぶ顔がある。名前は確か「ゴーモン」さんだったと思う。
僕は昭和天皇が亡くなる直前の1988年10月から92年11月までほぼ4年間、毎日新聞社で英文局長をしていた。ゴーモンさんは、そのころ知り合ったアメリカ人女性だった。時代が昭和から平成に変わったころだから、30年以上も前の話である。
英文局は英字日刊紙の「マイニチ・デイリーニューズ」(現在は電子版)や、英語学習週刊紙の「マイニチ・ウィークリー」を発行する毎日新聞社内の独立事業体だが、1988年(昭和63年)9月に天皇崩御の社説予定稿を、フライングで誤掲載するという大失態を演じたり、数年前には「Wai Wai」というコラムの下品で下劣な記事が読者の袋叩きにあうなど、不名誉なイメージに
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