【プロレス】佐山サトルはタイガーマスクになることを断っていた at MNEWSPLUS
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1:砂漠のマスカレード ★
19/01/22 15:37:15.97 iRwwIF2k9.net
昭和の終わりに空前のプロレスブームを巻き起こしたのが、初代タイガーマスク(佐山サトル=61)だった。
戦後の力道山に始まるプロレスの隆盛は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両雄時代を経て、タイガーマスク人気で極まったといえる。
テレビ視聴率が毎回25%を超え、会場はどこも超満員。
アニメ「タイガーマスク」から抜け出したヒーローは、アニメを超え、社会現象となった。
タイガーマスク時代の話を佐山に聞くと「実は、タイガーになることに抵抗があって、断っていたんですよ」と意外な言葉が返ってきた。
75年7月に新日本プロレスに入門した佐山は、メキシコ修業を経て、英国でサミー・リーとして活躍。英国でも大人気で、ベルト挑戦を目前にしていた。
そんな佐山に、新日本から「もう1試合を決めたから。それを外すと、猪木の顔をつぶすことになる」と最後通告を受け帰国。
81年4月23日に、蔵前国技館でダイナマイト・キッドとタイガーマスクの試合が行われた。
4次元プロレス、4次元殺法と呼ばれたタイガーのプロレスは観客の度肝を抜き、これまでとは違う新しいスタイルとして、空前のブームを起こした。
試合会場や宿泊先のホテル、合宿所などタイガーの行き先はファンであふれた。
新日本は素顔がばれないよう徹底ガードした。
そんな騒動の中、佐山は「人気はすごかったですけど、素顔ではなくマスクをかぶっているので、それほど実感はなかったんですよ」と話す。
実際、師匠アントニオ猪木の付け人を務めていたこともあり、猪木と同行する際は素顔でガード役を務め、誰からも気付かれることがなかったという。
アントニオ猪木にあこがれて、新日本に入った佐山は、猪木が進める格闘技路線に傾倒していた。
道場では先輩の藤原喜明と総合格闘技まがいの練習を続けていた。実際猪木からは「お前は、格闘技路線の第1号にする」と約束されていた。
しかし、メキシコ修業、英国遠征と、プロレスでの才能が評価され、思いとは違うところで、ヒーローになってしまった。
「実際、26歳ぐらいでプロレスをやめて、20〜30年かけて新しい格闘技をつくっていこうという思いがあった。
ボクの中には(プロレスの)職人芸と格闘技の2つの自分がいたんです」。
見ただけで、ワザを自分のものとして使うことができる天性の運動能力。
メキシコのホテルで、マットレスをはがして床に置き、サイドテーブルから練習して習得したサマーソルト。「
猪木さんのすごいところが、ワザや動きがなくても勝負でお客さんを引きつけられるところ。それにワザが加わったのがタイガーマスク」と佐山は説明した。
タイガーマスクの活躍は、83年8月に、新日本に契約解除を通告し、引退を表明して突然、終わりを告げた。
アニメの原作者梶原一騎の逮捕による改名問題浮上と、会社経営陣との対立が原因だった。タイガーマスク時代の2年4カ月。通算成績は155勝1敗9分け。
【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
1/22(火) 10:00配信
URLリンク(www.youtube.com)
初代タイガーマスク 必殺技紹介
URLリンク(www.youtube.com)
初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッド 14m09s 320x240
URLリンク(momogd.net)
URLリンク(auctions.c.yimg.jp)
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
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行け!タイガーマスク by 新田洋
URLリンク(www.youtube.com)
タイガーマスク OP


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