【野球】Gキラー川崎憲次郎さん、地元・大分“釣り師”で“町おこし” at MNEWSPLUS
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1:あちゃこ ★
18/01/16 14:26:28.04 CAP_USER9.net
 かつて巨人キラーとして君臨した、元プロ野球ヤクルトのエース・川崎憲次郎さん(47)は、故郷・大分で“釣り師”になっていた。地元ケーブルテレビ局ではレギュラー番組を持ち、腕前を披露。地域の振興に一役買う一方、
自然と食に恵まれた大分の魅力を内外に発信するため“町おこ師”としても奔走している。4日に膵臓(すいぞう)がんで死去した星野仙一さん(享年70)との思い出を含めた自らの野球人生を振り返り、夢を語った。
 川崎さんが“釣り師”として出演を始めた番組名は「釣りガール養成講座」。故郷のケーブルテレビ佐伯で2015年にスタートし、何と九州の番組コンクールで優秀賞を受賞するほど好評を博した。現在は「川崎漁業組合」と
名前を変え、CSスポーツチャンネル「GAORA」で全国放送もされている。
 「最初は釣り好きの女性を増やして街を活性化させようと。魚をさばいて料理までやるから、花嫁修業にもなる。釣りは小さい頃からやっていたしね。海が近いので、刺し身が食べたかったら釣ってさばく。
晩飯を取りに海に行くって感覚。海が“天然のスーパー”だから(笑い)」
 月の半分を佐伯で過ごす。番組収録のほか野球教室、講演、イベントなどを行いながら「かぼす特命大使」として名産品PRにも協力。故郷の活性化を促す活動に関わっている。
 「佐伯市の人口は年間1000人ぐらいずつ減っているんです。温泉はないけど、山、海、川の自然があって食い物はうまい。魚が苦手な東京の人に地元の魚を食べさせたら『おいしい』と言ってくれて自信が持てました。
いいところを生かすために何かしようと」
 協力してくれる人が各界から集まり、“チーム憲次郎”を結成。アイデアを出し合いながら取り組んでいる。町おこしを思い立ったきっかけは何なのか。
 「プロ野球選手という小さい頃からの夢をかなえてしまったから、やめた時に何をしていいか分からなかったんです、正直。知らない人と話したりするのも苦手だったし。だから、何かを変えようとフェイスブックを始めたら、
いろんな人とつながって視野が広がった。僕も夢を持たなきゃ、と思った時に、自分の強みを考えたら、大分弁を話せることだった。じゃあ一度、自分の生まれ育った原点に戻ってみようと。それが一つのきっかけでした」
 88年のドラフト1位指名で巨人と競合の末、ヤクルトに入団。1年目の初勝利、初完封はいずれも巨人から。16年間での88勝中、3分の1の29勝が巨人からとキラーぶりが際立った。
 「実は、大の巨人ファンでした。小学生の頃は原さんに憧れ、ポスターを部屋の壁や天井にまで貼っていたほど。テレビで見ていたスターと対戦するわけですから。最初の頃は投げるたびに興奮していましたね」
 打倒・巨人の思いに火がついたのは90年、吉村にリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を打たれてからだ。
 「あの悔しさは今でも忘れないですよ。負けたら優勝が決まる試合。あそこで打たれたのは恥ずかしい。別に憎いとか嫌いなわけじゃなく、ただ、強いから勝ちたかっただけ。でも、巨人戦は本当に楽しかった」
 92年は肘痛で登板なし。優勝に貢献できなかったが、翌年10勝を挙げ、西武との日本シリーズで2勝、シリーズMVPに輝いた。
 「92年の日本シリーズはスタンドで見ていました。悔しい思いと投げられる喜びを持って臨んだだけに、翌年の優勝はうれしかった。当時の西武は本当に強かったですから。2勝した試合は自分も驚くほど調子が良く、
現役生活ベスト3に入る投球でした。実はシリーズ中、ずっと38度の熱があったんです。点滴を打っても熱が下がらない。それが、優勝してビールかけをやって六本木に飲みに行ったら治った(笑い)」
 00年オフ、FA権を行使した際、中日に口説き入れてくれたのが星野監督。訃報に絶句した。
 「ニュースを見て驚きました。あまりにも突然で、ウソだろ、と。あの時、いち早くオファーをくれたRソックスからはオーナー直筆の手紙が届き、もともとあったメジャー挑戦の気持ちが強くなった。でも、中日も
同じくらい早くオファーをくれた。悩みに悩んで寝られない日々が続きましたが、最後は『巨人だけは倒してくれ』という星野さんの言葉が決め手になりました」
スポーツ報知
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