家出して8ヶ月過ぎた ..
403:名も無き被検体774号+
18/08/13 17:09:48.87 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
404:名も無き被検体774号+
18/08/13 17:10:10.66 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
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405:名も無き被検体774号+
18/08/13 17:16:56.06 fAVAWrIDd.net
まめだなw 正に>>252だった
野宿女さんから見たらどうなんだろ?
406:名も無き被検体774号+
18/08/13 17:31:18.18 1pisqQ/d
407:0.net
408:名も無き被検体774号+
18/08/13 18:35:00.37 Uias39Yua.net
スマホとプリペイドSIM貰ったみたいだな
409:名も無き被検体774号+
18/08/13 18:51:17.96 gni+2vsO0.net
なんかアイテムgetみたいな感じでワロタ
410:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:04:55.14 fkpAo7xh0.net
>>399
どこのスレでそのやりとりしている?晒せ
411:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:10:14.31 FEdsb68hd.net
>>401
お前は野宿から嫌われてるだろうからステーキ食べてそのまま消えろ
412:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:17:19.29 1pisqQ/d0.net
>>401
気分転換しながら、少し休もうよ
413:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:20:54.26 J/6mci720.net
>>401
もう野宿は心配いらなそうだぞ
本人がスレに現れないのも、もう忘れたいのだろうし
我々もこの辺で終わりにしよう
お前の得意の埋め作業でスレを終わりにしたまえ
414:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:55:48.45 6Vf9Kd3I0.net
流れ
昨日夕方に連絡取れたA氏と合流→
やよい軒に行き食事→
しまむらに連れて行かれ 衣類 靴下 靴を貰う→
夜はA氏宅に泊めて貰う→
今日A氏 知り合いからスマホとプライベートSIMを貰う→
明日 初めの頃からメールしてた人とA氏同伴で逢う予定
こんな感じ
メールの人と会う場所がA氏の通り道らしいので送って行く
メールの人がダメでも A氏は保険を掛けている
A氏 神様かよ!!
415:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:57:18.55 7UWzlBV5d.net
>>401
分からないの笑?
オシエナイ笑
荒らせる場所じゃないよー(・∀・)
416:名も無き被検体774号+
18/08/13 19:58:57.61 7UWzlBV5d.net
>>406
A氏は神だねー
参りました
亀ながら見守ります
417:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:02:01.85 7UWzlBV5d.net
ごめ>>405だった
またお祭りスレがあったら会いましょう(≧∇≦)b
418:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:08:03.19 7UWzlBV5d.net
>>401
ばーかばーか笑
419:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:09:38.60 1pisqQ/d0.net
>>406 は 401 がどれだけ心配してた読み取れないの?
どれだけ必死にアドバイスしたか解らないの?
睡眠時間を削ってレスを待ってた人の気持ちは理解できるの?
あんたはほんとに フシアナ!
420:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:10:05.36 7UWzlBV5d.net
暇ならここでなんぼでも苛めてやる笑
421:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:12:05.18 7UWzlBV5d.net
>>410
1000まで受けて立とう!
422:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:13:13.09 7UWzlBV5d.net
ただ埋めるのも暇でしょ(・∀・)
423:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:16:14.18 7UWzlBV5d.net
セクハラさんはその名の通りセクハラだ!
424:ふしあな
18/08/13 20:18:19.39 7UWzlBV5d.net
テスト
425:ふしあな
18/08/13 20:19:19.02 7UWzlBV5d.net
お!
わたしの名前がついた!
426:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:25:23.24 D5kMspqyd.net
>>416
あっ
お前はあの人か
家出スレ無くなっても何処かのスレで会いたいからROM専にならないでくれよー
427:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:26:21.12 6Vf9Kd3I0.net
暫くは安心だね
メールの人で少しでも落ち着けるといいな
A氏凄すぎ 真似できねーよ……
428:ふしあな
18/08/13 20:31:31.33 7UWzlBV5d.net
>>417
うーん(>_<)
どうだろう!ハッキリいって、ここの魅力分かったよ!楽しかった(・∀・)
けど気になりすぎてやってる間現実が疎かにになる事実もあって(>_<)
ハマるタイプですからー笑
429:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:34:07.03 D5kMspqyd.net
>>419
大丈夫、ちょっと慣れてくると自分のペースで楽しめるようになるし
ビップラの全体図もうっすら分かってくるからさ
そうしたらまた違うように楽しめるさ
430:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:39:10.92 7UWzlBV5d.net
>>420
そうかな?
ここは賑やかなスレだったね!
野宿さんにはいっぱい疑ったりして申し訳なかったけど、このままアンチ浄化して最後に一言でも戻って来れるようにして楽しく埋まった方がいいよね(>_<)
431:ふしあな
18/08/13 20:40:41.73 7UWzlBV5d.net
あーコテわすれた!
432:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:42:44.01 D5kMspqyd.net
いや、荒らしはほっとくのが1番
これが埋まっても荒らしが次スレ立てる事も出来るし
あなたと話したいが為にセクハラクソ野郎が次スレ立てるかもだし
家出女スレは家出女が決めれば良いと思うよ
433:ふしあな
18/08/13 20:46:58.11 7UWzlBV5d.net
>>423
そっか!色々難しいんだね(OωO; )
434:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:47:44.31 6Vf9Kd3I0.net
A氏 昼間に水族館に連れて行ってた
やりたい事を消化してるのか
あんたって人は…化物かよ!
435:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:47:45.26 D5kMspqyd.net
>>424
wwwまぁゆったりやろうぜ
436:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:49:39.16 fkpAo7xh0.net
>>402
おまえがこの世から消えろ。
>>403
いやだ、野宿をかまいたい
437:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:50:55.87 fkpAo7xh0.net
>>404
いやとことん、やろうぜ。
>>405
関東?
438:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:51:36.11 fkpAo7xh0.net
>>406
どこや?
>>409
あ?
439:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:52:25.43 fkpAo7xh0.net
>>414
やりてえんだよ
440:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:54:07.94 fkpAo7xh0.net
>>423
野宿が野宿を卒業するまではスレを立て続けル!それが俺のポルシンだ
441:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:54:26.21 fkpAo7xh0.net
>>425
海遊館?
442:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:58:15.24 fkpAo7xh0.net
野宿の近況さらせよ
メールしまくるぞ
443:名も無き被検体774号+
18/08/13 20:58:46.83 fkpAo7xh0.net
野宿は書き込めや!はやくしろよ
おめえはおめえの責任とれ
書き込め
444:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:00:00.05 63Wu/ixA0.net
>>425
すげーな
445:野宿女
18/08/13 21:00:20.97 iYoqzVuYa.net
最後のしめをしてしまったので
あんまり書き込まない方が
いいのかと思ってました。
446:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:00:54.86 fkpAo7xh0.net
肉便器のままでいたいなら泡風呂でもAVでもなんにでもなればいい
そうでないなら、相手にも自分にも誠意を示す意思を示しな
自分が変われば寄ってくる人間もまともな毛色になるもんだ
447:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:01:23.77 fkpAo7xh0.net
>>436
おお!いるではないか。近況はよ
448:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:02:38.96 fkpAo7xh0.net
>>436
最後のしめを詳しく
449:野宿女
18/08/13 21:03:15.60 ozj8RzEp0.net
私はいつも誠実に対応していたつもりでした、
おっさんとかなりすましとかたくさん言われて
辛かったです。
450:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:04:21.11 63Wu/ixA0.net
>>436
状況が変わったし書いてもいいんじゃない?
451:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:05:07.43 7UWzlBV5d.net
>>431
もうここ終わったらアタシのスレたてな笑
女姉妹で苛めてあげる笑
452:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:06:37.98 7UWzlBV5d.net
>>440
ごめんね(´;ω;`)
最後はせめての償いで守るよ!
453:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:07:12.48 IzYjAvZD0.net
>>436
毎日じゃなくていいから
あった事をまとめてここに報告してくれると嬉しい
ところで、上の方に書かれてた事は本当?
だとしたら、いい人に支援してもらえて良かったね
454:野宿女
18/08/13 21:08:32.22 ozj8RzEp0.net
本当です。
明日もうまく合流出来るか緊張しますけど
立ち直れるように頑張ります。
455:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:08:32.63 vWJ8Yvdbr.net
>>440
聴くよ、書いて。
456:ふしあな
18/08/13 21:09:35.36 7UWzlBV5d.net
聞く応援してる
457:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:11:16.46 fkpAo7xh0.net
>>440
誠実wwwww
>>442
寝ろ
>>445
影でかくれてこそこそやるな、晒せ
つか水族館とかなにさま
458:野宿女
18/08/13 21:14:01.80 iYoqzVuYa.net
私が何を書いてもいくら真剣でも
からかわれて終わりだと思うので
ちゃんと自分で生活できるように
人として認めてもらえるように
なったら、書きに来ますとスレを
しめたつもりでした。
459:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:14:10.06 fkpAo7xh0.net
事がうまく運んでるのが面白くない
460:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:16:40.67 BSN9Fmv5a.net
もう二度と来なくていいから安心して。別にお前が普通に生活できるようになったからって喜ぶ奴なんていねえわカス
461:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:21:08.15 7UWzlBV5d.net
>>451
嫌違うよ。
野宿がみんなのお陰で立ち直ったスレを立てれるのは貴方しかいない。
オフ会はどこでも参加する。
触らせないけどね!
462:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:22:58.20 oknU9ma/r.net
>>447
仕事なにしてんの?
463:野宿女
18/08/13 21:23:33.11 ozj8RzEp0.net
わかりましたよ。
もう二度ときません。
カスのスレに書き込みしてくれて
ありがとうございます。
このスレは自由に使ってください。
さようなら。
464:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:24:45.35 fkpAo7xh0.net
>>449
いや、そんなこと言わずにとにかく書きなさいな
465:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:25:46.43 fkpAo7xh0.net
>>451
普通に生活できるようにならないから喜ぶんジャマイカ
466:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:26:23.73 fkpAo7xh0.net
>>454
おまえはだからばかなんだよ
467:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:27:52.40 fkpAo7xh0.net
>>454
書けよ、くそやろう!書かないからカスなんだよ、蛆野郎!負け犬泣き虫ごみちんかすたんつぼやろう
468:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:29:22.20 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
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18/08/13 21:29:43.43 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
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18/08/13 21:31:10.52 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
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471:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:31:43.82 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
472:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:31:53.07 7UWzlBV5d.net
>>454
書いた方がいいよ(>_<)
Aさんも見てるんでしょ
すぐに泣いたらダメだよ
473:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:32:02.99 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」と
474:も書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。 一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。 ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。 大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。 日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、 広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。 律令国では摂津国の範囲であり、 近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。 地名の由来と変遷 編集 「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。 この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。 もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、 蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。 その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく 「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。 蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。 従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言 漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、 江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
475:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:32:38.12 bTyGxaZA0.net
>>454
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する
476:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:33:28.76 fkpAo7xh0.net
Aって誰だよ、そもそも。
浮気しやがって
477:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:34:11.27 bTyGxaZA0.net
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある[要出典]。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する[5]。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる[6]。
ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」[7]と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
大阪(おおさか、英: Ōsaka[1][2][3])は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。
日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、
広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。
律令国では摂津国の範囲であり、
近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。
地名の由来と変遷 編集
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。
もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、
蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく
「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある[4])。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。
従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
478:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:34:22.15 vWJ8Yvdbr.net
明日【心機一転】するために、毒を出しちゃえ!応援してる!
479:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:34:57.56 fkpAo7xh0.net
>>449
てめえ、ちゃんと書かないだろうが。真剣じゃねえし。
480:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:36:21.65 fkpAo7xh0.net
応援も支援もしねえし、バカにしてやるから書けよ
481:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:39:20.91 IzYjAvZD0.net
>>454
明日支援者と合流出来たら
chmateとかの専ブラをインストールして
不快な奴をNGする方法を教えてもらうといいよ
482:名も無き被検体774号+
18/08/13 21:41:22.31 63Wu/ixA0.net
>>471
あーそうか
専ブラ入れてないのか
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