なぜ特攻を志願したのか?戦後77年95歳の元特攻隊員語る [509689741]
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操縦席の後ろに爆弾を積んで、上陸を図る敵の船に体当たりする、海の特攻兵器、通称「マルレ艇」をご存じでしょうか。太平洋戦争中に旧日本陸軍が実戦投入しました。この「マルレ艇」による特攻を志願したものの、出撃することなく終戦の日を迎えた男性が鹿児島市にいます。男性はなぜ、自ら特攻の道を選択したのでしょうか。そして、8月15日を境に初めて気付いた本心とは?
山本清さん:
(旧制)中学生だった。「俺がいけば日本の態勢を巻き返す」そんな感情が出てくるんですよ。軍国主義の教育でしょうね
戦争中の自身の心境をそう語る鹿児島市の山本清さん。2022年で95歳です。
山本さんが陸軍への入隊を決意したのは、昭和18(1943)年、16歳の時でした。
中学校に来た陸軍の将校が生徒らに熱弁を振るったのです。
山本清さん:
将校は「君たち若い者が戦争に参加してくれないと危ない。危機の状態だ」と言った。みんな若いし、愛国の精神を持っていたから、話を聞いて「俺も行こう、俺も行こう」と
工業関係に興味があった山本さんは陸軍に入隊すると整備教育隊に配属されました。
そんなある日、山本さんは兵舎の廊下に張り出された壁新聞に目を留めます。そこにはある設問が書かれていました。
「アメリカ兵が上陸の際、日本人の女子供を盾にして進軍してきたら、どう対応するか」
壁新聞には答えも示されていました。
「かまわず日本の婦女子を先に撃ち、その後、アメリカ軍を攻撃せよ」
明らかに常軌を逸した記述でした。
「問題あり」と見なされたのか、その壁新聞はすぐに撤去されたといいます。しかし、山本さんの憤りは消えませんでした。
山本清さん:
俺たちは日本の国民を守るために軍隊に志願したんだ。なんで婦女子を殺してまでアメリカ軍と戦わないといけないのか。俺はそんなことはできないから、できることの方に行こう、そしてできることというのが志願して特攻隊になって、ボートに乗ってぶつかっていく
特攻を志願した山本さんは「マルレ艇」と呼ばれる特攻用モーターボートの訓練を受けました。
山本清さん:
ベニヤ板。粗末な。小さい船でしょう、エンジンはひとつだけで。簡単に操縦できてすぐに使えるわけですよ
敵弾を受けたらひとたまりもない小さなモーターボートで、山本さんは「死ぬための訓練」に励み続けました。そんな精神状態の時に見上げた空は、山本さんの心に強烈な印象を与えました。
山本清さん:
空の青を見るでしょう、寝転んで。空の青さがものすごくきれいなんですよ。絵の具で塗ってできる青じゃないですね。きれいだな、雲もきれいだな、もっと自然を堪能して死にたかったな
山本さんが所属する部隊は訓練を終え、福岡県の海岸に展開しました。アメリカ軍の上陸作戦が始まったら、そこから特攻出撃するのです。
しかし、その1カ月後、ラジオから流れてきたのは「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という玉音放送でした。
昭和20(1945)年8月15日、終戦。
続き
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