【強欲】帯広の田舎菓 ..
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555:名無しさん@涙目です。 18/03/23 11:24:12.15 YQMBuTkc0.net 松阪牛(まつざかぎゅう)で特許を取ろう→既に中国側に特許を盗られていた→仕方なく、松阪牛(まつさかうし) 今回六花亭が特許取れなかったとしても結局は中国側に奪われて終わる 556:名無しさん@涙目です。 18/03/23 11:26:19.62 +SIXBYiV0.net 六花亭の歴史 幕末に久保田藩(秋田藩)藩士により和菓子店として千秋庵創業 明治期に天才菓子職人が和洋折衷菓子であるどら焼きを考案し、東京うさぎ屋と函館千秋庵で売り出し爆発的人気 千秋庵の当主は天才菓子職人に暖簾を禅譲。 血脈や資本ではなくより味と技で継承、連帯する千秋庵の基本理念確立 天才菓子職人、山親爺考案 明治期には函館本店から弟子が独立し小樽千秋庵として暖簾分け 大正期に小樽千秋庵から暖簾分けで札幌千秋庵誕生 昭和に入り札幌千秋庵経営者の親族が帯広千秋庵を創業(本店から見ればひ孫店) 十勝は菓子原料の産地であり既に地元で多くの菓子店があって新規参入は難しい状況であった (十勝は最初静岡出身の移民団によって開発されており文化が異なっていた。) しかし当時統制されていた砂糖などを地元産で調達する事に成功し売り上げを伸ばした。 戦後の食糧難の時代も小麦、砂糖、小豆、乳製品など菓子原料に事欠かない地の利を生かして力をつけた。 またこの時代の多くの菓子が帯広オリジナル。 経済成長期に欧州の菓子にヒントを得てホワイトチョコレートを発売。 全国的知名度を得るも千秋庵は地域毎に販売エリアが決まっていたので札幌では売れない この事で騒動になり函館本店の仲裁を求めたところ「仲良くやれ」と言う事になり、 帯広はホワイトチョコレートの為に別会社を設立して札幌のデパートでの販売を開始。 それに対して札幌は千秋庵の商標差し止めの訴訟をおこす。 帯広は暖簾を返上して六花亭を名乗る事になった
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