【音楽】 昭和芸能史の秘話 ヒット曲「赤色エレジー」作曲者名義が発売直前で変更された理由 当事者に聞く [朝一から閉店までφ★] at MNEWSPLUS
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1:朝一から閉店までφ ★
22/11/26 22:52:06.85 8/lcptPt9.net
2022.11.24(Thu)
北村 泰介
 日本のフォーク/ロック黎明期の1972年に設立され、後世に多大な影響を残した伝説のレーベル「ベルウッド・レコード」の50周年記念コンサートが今月、東京・中野サンプラザホールで開催された。
レーベルの第1弾シングルとなった、あがた森魚(74)の「赤色エレジー」も同公演で披露されたが、この曲には作曲者名義が発売直前で変わったという昭和芸能史の裏話があった。
あがた本人と、同レーベルを立ち上げたプロデューサーの三浦光紀氏(78)という2人の当事者が、よろず~ニュースの取材に対し、半世紀前に起きた舞台裏を振り返った。
 「赤色エレジー」が72年にキングレコード内で発足した同レーベルから発売される3か月前、関係者に配られた見本盤(通称・白盤)のレーベル面には「あがた森魚作詞・作曲」とクレジットされていたが、
発売時には「あがた森魚作詞・編曲/八洲秀章作曲」となっていた。あがたは「見本盤は1月で、作曲が八洲(やしま)さん名義になったのは4月でした」と明かす。この間に何が起きたのか。
 今秋出版された、あがたとライター・今村守之氏との共著となる自伝本「愛は愛とて何になる」(小学館)によると、作曲家・八洲氏の作品「あざみの歌」(1949年発表)にメロディーが似ているとした会社側の判断があったという。
あがたのデビュー直前、作曲者を八洲氏とする判断を下したのは当時のディレクター・長田(おさだ)暁二氏。直属の部下だった三浦氏が真相を代弁した。
 「長田さんは僕の上司で、倍賞千恵子さんの『あざみの歌』を担当しています。大変お世話になった人です。長田さんは八洲さん、あがたさん双方を知っているから、『自分でもはっきり分からない。
ただ、裁判になったら時間が掛かるよ。そうなるとレコードが発売できないから、ここで泣いてくれ』と言われて、(あがた担当だった)僕も泣いたんです。
タイミングってあるじゃないですか。僕も長田さんもどっちかというと、あがたさんに味方したいんだけど、そうはいっても世の中には決まり事もありますから」
 生まれたばかりの新レーベルからの第1弾シングル。まずはレコードを出さなければ何も始まらない。三浦氏とあがたは苦渋の思いで作曲者変更に同意し、その後、60万枚を売り上げる大ヒットにつながる。
三浦氏は「1年後、2年後に発売していたら、あれだけの反響があったかどうか…。やはり、あのタイミングしかなかったと思います」と指摘する。
URLリンク(yorozoonews.jp)


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