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733:名無しさん@恐縮です
19/11/10 11:57:41.41 E3RfKzg20.net
フリッパーズ・ギターは「恋とマシンガン」を出した頃には初期の5人バンド体制をやめて、
小沢と小山田の男2人体制だったから、特に同じ男2人グループに対するちょっかいの出し方が半端でなかった。
雑誌の撮影でB'zと隣のスタジオになったとき、「僕たちB'zさんのファンなんですよ、サインください。ついでに
写真も撮らせてくださいよ」とか明らかに不真面目な態度で言って、後で稲葉浩志に「あの人たち、本当は僕らの
こと嫌いでしょ」と見事に喝破されていた(笑)。
「ユニコーンはサッカー部のキャプテンがやってる、さわやか人気者のバンドだからね」といった小沢の発言も
(確か)あった。フリッパーズは、洋楽や文学や映画やファッションに長(た)けた洗練された文化系の、やや斜に
構えた軟弱な屈折ぶりが売りで、「サッカー部のキャプテン」のさわやか体育会系ノリや田舎のヤンキー文化を、
あからさまに馬鹿にしているところがあった。それで「ビートパンク知能指数が」など、これまた小沢が言うわけだ(笑)。
当時の、いわゆる「バンドブーム」の中でフリッパーズと並んで売れていたバンドは比較的単純コードのビートパンク
ばかりで、まさに「バンドやろうぜ」状態のノリから出てきたようなグループが多かったから。
他方、フリッパーズ・ギターは他のビートパンク一辺倒の単純バンドとは違い、ネオアコや映画音楽の海外サントラなど
洋楽の洗練された蓄積が存分にあったので、練(ね)りに練った普遍的ポップ・ミュージックのレベルにまで達していた
(これは、あくまでも私の主観だ)。バンドブームの当時、「恋とマシンガン」のような複雑な楽曲を書けるグループは、
フリッパーズ以外にいなかった。他バンドより頭ひとつもふたつも抜きに出ていた。バンド人気や売り上げセールスはともかく、
音的にはもう完全に勝負ついていてフリッパーズの完全勝利だったからなぁ。
フリッパーズ・ギターは、「たま・スピッツ・ユニコーン」をセットにして他バンドとそのファン共々、さんざん馬鹿にしていた。
後年、ユニコーンの奥田民生がバンドブームの当時を振り返り、「いやー俺たちも広島からわざわざ上京して来て、東京で
レコードばっかり買ってるバンドに負けてたまるかっていう気持ち、ありました」とインタビューで言っていて、「あー東京で
レコードばっかり買ってるバンドって絶対フリッパーズー・ギターのことだろうな。当時からユニコーンのメンバー、フリッパーズ
の小沢と小山田に相当ムカついてたんだろうな」と後になって私は、しみじみと思った。


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