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3:砂漠のマスカレード ★
19/07/14 07:51:28.13 H8FtV8Ln9.net
水面下で田原氏と交渉したのは当時の取締役編成局長・小田久栄門(故人)だった。
「テレ朝のドン」と呼ばれた男だ。会見生中継の責任者は、後に編成本部副部長などを務める皇達也氏(78)。
この人もまた大実力者だった。
テレ朝内の準備は済んだ。しかし、肝心の明菜の説得がようやく終わったのは会見の数日前。
自殺未遂後は半ば隠遁生活だったので、表舞台に出たがらなかったのだ。
当時から現在に至るまで、「会見を渋った明菜がそれを最終的にOKしたのは、
周囲から近藤との婚約発表だと騙されていたため」との説がまことしやかに流布されている。だが、それは到底信じられない。怪情報に違いない。
関係者は一様に明菜を騙したことを否定するし、そうであるなら辻褄が合わないのだ。
報道機関でもあるテレ朝が、スポンサーを含めた社内外に対し嘘をつくわけにはいかないし、それをやったら、大問題に発展しただろう。
近藤とツーショットで行われた会見の席上の背後に、金色にも見える仕切りがあり、また、明菜と仕事上の接点があった女性がそう吹聴したので生まれた怪情報だろう。
当の明菜自身はモスグリーンの地味なツーピースで、晴れがましい席の服装ではなかった。
明菜も会見でこう語った。
「皆さん、生きていらっしゃる限り、一人一人いろんな悩みを抱えていると思います。それを一生懸命がんばって、乗り越えている方が大勢いると思います。
私も自分なり必死に耐えましたし、頑張ってきたつもりですけど、勝手でわがままな行動に出てしまい、
ご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。深くお詫びいたします」(明菜の会見の言葉)
動機についての説明と近藤の部屋を選んだことの理由を求められると、こう答えている。
「私が仕事をしていく上で、一番信頼していかなくてはならない人たちを信頼できなくなってしまった。
(一番信頼できる近藤のところで死のうとしたが)今になって思うと、なんてバカなことをしたのかと」(同・明菜の会見の言葉)
視聴率は瞬間最高で17%を超えた(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。もちろん紅白の裏番組では最高だ。
もっとも、前出の皇は明菜が会見場に現れるまでは不安で、
「来なかったら、責任をとって辞めるつもりだった」と振り返っている。
ここでも婚約発表などという嘘がなかったことが裏付けられる。
一方、やはり前述の小田は、のちに田原から「これぞテレビだよ」と告げられた。
1989年で最大の芸能ニュースは明菜の自殺未遂だったのだから、それについて大晦日に伝えるのはテレビにとって本懐ということである


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