【芸能】梅宮辰夫、独占手記 “夜の帝王”と呼ばれた僕が「もう勃ちません」…6度目のがん闘病と人工透析 at MNEWSPLUS
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1:ばーど ★
19/03/18 08:33:27.23 DHJjr9Sv9.net
「梅宮辰夫」芸能界への遺言(1/3)
「仁義なき戦い」に「不良番長」、「前略おふくろ様」と当たり役は数知れず。日本映画黄金期にスター俳優として名を馳せた梅宮辰夫は、しかし、人知れず「がん」と戦い続けてきた。今月、81歳の誕生日を迎えた「辰兄」が初めて明かす闘病の日々と芸能界への思い。
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 正直なところ、自分の「がん」について語るのは気が進まなかったんです。芸能人はイメージ商売だから、ひとたび「病気」が知れ渡ると俳優生命を脅かしかねません。溌剌とした役柄は演じづらくなるし、ロケの途中で倒れることを撮影スタッフに心配されて、キャスティングの段階で外されてしまうかもしれない。
 ただ、ここに来て僕自身の考え方が少し変わってきました。
 これまで公表を控えてきたけど、実は、この半年余りの間に、僕は2度のがんを経験したんですね。
 具体的に言うと昨年9月に「前立腺がん」、そして、今年1月に「尿管がん」の手術を受けています。このふたつを含め、僕はこれまでの人生で6度のがんに見舞われたことになる。
 当然ながら、がんとの戦いは生易しいものではありません。僕自身、何度目であっても「がん」と宣告されればショックを受けますよ。でも、その度に現実と向き合って、主治医や家族とじっくり話し合いながら治療方法を選び、どうにか病を乗り越えてきました。お陰様でこの3月11日には81歳の誕生日を迎えることができそうです。
 人生で6度ものがんに打ち克って、この年齢まで生きてこられたのだから、これ以上、隠し立てすることもないだろう、と。むしろ、僕が闘病について洗いざらい話すことで、まさにいまがんに直面して悩み、傷つき、希望を失いかけている人やその家族にエールを送りたいと思うようになったわけです。
 はじめに僕の「がん歴」を大まかに説明すると、まず30代半ばだった1974年に「睾丸がん」に罹り、それが左の肺に転移して「肺がん」と診断された。その後、30年ほどの期間を置いて、いまから7〜8年前に見つかったのが初期の「胃がん」。2016年には「十二指腸乳頭部がん」で11時間に及ぶ大手術に臨みました。その後、今回の「前立腺がん」と「尿管がん」に至ります。こうして振り返ってみると、我ながらよく天に召されずに済んだものだと思いますよ。
■「夜の帝王」と呼ばれた僕が…
 それでは、今日まで一切伏せてきた、5度目と6度目のがんのことから話を始めさせてもらいます。
 30年以上前から、僕は血液や心電図、レントゲンの検査を2カ月に1度、継続的に受けてきました。
 そうしたなか、昨年の夏に医師から、
「前立腺の異常を示すPSAというマーカーが高い数値をつけています」
 と言われたんです。
 同じ頃、おしっこに血が少し混じり始めた。詳細に調べてもらうと「前立腺が肥大している」という。結果、がんの疑いが強まって、昨年9月20日に手術することになったんです。前立腺がんと聞いて、おや、と思う読者もいるかもしれないのでハッキリ言いますよ。
 僕はもう勃ちません。
 でも、まぁ、それは大したことじゃない。若い頃は「夜の帝王」と呼ばれ、主演した「夜遊びの帝王」では「シンボルロック」なんて主題歌を歌ったけど、僕も傘寿を超えてるんだから。
 ちなみに、前立腺がんの手術について説明してくれたのは女医さんで、ストレートに言われました。
「梅宮さん、手術をしたら勃たなくなりますよ」
 ってね。その時は娘のアンナが付き添ってくれていたんだけど、僕の意見など聞かないうちに、
「パパはもういいわよね」
 と言うんだから参ったよ。とはいえ、何事も命には代えられません。
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「絶対に生きるべきです」
 実際の手術は、手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」を使ったもので、幸い成功に終わっています。ところが、術後の経過観察のために、定期的な検査を続けていたところ、担当の医師に思いもよらないことを言われたんだ。
「尿から悪性細胞が見つかりました。尿管がんの疑いがあります」
以下ソース先で
3/18(月) 8:01
デイリー新潮
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
URLリンク(lpt.c.yimg.jp)


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