【野球】石橋貴明の兄ら4人だけ…部員激減/帝京高校監督 前田三夫1 at MNEWSPLUS
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1:砂漠のマスカレード ★
19/02/14 07:55:59.72 i7IHS5VF9.net
控え選手だった大学時代こそが、監督人生の原点。全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。
名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」第5弾は、甲子園歴代3位タイの通算51勝(23敗)を挙げる帝京(東京)前田三夫監督(68)です。
72年に就任し、現役監督として今も甲子園を目指して情熱的な指導を続ける姿を、全5回でお送りします。
【写真】帝京・前田監督「頑張ってほしい」教え子原口へ激励
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帝京高校の正門をくぐると、校舎に向かって左側に、3度の日本一を記念した石碑が立っている。
かつてサッカー部と共用だったグラウンドは、全面人工芝の野球専用球場に生まれ変わり、外野フェンスに沿うような形で校舎が並び立つ。
東京を代表する帝京野球部の歴史は、そのまま前田の歴史と言っても過言ではない。1月の寒空の下でも、情熱的な指導は変わらない。
「夢多き青年だったけど、野球はそんなにうまくはなかったよね」
それが選手時代の前田だった。監督就任は72年。今もソフトバンク中村晃、日本ハム杉谷、阪神原口、DeNA山崎康、日本ハム松本らが現役で活躍する。
そんな輝かしいOBの中で、最も有名な教え子は、80年に卒業したとんねるず石橋貴明かもしれない。高校3年時にベンチ入りメンバーから外れた自身と同じ“補欠”の1人だ。
「選手としては体が硬かった。ただね、高校時代から人を引きつけてましたよ。遠征なんか行って、昔はよく演芸会をやらせていたんです。
石橋になると旅館に泊まっていた他のお客さんがみんな見に来てた。
旅館のお母さんは、あんまりおもしろいんで、お小遣いをあげたいんだけどって。それはよしてくれって言いましたよ」
監督自身、血気盛んな20代だった頃。
「グラウンドの陰に隠れて野球部、サッカー部を集めておもしろいことをやる。だから『出とけ』って、学校の周りを走らせたこともある。
それを忘れて帰っちゃったことありますよ(笑い)。そういうのを昔コントでやってましたよ」
デビューしたての頃、口にほくろをつけて前田の物まねをするのは、石橋の持ちネタの1つだった。「僕のまねで、のぞき見したんですよ、女風呂を。
授業をやっていたらね、生徒たちみんなに冷やかされてね。石橋のところに、もうやめろって電話しましたよ」と懐かしんだ。
“補欠の代表”は、芸能界のど真ん中を30年以上歩んできた。「レギュラーはレギュラーの良さがありますけど、補欠は補欠の人間的な魅力がありますよ。
だから僕は補欠の選手に言うんです。補欠には補欠の魅力があるぞって」
前田は千葉・木更津で生まれ育った。3人兄弟の末っ子で、高卒と同時に家を出るのが当たり前の家庭環境。就職先は東京・小平のブリヂストンタイヤから内定をもらった。
それでも野球をあきらめきれない。両親に頼み込んで帝京大へ進学した。だが、3年まではベンチにも入れなかった。
「4年間、万年補欠ですよ。ただね、今、監督生活をしていると補欠の時代に得たものは非常に多かった。
やはり補欠がいて、レギュラーがいる。補欠の役割というのは大きいなと、補欠の身でありながら知ることができましたね」
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
2/14(木) 6:01配信
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