【サッカー】 ソン・ ..
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3:ほニーテール ★
18/07/16 21:28:43.49 CAP_USER9.net
2014年の仁川(インチョン)アジア大会ではソン・フンミン本人が出場を強く望み、チームを率いた故イ・グァンジョン監督や韓国サッカー協会も働きかけたが、当時所属していたレバークーゼンが参加を許可しなかった。
協会は「決勝トーナメントからでも招集できないか」と打診したが、レバークーゼンは首を縦には降らなかった。
仁川アジア大会で韓国は優勝し、かつてJリーグでプレーしたパク・チュホ、キム・ジンス、現在はFC東京に所属するチャン・ヒョンス、ヴィッセル神戸に所属するキム・スンギュなどが兵役免除の資格を手にしているが、今となってはこのときがもっとも好機だっただろう。
そして2年前のリオデジャネイロ五輪。オーバーエイジとして参加したソン・フンミンだが、韓国は準々決勝でホンジュラスに0-1で敗れてしまう。
試合直後、ソン・フンミンはピッチに泣き崩れ、コーチングスタッフに抱きかかえながら10分以上も号泣していた。その涙はただの悔し涙ではなかったことは想像に難なくなかった。
兵役のせいで海外挑戦を途中下車したケースもある
だからこそ今回のアジア大会に賭ける想いは強かったのだろう。
ロシア・ワールドカップ期間中に行動をともにした『スポーツ朝鮮』のヨーロッパ特派員でロンドンを拠点に取材を続けるイ・ゴン記者によると、ソン・フンミンはかなり以前からトッテナムにアジア大会出場の意志を示し、クラブ首脳陣にもその切実さを強く訴えていたという。
ただ、それも無理はない。今回のアジア大会で兵役免除の資格を手にできなければ、ソン・フンミンは本人やクラブが望んでも、ヨーロッパで選手生活を送れなくなってしまう恐れも出てくるのだ。
というのも、兵役を終えていなければ自由な海外渡航が難しくなり、現地での就学・就労にも制限が設けられる。
アメリカ男子ゴルフで活躍していたペ・サンムンはそれに違反して兵役法違反で告白され帰国を余余儀なくされているし、2008-2009年シーズンにイングランドのウェスト・プロムウィッチに所属したキム・ドゥヒョンは兵役問題もあってヨーロッパでの選手生活を続けることをあきらめ、韓国に戻った。兵役問題が足かせとなって海外での選手生活を中断せざるを得なかったケースが、韓国にはあるのだ。
少々古い話になるが、2002年釜山(プサン)アジア大会では当時、韓国代表のスーパースターだったイ・ドングッがアジア大会に出場。準決勝でイランに敗れ、ミックスゾーンで途方にくれた表情を見せたことが忘れらない。
イ・ドングッはその前シーズンまでドイツのブレーメンに籍を置いていたが、釜山アジア大会後に兵役のために尚武(国軍体育部隊)に籍を移している。彼にとっては2002年アジア大会は“最後のチャンス”だったのだろう。
そういう意味でも、ジャカルタ・アジア大会はソン・フンミンにとって“最後のチャンス”なのである。
もっとも、アジア大会で金メダルを獲得するのは簡単ではない。前回の仁川大会で韓国は金メダルを手にしたが、それは28年ぶりのこと。それを含めて韓国がアジア大会で優勝できたことは、4回しかないのだ。(1970年、1978年、1986年、2014年)
ましてソン・フンミンが今回の韓国アジア大会代表の面々たちと息を合わせるのは初めて。
ファン・ヒチャンやイ・スンウなどロシアで寝食をともにした選手もいるが、ソン・フンミンがチームを指揮



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