【サッカー】「西野監督、良い星の下に生まれた」 at MNEWSPLUS
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18/06/23 22:41:42.50 CAP_USER9.net
長年の盟友・久米一正さんが期待
 ワールドカップ(W杯)ロシア大会で白星発進したサッカー日本代表。開幕2カ月前に急きょ就任した西野朗監督(63)を最もよく知る一人が、Jリーグ1部(J1)清水の副社長兼ゼネラルマネジャー(GM)、久米一正さん(62)だ。開幕前から「勝つ可能性はかなりある」と公言してきた久米さんは、旧友・西野監督の指揮に大きな期待を寄せている。
 久米さんは中央大から進んだ日本リーグ時代の日立製作所(現J1柏)で、早稲田大出身の西野監督と同期。社宅から一緒に出勤し、試合では久米さんがゴール前へ出したボールを西野監督が決めるのが得点パターンだった。「ボールがどこにこぼれるかと見ていると全部、西野の方に落ちてくる。運がなければ代表監督にもなれない。あいつは良い星の下に生まれている」と久米さんは懐かしむ。
 西野監督は1996年アトランタ五輪で日本代表を率い、ブラジルを破った。久米さんは97年、強化本部長を務めていた柏のコーチに西野監督を招き、翌年、監督に昇格させた。「日本人の指導者を作り上げたい」という久米さんの思いは、99年にナビスコカップ(現YBCルヴァン・カップ)優勝として実を結ぶ。
 J1優勝を目標に掲げながら低迷した2001年、周囲の圧力にあらがえず、久米さんは西野監督に解任を通告した。「久米はいいよな、戻るところがあって。日立にいればぬくぬくだよな」という盟友の反応に、久米さんも触発された。「俺も優勝できなかったら辞める」。西野監督はガンバ大阪に移ると攻撃的サッカーでタイトルを次々と手にし、10年間の長期政権を築いた。久米さんも03年に清水へ。08年には名古屋のGMとなり、10年にJ1初制覇を経験した。
 再びタッグを組んだのは14年。久米さんが西野監督を名古屋の監督に就任させた。「柏での切り方が納得いかなかった」という思いもあっての人選だったが、10位、9位と振るわず、西野体制は2年で終幕。その後、日本サッカー協会の技術委員長に転身した西野監督は今年4月、ハリルホジッチ前監督の解任を受けて後任に就いた。
 西野監督は指導の現場から2年以上離れていたが、久米さんは「西野は物静かだが、練習中にコミュニケーションを取り、ミーティングも細かくやる。選手のケアはうまい」と強調する。「同期として非常にうれしい。やるからには全力で」。就任後、久米さんが電話で激励すると、西野監督は「後悔のないようにやりたい」。淡々とした返答に、世界へ挑む覚悟を感じ取った。【大谷津統一】
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