【野球】福岡ホークス元社長、「再生請負人」から強制わいせつで有罪へ…選手とファン激怒させボイコット事件も at MNEWSPLUS
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1:砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/
17/09/14 09:54:50.04 CAP_USER9.net
高塚猛氏(プロ野球球団・元福岡ダイエーホークス<現福岡ソフトバンクホークス>社長、元ダイヤモンド社社長)は8月27日、慢性腎不全で死去した。
享年70。持病の糖尿病が悪化し、2013年1月に脳梗塞となり、寝たきりの状態だったという。岩手県盛岡市の自宅で闘病生活を送っていた。
高塚氏は事業再生請負人の半生を送った。
1947年、東京・浅草生まれ。都立一橋高校を卒業し1965年、リクルートに入社。
上司を上司とも思わぬ押しの強さが当時のオーナー、江副浩正氏に認められた。その後、リクルートでは数々の記録を残している。
22歳で福岡営業所の所長に抜擢され、1年後には売上高を前年比15倍に伸ばし黒字を達成した。
24歳の時に大阪支店の営業課長として、値引きゼロ、売上目標達成率1位、売上金回収100%を達成。25歳で週刊就職情報誌を創刊、1年で黒字化。
続いて月刊住宅情報事業の責任者として赤字だった同事業を1年後、号あたり1億円の広告収入をあげる有力媒体に育て、黒字にした。
江副氏の命を受けて、29歳の時にリクルートが経営再建を引き受けた盛岡グランドホテルの総支配人として赴任。
わずか1年で黒字にしてみせ、売上高3.5億円を7年後の85年には21.9億円の優良企業に変身させた。
続いて安比高原リゾートホテルも立て直した。91年、盛岡グランドホテルなど6社を統括する岩手観光ホテル(現岩手ホテル&リゾート)の代表取締役に就任した。
高塚氏はリゾートホテルを再生させた辣腕の実業家と呼ばれるようになった。
リクルートを傘下に収めていたダイエー創業者の故中内功氏が、その手腕を見込み99年4月、高塚氏に福岡プロジェクトを任せることにした。
福岡の事業は中内氏の次男、中内正氏が担当していたが赤字続きだった。福岡ダイエーホークス、福岡ドーム、ホークスタウン(シーホークホテル&リゾート、ホークスタウンモール)を福岡事業の3点セットという。
ドームやホテルの運営会社福岡ドームの副社長に就いた高塚氏は、卓越した経営手腕を発揮し、わずか2年で軌道に乗せ、2000年に球団社長に就任。
01年には福岡ドームの観客数を、当時のパシフィック・リーグ新記録となる308万人にした。
これは巨人に次ぐ記録だった。
 高塚氏は「平成の再生請負人」と話題になった。
●中内正氏が1円で球団オーナーの座に
000年秋、世にいう「1円売却事件」が起こる。中内功氏が正氏にホークス球団株を1円で譲渡した。正氏はたった1円でオーナーの座を手に入れた。
「ホークス球団株は、ダイエーが60%、功氏が40%保有していました。ダイエー本体の業績悪化の責任を問われた功氏は、会長辞任に追い込まれました。
創業したダイエーを石もて追われた直後に球団株式を1円で売却したのです。ダイエーに取り上げられてしまう前に、せめて球団だけでも息子に譲っておこうと考えたのでしょう」(ダイエーの役員OB)
新しい体制になったダイエーを率いる社長の高木邦夫氏は、中内家を排除するために02年2月、正氏を東京のダイエー本社に呼び出し、グループ企業のいっさいの役職返上、所有する球団株式40%の供出を求めた。
この時、助け舟を出したのが高塚氏だった。「オーナーの正氏が辞めるなら自分も辞める」と社長の高木氏にねじ込んだ。
福岡の事業を黒字にした高塚氏に辞められては困るため、正氏への要求は福岡ドームの代表取締役社長などすべての役職の辞任だけにとどめ、球団株式の放出要請は撤回した。
そして正氏は代表権のない福岡ダイエーホークスのオーナー兼取締役にとどまることができた。これ以来、正氏は高塚氏に頭が上がらなくなった。
オーナーといっても正氏には実権はなく、お飾りでしかなかった。球団社長の高塚氏が02年に球団オーナー代行となった。
その後、高木氏は追い討ちをかけた。03年10月、ダイエーは球団への貸付金80億円のうち60億円を株式化した結果、ダイエーの持ち株比率は98%に達し、正氏の持ち株はわずか2%に低下した。これで中内家による球団経営は終わった。
URLリンク(dailynewsonline.jp)
2017.09.13 06:05 ビジネスジャーナル
URLリンク(www.youtube.com)
いざゆけ若鷹軍団(ダイエーver.)


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