【芸能】トータルテンボス告白「1度だけ解散危機あった」 at MNEWSPLUS
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1:湛然 ★@\(^o^)/
17/08/24 04:50:41.47 CAP_USER9.net
2017年8月23日14時24分 スポーツ報知
トータルテンボス告白「1度だけ解散危機あった」
 今年結成20周年を迎えたお笑いコンビ「トータルテンボス」が23日、都内で記者会見を開き、ツッコミ担当の藤田憲右(けんすけ、41)が「コンビ解散の危機が1度だけあった」と明かした。
 ともに静岡県御殿場市出身で、ボケ担当の大村朋宏(42)が小学校の同級生だった藤田を誘い、1997年4月にコンビ結成。藤田は当時の自身について「ダウンタウンみたいになりたくて、この世界に入ったけど、(自分は)本当につまらないやつだった。前に出られないし、何にもできないやつだった」。
大村は「藤田には無理難題を言った。『ダウンタウンの浜田さんみたいにガツガツ来てくれよ』とか、『フットボール(アワー)の後藤さんみたいに全部拾ってくれよ』とか。それにはうん、うんとうなずいていたけど、後輩のインパルスの堤下の名前を出すと、すぐにブチ切れていた」と笑い交じりに振り返った。
そんな2人は、ケンカが絶えなかったという。
 デビュー3年目の99年頃、コンビは大きな危機を迎えた。藤田は「大村がアルバイトをしていて『この先、食える自信もないし、見切るのも手だ。(芸人を)やめる』と言い出した。
でも、俺はやめたくないし、『世の中、お金じゃない。ロマンだ。売れるためのロマンをつかみたい。勝負したい』と言った」。
大村は「お笑いをやめようと思っていた。ただ、ピンでやろうとは1回も考えたことない。藤田がいて、僕の笑いは生きる」とコンビ愛をにじませる。
 大村の現在の妻で当時交際していた女性に相談された藤田は、「彼女もやめてほしくないと言うし、俺もやめたくない。話しながら号泣していた」。
所属していた吉本興業の社員に「もったいないから、1年の期限付きでやってみないか」と「漫才」を勧められたという。
 藤田の熱い思いに打たれた、大村はコンビ存続を決断。資金稼ぎのために「マグロ漁船乗ろうぜ」と誘った。
藤田は「魅力的だった。乗ってみたい気持ちと五分五分だったけど、お笑いを選んだ」。
 漫才を始めると、波に乗った。「ハンパねぇ」、「〜したまえ」など面白い言葉づかいで人気に。「結成8年目でようやく食えるようになった」。
漫才師日本一を決める「M―1グランプリ2007」で準優勝、翌08年の「第10回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会」で優勝。
藤田は「漫才を始めて、漫才の楽しさを知り、今日に至る。漫才に助けられた」としみじみ。
(以下略、全文はソースをご覧ください。)

結成20年を振り返ったトータルテンボスの藤田憲右(左)と大村朋宏
URLリンク(www.hochi.co.jp)
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