【作家】三島由紀夫「 ..
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851:かす といふ噺もあつたが、大正、昭和となつては、さすがそんな噂はなくなつた。けれども、淋しいと云へば淋しい。 その頃は新宿も市外で、今のかつしか、えばら区などと言ふ所は勿論かやぶき屋根の立並んでゐる村であつた。 しかし、明治初期の頃の日本橋、銀座は、割合に発展してゐて、越後屋、高島屋、白木屋などの大商店が軒を ならべて居たと云ふ。後に越後屋は三越と名を改め、外の大きな店々は三越と共に、豪壮なビルディングへ転居した。 昭和五、六年になると、東京市は実に偉大な発展を占め、旧市、新市合せて、何んと三十五区になつた。 おまけに、新宿が市内になり、銀座、日本橋、丸の内と合せて、東京市は東洋にほこる大都会となつた。 東京市は天をついて伸びてゆく、丁度若木のやうに。 平岡公威(三島由紀夫)10歳の作文




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