いわきの匠「おかずは生のキャベツだった」
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1:名無しさん@涙目です。(東京都)
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町の工匠 原点はいわき
日本を代表する「町工場の街」の一角に、福島県いわき市出身の小宮秀美さん(61)の町工場がある。「いわき精機製作所」(大田区)。三十四年前に創業した時、「故郷に恩返しを」との思いで掲げた看板だ。
その故郷が今、東日本大震災の激震、津波に加え、福島第一原発事故の「三重苦」にあえいでいる。
「もし自分の技術が役立って、それで原発が収まってくれるのであれば、喜んで現場に行きますよ。放射能を浴びて、寿命が縮んだって構わない」。穏やかな口調の中に、激しい怒りがにじむ。
透き通った海や川。思い浮かべる故郷の姿は美しいが、生活は貧しかった。
福島県出身の父親は上京して、理髪店を営んでいたが、太平洋戦争が激しくなると、家族とともにいわき市に疎開した。見ず知らずの寺の厚意で、七人家族が本堂の一角を間借りして暮らした。末っ子の小宮さんはこの寺で生まれた。
「おかずは、生のキャベツくらい」。いつも空腹だった。「両親に楽をさせたい」と、中学卒業後は工場に就職した。十九歳で上京したのは、高度経済成長期の働き手として、大田区で町工場を営む親類に頼まれたからだ。
「空気は汚れている。でも、活気がある」と思った大都会で懸命に働き、二十七歳で独立。以来、次男祐樹さん(28)が加わってくれるまで、ほぼ一人で働いてきた。超精密が求められる部品や機器づくり。
特注品の発注も多く、ドライバーなど道具づくりから始める。特に「技術者冥利(みょうり)」だったのは、腕を見込まれて依頼された光ファイバー用の金型づくり。「その光ファイバーが張り巡らされて、社会や時代を変えたのですから」。
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)
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