【論点】  キリスト ..
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850:神も仏も名無しさん
10/05/09 10:43:58 LP1J+wFr
ID:lISpaj4w=ID:6sA83tccさんにとっては、宗教というものにはいかなる存在価値があるの?
それとも完全な無価値。あるいは存在悪なの?


851:神も仏も名無しさん
10/05/09 10:46:49 6sA83tcc
>>850
支配の方便、トランキライザー。
善悪じゃなく、要不要ね。

852:神も仏も名無しさん
10/05/09 10:53:07 LP1J+wFr
再質問
キリスト教の方は766の質問には、どのようなご意見なのでしょうか?



853:神も仏も名無しさん
10/05/09 11:08:40 wpQXTB0i
>>852
アンカーくらい付けようよ。

854:前世は一在家
10/05/09 18:16:08 ZeuRlHEl
>>783
>日々の生活を送ることがやっとだった当時の人々がボロ着をまとった自称預言者
>や修行僧の説法に耳を傾けて、更に信じるはずが無いでしょう。
>では、なぜイエス様や釈尊の説法を当時の人々が信じたのでしょうか?
>文献的に見ますと、彼らは癒しによる救いの奇跡や苦しみの解消を行いつつ
>信を集めていっていることになります。
>イエス様は聖霊による洗礼を多用され、釈尊は対機説法(しかも読心通活用)を
>実践して歩かれました。
>まず人々を救い、救った後に福音を述べた、と解釈する方が理にも適っております。

この板でイエス様や釈尊を精神病者やうつ病者だという人がおられますが、
救う力が精神病者やうつ病者にあるはずもないでしょう。


855:前世は一在家
10/05/09 18:21:55 ZeuRlHEl
>>854
聖書ではイエス様は人に憑依した悪霊と対話しており、その悪霊をとり
除いて救っておられます。
その様子は同行した弟子達や周りの人々が度々目撃しております。

悪霊に憑依された人を現代では精神病の患者と呼ぶでしょう。
その人を救うのが精神科医であり、そのカリスマ精神科医を患者扱い
することは、論理的にも無理があるかと存じます。


856:神も仏も名無しさん
10/05/09 18:22:00 wpQXTB0i
鬱病は知らんが、ある種の統合障害なら、同様の病質傾向のある者や
DQN脳を惹きつけるかも知れない。

857:神も仏も名無しさん
10/05/09 18:23:23 wpQXTB0i
霊は物質ではないから、物質に憑依したり、情報を受け渡したりは出来ない。

858:前世は一在家
10/05/09 18:24:08 ZeuRlHEl
>鬱病は知らんが、ある種の統合障害なら、同様の病質傾向のある者や
>DQN脳を惹きつけるかも知れない。

もし惹きつけたとして、どうやって癒すのですか? 何百人も?


859:神も仏も名無しさん
10/05/09 18:25:47 wpQXTB0i
みんなでおかしくなればいい。

860:前世は一在家
10/05/09 18:32:14 ZeuRlHEl
>霊は物質ではないから、物質に憑依したり、情報を受け渡したりは出来ない。

物質も素粒子の領域で見れば、粒子性と波動性を有しますでしょう。

肉を構成する細胞は粒子性と見なせるでしょうが、脳波はどうですか?
光や音波や電磁波は波動性でしょうか。

原初の言葉(ロゴス)や光は波動性であれば、物質的とは言えないかと
存じます。

相手の脳波を機械を使わずに感じ取る能力があれば、経典に記載の
読心通の可能性もございます。

神や霊は粒子性よりも波動性の存在かという仮説を立てております。


861:神も仏も名無しさん
10/05/09 18:34:33 JkJKJmSM
>>860
脳波を感じ取るってどういうこと?

862:神も仏も名無しさん
10/05/09 18:36:08 wpQXTB0i
>>860
粒子性も波動性も物質の性質ですよ。

863:前世は一在家
10/05/09 19:09:49 ZeuRlHEl
>>862
>粒子性も波動性も物質の性質ですよ。

モーゼ、釈尊、イエスの時代に波動性も物質でしたでしょうか?


864:神も仏も名無しさん
10/05/09 19:40:51 VLJSKXBz
哲学的には知りませんが、波動方程式が見出される前後で、
特に物質の振る舞いが変わったとは、物理学では考えていま
せんね。

865:うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg
10/05/09 22:01:38 GVovdefq
「人間の客観的な認識はいかにして可能なのか」
哲学者カントが追及し続けたテーマです。
人間の認識能力についてきちんと検討もせずに
神だとか霊魂だとかを論じようとしたところに躓きの原因が
あったということになります。
人間の認識はいかにして可能なのか、それが客観的であることは
どうして保証されるのかという問題をカントは考えました。
その落ち着きどころは
「すべての認識は経験とともに始まるが、だからといって、
すべての認識が経験によるのではない」
後のウィトゲンシュタインの至言です。
―語りえないものについては、沈黙しなければならない。

866:神も仏も名無しさん
10/05/09 22:21:45 dWTZGWQY
作用せぬものは変化させず、変化が無ければ如何なる情報も伝わらない。
作用すればそれは物質であり霊ではない。
語る以前に、それは存在すらしない。


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