【論点】  キリスト ..
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626:前世は一在家
10/04/28 06:48:16 W+jTCDyY
>>623 20氏
>いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
>私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
>私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

既に>>624でレスしましたが補足します。
モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
以前の文献にて検証しております。

神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
では対話しております。


627:20
10/04/28 07:33:36 QJ/vX0hN
>>626
> モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
> 以前の文献にて検証しております。
>
> 神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
> では対話しております。

これは大切な作業だと思います。正典化されたものを中心に議論を組み立てるのは
神学的な態度としては間違いではないかもしれないけど歴史学的・文献学的態度としては
偏ったものになってしまいますからね。
私自身は今のところそこまで対象にできるほどの時間的余裕が無いので
在家さんにはぜひ研究・精査を続けていただきたいと思います。

628:神も仏も名無しさん
10/04/28 19:53:25 TkIM+2r2
>>625
>本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
>存じます。

>>606-607を読みましたか?

>都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や

じゃあどうすればいいんですかね?我々は千年以上も間違って唯一神教を信じてた馬鹿でした、
イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すればいいんでしょうか。
あなたはそれで満足しますか。

>「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという

私は、聖書の成り立ちそのものが唯一神論への移行の歴史、だと言うだけです。
現行の(旧約)聖書に収録された書の中でその立場は完結してます。イエスの時代には言わずもがな。

>行為が正しいのでしょうか?

倫理的な是非やら神界の裏事情は扱いません。過去の事実を知らない哀れでアホな古代ユダヤ人や福音書記者が
勝手に唯一神教にした、という矮小の仕方もしませんし。いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒がそのように解釈する理由にも理解をもとうと考えます。

629:神も仏も名無しさん
10/04/28 20:46:02 ppIaja6/
キリスト教の本屋さん
URLリンク(www.nikkihan.co.jp)

Category:キリスト教
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Category:日本基督教団
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630:前世は一在家
10/04/29 10:31:27 tWLEoGlp
>>628
>イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すれば
>いいんでしょうか。

イザヤは預言者ですから、神から聞いた通りに語ればいいのです。
ただ申命記や詩篇を語った預言者や詩人のことを知らなかったのでしょう。
そして、士師記、サムエル記上の筆記者のこともご存じなかったかと。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'


631:前世は一在家
10/04/29 10:34:26 tWLEoGlp
>>630
異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
としばしば言われます。 神様の常套句、方便かも知れませんね。
もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
預言者も命がけで宣教されたでしょうか? 疑問ですね。

私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
神の啓示や聖霊による聖典であれば、当然終始一貫しております。
どの章とどの章とを比べても矛盾はございません。

しかし、人間の知恵で作られた宗教の場合は、一貫性に疑問箇所が存在します。
例えば、10年前の啓示と最近の啓示とに微妙に相違が見られる等々です。

預言者の言葉をそのまま伝えれば矛盾はないのですが、知識の高い編集者が
加筆するとそこに矛盾が生じますので検証できます。
このことは神様でなくても、イエス様や釈尊の高弟が加筆した場合でも同様に
検証できます。

以上、私のスタンスは本来のイエス様の教えはどうであったのかの検証にあり、
手段としてニケーア公会議以前の文献も参考にしております。

よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
ご一緒にカトリックが成立する前のイエス様の教えを探していただければ
幸甚です。


632:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:29:35 AeaIh1dA
>>630
>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。

具体例をどうぞ。

>もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
>預言者も命がけで宣教されたでしょうか?  

バガヴァッド・ギーターはクリシュナと言う一神を至高の神として崇め、帰依せよ、
という経典ですが、ふつうに他の神々に言及し、それを聴いたアルジュナは
戦いを厭う態度を改め、(クシャトリアとしてのダルマに従うことに決め)また戦闘へと身を投じます。

>疑問ですね。

煽ってけしかけるために、事実でも無いこと(しかも根本的な信仰箇条)を神が言う、という発想を
信仰者がするものでしょうか?私は「いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。(>>628)」

633:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:30:21 AeaIh1dA
>私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。

違いますね。過去のある状態を取り上げて、後代の変化した信仰に
押し付けているだけです(「初期の神観→未来の書物に当て嵌め」)。
旧約後期の預言者や以降の信徒(「後期の神観→過去の書物に当て嵌め」)
とは逆のことを行っているわけですね。
後者は単に表現方法として調和化し、あなたは編者の過失でこれを行います。
さらにあなたは後期以降のものにすら多神論(>>625)に違い無い、という大前提を当て嵌めます。
初期の残滓部分と調和化させ「一貫性」を成り立たせるため、後期の預言者や信徒の信仰を
言い回しを変えて否定します。

>よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。

あなたは625で「神々」と読まなければ不誠実と断じたではありませんか。
誤謬にとどまるのも勝手だ、という意味あいなのですかね。

634:20
10/04/29 13:46:01 n1vq4jhK
>>631
在家さんのお立場としては、

1. 神は存在する。
2. 神は無謬・無矛盾である。
3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

ですね。

1〜3までは聖書を神・聖霊の息吹によって書かれたものとするクリスチャンと共通です。
4〜5については上記のクリスチャンは見かけ上の矛盾であって実際は矛盾ではないと考えます。
従って6については正典化そのものが神・聖霊の働きによるもので正典以外の文書は
基本的に神の教えを読み解く際に必要不可欠なものではないと考えます。

私の場合は世俗的な立場で、1から3までは最初から否定はしませんが、前提とはしません。
4〜5については1〜3を前提としないアプローチであるため、聖書を人間が作り、伝え、編集
したものと仮定し、その仮定に沿って読む限り正典には矛盾が見られると考えます。
従って6については正典以外を検証する必要は認めるものの、矛盾を取り除くのではなく
矛盾を合理的に説明し、ユダヤ教・キリスト教の実像に迫りたいと考えます。

どの立場も間違いというものではなく、単に立場の違いであると思います。
しかし私が以前に「文書仮説を大筋で認めるとすれば」と書いたのは、もし在家さんが
これを大筋で認めているのであれば>>633さんの批判が正しいことになり
在家さんの推論に無理が生じると思うからです。


635:前世は一在家
10/04/29 16:07:38 tWLEoGlp
>>632
>>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。
>
>具体例をどうぞ

それでは、コーランから紹介しましょう。
(雷鳴 17章)
言ってやるがよい、「アッラーこそ万有の創造主。これこそ、唯一にして
全能の御神におわしますぞ。」と。

(蜜蜂 50章)
アッラーの仰せには、「汝ら、二神を認めてはならぬ。神はただひとりのみ。
さればこの我こそ汝のおそれ敬うべき者」と。

尚、アッラー曰く、イエス様は預言者にて、二神ではないことになります。

他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、20氏と同様に私もそれほど
時間がございません。


636:前世は一在家
10/04/29 16:14:22 tWLEoGlp
>>635
私はコーランも一読しましたが、旧約の神と似ているなと思いました。

預言者に啓示をおろし、従わない人類は滅ぼすことを繰り返しておられます。

「汝の敵を愛せよ」と博愛、隣人愛、利他愛を説かれたイエス様の天の父と
長い間違和感を感じていた次第です。

尚、ユダ伝では旧約の神以外の神の名を知っているとイエス様は微笑まれました。


637:前世は一在家
10/04/29 16:35:14 tWLEoGlp
>>634 20氏
>在家さんのお立場としては、
>1. 神は存在する。
>2. 神は無謬・無矛盾である。
>3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
>4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
>5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
>6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
>  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

貴兄は心理学者みたいで、私のことを的確に理解されていて深謝ですね。

6.では、まず正典内の文書を検証することによって神の真意を検証します。

釈尊も相手に応じて真理の説き方を替えましたので、秘書のアーナンダは
混乱して悟りが高弟子の中では一番遅れたという説も伺っております。

神はその時代背景や預言者によって、真理(法)の説き方を替える場合が
あるからです。
智恵の高い人物にはそのままストレートに真理を伝え、低い修行者には
譬え話を使用されます。

7.正典以外の文書を検証に使う場合もあります。その正典を決めた人物が
若い司教の一人であり、反対していた司教達がいたことも分かっている
場合はそうします。 所謂、再検証です


638:神も仏も名無しさん
10/04/29 16:47:11 j5AezilV
>>635
>それでは、コーランから紹介しましょう。

唯一神教の預言が唯一神論を説くのは当然です。
巫女やシャーマンを引き合いに出すものだからてっきり
多神教の中の例も念頭に置いてると思っていたのですが。

>他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、

まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
で、今になって調べる必要があると。

639:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:02:03 k2yuQHja
デウス・アブスコンディトゥス(隠れた神)という考え方がありますね。
自らの本来の業である愛の啓示を、怒りという非本来的な業の仮面の下に
隠す神をさしています。その性質ゆえに、神の愛は認識の対象というより
信仰の対象となると解される。
旧約ではイザ64:6、エレ33:5、8:17、エゼ39:23などに類似の表現があります。

640:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:47:29 j5AezilV
>>636
イエスの教えでも神は罪人を裁き、地獄に落としますが?(マタイ5:22、29-30)
神は赦す心と同時にそうはしない厳格な面を持ちます。(マタイ12:31、マルコ3:28-29)

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ 10:28)

イエスにとっても神は恐ろしさを兼ね備えた存在です。

神の愛やゆるしは旧約聖書から説かれています。
申命記(7:7、10:15)やホセア書(11:1)によればイスラエル人が出エジプトできたのも
神が彼らを愛していたためです。ヨナ書にはニネベ人がヤハウェを信じたために神が
裁きを取りやめるシーンがあります。イザヤ書56章では異邦人の救いが記されていますね。
神はただ悪人を裁くのではなく、彼らが悔い改めるのを望んでいるとされます(エゼキエル書18:21-23)。

「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように」(箴言 3:11-12)

641:前世は一在家
10/04/29 18:30:53 tWLEoGlp
>>638
>まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
>「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
>で、今になって調べる必要があると。

何分、30年以上色々な教団の本を読んで参りましたので、どの宗教だった
のかを特定するのは困難ですので、済みません。


642:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:32:58 HgvLJER3
至高神、ヤーウェ アラー、 ブラーフマン イシュワラは
一緒だということでいいようですね


643:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:52:24 O+xrBTg+
>>641
「ので」の前後が全然つながっていないのですが……
「預言者やシャーマン、巫女」とあげ「常套句」とまとめるほど
ですから複数、かつそれなりの人数がいるはずなのですが、
人名も神名も団体名も欠片すら全く出てこないってのは逆にすごいですよ。

あやふやなら、議論上で出すのは差し控えますよね?
>>642
ここでの議論で何かが証明される質のものではないですね。

644:20
10/04/29 21:19:21 n1vq4jhK
>>637
いえ、勝手にまとめてしまってすみませんでした。修正ありがとうございます。
文書仮説(いわゆるJEDP。モーセ五書が対象の中心だが列王記まで含む)に
ついてはどうですか?文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
思われますが。そのような推論が適切でないのか、それともその推論自体は
適切であっても、ユダヤ教の宗派や周辺的なユダヤ教徒によっては多神教的な人たちも存在し
イエスもそれに属する、というお立場なのでしょうか?ここははっきりさせたほうがいいと思います。

>>640
現在の論点とは関係ないのですが一つ教えていただきたいと思います。
世の中には善人(と思われる人)や年端も行かない子どもが悲惨な死に方をする例があります。
もしユダヤ・キリスト教の神が愛する者を戒める神であるとすれば、戒めをはるかに超える
あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
説明されているのでしょうか?

645:神も仏も名無しさん
10/04/30 00:07:54 2OArGXJl
>あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
>説明されているのでしょうか?

定説は存じません。旧約・新約をざっと読み直してみましたが、そうした説明は見当たりませんでした。
ある意味ヨブ記がそうなのかもしれません。どのように説明をつけるようになるにせよ、
殺人やレイプですら(極論するなら)試練や悪魔の仕業として処理し、
ヨブ記の最後みたいに、事後に多大な恩寵を神から手渡すパターンにしか出来ない気はします。

赤ちゃんの死の場合は、神が公正である以上、その救いは否定されない、そうです。
URLリンク(www.christiananswers.net)(プロテスタント系、英語)
URLリンク(www.christiananswers.net)(でもリンク元のこちらは日本語)
幼児洗礼の論理として、原罪の赦しを経る必要があるという考え方もある。
URLリンク(www.geocities.jp)(正教会系)
カトリックでは洗礼を受けてない場合は、幼児の辺獄という考え方で処理するようです。
でも確定論というよりは希望、という位置付け(最初のリンクに近い)。

非業の死、善人や子供なら認める、と確定してしまうと、
信仰心を救いの基準にする意義が薄れてしまいかねず、彼らにとっても難しいところでしょうね。

646:20
10/04/30 07:27:11 d4HEZuhx
>>645
詳しい説明とリンク先の紹介、ありがとうございました。
論点は二つに分かれるかと思います。
1. 善人・幼児の悲惨な死の原因は何か。
2. その場合の救済はあるのか、あるとすればどのようなものか。

1.はリンク先の資料でも明示的には示されていないので
>>645さんの言われるように「試練」「悪魔の仕業」として処理するしかないのでしょうね。
(「試練」に関しては死んでしまった場合は試練も何もないようなw)
あるいはそのような憂き目に遭ってしまう人は、人間の理解が及ばない神の
大いなる計画の中の不運なコマでしかないのでしょうか。

2.はご紹介いただいた一つ目の資料ではImputed Sinになり、とりあえず永遠の死は
免れることになる希望はある、ということですね。(プロテスタント、カトリック)
ただし二つ目の資料のように、幼児洗礼を罪の許しの要件とする立場もある。(正教会系)

私の疑問点は主に1.に関するものなのですが、2.に関しても
たしかに信仰義認の教義と抵触してしまうこともあり、クリスチャンにとっても
簡単な回答は難しいのでしょうね。
たいへん勉強になりました。

647:前世は一在家
10/04/30 07:58:27 E4ZHWwtF
>>644 20氏
>文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
>多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
>思われますが。

旧約(クムラン・テキスト版含む)で見ましても、多神の中で拝一神を命じる啓示
を預言者イザヤに下されたいうことでしょうか。

釈尊が説法対象相手に応じて法の説き方を替えたように、
イスラエルの守護神もその時代や預言者や詩人に応じて真理、啓示の説き方を
替えたという仮説を立てております。

換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。


648:前世は一在家
10/04/30 08:00:18 E4ZHWwtF
(士師記)Judges 11:24
11:24 汝は、汝の神ケモシが汝に取らせるものを取らないのですか。
   我々は我々の神、主が我々の前から追い払われたものの土地を取るのです。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.

(サムエル記上)Samuel 1
26:19 「他の神々に仕えなさい」と言って、今日、私を追い出し、主の嗣業に
   預かることができないようにしたからです。
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'


649:前世は一在家
10/04/30 08:03:27 E4ZHWwtF
(イザヤ書) Isaiah 45:22
45:22 地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
   わたしは神であって、他に神はないからだ。
(Isaiah 45:22)Turn to me and be saved, all you ends of the earth; for I am God, and there is no other.

(Deuteronomy 32:8-9)
When the Most High gave the nations as an inheritance, when he divided mankind,
he fixed the borders of the peoples according to the number of the sons of God.
(申命記 32:8-9) ※クムラン・テキスト版
いと高き者は神の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、
神の子らの数に照して、諸々の民の境を定められた。

(Psalm 82)
God stands in the divine council;in the midst of the gods he holds judgment.
I said, “You are gods, sons of the Most High, all of you;
(詩篇)
82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
82:6 私は言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。」


650:神も仏も名無しさん
10/04/30 13:40:58 8PiA0gNP
>>647
>文献上では多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。
旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

651:前世は一在家
10/04/30 14:44:40 WrtqQ/cV
>>650
>旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を
>示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

より正確にはそうですね。 補足を有難うございます。



652:神も仏も名無しさん
10/04/30 15:15:07 mYeQWTpn
横レスすいません

神様は寂しがりやのアーティストなのさ
だから、天使や人間を作った
天使にも、自由意志をある程度与えたが、それは神に絶対に服従と言う縛りがある
自由意志にすぎず、寂しがりやの神と対等な話し相手にはなれなかった。
そんで、アダムを作ったんだが、彼には天使に無い本物の自由意志を与えた。
それは、アダムに裏切られる。そむかれるという前提のものだった。
知恵の実を食べて、神の信頼を裏切ってしまうのが罪の始まりだと解釈している。
神は、悪に対しても熟知しておられる。善だけでは不完全だからね。
だから、ヨブやイエスを試すために悪魔が用いられる。
人間は自由意志で神を否定も出来るし、悪に染まることもできる。
しかし神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。 駄文すまん

653:神も仏も名無しさん
10/04/30 17:27:42 8PiA0gNP
>神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。
自由意志を善に向けるためのアドバイスが
マタイ26:41
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」
だと思います。
watch(原義:目を覚ます)
注意して見る、じっと見ている
ジーニアス英和辞典

watchスペル分解こじつけ。
w-あなたのwords(言葉)に注意しなさい。
a-あなたのactions(行動)に注意しなさい。
t-あなたのthoughts(想い)に注意しなさい。
c-character(人格)に注意しなさい。
h-heart(こころ)に注意しなさい。
誘惑にwatch(注意)しなさい。

654:前世は一在家
10/04/30 17:55:10 WrtqQ/cV
>>652
>神様は寂しがりやのアーティストなのさ

そうですね、神は大芸術家ですね。

この物質界に神界の写し絵「エデンの園」地上天国の建設を望まれて
神経綸(青写真)にて天地と人類の創造をなされたと伺っております。




655:前世は一在家
10/04/30 18:10:57 WrtqQ/cV
「悪」とは何でしょうか? 利他愛の反対の自己愛から発生する思い、
行為でしょうか。 

マリア伝では「良心」と「欲心」との対話の章がありますが、釈尊も
「欲心」から生じる固執・執着が苦しみの原因だと説かれております。

エッセネ派の宗規要覧では「欲心」は人の創造時に与えられた「闇の箇所」
に起因することが説かれております。

旧約や新約とは離れましたが、エイレナイオスのいた頃にはこれらの文献
も存在して読まれていたということです。
そしてニケーア公会議以降に異端として焚書されましたが、1600年後に
復活して現在に至っております。

PS
数日、外出しますので、しばらく失礼致します。


656:20
10/04/30 23:50:55 d4HEZuhx
>>647
> 換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
> 多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。

預言の書あたりまで含めれば文献上も明確に唯一神信仰が見られると思います。
在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。
よってイエスも真の預言者である限り、「本来の」ユダヤ教に忠実に多神教(及び
拝一神教)的な文脈の中で発言しているはずだ、ということですね。

正典化された福音書に他の神に言及する箇所がないのは、正典化作業に携わった
人達による隠滅工作であり、正典から外され禁書された福音テクストの中に
多神教(及び拝一神教)的信仰に言及する箇所が含まれているはずだ、
というのが在家さんの仮説ですね。

となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
書かれているのか、ということになりますね。
少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要がありますね。


657:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:14:58 lfLSwbXt
クムラン文書にはイザヤ書写本も含まれていますね。
クムラン・テキスト版イザヤ書の唯一神論のくだりが、
現行の聖書に収録されているイザヤ書と同じであれば
エッセネ派も唯一神論信仰だったと言えると思います。

658:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:41:06 lfLSwbXt
知恵の系譜(7)クムラン宗団の信仰
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
モーセの律法を破ってはならない、ということに凄まじく厳格ですね。
ファリサイよりも厳しくなおかつ霊的側面もより尊重している。
「あがないの生贄を認めない」(>>122)ってのは、その価値を認めていないという意味ではなく
「神の手を煩わせてはならない」という発想からのものじゃないでしょうか。
モーセの律法をひたすら研究・実践し、破らないのが大前提になっている。

和田幹男/死海文書と聖書
URLリンク(mikio.wada.catholic.ne.jp)
>イザヤ書だけはその全書の写本が出土した。

>A)つぎにその古い写本断片によってマソラ本文が信頼するに足るものであることが証明された。
>前述したとおり死海文書中全聖書の本文が完全にあるわけではないが、イザヤ書はその全書があるので、特筆すべきであろう。
>これをマソラ本文と比べることによって、マソラ本文が1000年の年月を経て
>忠実に写し伝えられた本文を保っていることが明らかとなった。

このぶんだと唯一神論もそのまま、か?

659:神も仏も名無しさん
10/05/01 11:53:09 lfLSwbXt
唯一神論部分(>>607)の英訳
Column XXXIX The Great Isaiah Scroll 45:21 to 47:11
URLリンク(moellerhaus.com)
URLリンク(moellerhaus.com)
26. (18.) For thus says YHWH creator of the heavens; He is the God and He formed the earth and made it; and he
27. prepared it, He did not create it void, he formed it to be inhabited: I am YHWH; and there is no one else.

かくして天の創造主ヤハウェは言われる。彼は神であり、彼が地を形作りそれを造り出した。
そして彼はそれを用意した。彼はそれを空虚なものとして創造しなかった。彼はそれを居住に適したものとして形作った。
私はヤハウェである。そして他にはいない。

who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.
(22.) Turn to me, and be saved, all the ends of the earth: because
3. I am God, and there is no other.

誰がその時からこれを語っていたのか。わたしヤハウェではないか。他にはいない。
私と並んで神、公正なる神、そして救い主。私に並ぶものはない。
大地の果ての万人よ、私に立ち返り、救われよ。なぜなら私は神、他にはいないからである。

※和訳はてきとうです。

660:20
10/05/01 16:26:05 fNmQT9+N
>>657
重要な着眼点だと思います。ただしエッセネ派の秘儀的解釈という特徴を考慮すると
イザヤ書がマソラ本文と同一であっても、唯一神に関する正統ユダヤ教の解釈と
エッセネ派の解釈は必ずしも同一であるとは言い切れないと思います。
とはいえ、私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

(ここからは>>658さんがリンクを載せた主旨とは全く関係ない私の印象です。
私は一つ目のリンク先の、エッセネ派の教義からイエスへとつなげていく論法に
非常に違和感を覚えます。エッセネ派における祭司・王・預言者の三者が
イエスの中にひとつになって統合されている、と言いうるには
そもそもエッセネ派の解釈において三者の統合されたペルソナなどという
存在が許容されるのか、イエスは自覚的に自らをその三者の統合体であると
考えていたのか、など説明を必要とする論理の欠落があまりにも多く見受けられるからです。
ヨハネ福音書を媒介としてエッセネ派とイエスを結びつけようとする意図が強く働いている
気がします。まあこんなふうに思うのも私がヨハネ福音書を否定的に捉えてるから
かもしれませんが。)

>>659
> who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
> 2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.

一行目と二行目はつながっているので
「私の他に(or私と並ぶ)神はいない。義なる神にして救い主。
私の他に(or私と並ぶ)神はいないからである。」という感じでは?

besideの元のヘブライ語がどのような意味範囲を持っているかによって
訳(解釈)は違ってきちゃいますね。besideという英訳は元のヘブライ語の
多義性を反映してるのかな?どちらにしろ他の句と照合すると
まず間違いなく「他に」の意味で使ってると思われます。

661:前世は一在家
10/05/01 22:12:40 p/jXkbl5
>>656 20氏
只今、外出先の高山市より帰りました。

>在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
>テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。

多神を示すテキストであってもその啓示を降ろされたのがYahwehであるという点が
重要であり、これはユダヤ教徒もキリスト教徒も否定できないでしょう。

次に唯一神教的なテキストですが、下記の2つの場合を想定します。
@後世の誰かが改竄した。
Aその時代の預言者の資質に応じて神が啓示の降ろし方を変えられた。

@の方は案外簡単に証明できます。
旧約の七十人訳とマソラテキストと、クムランテキストとを比較して相違箇所を
検証すれば良いからです。

死海文書の研究者たちが驚いたことは、クムランテキストとの相違点が当初想定
していた以上に少ないということです。
申命記の「神の子らの数に従い」が「イスラエル民の数に従い」とか「天使の数
に従い」とかいった相違点は極めて少なく、2千年にわたりラビ達が非常に正確に
書き写してきたことが検証されております。

ですからAの解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
ないかというのは私の仮説でございます。

例えば神を疑い易く、啓示を伝える勇気の少ない預言者には、強く唯一神教的に
啓示を降ろされたのではなかろうかと、これまで別の神を信じてきた預言者には
多神&拝一神教的な伝え方をされたのではと思料します。


662:前世は一在家
10/05/01 22:30:57 p/jXkbl5
>>660 20氏
>私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

私の現時点の知識では、エッセネ派が多神論的な解釈をするという文献上での
証拠はございません。

ただし、魂や運命に対する解釈がパリサイ派やサドカイ派とは異なっていたようです。

【死後の生】
(パリサイ派)死者の復活を信じた。
(サドカイ派)死者の復活のような奇跡を一切否定した。
(エッセネ派)
肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、
霊魂は不死で滅びないと確信していた。

【運命(予定論)】
(パリサイ派)
ある出来事は運命による業の結果であり、その他は人間側の自由意思にかかっている。
(サドカイ派)運命の存在を認めない。
(エッセネ派)
いま存在しているものや、これから存在するもの、それらすべては知識の神から来る。
神は、それらが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。(宗規要覧3:15)
(神の青写真に従って歴史が展開されるという意味でしょうか。)

参考:「死海文書のすべて」青土社


663:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:31:50 9Wo5dfGc
超自然を認めるなら

B初期イスラエル人には唯一神論が理解できず、拝一神に置き換えてしまった。

ってのもアリですね。

664:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:39:16 WbGZxcdP
聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

古代人が、その生存という至上目的のために、何故、神概念を作り上げ、それを他者に
説かなければならなかったのかを、人間の生物的生存努力の面から、考える必要がある。
その場合、古代人は科学について無知蒙昧であった事実を考慮に入れる必要がある。

共生集団をまとめるためには、何らかの権威が必要である。その目的のために、更なる
はるかな過去において集団をまとめていた優れた指導者の記憶をイメージ化したのが、
神概念であろう。その過去の指導者も、自己の補助者として、複数の人間を要したこと
には間違いない。どんなに偉い王でも、補助者としての同僚や忠実な臣下が必要である。
そのような複数の同僚や臣下の記憶のイメージ化が「多神」ではなかろうか。「神々の
会議」である。

「神概念」が人間の想像の産物である以上、「人間の生存のための必要性」の面から、
神の起源を考えるべきではないか。

イエスは、はるか後世の人間であるから、「神」とは関係ない。彼は、すでに形成
されていたそのような神概念が、「過去の指導者(及びその臣下)の記憶のイメージ
化」に過ぎないことに、もはや思い至ることができなかったのであろう。現代人でも、
未だに「人間にあらざる神」を信じ込まされているのと同様である。

なお、引用における「beside」は、英語的には、あきらかに「other than」の意味。
過去の指導者の同僚や臣下が捨象され、一人の指導者のイメージのみが拡大されて
抽象され、生き残ったのであろう。

例えば、大国主命も、過去の優れた医療者の記憶のイメージ化であろう。

665:前世は一在家
10/05/01 22:41:55 p/jXkbl5
>>656 20氏
>となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
>どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
>書かれているのか、ということになりますね。
>少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
>イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要が
>ありますね。

先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。

トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
また調べておきます。

ただ共通している点は、イエス様は快活な方でよく笑い、女性信者達からも
大変慕われていたということでしょうか。
若い教父が選んだ四福音書に記載されたイエス様と少しイメージがことなります。


666:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:54:56 jr0rScrg
前にも書きましたが、ケツを叩いてけしかけるために、事実とは異なるコトを吹き込む、ってのは相当エグいことですわ。
拝一神で他の救いを否定した上に、さらに逃げ場を排除するために、さらに否定を押し重ねてあるんですから。
そういうことやるくらいなら、初めから嘘を使わずに済む人材を選べばいいと思うのですが。

BはBでも問題が出てきますね。唯一神論を最初からしっかり記述させず(orできず)、
これはこれで使える、と拝一神論状態をあえてそのままにしていた、ってことになりますからね。
神から、実はその記述誤りなんだが……と言われたら確かに信者は混乱する。
そう見えるけどそりゃ表現なんだよ、と処理させる。

どちらにせよ生暖かい説明になってしまいますね。

667:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:59:32 jr0rScrg
もし四福音書とユダ伝が同時に正しいとしたら、
表でヤハウェにアッバ(父ちゃん)と呼びかけておいて
裏では彼を信仰する立場を笑う、っていう。
どんだけアンタ裏表あんだよ、って話に。
こんなのは方便じゃなくてただの処世術ですよ。

668:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:00:20 YpcxLjgv
結局神様なんかいないんだろ?
よりにもよって、あの中国に97%のレアアースを置いとくなんて、有り得んだろ。

669:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:11:26 vSXSI60o
>>667
イエスが、神に向って「父ちゃん」などと呼びかけること自体が、神を崇めては
いないことの証拠。イエスは、その精神病の症状としての誇大妄想から、「自分
が神に(少なくとも神の親類に)、なりたかった、なった積り」だったのである。

イエスにとって、「自分が神になる」ためには、創造主はライバル、それ以上に、
「目の上のたんこぶ」だったのである。だから、賢しらげに、旧約聖書に対して、
得意げに余計な一言を付け加えている。

670:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:15:19 bZW3EP4M
ヤハウェ信仰の普及以前の神観念の痕跡が
ヤハウェと同一視されている可能性も捨てきれん。

671:前世は一在家
10/05/01 23:21:13 p/jXkbl5
>>664
>聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
いくつかの共通点があります。

@短時間で非常に多くの啓示が降りることが多い。
A宗教の素人に啓示が降りることが多い。
B数百ページに及ぶ啓示であっても終始一貫している。

どんな知能指数が高い人間でも、人智で啓示集を創作した場合は、同等の
知能指数の人間が読んだ場合に終始一貫性が崩れておりますので分かります。


672:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:31:06 bZW3EP4M
新約聖書は神を固有名詞で呼ばず、単に「主」や「神」あるいは「父」
ともっぱら普通名詞で呼んでいるのは、神の名を発言することを敬遠する
ユダヤ教の習慣に従ったものと思われる。

673:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:38:05 1I5UbJdB
>>671
「啓示」なるものを批判的に読めば、現実上の根拠皆無な観念の遊戯。
使っている言葉も、小学生時代に習ったものばかり。大本開祖の「お筆先」参照。
精神医学者は、「濫書症」と診断している。

現代の精神医学では、「神懸り」や「憑依現象」は、精神障害として治療の
対象とする。

674:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:38:09 jr0rScrg
>>671
>私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
>いくつかの共通点があります。

どういう例を基準にしてるんですか?コピー・複製が容易にできる
現代のものなら、それだけで古代宗教側にハンデがありますよ。

675:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:54:51 jr0rScrg
@短期間だと、時間を経てチャネラー(仮称)の宗教観が変化・醸成しにくい。
A「宗教の素人」は具体的にどういう人を指すのか?宗教について全く知識の無い人はいない。
B一貫性、ってのはどこまでブレを許容するのか。矛盾というのは同じ事(聖書で言えば並行記事)
を書く・語る時に出てくるが、重複が多い人・少ない(無い)人を同じ基準ではかっていいのか?

具体例を出しつつ、こうした部分でも正確に扱いを決めないと、議論しようとしてもきっと話が拡散してしまいます。

676:20
10/05/02 01:11:18 P2zISPV9
>>661
> ですからAの解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
> また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
> ないかというのは私の仮説でございます。

超自然的な神を想定すること自体を否定するつもりはありませんが
その神の啓示の手法をそこまで柔軟にしてしまうと、聖書テクストに
対する評価・解釈は「何でもあり」に近くなってしまうような気がします。
つまり読み手にとって都合のいいように聖書に対して解釈的変更を加え
読み手にとって都合のいい神を作り上げることが可能になる恐れがあります。

>>662
こういったイエスの時代のユダヤ教各宗派の違いは、福音書やイエスを
考察する際に重要な背景的知識になりますね。ありがとうございます。

677:20
10/05/02 01:17:33 P2zISPV9
>>665
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

この辺は私が在家さんに最も期待している部分です。
私自身に教養・知識があまりないものですから在家さん頼りになってしまいそうですが
よろしくお願いします。私もそのうち自分で読んでみようと思っております。


678:神も仏も名無しさん
10/05/02 01:19:48 T0PbESPA
>>671
啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
いないのは何故か。すべて「人間の言葉」で書かれているw。

神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
からしか、絶対に習得できないはず。

この意味で、聖書の「初めに言葉があった」は全くの誤り。人間の言葉は、
人間が発生し、共同体を形成した後、その成員間の意思の疎通のために、人間
が作ったものである。言葉こそ、人間の最大の発明。

「聖書が神の言葉」など、笑うしかない。

679:20
10/05/02 01:20:53 P2zISPV9
>>670
私もそう思ってます。ヤハウェはイスラエル民族の歴史的宗教的変遷を
かなり内包しちゃってるんだろう、と。

680:神も仏も名無しさん
10/05/02 01:41:05 pxt6H4Vu
イエスキリストに子供はいますか?

681:神も仏も名無しさん
10/05/02 02:25:45 CduaAd3h
「神」を信じている人は、生物としての人類の生存本能との関係において、
人類に「神概念」がどのようにして発生したかを、まず説明してくれ。

人類の空想の産物である「神」ばかり語らないで、少しは「人間」について
語れ。宗教も、「人間」の数多い営みのうちの一つに過ぎないのだから。

682:神も仏も名無しさん
10/05/02 02:54:47 LeRAkmhi
>>679
ヤハウェは、モーセの神。モーセは、エジプトで突然変異的に発生したイクナートン
一神教の信者。そのあたりから語る必要があるのでは。

683:神も仏も名無しさん
10/05/02 03:50:25 aNRCJlQG
民族起源神話ではなく
宗教としての生死観のベースになってるのが
黙示録のカタストロフとその後の『神の国』での復活だしな
死んでも善き人は其処に復活して暮らせるというのが宗教的救済の基本なんだが

今となっては其処へ至る前に魂が暮らす多神教に良く見られる天国のようなイメージに
食い荒らされてて需要があるからってそっちもアリにしちゃってる感じがなんともマヌケ

684:20
10/05/02 07:17:47 P2zISPV9
>>680
聖書その他客観的な資料では確認されてないはずです。
そもそもイエスに関する聖書外の客観的資料はほとんどないはず。

>>681
実はこのスレで信じているかどうかという点で言えば、在家さんくらいしかいないかもw
で、神を信じている人にとっては「人間は神の被造物」として処理されてるから
「人類に「神概念」がどのようにして発生したか」という問い自体が成立しない。
強いて言えば「神による神自身の啓示によってもたらされた」となるはず。

>>682
もし本当にモーセが実在して、なおかつイスラエルの民がエジプトにいたとするなら
イクナートン信仰の影響もあるかもね。まあモーセや出エジプトが史実ではないとしても
エジプトの影響は受けてるから議論としては成り立つだろうけど、それを裏付ける資料は
ほとんどないんじゃないかろうかと思いますです。

685:前世は一在家
10/05/02 07:21:51 fmgxhSLZ
>>665 一在家
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

トマスの福音書では一箇所だけ「多神」についてイエス様が説かれております。
単独者(天の父?)とご自身以外に三人の神々がおられるとのことです。


(トマス伝)
30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
  いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

参考(マタイ伝)
18:20 「二人または三人がわたしの名によって集るところには、わたしもその中にいるので
  ある。」


686:前世は一在家
10/05/02 07:23:12 fmgxhSLZ
>>685
尚ヨハネ伝と競り負けて正統から外されたトマス伝ですが、ヨハネ伝の筆者がトマス伝の
内容を知っていたと思われる箇所が多数見受けられます。

(トマス伝)
24 イエスの弟子達が言った、「あなたがおられる場所について教えて下さい」。
 イエスは言った、「耳ある者は聞くがよい。光の人の直中に光がある。そして、
 それは全世界を照らしている。それが照らさないならば、それは闇である。」

参考(ヨハネ伝)
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
  どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
11:9 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、
  つまずくことはない。 この世の光を見ているからだ。」

(トマス伝)
1 イエスが言った、「この言葉の解釈を見い出す者は死を味わうことがないであろう」。
参考(ヨハネ伝)
8:52 アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、
 「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない。」と言う。


687:20
10/05/02 08:57:29 P2zISPV9
>>685>>686
これは興味深いですね。
ここからすぐに何らかの結論が得られるわけではないけど
少なくともイエス語録伝承には相当のブレがあったことが伺われます。

> (トマス伝)
> 30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
>   いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?

688:前世は一在家
10/05/02 09:41:12 fmgxhSLZ
>>687
>前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
>この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
>あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?

トマス伝はイエス様語録のスタイルにて、前後の文脈がないので分かりません。

私も「三人の神々」は誰なのか、知りたいですね。




689:神も仏も名無しさん
10/05/02 10:18:15 aNRCJlQG
単純に考えれば現在過去未来の同一存在を
時間経過に左右されない普遍性があるように言ってるようだ

過去と現在があって未来がないという事はない

世界を創造し運営を行う神の約束事の最たるものとも考えられるか


690:神も仏も名無しさん
10/05/02 11:11:31 NJQw2m6V
>>678
>啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
>いないのは何故か。

理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?
相手の言語使えるのに、わざわざ相手がわからない言葉使うなんてそれこそ何故って話になる。
イスラムでいう「啓典の母」や執筆用のネタ帳があるならソレは神語で書かれてるかもしれんがw

>神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
>からしか、絶対に習得できないはず。

知的生命体なら、リトルグレイだろうがレプティリアンだろうがプレアデス人だろうがクリンゴン人だろうが
メフィラス星人だろうがアヌンナキだろうがヤハウェだろうが思いつくでしょ。実在するならね。

691:神も仏も名無しさん
10/05/02 11:14:08 hKdaJGh0
神語があるなら、もっとも近いのは数学だろうな。

692:神も仏も名無しさん
10/05/02 17:51:06 DoWMyE79
「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。
12使徒が伝道のために全世界をくじ引きで分割すると、ユダ・トマスにはインドが当たる。
トマス伝はトマスのインド伝道における13のエピソードを並列的に物語り、最後はトマス
の殉教で終わるというもの。
イエスをインドの神と習合させ、布教して回ったのかもしれない。

693:前世は一在家
10/05/02 17:52:52 fmgxhSLZ
>>690
>理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?

まったく同感です。 あまりに常識的な質問なので返答に窮しておりました
ので、有難うございます。


694:前世は一在家
10/05/02 18:05:24 fmgxhSLZ
>>692
>「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。

原始仏典の一つの長部経典(ディガニカーヤ)によりますと、ブラフマン
(梵天)も複数存在します。
梵天達の上位に大梵天が存在し、大梵天の中の一方が釈尊に布教を進めた
との記載があります。(出典:「大本経」)

釈尊が悟った真理(法)は罪(曇り)深い人類に伝えても理解は無理だ
と判断した時に、「人々の為に是非伝えて欲しい。」と嘆願された大梵天
に私は人類愛の深い「天の父」のイメージが重なっております。



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