【論点】  キリスト教  【議論】 at PSY
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550:神も仏も名無しさん
10/04/18 19:15:44 yDN/sF2S
>>548
>「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
ルカ22:15-20

551:20
10/04/18 20:05:10 O0cTjw4b
>>547
> 3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
> ことが明白かと存じます。

それはそんなに簡単に言い切れないと思うよ。
マルコやマタイの記述においても、イエスは明確に自分が死ななければならないと
認識してるわけだし。
マルコやマタイの場合イエスを神というより預言者ないしユダヤの王(メサイア)として
認識していた可能性があるから、最後の言葉は十字架の意義を認めつつ、
犠牲の供物として捧げられた人間イエスとしての最後の慟哭であった可能性もある。
(「神の子」の記述は後の改鼠かもしれないし、そうではなくても当時のユダヤ教徒
にとってはヤハウェと同一視される存在ではなかったかもしれない。)
つまり預言者ないしメサイアであったイエスは、自分が十字架を背負う運命にあることを
明確に認識しつつも、土壇場で全能の神が別のシナリオを描いてくれることに期待した
可能性があるんじゃないかな、と。
あるいは単に彼らが、イエスが背負う苦悩と受難をありありと描きたかっただけなのかもしれない。
イエスは我々のためにこれほどまでの苦悩と受難を引き受けてくれたのだ、と。

後のルカやヨハネについては最後の言葉は神に対する失望やイエスの神性の否定につながるもの
として改変されたり除外されたりした、というのが真相だと思う。

552:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/18 21:16:37 6dOTzfuJ
イエスも仏陀の一人なのです

553:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 21:20:54 WkV4+Ik8
>>551
一つ訂正させてもらうが
ユダヤ人はイエスを預言者としても
認めていない。
ましてやメサイアでもない。
だから反逆者として処刑した。

554:20
10/04/18 22:22:29 O0cTjw4b
>>553
もちろん。俺が言ってるのはマルコやマタイ、及びその周辺のイエスに付き従ったユダヤ人。

555:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 22:29:21 WkV4+Ik8
>>554
一応こう発言しないと
全てのユダヤ人がイエスをメサイアとして
見ていると誤解されかねないので。
すいません。

556:20
10/04/18 22:59:35 O0cTjw4b
>>555
いえいえ。俺ももうちょっと明確に書くべきだったかもです。

それにしても気になるのがキリスト教における人間の能動性の問題。
古くはアウグスティヌス対ペラギウス、カルヴァン対アルミニウスという感じで
ずっと昔から神の恩寵・予定説を重視する立場と人間の能動性・自由意志を重視する立場
で論争があったみたい。
アメリカは改革派・長老派に限らずパティキュラ・バプティストなど
神学的にはカルヴァン派(予定説)をとるプロテスタントが多いみたいだけど
どうも実際の民衆・信徒レベルでは第2次覚醒運動を通じてウェスレーやメソジストの影響が
相当浸透したらしく自由意志とか人間の責任を重視する人たちが
宗派に関わらず多い模様。

557:携帯一在家
10/04/18 23:07:10 HY1ConGO
パソコンがアクセス禁止で解除までお休みです。

558:20
10/04/18 23:10:37 O0cTjw4b
>>557
あら、それは残念です。この際●を買ってしまったら?

559:携帯一在家
10/04/19 00:11:16 ypdyaJPS
20氏の551には八割ほど賛同します。

560:携帯一在家
10/04/19 00:42:11 ypdyaJPS
イエス様が命が惜しくて慟哭するでしょうか?

犠牲の子羊として不名誉な誤解をされることが、
処刑より辛かったのではと。

561:神も仏も名無しさん
10/04/19 02:53:31 Yt+aGJC0
>>560
見栄っ張りなやっちゃな

562:神も仏も名無しさん
10/04/19 03:00:58 PuM2ruou
イエスはこんな地上なんて早く去りたいと思ってただろうね。
もともと地上にいる霊じゃなかったのに、
あんな時代に特別に派遣された霊界の派遣いじめみたいなもんだから。
死ぬことなんて少しも苦じゃないよ。

563:20
10/04/19 20:53:24 ybNfap57
>>560
なかば同意しますが、なかばちょっとそれは違うとも思う。

あくまでもマルコ、マタイに書かれているイエスの言葉が事実であったと仮定して論を進めます。

マルコ伝
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マタイ伝
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、
御心のままになさって下さい」。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マルコ、マタイで描かれるイエスは神の計画を認識しており自分の運命も悟っていた。
それでもこの杯(十字架上での刑死)を飲まずに済むのであればそうして欲しいと願っていた。
十字架にかけられてもなお、この希望を捨てずにいた。その希望がついえた時出た言葉が
例の「レマ サバクタニ」であった。「命を失うものは命を得る」と認識していたイエスは
もちろん命が惜しくて慟哭したのではなく土壇場での神の奇跡が起きなかったこと、
つまり自分の願いが聞き入れられなかったことに慟哭した、のではないでしょうか?
自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
ましてや誤解など恐れてもいない。それでも地上において恥辱と苦痛を一身に受けねばならない
というシナリオとは別のシナリオを求めていたのではないか。
人間イエスとしての苦悩と失望が、先の二つのイエスの言葉に表されているように
思えてならないです。そしてそれを追体験する読者はイエスの復活において
宗教的カタルシスと宗教的確信を獲得するのだと思う。
そのように、マルコ、マタイはイエスを描いているのでしょう。

564:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 20:30:43 FGjmjm3O
>>563
あのー
レスを3行〜5行くらいに要約願えますか?

565:ユダ
10/04/21 20:45:07 4Z4lml6j
>>564
昇天以前のイエスは完全でないが故に最後に人間性が出てしまったが
復活後は完全になり神の子から神へと主から独立した
栄光の存在になった。

566:神も仏も名無しさん
10/04/21 21:02:01 UFxgl+wI
あくまで福音書を書いた弟子の見解だよ。
イエス本人はどう思っていたのかはわからんぞ。

567:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 21:12:18 FGjmjm3O
>>835
ゲッセマネの嘆きの祈りは、 涙がでる。
しかし最後に「御心のままに」 と祈った事に
人間がどう生きるべきかを全て集約したと言える。
御心のままとおまかせしきった境地を目指せとのメッセージ
これが人生の苦悩から脱却する唯一の方法   エックハルトもそう考えたはず

568:20
10/04/22 07:12:29 v8obLXHl
>>564
一応議論スレなのでどうしてもレスが長くなる傾向があります。
長いのがダメなら読み飛ばしちゃってください。

要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。

569:神も仏も名無しさん
10/04/23 01:28:24 mNAH0GLY
>>568
>要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
>そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。

そうですね。なぜ苦悩していたのかが論点です。

自身の十字架での処刑が「過越祭の子羊」にされることをイエス様はよく
ご存知でした。
ここまでは貴兄と同じ認識ですね。

>>703 別板より他の方のかきこ
>イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。
>旧約の生贄を利用しパウロがつくった妄想信仰です。
>>708
>人間の罪を払拭するため、動物を生け贄身代わりとして殺し、
>それで天国の切符がかえるという思想こそ狂ってます。

イエス様は「良い種には良い実、悪い種には悪い実」と説かれ、
ガラテヤ人への手紙でも
6:7「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 」

ご自身の説かれた「因果の法」が間違って伝えられることを嘆かれた
との仮説を立てております。


570:前世は一在家
10/04/23 02:03:22 mNAH0GLY
現世(この世)から見た地獄は暗く汚れているかと存じます。
神界から見た現世も同様でしょう。

ミッションを終えた御子神を父神は早く神界へ戻したいと思われる
のも自然ではないでしょうか。

しかし、神の預言者達は大抵頑強で、自殺もできません。
誰かに処刑されるのも肉体を離れて神界へ戻るオプションの一つ
だという仮説を立てます。

イエス様がユダに「あなたの仕事をしなさい」と指示されたことは
なかったでしょうか。


571:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/23 06:57:20 OEYdJ7Yi
ユダはイエスとマグダラのマリアと三角関係にあった。
女に産まれたということでイエスの子供を産めるマリア。
そのマリアの思いに答えないイエス。
まぁ痴情のもつれだな。

572:20
10/04/23 07:21:36 HCmUWW3w
>>569>>570
まず実際のイエスの発言と、福音記者や使徒、さらには口承によって改変・創造された
イエスの発言を区別しなければイエス固有の思想を取り出すことは難しいでしょう。
しかしイエス自身によって書かれたものがないわけですから、これは実質非常に困難です。
よって史的イエスの実像に迫るには単なる聖句の引用ではなく、当時の社会的・経済的・
政治的・宗教的・文学的背景から妥当な線を類推する以外にないわけです。

例えばマルコからの引用でも
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10:45)
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(14:24)
とあるわけですから、これをイエスの実際の言葉として扱えば
「イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。」という主張を
裏付ける根拠はどこにもありません。

当時のローマによるユダヤ人支配の政治的社会的状況やユダヤ人社会内部での
パリサイ派・律法学者と貧民・罪人との対立という社会的宗教的状況を考えれば
福音記者が程度の差こそあれ4人ともイエスの言動を旧約の預言の成就に結びつけて
記述したのは何の不思議もありません。そしてご承知のように旧約は枚挙にいとまがないくらい
犠牲に関する記述で満ち溢れているわけです。

決して在家さんの仮説を否定するつもりはありませんが、仮説を検証するためには
やはり聖句を抜粋する以上のものが必要になると思われます。
また「なぜイエスは苦悩していたのか」に関する私の推測は>>563のとおりですが
これはあくまでもイエスの言葉を事実と仮定した場合の推測です。

573:20
10/04/23 07:23:53 HCmUWW3w
>>571
こういう発想は全くなかったけど、意外に本当だったりするのかもw

574:前世は一在家
10/04/24 07:27:10 ZUqO5Evx
>>563 20氏
>自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
>「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
>ましてや誤解など恐れてもいない。

イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
のではと考えております。

「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
相通じております。
どの時代のいかなる人も、自分で積んだ罪(カルマ)は自分で刈り取る(償う)
という真理(法)です。

確かに別のシナリオの期待はあったかも知れませんね。同感です。
イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。


575:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:41:39 0b7QYCQl
>>754
スレリンク(psy板:142番)

576:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:57:41 E/QQJ/nD
御子を神の犠牲によるという発想がすでにお笑い。

577:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:58:15 0b7QYCQl
アンカーミス>>574

自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

>イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
>人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

実際にみかけたことあるの?というか「記念する」祭りなんだから、
そんな解釈があるとは思えないが……

>罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
>のではと考えております。

あがないによる救いは信仰でもって完成する。単純にチャラになるわけではない。
URLリンク(www.gotquestions.org)

一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
「神は〜〜してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。

578:20
10/04/24 20:54:28 LnLk4SZU
>>574
>>577さんとそれほど変わらないかもしれませんが一応付け加えると

> イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
> 人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

イエスの贖いは一度きりのことで、そのイエスを信じることで信仰者は救われる、と
いうのがキリスト教、少なくともプロテスタント系のキリスト教であって、毎年自動的に
罪が帳消しになると思っている人はいないと思います。

> 罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては

それがまさに恩寵の意味だと思います。

> 「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
> 相通じております。

少なくともキリスト教においては因果の果は神の介在によって発動されるもので
それゆえに例え罪を犯したとしても、同様に神の介在によって許しが与えられるという
発想になっているのではないでしょうか。

続きます。


579:20
10/04/24 21:16:29 LnLk4SZU
>>574 続き

> イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
> エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
> まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。

たしかに洗礼者ヨハネがエッセネ派の一宗派に属していた、ないしはエッセネ派と
深い関係があった、ということは十分に推測できることだと思います。
またイエスが洗礼者ヨハネに対して絶大なる評価を与えていたのも福音書の記述を
読む限り事実であったのでしょう。しかしだからといって、イエスがエッセネ派と
その教義を共有していたと推論するのは早計であるように感じます。
厳しい戒律と禁欲で知られるエッセネ派とイエスの言動には著しい違いが見られます。
(収税吏や罪人とともに食事をしたり信仰によって罪を許したりなど)
またイエスは動物などの犠牲を禁止しているというよりも形式化した律法細則や
祭儀に対して批判をしているわけですから、伝統的なユダヤ教の犠牲の概念を
棄却したとは結論づけられないのではないでしょうか。

むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。

580:前世は一在家
10/04/24 23:36:37 WHN6NfGA
>>579 20氏
>むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
>更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
>神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
>新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。

20氏の仮説は認識致しました。

ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

>>577
>自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
>律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?
「よい種は、よい実を結ぶ」というイエス様の教えがあったと思いますが。


581:前世は一在家
10/04/24 23:58:04 WHN6NfGA
>>577
>一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
>「神は〜〜してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。

人は神の似姿にて、神の子であり、父神は神の子達を深く愛しておられますと
伺っております。
この理解はエッセネ派ユダヤ教、トマスの福音書とは共通しております。

また、3共観福音書とも矛盾しておりませんのでは。

「神は〜〜してくださる」という心情(信条)は同感です。
ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは
と思っております。


582:20
10/04/25 00:17:06 f+pYipMr
>>580
> ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
> 別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

たしかにそうですねえ。私の推論には矛盾があるように私自身も感じます。
私自身のイエス観は今のところ>>579で述べたようなものなのですが
マルコ、マタイにおけるイエスの発言を事実と仮定すると>>563のような推論に
なってしまいます。この場合にはやはり矛盾を内包した人間としてのイエスの苦悩
ということになろうかと思います。

ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
可能性は捨てきれないと思います。そもそもこの言葉が疑いようもない
イエス自身の言葉だったとすれば、ルカやヨハネでいくら彼らのイエス像・神学に
合わないからと言っても、そんな大事な言葉を改変・削除することなどなかったでしょう。
おそらくは4福音記者とも本当の最後の言葉は知らなかったのではないでしょうか。

そう考えると史的イエスの実像に迫ろうとする際
この最後の言葉にあまり重点を置くのはやや危険かなとも思います。

583:神も仏も名無しさん
10/04/25 01:28:11 YJpMz3PW
>>580
>本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?

「突き詰めれば」
手を差し伸べることをせず、ふりかざすだけなら、そうなる。
基準に達しきれなかった者を脱落者としてそのまま除外すると言うこと。

>ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは

リンク先読んだ?単純に消す(チャラ)のではない。クリスチャン側にも自分達、
人類の罪深さの自覚がある。

584:前世は一在家
10/04/25 02:04:05 2IR610U7
>>582
>ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
>解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
>可能性は捨てきれないと思います。

本当は「エリ、エリ」とイエス様は叫ばれた思います。
マタイ伝で筆者が「エリアを呼んでいる。」と弟子達以外にも聞いたことを
証言しているからです。

マルコ伝「エロイ、エロイ」は創作というより、うっかりした記載かと。
日頃マルコはアラム語を多用しており、「エロイ」はアラム語で、その
ヘブライ語は「エリ」だからです。


585:神も仏も名無しさん
10/04/25 02:09:11 YJpMz3PW
イエスや新約の記者たちが前提としていたものを踏まえる必要がある。
「よい種は、よい実を結ぶ」や「自分の巻いた種を刈り取る」
こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。
ヨブ記のような現代人から見ると理不尽な物語も真理として受け入れた上で
(イスラエルの)神を崇め、神の正義なるものを信じている。
現代日本人と(こうあるべきと考える)応報観にズレがあっても
それはごく当たり前のことと言える。

個人的にはイエスのヨブ記講義を読んでみたいと思う。

586:前世は一在家
10/04/25 07:59:42 /cjJUmzh
>>584
(マルコ伝 14:51-52)
「ある若者が素肌に亜麻布だけをまとって、イエスの後についていたが、
人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。」(註マルコ伝の筆者)

イエス様が十字架にかかって四十年後(紀元70年頃)に、亜麻布を捨てて
裸で逃げた(恥ずかしい)若者がマルコ伝にしっかりと、十字架の日は
過越の祭の第一日目と明記しております。
そして、ルカ伝、マタイ伝の筆者も同じ日を十字架の日と記載しております。

しかし、自称「イエスに愛された弟子(ヨハネ 21:20)」はヨハネ伝の中で、
イエス様の十字架は過越の祭の第一日目の前日(祭の準備の日)としております(ヨハネ 19:14)。

さて、裸で逃げ出した若者(マルコ伝)と自称イエスに愛された弟子(ヨハネ伝)とが
大切な十字架の実行日を一日違えておりますことが、確認できたことと存じます。
私はマルコ伝の筆者に真実性を感じますし、ヨハネ伝の筆者には異質性を感じました。

この板ではグノーシスが批判されております。
しかしヨハネ書簡(福音書、手紙)の筆者は、光言語(光と闇の対句)を多用する
グノーシスの影響を受けた人であります。
因みに3共観福音書やトマス伝では光言語の記載は無いでしょう。

ヨハネ書簡を最初に担いだエイレナイオスの根拠に賛同する現代神学者はおりますか?
根拠「ケルビムの四つの生き物がいる。」(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)


587:前世は一在家
10/04/25 09:10:28 /cjJUmzh
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X)
以下に概要を箇条書きにします。
・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。
・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。
・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。
・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。
・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。
・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(W 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(V 19:1)

私もエイレナイオスを少し誤解していたようです。
彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。
でも、カトリックやプロテスタントでは如何でしょうか?



588:前世は一在家
10/04/25 09:14:29 /cjJUmzh
>>587
>■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X)

東京大学の大貫教授(西洋古典学専門)の著書「ロゴスとソフィア」より
異端反駁の訳を参照しております。


589:20
10/04/25 10:48:56 f+pYipMr
>>584
なるほど確かに周囲の人が「エリア」と聞き違えたというマルコ・マタイのエピソードを考慮に入れると
「エロイ(エリ)」に類する言葉を発した可能性は残りますね。
もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ただそうだとしても、イエスは神(父)に対する呼び掛けとしては Abba を用いているので
いきなり呼び掛けとしてエロイはやはり不自然と感じられます。本当にイエスの言葉だとすれば
イエス自身が朦朧とした意識の中で詩篇からの引用として発した言葉か
イエスの曖昧な発声をただ単にこの言葉を伝えた人が詩篇の言葉として聞き取っただけ
という気がします。いずれにしても真相は簡単には解けそうもないですね。

590:20
10/04/25 10:56:06 f+pYipMr
>>585
> こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。

イエスをはじめその周囲の人たちが骨の髄まで旧約聖書及びユダヤ教の伝統に
浸かっていた、という大前提はものすごく重要ですね。
これは新約を読む上で絶対に忘れちゃいけないことだと思う。

591:20
10/04/25 11:14:03 f+pYipMr
>>586>>587
この日にちのズレに対しては、一部のコメンタリーなどではユダヤ社会における一日の始まりが
夕方からであること、カレンダーの違いなどで説明されることもあるようですが、私の知る限り
ほとんどのコメンタリーではこの説を否定的に捉えています。ただこの辺は全く詳しくないので
実際のところはどうなのか私にはわかりません。

私も4福音書の中ではマルコが一番イエスの姿をよく捉えているんじゃないかという気がしてます。
マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし
ルカはイエスの神話化・美化が著しい。ヨハネはイエスを完全に神と捉え神学的な捉え方が
強い。素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

ヨハネ福音書とグノーシスの関係については私自身にあまり知識がないので
わかりませんねえ。たしかにグノーシスっぽいと言われればそうも思えるし。

592:前世は一在家
10/04/25 12:15:21 /cjJUmzh
>>591 20氏
>素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
>極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

「禁じられた福音書」のペイゲルス教授も神学者の多くは異端とされた福音書
と同様にヨハネ伝の筆者も正体不明だとの見解だそうです。

若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
否定的だった司教達もいたそうです。




593:前世は一在家
10/04/25 12:24:12 /cjJUmzh
>>589
>もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
>弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
>マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

>>591
>マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし

マタイ伝ではイエス様がエルサレム入城時のロバの数を2頭として
おり、マルコ伝とルカ伝での1頭と違えております。

マタイ伝ではゼカリア書の「(あなたの王は)ロバに乗ってくる。
荷を負うロバの子、子ロバに乗って。」という預言にあわせたよう
ですね。

もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
記載内容が変更されることもないかと存じます。


594:20
10/04/25 13:18:21 f+pYipMr
>>592
> 若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
> 否定的だった司教達もいたそうです。

それはわかる気がするなあ。ヨハネは共観福音書と比べるとあまりにも異質だから
初期の司教さんたちも大いに困惑したでしょうね。

>>593
> ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

一応いくつかのコメンタリで調べたんですが、すべてアラム語となっていました。
代表として学術的な水準の高さで有名なWBCからそのまま該当箇所を抜粋しておきますね。
In Matthew’s version of these words, “Eli” represents the Hebrew, “My God,”
while the following words are Aramaic for “Why have you forsaken me?”
It appears that Jesus, rather than quoting the words in Hebrew, quoted them
in their Aramaic equivalent (using the language he normally spoke) and that
Matthew altered the word for “God” (the Aramaic ελωι in his Markan source)
to ηλι (Hebrew, “my God”), perhaps with an eye on the confusion with the name
of Elijah in v. 47.
(Hagner, D. A. (2002). Vol. 33B: Word Biblical Commentary)

> もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
> 記載内容が変更されることもないかと存じます。

聖書の無謬性を主張する方々は、この辺もいろいろと弁明しているようですが
かな〜り苦しいw 別に霊感を受けて書いたと言ってもいいけど素直に記述の
矛盾や記者による意図的改変などを認めた方が神に対しても誠実な態度だろうに
などと俗人の私などは考えてしまいます。

595:神も仏も名無しさん
10/04/25 14:48:30 trkCxlZA
面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
アリウス派のウルフィラが訳したゴート語訳には列王記除く全巻が含まれる。

URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
イエスの神性を信じないエビオン派は
>彼らはマタイ福音書のみを受け入れ、
ていたらしい。
URLリンク(www.geocities.jp)
こちらのサイトだとヘブル人福音書も使ってた。

596:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/25 15:25:59 45Nu0ijj
魔境を恐れることなく修行に勤しむのが
真の行者だといえる

597:前世は一在家
10/04/25 17:05:22 /cjJUmzh
>>595
>面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。

そうですね。
更にエイレナイオスの頃のグノーシス主義者達の愛読書がヨハネ伝だった
ということです。
ヨハネ伝をベースに拡張創作していく人々に対しても、エイレナイオスは
必死で異端だと認定していたようです。


598:神も仏も名無しさん
10/04/25 17:08:43 trkCxlZA
アリウス派はエホバの証人方式でヨハネ伝と
自分達の教義とを摺り合わせしていたのか。

599:前世は一在家
10/04/25 18:16:54 /cjJUmzh
死海文書(クムランテキスト)の巻物の年代決定方法を紹介します。

@書体学上の年代
筆写生が書いたり転写しているテクストの文字の書き方、書体により
年代を推定する方法。

AAMS(加速器質量分析)による分析
カーボン14法による分析に必要な量は数グラムですが、最近開発
されたAMS法では1ミリグラムの有機物の飼料で年代を推定可能。

1990年、イスラエル古物局のアミール・ドローリ局長はAMS法で
クムラン・テキストの年代測定を行いました。

イザヤ書(旧約)の年代測定結果
@書体学法:前335年〜前327年
AAMS法:前202年〜前107年


600:前世は一在家
10/04/25 18:18:06 /cjJUmzh
>>599
イザヤ書(旧約)の年代測定結果
@書体学法:前335年〜前327年
AAMS法:前202年〜前107年

クムラン・テキストの中で古い物はAMS法で前405年と測定済み。
Wiki「聖書」でも、「現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたと
される死海写本に含まれている。」と記載。
グノーシスと関係がある・ないの議論の対象外でしょう。

そのクムラン・テキストの申命記32:8では、sons of God(み名はEl)
と記載されており、創造主の生み出された複数の神々の存在が登場します。

そういう意味では、生み出された神々は「神の御子」であり、神々により
創られた神の似姿の人は「神の子」であり、本来は異なるかと思料します。

ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。


601:前世は一在家
10/04/25 18:33:46 /cjJUmzh
>>600

グーグルにてキーワード「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 El」で
検索すれば、最近の研究成果や論文が英語で多数確認できます。


602:神も仏も名無しさん
10/04/25 19:38:43 tCs2TjLG
グノーシス主義は人間即神也の思想です。

603:20
10/04/26 00:34:52 JZBdkDWp
>>600
死海写本は思っていたよりも古いですね。
NET Bibleの訳注によるとクムラン・テキストでは sons of God
マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。
といってもNETの訳者たちは the heavenly assembly という訳を採用してましたが。

> ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
> であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。

第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
定着していっているので、イエス本人や福音書記者の間でイエスを
「神々の中の御一方」という考え方はないように思います。

604:神も仏も名無しさん
10/04/26 00:53:11 1ya0IkDG
聖書を元にした成功本があるらしいけどね


605:前世は一在家
10/04/26 06:47:37 3ajbyi7C
>>603
>マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
>クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。

特にギリシャ語聖書の原本だという見解だそうですね。

>第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
>定着していっているので、

旧約には「神々の会議」とか「他国の神を信仰してはならない」とか詩篇等に
記載があります。
あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

つまり、神的存在は一つという意味ではなく、一つの神のみを信仰するという
意味です。

606:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:40:48 4Hbb0PBn
偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。
その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。
彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、
強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、
それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、
それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、
またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、
また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、
これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。(イザヤ書44:9-44:17)

607:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:45:45 4Hbb0PBn
天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、
いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、
「わたしは主である、わたしのほかに神はない。
わたしは隠れたところ、地の暗い所で語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。
主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる。
もろもろの国からのがれてきた者よ、集まってきて、共に近寄れ。
木像をにない、救うことのできない神に祈る者は無知である。
あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。
この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。
わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。
わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。
地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、
そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。(イザヤ書45:18-45:22)

608:神も仏も名無しさん
10/04/26 22:01:17 BoLB/JsL
七日で地球が出来る分けねーじゃんバッカじゃねーの

609:神も仏も名無しさん
10/04/26 23:14:11 x2jLOPUo
イエスや福音書記者たちが、預言書に明記された唯一神論を踏まえない。

ありえねー

610:神も仏も名無しさん
10/04/27 00:01:23 KV3nirUa
意味もわからず聖書を読むのは退屈ですね~~+

611:前世は一在家
10/04/27 06:53:46 xXjYtMog
>>603 20氏

グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説や論文を英語で読むことができます。

★Dr. Michael S. Heiserの論文その1
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”

至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smith教授
の学説も紹介しております。

(はじめにより)
The argument is put forth that these texts suggest Yahweh was at one time
a junior member of the pantheonパンテオン under El the Most High至高神,
but that he has now taken control as king of the gods.
Mark S. Smith’s comments are representative:

異端として焚書された「ユダの福音書」も大戦後に発見され研究が進んでおります。

ユダ伝では、ある日弟子たちが旧約の神(Yahweh)に祈っているのをご覧になった
イエス様が「私は至高神の名を知っている」と微笑まれました。

「ユダの福音書」と「死海文書」とがシンクロし出して、真実が輝きだしているように
感じます。

至高神(El、エロヒム)はYahwehのことなのか、それともYahwehの父神なのか、
至高神Elはイエス様の本当の「天の父」だったのか否か?

インターネットがグローバルに普及した21世紀に、カトリックが焚書した文献群が
次々に「復活」し、ニケーア公会議の再検証(審判)が行われる日が到来している
かと存じます。


612:ユダ改め石狩雄大
10/04/27 08:10:05 amOaMfq/
イエス様の本当の「天の父」の御名は何度か
書いていますがYahwehでもElでもありません。
「愛」を意味する全ての言葉が主の御名です。
軽々しく「愛している」などと言ってはいけないのです。
神への冒涜ですから。

613:神も仏も名無しさん
10/04/27 09:25:47 ns1ycrln
>>611
1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
4・あなたの信仰

1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。
区別しているなら、そのように書きましょう。

614:神も仏も名無しさん
10/04/27 10:03:12 8jT6ep96
エロヒムの複数形は威厳、卓越を示す「強意複数形」と呼ばれることば。
エロヒムの後に単数形の述語動詞や形容詞が使われているので、エロヒムは一人称である。
エロヒムは「神々(複数)」と訳すのではなく「偉大な神(単数)」と訳すべきである。

至高神=天の父=エロヒム=YHWH

615:前世は一在家
10/04/27 22:43:16 pWorbN3c
>>613
>1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
>2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
>3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
>4・あなたの信仰
>1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。

あるクリスチャンから聖書は聖霊によって書かれたと伺いました。

申命記や詩篇を書いた人と、それ以外の旧約を書いた人とは別だ
と言われる貴兄はクリスチャンですか?


616:携帯20
10/04/27 22:56:51 DlFF88/G
20です。ま〜た規制食らってます。しばらくはROMになりそう。
ひとことだけ書いておくと文書仮説を大筋で認めるかどうかでユダヤ教に対する見方は違ってくると思います。

617:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:11:49 mBKyJpFS
>>615
聖書を構成する書物の一つ一つがその場の発案で書かれたわけではないでしょう。
元ある伝承を集めたものになってます(創世記のエロヒム資料とか)。
イザヤ書も第一イザヤ、第二イザヤ、って分け方がされてますね。

同じ本にも、それぞれの伝承を生み出した人々と、後代に編集して本にまとめた人々とがいます。
本にした人々の時代では既に唯一神論化が進んでいたと考えられます。

異教の神々やその名前は記述されますが、それらがサタンのような登場キャラとして
聖書の本文にあらわれることもありません。「バアルの預言者たち」をやっつける話は
あってもバアルが嵐をもたらしたり、バアルをモーセやエリヤがボコったという話はなし。

残滓部分もさらに調和化が進みます(ヤコブと神が相撲をとる話がじつは天使ということにされたり)。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者が多神論をとると思いますか?聖書を多神論とみなすと思いますか?

618:前世は一在家
10/04/27 23:32:32 3m7K905n
>>617
「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
おります。預言者に対する神様の常套句でしょうか。
神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

でも、「神の子らの数に従い」とか「汝らは神なり」という聖句が旧約
に登場します以上、複数の神的存在を否定できないと申しております
次第です。


619:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:37:58 mBKyJpFS
>>618
>「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
>おります。

バアルやアシェラが(サタンやら悪霊がなりすましたものではなく)
実際の神としてそう発言している章句が聖書にあるんですか?教えて下さい。

>神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね。

620:前世は一在家
10/04/28 00:02:07 3m7K905n
>>619
神の預言として受け入れた以降の世代でも、ユダの福音書記者は唯一論は
信じていなかったようです。

グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
明記されております以上、どうされるのでしょうか。

1)クムランテキストを一読して、自身の見解を整理する
2)クムランテキストは読まずに、従来の信仰を維持する

まだ2千年しか経っておりませんから、イエス様の本来の教えがどうで
あったのか、ニケーア公会議での時間切れの多数決が正しかったのかを
再検証することも可能かと思料します。



621:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:08:53 OrNF3RRc
参考までに。
一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
のものであったと考えられる。
しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
ユダヤ教、キリスト教、イスラームはそれぞれ旧約聖書からこの意味での唯一神観を
継承したが、キリスト教においてはイエスの死後、「神の子」であるイエス・キリスト
における神性(ヨハ1:1、18;フィリ2:6)と神の唯一性がどう関係するかをめぐって
キリスト論論争が起こり、最終的には三位一体論の形成につながった。
(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典

622:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:27:16 jTHGJDa+
>>620
もう一度確認です。
>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?
グノーシス派の話をしてるんじゃないですよ。ヤハウェを【至上の唯一神であると】信じ、
預言書を(彼から降された啓示として)信じるユダヤ人の話をしてるんです。

>グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
>オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
>明記されております以上、どうされるのでしょうか。

他の部分が多神論否定にまみれている以上、問題とされないでしょう。
(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。
神とイスラエルとのつながりは親子関係になぞらえられているので都合が良い。
これも前に書いた気がしますが。

623:20
10/04/28 00:38:23 QJ/vX0hN
なんか規制が解けたみたい

>>611 在家さん

>>501に書いた通り、すでに読ませてもらってます。
で、そこに書いたように私にはどちらが正しいのか判断はできません。

>>605
> あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
> 本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

>>620
> ギリシャ語聖書の
> オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
> 明記されております以上、どうされるのでしょうか。

横レスですが、クムランテキストは申命記、詩篇を含むユダヤ教テキストをマソラ本文より
よりオリジナルに忠実に再現しているというだけで
文書仮説を前提とすれば、聖書学的には多神教時代の残滓ということで
処理できる問題だと思います。ただその文書仮説そのものが正しいかどうかは別問題ですが。

ユダヤ人の信仰の問題としては、第二神殿時代以降はそういった
「多神教時代の残滓」部分は解釈によって唯一神信仰と矛盾しないよう処理されてるのだと
思います。ちょうど現代の福音派の人たちのコメンタリでそれは天使だとかイスラエルの民だとか
解釈するように。

624:前世は一在家
10/04/28 06:40:27 W+jTCDyY
>>621
>一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
>旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
>そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
>のものであったと考えられる。
>しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
>認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
>(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典

真に的を得た情報の紹介を有難うございました。
海外の研究者達の論文でも、「拝一神教から唯一神への変遷の経緯」を
記載したものが確認できます。
文献学的にはイスラエルの神ヤハウェに「私以外を拝むな」と命令された
ことがルーツかと認識しております。


625:前世は一在家
10/04/28 06:41:36 W+jTCDyY
>>622
>ユダヤ人、 福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?

本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
存じます。

>(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。

都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や
「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという行為が正しいのでしょうか?

譬え話をしますと、釈尊の説かれた「因果の法」は、「空」論理に都合が悪い
から「時間」を除いた「縁起の法」を支持する大乗仏教徒達をどう見ますか。

モーゼが若い頃には異国の神々が信仰対象だったのでしょう。
日本神道の神々、仏教を守護した梵天たちもまた異国の神々になります。


626:前世は一在家
10/04/28 06:48:16 W+jTCDyY
>>623 20氏
>いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
>私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
>私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

既に>>624でレスしましたが補足します。
モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
以前の文献にて検証しております。

神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
では対話しております。


627:20
10/04/28 07:33:36 QJ/vX0hN
>>626
> モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
> 以前の文献にて検証しております。
>
> 神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
> では対話しております。

これは大切な作業だと思います。正典化されたものを中心に議論を組み立てるのは
神学的な態度としては間違いではないかもしれないけど歴史学的・文献学的態度としては
偏ったものになってしまいますからね。
私自身は今のところそこまで対象にできるほどの時間的余裕が無いので
在家さんにはぜひ研究・精査を続けていただきたいと思います。


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