【論点】  キリスト教  【議論】 at PSY
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200:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:35:16 nrqU0D4g
【滅びの悪魔・悪霊】
神を信じながら、(平和でよい世の中だ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを満たせる幸せな世の中だ)
(人々のあやまちをゆるすように努め、隣人を愛するように努めるようにすればよい)(宗教は道徳的な
ことを教えているだけ)と思って暮らしていた時、神様は言葉を語られた。

富や権威や栄華を得ようとすること、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを貪ろうとする世は、神様の支配ではない、悪魔の支配であると。
そして人々は、「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「呪いの子」となって、「土に帰り」再び「地で生
まれ」、最後には滅ぼされ、永遠に神様に逢えることはない者となると。

善いこともすれば、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」として、地で生き続ける。

 いくら道徳的に正しいようなことを心に抱いても、世と肉欲をもって神様を信じること、神様に忌み
 嫌われている。


201:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:36:33 nrqU0D4g
【肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを全て捨て去ることができない人々】
「からし種一粒ほどの信仰もない」人々のように、信仰の浅い者と強く心得、「何一つ正しい者ではない」
「誇れない者」として神様の言うことを聞き、

―わたしが空腹のときに食べさせ〜旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて〜そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―

 いつもそのように望まれている方がいらっしゃると心得、イエスを尊敬・正しい者と讃美し、その
 うえで御言葉を善いと受け入れ、地で生き続ける人々も幸福となる。
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ―という言葉を受け入れようと努め
ても、神様にとって、悪魔の子から、やっと人らしくなった程度。

世の終わりには、世から出たものを完全に離れ、神様のみに従わないといけない。



202:神も仏も名無しさん
10/03/27 12:47:51 mdTZgRqk
猿は猿です!って御言葉があるって言ってた
(きゅー約聖書っていうらしい)
URLリンク(www.nicovideo.jp)

203:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:36:34 nM5hphqQ
>>196 
すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
 
砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
これらは己のうちにある矛盾ではありません。
弁証法を誤解していますね。

204:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:43:30 nM5hphqQ
>>197 
在家氏は多神教を信じている、ということですね。

205:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:59:14 nM5hphqQ
>>198
天命、宿命、運命に区別し、
段階的に、決定論と自由意志を両立させる考え方ですね。
 
しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
死ぬことに変わりないからです。
 
マタイ10.30
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」

206:神も仏も名無しさん
10/03/27 14:22:57 nM5hphqQ
人間の五感は、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、である。
この五感は、より根源的なものという観点から、順序をつけられそうである。
 
たとえば、触れる → 見る → 聞く → 味わう → 嗅ぐ 
嗅覚の退化は、嗅覚から離れることによって二足歩行が可能になったことに
関係している。こういった理由から、神を見ても、神を嗅ぐことは
ありえないのか。いやもともと神に匂いがないのだろう。

207:神も仏も名無しさん
10/03/27 15:28:24 gV/OS7GS
五感は一定程度生存に必要な範囲で限定的に発達したものに過ぎないのではいか?
基本性能の範囲にも偏りが有るし、精度や分解能も到底十分ではない。
感覚情報自体、神についてどうこう言えるようなレベルの代物だろうか?

208:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:05:05 Gw4GG0Oe
>>207
スエデンボルグではないが、自然的な感覚は粗雑です。
しかし霊的感覚が存在し、しかも日常的に体験しています。
何かを話すときは、一瞬のひらめきをたよりに、次々につむぎ出されます。
この一瞬のひらめきが霊的感覚のレベルなのだと思います。

209:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:28:45 Gw4GG0Oe
>>198 
>ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
>「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
>(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
 
エッセネ派を根拠にしなくても間に合うでしょう。

>ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
>伺っております。
 
自由意志の問題を理解していますか。
どんな領域で、なぜ自由意志が問題にされているのでしょうか?
 
>「自由意志」はあります。
>その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
>子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
 
人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
時と場合によっては、人間と神とが衝突します。

210:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:21:36 Gw4GG0Oe
聖書にはいくつも気になる記述がある。創世記15.17もそのひとつ。
これはいったい何ですか。どなたか教えてください。
 
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と松明が
二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。

211:前世は一在家
10/03/27 18:43:47 Bk6BIdba
>>203
>すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
>したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。

死海文書の宗規要覧では、人には光の箇所と同時に闇の箇所を宿し、
だからいかなる義人も罪人であると記載されております。
(逆にいかなる罪人も義人になり得ます。)

>砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
砂糖が欠如した状態が塩ですか? 塩が欠如した状態が砂糖ですか?
砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
小学校で習うような秒速何万キロで直進する「光」や、光の影にできる
「闇」とは異なる意味だと解釈しております。

「神は光なりき」と言った場合、秒速何万キロで移動して静止できない
光をあなたはイメージされますか?
私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
または燃えさかる炎のような智生体でしょうか。

また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
だと思料しております。


212:前世は一在家
10/03/27 18:54:40 Bk6BIdba
>>205
>しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
>宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
>死ぬことに変わりないからです。

天変地異で死ぬことも、寿命で死ぬことも、自殺することも
死ぬことに変わりないのですか?
殉教される方も大勢の人々を助けて死ぬかたもおられます。

死んで終わりという唯物論者ならばそうかも知れませんが、これらの
死に方はカルマ、罪の量がまったく異なっていることがお分かりかと
存じます。

仏教では来世の姿や境遇が、キリスト教でも天国・煉獄・地獄の
往き先が異なってくるかと存じます。


213:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:58:34 YleklZho
>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。

何で小学校から幼稚園に退行するんですか?

214:前世は一在家
10/03/27 19:00:10 Bk6BIdba
>>209
>人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
>時と場合によっては、人間と神とが衝突します。

子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
ことではないでしょうか。
完璧な親はいないということを前提にしております。

私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告されて
おられます。


215:前世は一在家
10/03/27 19:44:29 Bk6BIdba
>>213
>>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
>何で小学校から幼稚園に退行するんですか?

そうですか。
シバの炎の中で神を見たモーゼも似たようなインプレを感じたかと
思います。
かのモーゼでさら眩しくて土下座しておられませんでしたか。


216:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:41:35 qz62zcgq
>>211 
>死海文書の宗規要覧では・・・
 
死海文書やエッセネ派を持ち出しても根拠になりませんよ。
自慢じゃないけど、何しろ知らないのだから。

>砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

だから、砂糖と塩、甘いと辛いは、弁証法の対立ではないのです。
ちなみに、甘いと辛いのほかに、まずい、渋い、苦いなどがあります。

217:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:46:59 mvWMma65
まずい??

218:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:52:01 qz62zcgq
>>211 
>さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。

前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。
小学校で習う「光」ではなくて、光の集合体のことだと言われても
いったい何のことかさっぱりわかりません。

219:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 11:58:26 P1l2DKAn
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ― そういった言葉を戒めとして受け
入れ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りは、それほど問題ないものとして暮らしていた。

【神様は心の内も行動も全て知っておられる】
「信仰に足りないことがある。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるよ
うな暮らしをせよ。」「神と富とに兼ね仕えることはできない。豊かな生活のため、肉の欲や持ち物を得よ
うとして、あくせく働いてはいけない。」と。

 母が写真をプリントしてほしい、自分がプリンターで印刷しようとした時も、デジタルカメラで写真を
 撮ろうとした時も、何を食べようかといって喜んで買い物をする時も、スポーツ観賞や映画鑑賞、TVを
 観ることですら、神様はそれらから離れるよう強く望まれている。

今まで気にもしなかった
 ―聖霊に満ちて〜荒野〜そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―
生活にゆとりのある者が人助けをして神に信仰があると思う誤った見解
 ―わたしが空腹のときに食べさせ〜『主よ、いつ、わたしたちは』〜『わたしの兄弟であるこれらの最も
 小さい者』―


220:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:58:53 qz62zcgq
>>218
まずいはなかったか orn
 
>>211
>「神は光なりき」と言った場合・・・
 
「神は光なりき」の出典を教えてください。
 
>また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
>だと思料しております。
 
そんなことはありませんよ。
キリスト教の唯一神と、ギリシャ神話の神々は違うし。

221:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 11:59:28 P1l2DKAn

【神様に言われて知ったこと】
自分の見解(最も小さい者は気の毒だから助けなさい)ではなく、
最も小さい者のほうが罪はなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去って生きれば天国に入り、神様に
逢い一緒に暮らせる。あなたも、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去るよう努め、衣食があれば足りる
ような心得で暮らし、わたしの兄弟である最も小さい者を助け、土に帰ることなく天国に入れる者となりな
さい。

神様が創造されたのは、森や林・川や海・空や太陽や月などの自然で、人の欲の物ではないと。楽しみとし
てゆるされたのは、自然を楽しむくらいである。

《信仰の深いふりをして》
信仰の深いふりをして、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題ないと思い込み、また、神を信仰しよう
とする人に、それらのことは何も問題ないという人を非常に心配されている。神様の敵となってはいけない。

 ―わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海
 の深みに沈められる方が、その人の益になる―

 愛に反する行為を戒めないと同様、信仰の深いふりをして肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう
 と努めない人々は、神様は敵意を抱かれ、怒っていらっしゃることを知っている。



222:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 12:00:58 P1l2DKAn
【その他の人々は悪魔の子か】
富や権威・栄華を得ることにあくせくし、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持
ち物の誇りを得て暮らす人々、善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれないそのままの人。
神の左・地の奴隷となって、地で生き続け、最後には患難に遭い滅ぼされる。肉欲を捨て去ろうとせず信じ
る人々は、天上にいる悪の霊を礼拝しているのであると。

【からし種一粒ほどの信仰もない・神に対して犯罪人(罪人)】
何ひとつ正しいことはない・誇るな。
―聖霊に満ちて〜荒野〜そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―

 神が創造されたのは自然である。衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去られた。
 わたしの兄弟。いつ、空腹のときに食物をめぐみ・・・イエス・キリストを正しい・尊敬・讃美。

神に対して犯罪人(罪人)は、世と自分のことを絶対正しいとしてはいけない。本当は天国のため、神が創
造された自然を楽しむくらいはゆるされ、衣食があれば足りるような暮らしでないといけないと。悪魔では
なくイエスとつながっていること。

―自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ― 善い行為だけでは誰も神に義とされない。善い正しい神様
が存在し、地の者は何ひとつ正しいことはないと知ってから、御言葉を戒めとして受け入れ救われる。
「地の者は愛」であると。肉の欲に満ちることではなく、聖霊に満ちることをよしとしなさい。イエスを讃
美し続けなさい。神様はまた地に来ると。その時責め立てに遭わないようにしておきなさいと。


223:神も仏も名無しさん
10/03/28 12:08:03 qz62zcgq
>>212 
「生きる側」と「滅びる側」で説明したのは、在家氏です。>>198
 
それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。

224:神も仏も名無しさん
10/03/28 12:14:26 qz62zcgq
>>214
>子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
>ことではないでしょうか。
>完璧な親はいないということを前提にしております。
 
神と人間を、親子の関係でとらえてはだめでしょう?
親と子の関係は、人間と人間の関係です。

>私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告・・・
 
神なのに全知全能ではない? 
ではその神は、何ができて何ができないのですか。

225:神も仏も名無しさん
10/03/28 15:48:11 PdSt8zrq
>>218
脳がユルいんだから追及しちゃ駄目w
雰囲気だけでボケ〜っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw

226:預言者
10/03/28 16:22:06 5Jd2wmuA
もうすぐサタンがあらわれる。
サタンは、キリストそっくりな姿をしている。
最初のうちは、平和の使者としてふるまい
ノーベル平和賞を受賞する。
ヨーロッパ連合の軍事総統にえらばれ、権力の座につく。

権力をもったとたん、恐怖政治をしき、
全人類に「獣の数字」をつけ、コンピューターで
全人類を奴隷化する。
宗教戦争をひきおこし、ユダヤとイスラムの全面戦争を画策する。
悪魔の軍団(ニセ救世主の十字軍)を組織し、
世界を征服する。
世界中の都市で死体の山ができる。

ヨーロッパ連合が、中国を侵略し、
かつてなかった戦争をひきおこす。
その先の運命を知りたければ、予言書を読め。


227:神も仏も名無しさん
10/03/28 16:25:13 fJIkbYnn
ソース出せ

228:預言者
10/03/28 16:38:22 5Jd2wmuA
世界中に予言書は存在する。

229:前世は一在家
10/03/28 17:54:19 kZb39W0+
>>218
>前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。

私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
「気」と呼ばれるものに似ているように思います。
以上、神やイエス様や十二使徒達がまとっていた「気」のようなものだと
私は思っておりますが、新約や旧約での他の記述(表現)をご存じの方々は
ご紹介いただければ幸いです。


230:前世は一在家
10/03/28 17:56:56 kZb39W0+
>>220
>「神は光なりき」の出典を教えてください。

貴兄はクリスチャンではないのでしょうか。それでは一部を紹介します。
(ヨハネ伝)
1:8 彼(ヨハネ)は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、真の光で、世に来てすべての人を照らすのである。
12:46 わたしは光として世に来た。
(ヨハネ書1)
1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、
 神は光であり、神には闇が全くないということです。
(詩篇)
84:11 主なる神は日です。
(エゼキエル書)
11:22 時にケルビムはその翼をあげた。輪がそのかたわらにあり、イスラエルの神の栄光がその上にあった。
11:23 主の栄光が町の中からのぼって、町の東にある山の上に立ちどまった。

参考(出エジプト記)
3:2 主の使は、しばの中の炎のうちに現れた。彼らを見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。


231:前世は一在家
10/03/28 18:20:24 kZb39W0+
>>223
>それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
>自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。

カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。

皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
必要はなかったことと思料します。


232:前世は一在家
10/03/28 18:21:59 kZb39W0+
>>224
>神なのに全知全能ではない? 
>ではその神は、何ができて何ができないのですか。

>>163にて、既に譬え話でご説明しております。
神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
聖書にそう記載されてましたか?
もし、そうならば聖書は神からの啓示ですから、神様の預言者への
自己申告となりますよ。
コーランもまた、神からの啓示で同様でしょう。


233:神も仏も名無しさん
10/03/28 18:33:32 TZ/Y1685
>>232
自己申告でもかまわない。
だとすると聖書の大半は自己申告だから
その自己申告が正しくないとするなら
(つまり全知全能は嘘だとするなら)
聖書は論拠としての正当性を失うね。

234:前世は一在家
10/03/28 18:57:54 kZb39W0+
>>225
>雰囲気だけでボケ〜っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw

エイレナイオスの師であったユスティノス(165年頃没)は、ストア派、
ピュタゴラス派、プラトン派の哲学の師に学んで失望を繰り返しました。
そして最後に彼は、人間の精神はそれ自体、真実を発見する力を持たないと
結論して落胆しました。

ある日、彼は浜辺で老人に会い、「哲学者よりも古い人々で義人であり
聖霊によって語る預言者達がいて、彼らは論理的な論証はなどはせん。」

それを聞いたユスティノスは哲学を捨てて、洗礼を受け、後に初期の
教父と呼ばれるようになったそうです。

以上のお話でお伝えしたかったことは、ご自身でお分かりかと存じます。


235:前世は一在家
10/03/28 19:00:56 kZb39W0+
>だとすると聖書の大半は自己申告だからその自己申告が正しくないとするなら

正しいか否かは、聖書の教えを実践した結果を順次検証していくことですね。

これは仏教や他の信仰でも共通するアプローチです。



236:神も仏も名無しさん
10/03/28 19:09:47 TZ/Y1685
>>235
個人の実践・信仰のあり方として、それは尊重します。
でも相手が誰かも分からない掲示板では
客観性を伴わない個人の実感を根拠とした議論は
成立しないでしょ?

237:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:08:30 Gi8ynPSe
>>229 
>私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
>してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
>掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
>「気」と呼ばれるものに似ているように思います。

光ではなく、オーラや気のようなものなのですか。
かなりいい加減な聖霊ですね。 聖霊から論じた >>122 は何だったの?

238:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:15:25 Gi8ynPSe
>>230
「神は光であり、・・・」はヨハネ書1でしたか。
 
しかし、聖書の冒頭1.3には次のように書いてある。
 
「神は言われた。光あれ。こうして光があった。」とある。

239:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:26:27 Gi8ynPSe
>>231 
>カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
>イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。
 
悪因悪果、善因善果は前提と言うより、カルマの法則の中身ではないでしょうか。
カルマという言葉自体は「行為」ということかと。

>皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
>もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
>必要はなかったことと思料します。
 
現世が来世を決める。現世は過去世によって決められる。
ということであれば、人間は因果の鎖によって縛られているのであり、
その鎖から自由ではありえない、という話です。
カルマの法則とは決定論です。

240:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:26:30 rt++NJro
>>238
光が光として進めるようになるのは宇宙が始まってからだいぶ経ってから

宇宙の晴れ上がり(うちゅうのはれあがり、Transparent to radiation)は、ビッグバン理論において宇宙の始まり以来、初めて光子が長距離進めるようになった時期を指す。これはビッグバンからおよそ38万年後であるとされる。

241:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:30:45 Gi8ynPSe
>>240
ビッグバンによって神が誕生したとすれば理解できます。
光は神自身ではなく、神<の>光なのでしょう。

242:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:49:08 Gi8ynPSe
>>232 
>>神なのに全知全能ではない? 
>>ではその神は、何ができて何ができないのですか。

> >>163にて、既に譬え話でご説明しております。
 
全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。
あの譬えでわからせようとするほうが無理でしょう。

>神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
>聖書にそう記載されてましたか?
 
ヨブ記42.1〜2
ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

243:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/28 23:24:33 GhuHcuaY
まぁまぁ ラチのあかん議論を続けていますねぃ
パブテスマも我執からの脱却が無ければ無意味です。
エックハルトは言っています。
我性から脱却すれば 内なる神はもはやその力量を外に
出さずにはいられない。  とね
つまりなんですな。
パブテスマより我性の脱却が先なんですよ

244:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/28 23:28:08 GhuHcuaY
しかし大切なことがあります。
自我も神を求める自我でなければいけません
ですから自我がなくなっては神を求めることができませんので
すなわち自我は神を求めることだけに発揮せねばいけません  
ということなのです。

245:神も仏も名無しさん
10/03/29 10:48:10 Cz9Aa141
>>244
信仰は自主性の放棄および他者からの制約の受け入れにより精神と行動の安定は得られるが、他方で多様な可能性を過剰に抑圧する効果もある
信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい

246:神も仏も名無しさん
10/03/29 18:20:01 YCFOFUDS
>>243-244
無との合一が主張されていないので、だいたい理解できました。
まあ、多少の行き過ぎがないと、真実に到達できないということもありますね。
 
在家氏とのやり取りは、楽しみながら学ばせてもらっているのです。
ていねいに応じてくれる在家氏に感謝してます。

247:神も仏も名無しさん
10/03/29 18:47:40 YCFOFUDS
高橋信次は物質とエネルギーの二元論を主張している。
高エネルギーが神であり、宇宙意識であり、
この宇宙意識との合一を目指すことが生きている目的になる。
ビッグバンではなく、循環宇宙を想定している。

248:神も仏も名無しさん
10/03/29 19:07:14 YCFOFUDS
エネルギー → 物質 → エネルギー → 物質 
神=宇宙意識(高エネルギー) → 霊魂=個人意識(高エネルギー)
 
二元論のようだが、質量とエネルギーの等価原理 E=MC^2 によって、
氏の二元論は結局、一元論に吸収されてしまうのではないか。
宇宙意識と個人意識の合一(梵我一如と同じ)を説いているから、
やはり二元論ではなく一元論なのだろう。

249:神も仏も名無しさん
10/03/29 19:44:25 YCFOFUDS
氏は三次元(この世)以上を九次元まで区別する。
 
九次元・・・宇宙界(高橋信次、釈迦、イエス、モーセなどメシアたち)
八次元・・・如来界(ミカエル=ルター、ガブリエル=カルヴァン、ラファエル、
   ウリエル、レオナルド・ダヴィンチ、シュバイツァーなど400名以上)
   ムハンマドは八〜七の間に位置する。 
七次元・・・菩薩界(宮沢賢治、日蓮、空海、パウロ=親鸞、ペテロ=矢内原忠雄、
   マイトレーヤ、ヘレン・ケラー、達磨など約2万人)
六次元・・・神界(道元、法然、アインシュタインほか約1億数千名)
五次元・・・霊界(人類は兄弟であると自覚する世界)
四次元・・・幽界(この現象界とは比較にならないほど調和した世界)
三次元・・・現象界
 
地獄界・・・ヒトラー、スターリン


250:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:10:47 9/FUv1HV
高橋信次はそこまで高位の霊ではない。
善人ではあるが。

251:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:17:14 YCFOFUDS
ここには神智学のブラバッキー、シュタイナーなどは出てこない。
しかし神智学は神智学で、五段階に区別して独自の分類を行う。
 
第五段階(より高度な惑星への転生)・・・ジュワル・クール大師
第四段階(十字架での磔刑)・・・イエス ブラバッキー クリシュナムルティ
   サイババ ババジ ラーマ・クリシュナ ラアマ・マハリシ
第三段階(山上での光り輝く変容)・・・ベイリー3.2 リンカーン3.3
第二段階(霊的洗礼)・・・空海 ヒトラー シュタイナー2.2 法然2.4
第一段階(霊的人間の誕生)・・・家康と道元1.5 親鸞1.8 最澄1.9
 
ヒトラーが評価されていることと、
イエスとブラバッキーが並んでいることが気になる。

252:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:26:47 YCFOFUDS
>>250
それでは高橋信次を九次元から削除したいと思います。
ウィキ情報であり、おかしなことを言っていたら突っ込んでください。

253:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:32:02 9/FUv1HV
でわ指摘するがヒトラーはルシフェルと通ずるほどであり
評価が低い。第3にするべき。

254:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:38:55 YCFOFUDS
>>253
それは高橋信次の分類ですね。 
そういえば神智学の分類には<地獄界>がないですね。

255:前世は一在家
10/03/29 21:23:23 DjUKORIE
>>242
>全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
>しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。

(ヨブ記)
42:2 あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:4 「聞け、私は語ろう。私は汝に尋ねる、私に答えよ。」

もう、貴兄(の内なる神)はご自身で答えを見出しておられますよ。


256:前世は一在家
10/03/29 21:24:09 DjUKORIE
(一服)「無」とか「空」は宗教板で多用ですが。
「空」は「縁起の法」から展開されていると認識しております。
「縁起の法」は「因果の法」と異なり「時間」や「運動」を
含みません。

この板で時々登場する宇宙の始まりのビッグバンと現在と
未来は同時に存在となります。

釈尊が悟られて説かれた法(真理)は「因果の法」です。
天才哲学者の龍樹は著書「中論」の中で「八不」を証明し、
「不去」、「不生」より「時間」も「運動」も無いとして
おります。

私も「中論」を読みましたが、論敵の有部をあて馬にして、
「去りつつあるものは去る」は机上(言語論理世界)では
矛盾していることを指摘し「去りつつあるものは去らず」を
証明しております。

どこまでも机上で空を論じた訳ですので、皆さんの足許の蟻さんを
「去りつつあるものは去らず」と108回唱えながら観察し、
リアル世界にて「時間」も「運動」も無いのか否かを体感すれば
分かります。


257:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 21:50:59 +HNukJ4X
>>245
>信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい。

そんな理屈無意味ですよ。
要は自己の魂をまとう肉体とこの二元的世界から
いかにして開放し自由になるか。
ということなんですから。

要は魂の開放 自由です

258:神も仏も名無しさん
10/03/29 21:59:24 YCFOFUDS
>>255
右手と左手を交錯して祝福するのがイスラエルの神なのです。
こうされると頭が混乱してしまう。

259:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:10:24 Cz9Aa141
>>257
自由になるとどのようないいことがあるのでしょうか

260:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:12:54 YCFOFUDS
大工Bはたった7日で家を作った。しかし雨漏りのする失敗作だった。
大工Bはほんとうに大工なのかとみんなから非難された。
しかし大工Bは大工とはこんなものだと居直った。

261:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:20:49 YCFOFUDS
>>256
三次元世界には時間と空間があり、四次元世界にはそれらがないのです。
神、四次元世界の存在は、時間を超越し、空間を超越しています。

262:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 22:21:48 +HNukJ4X
>>259
あらゆる苦から開放されます
完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです

263:前世は一在家
10/03/29 22:46:22 mroIanVw
>>163
>神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
>神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」

神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。

私は神様Aよりも神様Bを信じております。信仰表明です。

264:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:06:26 Cz9Aa141
>>262
>あらゆる苦から開放されます

それは生きていないのと同じです
苦は生きるための警戒信号だからです

>完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです

そのような脳がシャブ漬けのような状態が本当の幸せと言えるのでしょうか


265:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:10:12 Cz9Aa141
>>263
そういう観点なら人間も失敗作のひとつですが

266:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 23:17:07 +HNukJ4X
>>264
何にも依存せずただ神だけを求め
魂の開放に努めるならばこれほどの賜物はありません

真の自由です

267:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:34:43 Cz9Aa141
>>266
真の自由かどうかはわかりませんが、全て神に依存した自主性放棄状態でしょう

268:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 13:19:58 wYiHl3Od
>>267
自主性? 聞こえはいいんですけど。
自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。

269:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 13:23:42 wYiHl3Od
>>267
それと「全て神に依存する」
ということは自主性うんぬんのレベルとはちがいますね。

神に依存するということは、
例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
神への依存にはなりませんから。
自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。

270:神も仏も名無しさん
10/03/30 14:08:38 xwRtN2Dw
>>268
>自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
>働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。

自我と苦しみは対です
苦しみと生も対です
逃れようとするのが間違い


271:神も仏も名無しさん
10/03/30 14:14:09 EEzooYgm
>>269
>神に依存するということは、
>例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
>神への依存にはなりませんから。
>自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。

アシジの聖フランシスコレベルで全てを捨てたなどと考えるのは素朴すぎます
自分で考える部分が少しでもあればそこは神への依存ではありません

272:神も仏も名無しさん
10/03/30 18:59:27 t5YrVJJb
高橋信次は、霊魂は<この世とあの世>を<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的であると主張する。
 
神智学もよく似ている。霊魂は<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的である。
 
高橋信次との違いは輪廻転生する場所である。
神智学では、この地球か、あるいは、地球以外の別の星への転生である。
この世だけであり、あの世を想定していない。
神智学にはあの世がない。

273:神も仏も名無しさん
10/03/30 19:18:33 t5YrVJJb
神智学はあの世を想定しない。
したがって神智学には天使も悪魔もいない。天国も地獄もない。
ただ霊魂の上下があるだけである。
 
ヒットラーはユダヤ人虐殺が評価されている
シュタイナーは神智学を脱退したので評価されない

274:神も仏も名無しさん
10/03/30 19:36:52 t5YrVJJb
神智学では、人間を三重構造とし、特殊な用語で表現する。
 
 <1> 低位我・・・物質界の人間、パーソナリティー
@ 肉体   
A エーテル体
B アストラル体・・・感情体
C メンタル体 ・・・精神体
 
 <2> 高位我・・・魂、個人性
@ コーザル体・・・転生の記憶がある
A ブッディ・・・直観
B アートマ・・・霊的意思
 
 <3> モナド・・・純粋霊、在天の父
@ 聖霊(活動知性) A 子(愛と知恵) B 父(意思と力)

275:神も仏も名無しさん
10/03/30 20:16:55 t5YrVJJb
モナドは純粋霊であり、宇宙の根本粒子として存在する。
ここから宇宙が始まるわけだから、この考え方は明らかに一元論である。
 
高橋信次はエネルギーを基本にする一元論である。
それに対して神智学はモナドを基本にする一元論である。

276:神も仏も名無しさん
10/03/30 22:58:40 4mw6oS11
神智学はあの世を想定しないから天国も地獄もない。
そのかわり、この地上に、天使的な人々、退廃的な人々などを想定する。
 
霊魂は<輪廻転生>しながら、この地上で進歩あるいは退歩していく。
進歩するか退歩するかを決めるのは<カルマの法則>である。 

こうして神智学の重要なキーは<輪廻転生>と<カルマの法則>になる。

277:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:14:31 4mw6oS11
純粋霊モナドだけで一元論的に宇宙が成立するなら、
人間の霊魂は神のレベルであって向上する必要性自体がまったく生じない。
それなのに輪廻転生やカルマの法則を持ち出すのは、
どこかから悪が流れ込んだことになる。
 
カルマの法則は決定論だから自由意志は存在しない。
モナドの中に悪が最初から存在していたのか。
神智学も一元論のワナにはまっている。

278:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:31:38 4mw6oS11
神智学は特殊な用語で特殊な分類を行っている。
根本人種 >>101 霊魂の五段階 >>201 人間の三重構造 >>274 など。
 
分類が重要なのはわかるが、その基準がまったく不明であり、
なんとか大師の託宣ではオカルトである。
レムリア、アトランティスなどは単なる伝説にすぎない。

279:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 23:32:26 wYiHl3Od
>>271
アシジの聖フランシスコが全てを棄きったか
どうかは解かりません。
しかし棄てる覚悟はあったと思います。

ここ重要です。
>自分で考える部分
自分で考え見出すための基準、尺度。
ここが重要なのです。
自分に無色透明な神性の基準がそなわっているかどうか?
そしてそのためにじっくり自分を見つめる時間をさいているのかどうか?
理屈を並べても体感がともなわなければ時間の浪費をするだけです。

280:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:46:56 4mw6oS11
>>279
自分がどの程度の人間なのか、それを確かめるには夢がいいです。
夢の中できちんと行動すること、それが大事なのです。
 
白い子猫が後をついてくる。わたしは手のひらに子猫をのせた。
白い成犬がわたしにすりよってくる。わたしはその感触を感じている。

281:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 23:56:31 wYiHl3Od
>>280
神様は例えば
10タラント持っている人がそのまま大切に10タラント
保守するよりも
1タラント持っている人が2タラントに増やす人を
我が子だとして喜ばれるのです。
身持ちの豊かさよも、そして事の大小よりも
その{『心』の在りかたをしっかり見ておられるのです。

282:神も仏も名無しさん
10/03/31 00:09:30 5WEeJ/wO
>>281
不思議な体験はけっこうありますね。
でも人に話したものはここでは書けない。身元がばれるから。
結論を言えば「神はいる」ということですか。
神は在りて在る者です。オチ

283:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/31 00:15:06 TPocSos5
>>282
>神は在りて在る者です
いや神は認識するが故に存在するものです。
ですから否定するものには存在せず
人のその認識の度合いによって神の栄光の響きは違うものなのです。

284:前世は一在家
10/03/31 06:44:05 u+hM8yIQ
>>263
>神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
>今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
>だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。

でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
神性(神の霊質)をコピーされております。

よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。

「神は汝の内にあり」ということを、「人の子(イエス様)は汝のうちにあり」
と説かれていたと記憶しますが、出典は調べておきます。


285:神も仏も名無しさん
10/03/31 17:24:09 e12Ju3Wg
>>283
たとえば命があることは、よほどの変人でなければだれも疑わない。
でもその存在を認識しようとすると認識できない。
認識するがゆえに存在する、とはそのへんの機微を語りたいのでしょう。

286:神も仏も名無しさん
10/03/31 17:53:14 e12Ju3Wg
根本人種という分類は、
神智学の差別思想を示すものとして重要である。 >>101
 
第一根本人種・・・エーテル人種、地球上から消滅している。
第二根本人種・・・これも消滅している。
第三根本人種・・・レムリアにいた人種、黒人系
第四根本人種・・・アトランティスにいた人種、セム族、蒙古族、日本人
第五根本人種・・・アーリア人種、地球上でもっとも進歩した人々
第六根本人種・・・まだ出現していない
第七根本人種・・・この周期の最後の人種。何もわかっていない。

287:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:06:15 e12Ju3Wg
この分類 >>286 を見ると、
第一と第二は地球上から消滅してしまった。
第三と第四は消滅した大陸に住んでいた生き残りである。
第五のアーリア人種こそがこの地球の住民である、と主張している。
 
黒人、蒙古人、日本人などは、消えた大陸の人種であり、
滅びてしまって当然の人種にされているのである。

288:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:29:32 e12Ju3Wg
輪廻転生とカルマの法則だけでは、
日本人も黒人もそこに含まれているのだろうと楽観的に思ってしまう。
 
しかし神智学は、霊魂の向上から日本人も黒人も除外しているのであり、
この地球上から消滅すべき人種であると定義する。
 
神智学にいた人智学開祖シュタイナーは言っている。
日本人、ユダヤ人、アボリジニなどは、改良の見込みがない退廃人種だと。
 
神智学と人智学が差別思想に汚染されている、ということだけでなく、
日本人ならそんな馬鹿げた話を認めるわけにはいかないのだ。

289:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:49:00 e12Ju3Wg
神智学は霊魂不滅とか輪廻転生とかカルマの法則とか、
仏教とよく似た概念を使用する。そこで仏教に近いのかと誤解する。
しかし仏教とは異なる。神智学はあの世を認めない。
 
神智学はオカルトであり、差別思想にまみれている。

290:神も仏も名無しさん
10/03/31 21:41:02 /TitvJX2
★ やはり人間には<自由意志>が存在しなかった。
 
人間は過去と未来の情報によって判断する。
@ 未来の情報・・・未来のことはわからない。
A 過去の情報・・・過去の経験と学習
  瞬時に判断する場合は、過去の情報もほとんど役に立たない。
  時間があったとしても、ぼんやりした情報しか引き出せない。
  なぜなら、@の制約があり、因果の予測が困難だから。
B 結果として実際の判断は、毎回毎回「カケ」のようなものである。
  
自由意志とは、その美名を口実にした、「カケ」の責任転嫁である。
人間は何も知らない未来の責任を取らされている。

291:神も仏も名無しさん
10/03/31 21:48:57 /TitvJX2
>>284 
>でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
>神性(神の霊質)をコピーされております。
 
これは正しそうに思える。

>よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
>神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。
 
これは疑問です。
なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。

292:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:02:35 VUrFa4AG
自由意志を主張する人たちは、
たとえば、右の道に行こうが、左の道に行こうが、あなたの自由ではないか、
というようなことを根拠にしているのではないだろうか。
 
しかし、少し考えればわかると思うけど、
右の道に何が待ち受けているのか、左の道に何が待ち受けているのか、
それがまったくわからないのである。
 
未来を知らない人間には、どちらも選択できないのがほんとうだろう。
それなら、何もしないで、じっとしているのが正解ではないか。
しかしそれではラチが開かない。だからカケをしながら生きている。

293:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:18:03 VUrFa4AG
自由意志がある? そんなものはないのではないか。
人間は四六時中、カケを繰り返しながら未来を切り開いている。
ばくち人生ではないか。
 
こう考えると、自由意志は結果責任を問うための口実、のようにも思える。
社会や共同体の維持のためには結果責任を問う必要があるのだ。
自由意志とは社会的な便宜だと理解することもできる。
 
しかしこういった理解は、問題の本質からそれてしまうような気がする。
それより、ばくち人生の意味をしつこく追求すべきだろう。
それを追求した作品がある。ヨブ記である。

294:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:45:02 VUrFa4AG
高橋信次の主張はエネルギーを基本にする一元論である。
霊魂の存在を認め、人間はあの世とこの世を輪廻転生を繰り返している。
その目的は霊魂の成長である。

人間はカルマの法則に支配されている。
<自由意志>によって善を選択することで霊魂は成長する。
そのための方法として、仏教の八正道と、キリスト教の反省(悔い改め)を
提示する。・・・方法論は正しいと思う。
 
一元論が持っている誤り、そこからくる歪みはお約束である。
それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。
まあ、わりにまともな主張をしている。

295:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:00:25 f+02eq/Q
ヨブは正しいと思われることを実践していた。
正しさは、ヨブの判断であり、選択であり、自由意志である。
ヨブは神の道を歩んでいると思い込んでいた。
しかしひどい災難がやってきた。
物語はここから始まる。

296:前世は一在家
10/04/01 00:03:39 qg8Yp5nf
>>291
>これは疑問です。
>なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。

人は「肉体有の神の子」だということでしょうか。

297:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:04:23 f+02eq/Q
ヨブは自分が正しいと思うことを実践していた。
これは仏教でいう八正道である。
高橋信次の話でもある。

298:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:06:56 f+02eq/Q
>>296
その違いは決定的であり、神と人間をわける分水嶺です。オチ

299:前世は一在家
10/04/01 00:18:50 qg8Yp5nf
>>294
>それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。

横レスですが、4次元の霊界でも幾層も存在します。
この辺りはスウェデンボルグも説かれていたのではないでしょうか。

同じ霊界という括りであっても、一層違うと出会うことはできないそうです。
夫婦や親子兄弟でも霊界では再会することも少ないと伺っております。

換言しますと霊界だけでも低級霊界から高級霊界までで九次元以上は
あるかと存じます。
その上の神界も何階層もあるようですから、あまり「九」という数には
こだわらなくても宜しいかと存じます。

「九」次元が最高位というのは、そこまで行かれた方の自己申告としては
正しいのかも知れません。
「全治全能」が神から神の預言者への自己申告であるのと似ております。


300:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 10:17:29 1as1gsQb
>>292
右も左でもありません
自由意志によって“中道”を行くことが
全ての人に必要なのですから

301:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 10:24:09 1as1gsQb
>>293
実に短絡的な結論じみた意見ですね。

勝つか負けるか、成功か失敗か 楽か苦か 安心か不安か
のいい方ばかりを選ぼうとするから  “苦” がいつも
付きまとうのです。

所詮このようなものは滅びるもの
永遠ではありませんので、 惑わされないことが一番
ギャンブル的人生を送ることは人生そのものが翻弄の旅をいくことになります。

 

302:神も仏も名無しさん
10/04/01 17:32:10 h8G8UloJ
>>300
人生は二者択一、第三の道はありません。
コンピューターは三進法ですか。二進法ですね。

303:神も仏も名無しさん
10/04/01 17:47:29 h8G8UloJ
>>301
人生は荒波。翻弄されるのです。
人生に翻弄されないために出家する人たちがいる。
アシジの聖フランシスコもそのひとり。

304:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 17:49:49 1as1gsQb
>>302
右も左も滅び行く道です。
なぜなら例えて言いますと 
左右とは二極なのです。

二極に惑わされない生き方
それを選ぶことは人間の自由意志でできるのです。


305:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 17:54:35 1as1gsQb
>>303
>人生は荒波。翻弄されるのです。
そもそも西洋人がそう結論付けて
哲学、宗教伝統を築いてきているので問題なのです。



306:神も仏も名無しさん
10/04/01 18:14:46 h8G8UloJ
>>299
次元とは、ものの広がりをあらわす基準だそうです。
線は一次元、面は二次元、空間は三次元です。
時間は三次元なのか四次元なのかはっきりしないようですね。
 
面は線の展開、空間は面の展開だとすれば、
面や空間は時間を含んでいるとも言えるでしょう。
  
問題は霊界です。神を、時間を超越した四次元とするなら、
霊界は三次元から四次元に対応するファジーではないでしょうか。
現象界に広がりを持たないので、
霊界は次元として把握されることはできないと思います。
霊界の<層>の違いを次元として認識することはできません。

307:神も仏も名無しさん
10/04/01 18:37:17 h8G8UloJ
>>304-305
それは竜樹の空ですね。この現実を夢、幻とするから、
中道などとのんきなことを言っていられるのです。
空・仮・中は頭のなかだけです。

308:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 18:52:33 1as1gsQb
>>307
中道とは、 極端に悦楽に溺れたり
極端に苦行の道を行かないということです。

309:神も仏も名無しさん
10/04/01 19:19:38 h8G8UloJ
>>308
極端に走らないのは大前提であり、当然のことです。
そうではなくて、海に行くのか山に行くのか、という話です。
わたしたちは日常的に、あれかこれか、という選択を常に行っています。
その選択の話であり、それがバクチではないかと思うのです。
たぶん実存主義が提起した問題意識です。

310:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 19:32:00 1as1gsQb
>>309
バクチという認識がいけないと思います。
そういう観点で物事を見てしまうと
上手く行くかいかないか、 損か得かという見方になってしまいます。
うまく行こうが行くまいが、損しようが利益を得ようが
平等の境地で両方を受け入れる事が
神の御旨に適う境地なのですから

311:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/01 19:39:23 1as1gsQb
エックハルトは言っています
先ず自己を放下しなさいと


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