【研究】1500年前、東ローマ帝国のブドウ栽培は「ペストの大流行」により滅んだ!? 遺跡が示す”世界崩壊のシナリオ”とは…? [しじみ★] at SCIENCEPLUS
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1:しじみ ★
20/08/06 11:02:16.14 CAP_USER.net
イスラエル南部にある砂漠地方の「ネゲヴ」は、約1500年前まで、ブドウ栽培の地として栄えていました。
ところが、東ローマ帝国に支配されていた6世紀半ばに突如として衰退し始めます。その原因は今も明らかになっていません。
しかし、バル=イラン大学(イスラエル)の研究により、2つの出来事がブドウ栽培の崩壊を招いた可能性が示唆されました。
その2つとは、536年〜660年頃まで続いた「古代後期小氷期」と541〜549年に東ローマ帝国で起きた「ペストの大流行(Plague of Justinian)」です。
一体どのようにしてブドウ栽培を崩壊させたのでしょうか。
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■帝国で人気を誇ったネゲヴの白ワイン
ネゲヴのブドウ栽培は、これまでの研究により、6世紀半ばに崩壊するまで約200年にわたり栄えていたことが分かっています。
6世紀半ばと言えば、ユスティニアヌス1世の治世であり、1453年まで続く東ローマ帝国の長い歴史の中でも最大の隆盛期でした。
歴史文書には、ネゲヴのブドウを使った白ワインが帝国内で人気だったことが書かれています。白ワインは「アンフォラ」という細長い壺に入れられ、地中海世界へと流通していたそうです。
ネゲヴにある遺跡(当時のゴミ捨て穴)からは、数万粒のブドウの種やアンフォラの断片が出土しています。
乾燥地帯であるネゲヴの緑化は、雨水を利用した排水農業と肥料となる鳥のフンを用いて行われました。農業が栄えていた証拠に、同じゴミ捨て穴からは、小麦や大麦といった穀物も見つかっています。
しかし、ネゲヴが穀物やワインの生産地であったなら、東ローマ帝国にとっては欠かせない場所であったはず。しかも、ユスティニアヌスの最盛期ともあれば、経済的に支援されても不思議ではありません。
それがなぜ衰退に向かったのでしょうか。
これについて、研究主任のダニエル・フークス氏は「6世紀半ばの東ローマ帝国を襲った気候変動と疫病が関係していたのではないか」と考えます。
■原因は寒冷化とペスト?
地球は温暖期と寒冷期を頻繁に繰り返しており、6〜7世紀頃までは「古代後期小氷期」という寒冷期に入っていました。この気候変動を背景に、東ローマ帝国は「ペストの大流行」に見舞われたのです。
541〜549年まで続いたペストにより、当時の東ローマ帝国の実に20%の人口が減少。それに加え、ユスティニアヌスの重税が災いし、帝国の社会経済は崩壊しました。
これを踏まえ、フークス氏は「帝国の人口減少と購買力の低下により、ネゲヴの農産物が買われなくなり、経済的に衰退したのではないか」と推測します。
ペストがネゲヴまで拡大していたかどうかは不明ですが、帝国の経済支援がない上に、小氷期のせいで農作物が不作に陥った可能性は高いでしょう。
ユスティニアヌス自身もペストに感染しましたが、後に回復しています。しかし、一度崩れた帝国の経済は回復しませんでした。ユスティニアヌスの後、東ローマ帝国は急激に縮小・弱体化し、9世紀になるまで長い衰退期に入ります。
フークス氏は「気候変動とペストがネゲヴの産業を崩壊させた直接的な原因とは断定できませんが、何らかの形で農民たちに打撃を与えたのは間違いない」と話します。
ネゲヴの悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、新型コロナウイルスの感染拡大が続く現代にも言えることではないでしょうか。
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