【アメリカ】普通の大国として振舞うトランプ外交誕生の文脈──アメリカン・ナショナリズムの反撃(2)[06/15] at NEWS5PLUS
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1:しじみ ★
18/06/17 17:54:50.00 CAP_USER.net
■二〇世紀の国際政治をつくりかえたウィルソン主義
ウィルソン主義は、国際政治や安全保障の専門家の間ではとりわけ評判が悪い。
リアリストからはその道徳的普遍主義に根ざしたナイーブな世界観が揶揄され、
リベラルな論客からはアメリカに特殊な役割を付与するその傲慢さが批判されてきた。
特にネオ・ウィルソン主義(トニー・スミス)とも呼ばれるネオコン的な介入主義は、
ウィルソン主義の評判を著しく貶めた(9)。
近年は、ウィルソン大統領自身の人種問題に関する立場が問題となり、
その偽善性さえ指摘されるようになっている(10)。しかし、こうした批判にも関わらず、
ウィルソン大統領が一九一七年四月に欧州戦線への介入を唱えたその瞬間が、
アメリカがはじめて「リベラル・インターナショナリズム」の狼煙(のろし)を上げた瞬間でもあった。
ウィルソンは、アメリカを心地よい繭の中から外に引きずり出し、世界をつくりかえる、事実上、そう宣言した。
クレマンソーは、ウィルソンの一四カ条の平和原則を聞くにおよび、
「神(good lord)でさえ、われわれに一〇個の戒律しか示さず、それさえわれわれは守れないというのに、
一四カ条とはなにごとだ」、と呆れ返ったという。そのウィルソン大統領の名前を冠したウィルソン主義は、
絶えず批判の的になりつつも、ウィルソン以降の国際政治は、
ウィルソンが提唱した世界の方向に向かって進んできたともいえる。
民主化、人権、民族自決、集団安全保障、国際法、そして国際機構、
それらは二〇世紀の国際政治を過去と切り離すものでもあった(11)。
ウィルソン主義は、人々を隔てるものを踏み越えて、その向こう側にいこうとする普遍主義的な思考だ。
それは壁を取り除こうとする意思でもある。
その根底には、世界はよき方向に向かって収斂していくという楽観主義がある。
アメリカは歴史的悲劇の感覚を欠いているとしばしば評されるが、
ウィルソン主義が依拠する世界観はそうしたアメリカ固有の楽観主義に根ざしている。
歴史の重力に縛られないウィルソン主義が世界を変えようとするとき、その関心は国家の対外行動のみならず、
その国の内部にまで踏み込み、体制そのものに影響を及ぼそうとする。
それは、普通の意味での支配ではなく、ある空間をアメリカ的理念で覆ってしまう。
ウィルソン的普遍主義は、冷戦期、アメリカが顕教として掲げた公式のイデオロギーでもあり、
アメリカが主導するリベラル・インターナショナル・オーダーの礎でもあった。
ミードは、アメリカはウィルソン的理念の伝播力ゆえに、コミンテルンを必要としなかったと論じているが、
ウィルソン主義はコミュニズムに抗する対抗イデオロギーでもあった(12)。
それゆえ、そう語られることは必ずしも一般的ではないものの、冷戦の終焉は、
ある意味においてアメリカ外交の諸潮流の中でもとりわけウィルソン主義にとっての勝利であった。
東西のイデオロギー対立が解消し、
いずれ世界はリベラル・デモクラシーの方向に向かって「収斂(converge)」していく、
そうした期待が冷戦後しばらくの間は支配的だった(13)。それはウィルソン主義が思い描いた世界でもあった。
このような傾向の思想的表現は、フランシス・フクヤマの「歴史の終焉論」だったし、
具体的な事例としては、中国やロシアを地政学的脅威として語るよりかは、
いずれは「こちら側」にくる国として語られたことに典型的に現れていた(14)。
中露両国のWTO加盟もまさにその文脈ですすめられた。一九九〇年代に賑わった人道的介入をめぐる議論も、
この「convergence」を加速させるため、もしくはそれを妨げるものを除去するとの態度表明でもあった。
バーツラフ・ハヴェル・チェコ大統領が、コソボへのNATO軍の介入を評して、
人類史上初の「倫理的な戦争」であると述べたが、
それはウィルソン主義こそが世界史の主流になったということとほぼ同義だった。
しかし、コソボ戦争が、ウィルソン主義の頂点だったとすると、
その凋落のはじまりは間もなくイラク戦争というかたちで訪れた。
ニューズウィーク日本版
URLリンク(www.newsweekjapan.jp)
続く)


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