人間を殺してはいけないのにゴブリンを殺してよいのはなぜか? 『ゴブリンスレイヤー』から考える at MOEPLUS
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1:朝一から閉店までφ ★
20/02/12 17:53:29 CAP_USER.net
飯田一史 | ライター
2/4(火) 13:00

 シリーズ累計600万部を突破したライトノベル『ゴブリンスレイヤー』の新作エピソードが劇場公開中だ。
 本作は爽快感のあるエンタメだが、同時に居心地の悪さを抱かせ、視聴者の心理をざわつかせる。その理由は何か?

■『ゴブスレ』とは? 今回の導入部あらすじ

『ゴブリンスレイヤー』は、中世風のファンタジー世界を舞台に、ひたすらにゴブリンの殲滅をめざすゴブリンスレイヤーを主人公とし、彼とその仲間たちを描いた物語である。

 今回の劇場版では、ゴブリン退治に向かったあるパーティが帰ってこないことから、そのリーダーの親から主人公たちは救出を依頼される。ゴブリンスレイヤー一行がゴブリンの巣穴に赴くと、パーティのリーダーの女剣士はいたのだが……という筋書きだ。

URLリンク(youtu.be)

■ゴブリンはなぜ殺していい存在なのか

 本作は醜悪でずる賢いゴブリンとの生々しい戦闘描写ゆえに観る者に手に汗握らせるが、同時に、個人的には善悪の基準、倫理観を同時に考えさせる作品だと思っている。

 人種差別に対する視線が20世紀以上に厳しくなっている現代にギリギリを攻めているように見える。世の中にはゾンビを殺すフィクションが溢れ、ゾンビは元人間であるにもかかわらず殺しまくってもよいことになっている。同様に、この作品でもゴブリンは殺していいことが前提になっている。
 ところが本作では人間はエルフやドワーフ、リザードマンなどの人間以外の種族とは共闘している。そう考えるとなぜゴブリンは殺していいのか、人々が殺すべき存在だと認識しているのか―それほど単純な問いではないことがわかる。

■ゴブリンのおぞましさは人間との近さから生じる

 ゴブリンは作中世界では忌み嫌われた存在である。
 見た目が醜く常によだれを垂らしているなど不潔なこと、理解不能な言葉を吐くこと、人間たちサイドに悪意と敵意しかないうえ、ずる賢く手段を選ばず略奪と殺戮をくりかえすことが嫌われる理由だ。人間が行うことを学習して模倣したり対策してくる知能はあるが、道徳や倫理観はなく、人間との理性的・対話的なコミュニケーションが不可能なのがゴブリンだ。

 本作に登場するゴブリンを見るとおぞましく感じるが、それはある程度は人間とゴブリンが近いからだ。

 たとえば『ドラクエ』に登場するスライムがどれほど強くて凶暴であったとしても、おぞましさは感じない。人間からあまりに遠いからだ。スライムでなくても現実世界に存在する熊やライオンに襲われたことを想像したときに抱く恐怖と、本作に登場するゴブリンに捕まり凌辱されたり嘲笑われながら殺されることを想像したときの恐怖は質的にまったく別のものだ。

 人間の精神にダメージを与えるにはたんに物理的に傷つければいいわけではなく、大事にしているものをこれみよがしに、屈辱的に奪い、破壊する必要がある。そういう高度な行為は、頭の悪い生きものにはできない―だがゴブリンはできる。

■爽快感と違和感のパラドックス
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
URLリンク(news.yahoo.co.jp)


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