【話題】漫画『NARUTO』で将棋を知ったポーランドの少女は、史上初の外国人女流棋士になった[08/18] at MOEPLUS
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1:しじみ ★
18/08/18 14:05:29.50 CAP_USER.net
■動画Webアニメ
カロリーメイトweb movie|「すすめ、カロリーナ。」本篇 URLリンク(youtu.be)
「あれは、特別な対局でした」
史上初めて外国人で将棋のプロとなったカロリーナ・ステチェンスカ女流1級(27)は、感慨深げに"ある対局"を思い出す。
2017年1月19日、東京・千駄ケ谷の将棋会館では、女流棋士の頂点を決めるタイトル戦「女流名人戦」の予選が行われていた。
先手はステチェンスカ1級。迎え撃つのは、女流タイトル通算43期を誇る"レジェンド"、清水市代・女流六段だ。
結果は149手でステチェンスカ1級が勝利。外国出身者が"レジェンド"清水女流六段を真剣勝負で破った。
師匠の片上大輔七段は「この棋譜を埋もれさせるわけにはいかない」と称えた。将棋界の歴史の1ページに刻まれる対局だった。
故郷を離れて約5年。ポーランド生まれの彼女は、なぜ将棋に魅了されたのか。外国人の女流棋士として実現したい夢とは? これまでの歩みを聞いた。
■きっかけは漫画『NARUTO‐ナルト‐』だった
カロリーナ・ステチェンスカは1991年6月17日、ポーランドの首都ワルシャワで生まれた。ソ連崩壊の直前、ポーランドが民主化の道を歩みはじめた頃だった。
母はコンピューターのプログラムのテスター。父はコンピューターのパーツ販売、ワインの販売、クリーニング事業などに従事。どちらも多彩な人だという。
将棋に興味を持ったきっかけは、ポーランドで人気を博していた日本の漫画『NARUTO‐ナルト‐』だった。
「当時16歳でした。奈良シカマルの将棋のお話がありました。漫画のポーランド語版では「ジャパニーズ・チェス」と書いてありました」
「チェスは祖父や父から教わっていたので知っていたのですが、漫画ではクイーンがいなかった。なんでクイーンがいないのかな。どんなゲームなのかな。疑問に思って、本来の将棋のルールを調べました」
「調べてみたら、チェスと違って持ち駒(相手から取った駒)を使えることがわかりました。ゲームがダイナミックになって、面白いと思いました」
当時まだ海外では、将棋の駒や盤が手に入りにくかったという。はじめは将棋の駒のイラストを印刷した紙で、駒を作った。
インターネットの将棋サイト「81Dojo」でも将棋を指し始めた。次第に、将棋の世界へのめり込んでいった。
■外国人として初めて女流棋士に勝利「本気でプロを目指そうと思った」
地元ワルシャワの大学ではプログラムなどを学んだ。将棋仲間もできた。はじめは4、5人。カフェテリアに集まった。それぞれがマグネットやプラスチックの将棋盤を持ち寄り、将棋を指した。
「将棋が好きになって、どんどん強くなりたいと思っていました」
2011年のことだった。ネット対局で、北尾まどか女流二段の指導対局を受けた。北尾女流二段は、このポーランドの少女の強さに驚いたという。
「北尾先生からは、『もっと強くなりたい?もしかして、プロを目指したい?』と聞かれ、来日を勧められました。嬉しかった。普通はあり得ないことですから」
東日本大震災の直後、念願の初来日を果たした。北尾女流二段の自宅にホームステイをしながら、将棋道場に行った。本将棋を見て、女流棋士や将棋のプロとはどんな仕事か、直接見て学んだ。
2012年の女流王座戦では海外招待選手に選ばれ、再び来日。得意の三間飛車を駆使し、プロの女流棋士に勝利。女流プロを初めて破った外国人女性として、その名を刻んだ。
「プロに勝てたことは、大きなきっかけになりました。この時、本気でプロを目指す気持ちを決めたかなと思います」
2013年6月、研修会の試験に挑戦。研修会員との対局で3勝5敗の成績をおさめた。A〜Fクラスのうち「C2」クラスに合格を果たした。
日本語を学ぶため山梨学院大学にも編入。こうして、勉強と並行しながら将棋のプロを目指す日々が始まった。
続きはソースで
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関連リンク
カロリーナ、大塚製薬と契約 史上初外国人女流棋士
URLリンク(www.nikkansports.com)
URLリンク(www.huffingtonpost.jp)


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