半世紀前に消えた幻の「カコ・コーラ」はどこへ? 亡き人の情熱が生んだ空き瓶発見秘話 2022/4/30【兵庫】 [少考さん★] at FEMNEWSPLUS
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1:少考さん ★
22/04/30 17:26:54.84 CAP_USER.net
※神戸新聞
半世紀前に消えた幻の「カコ・コーラ」はどこへ? 亡き人の情熱が生んだ空き瓶発見秘話:
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2022/4/30 05:30 神戸新聞NEXT
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発見されたカコ・コーラの瓶。よく見ると「Kako Cola」とプリントされている=加古川市加古川町寺家町
「カコ・コーラ」なる清涼飲料水が、かつて兵庫県の加古川市周辺で販売されていた、という「都市伝説」があった。かの大手飲料メーカーの製品にあまりにも似ているため、クレームを受けて、1970年代前半のわずか2年しか製造されなかったとされる。知る人は少なく、長年、その存在さえ証明されていない「幻のコーラ」だったが、最近になって空き瓶が発見された。探し出された背景には、亡き人への思いがあった。(斉藤正志)
■「おもろいもん」が好きだった
 長さ20センチほどの透明のガラス瓶。よく見ると、「Kako Cola」の筆記体の文字のプリント跡が、うっすらと残っている。
 NPO法人「シミンズシーズ」(加古川市)代表理事、田中茂さん(66)を訪ね、見つかった瓶を見せてもらった。
 「衣さんも天国で喜んでくれているでしょう」と、しみじみと語る。
 「衣さん」とは、同法人副代表理事を務め、2019年に64歳で急逝した衣笠仁浩さんのことだ。市民団体「すっきゃ加古川」代表として、ご当地検定「かこがわ検定」を07年に始め、企画、運営の中心的な存在だった。
 田中さんは「衣さんは、とにかく『おもろいもん』が好きな人だった」と回想する。
 衣笠さんは建築資材を扱う会社を営みながら、「ほんだら通信」という名のミニ新聞を作り、知人に配っていたこともあったという。時事問題などをテーマに、面白おかしく自分の考えを書いていた。
 もともとカコ・コーラを探し始めたのは、その衣笠さんだった。
■きっかけは「大人のクラブ活動」
 05年のことだった。田中さんは当時の加古川市長からの依頼で、同市の魅力を伝える本の編集を手掛けることになり、旧知の衣笠さんに声をかけた。
 住職や会社経営者ら10人による編集委員会の会議は、いつも和気あいあいとしていた。メンバーは、それを「大人のクラブ活動」と呼んだ。
 「カコ・コーラ、知っとるけ?」
 衣笠さんが言い出した。加古川東高校(同市加古川町粟津)に通っていた頃、校内の自動販売機で売っていたという。衣笠さんは、1人で調べ始めた。
 衣笠さんは、自身が通学していた1970年代の卒業生に聞き回ったが、有力な情報はなかった。
 2006年に刊行した「新・かこがわ事典」では、カコ・コーラに1ページを割いた。手掛かりはあったが、詳しくは分からなかったという内容だった。
 10年には、続編となるムック本「かこ・スタイル」を発行。衣笠さんはカコ・コーラを知っている人を見つけ、製造していたかもしれない飲料工場にもたどりついた。しかし関係者がよく覚えておらず、調査はそこで止まった。
(略)
■「僕、持ってますよ」
 「探し物は、探すのを止めると見つかる」という格言がある。
 調査が暗礁に乗り上げ、誰もがほとんど諦めていた頃、瓶は見つかった。
 21年1月。田中さんが、地域づくりの市民グループ「パクパクパーク」に招かれ、加古川市加古川町のコミュニティースペースで、地元の歴史などを話した時のことだった。
 会場では、地元の高校生がカコ・コーラについて調べた動画を上映していた。
 「この瓶、衣さんが探しててなぁ」
 田中さんが、同グループの藤輪友宏さん(49)に何げなく言うと、「僕、持ってますよ」と返された。
 思わず、「えー!」と声が出た。
 藤輪さんの知人が、自宅の建て替え時に家財道具を整理していた際に見つけたという。知人は藤輪さんが地域活動をしているのを知っており、「珍しい瓶が見つかった」と連絡した。それがカコ・コーラだった。藤輪さんは瓶を譲り受けていた。
 後日、田中さんが瓶を見せてもらうと、「Kako Cola」のプリント跡があった。衣笠さんを含め、みんな「Caco Cola」だと思い込んでいた。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。


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