【岩手】鉄都に響く“歓喜の歌” 津波被災の釜石市で「第九」 新生ホールこけら落とし公演[12/12] at FEMNEWSPLUS
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1:紅あずま ★
17/12/12 06:42:46.95 CAP_USER.net
URLリンク(www.sankei.com)
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162人の合唱団が新たなホールで「第九」を歌い上げた=10日、岩手県釜石市(千葉元撮影)
 発生から6年9カ月がたった東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市で、被災した市民文化会館に代わる新たな文化芸術の拠点「釜石市民ホール」が完成、「かまいし第九の会」によるこけら落とし公演が行われた。
津波に襲われ拠点のホールが失われても、市民は絶やすことなくメロディーを紡いできた。
今年は40回目のメモリアル公演ということもあり、生まれたてのホールで文化再生への序曲が高らかに奏でられた。
 同市の第九公演の始まりは昭和52年に遡(さかのぼ)る。
発起人は同市天神町の宝樹寺で住職を務めていた渡辺顕(あき)麿(まろ)さん(平成8年死去)。都内で教(きょう)鞭(べん)を執る傍ら、「東京荒川少年少女合唱団」を育てた。
帰郷後に、30人にも満たない小さな混声合唱団をつくって指導、最初の公演を開いた。伴奏の楽団はわずか6人だった。
昭和53年には「第九を歌う会」を結成。合唱団は100人を超え、当時の市民文化会館落成記念式典を飾った。
 「復興釜石新聞」編集長で実行委員会会長の川向修一さん(65)は、立ち上げ当時を地元紙記者として取材した。
渡辺さんの「君もやりたまえ」の一声で、事務局で運営に携わるようになった。
以降、毎年大ホールを多くの聴衆で埋め尽くす釜石に欠かせない行事に育て上げてきた。
 しかし平成23年、釜石を津波が襲う。市民文化会館が被災、拠点のホールが失われた。
家や親族を失うメンバーもおり、取りやめも検討された。それでも、釜石高校の体育館を借りて絶やさず演奏を続けてきた。
 そして震災から6年9カ月を迎えた今月、後継施設の市民ホールが開館した。
公募で決まった愛称は“TETTO”。鉄の街を表す「鉄都」と、建築の特徴である屋根のイタリア語「tetto」をかけた。
 「ホールはできた。あとはここに想いを入れてこけら落としにする」
 テノール歌手の草原哲広さん(49)は震災後から参加。40回の節目の公演には「夢のよう。ここで迎えるなんて運命的なストーリーだ」と感無量のようだった。
 10日のこけら落とし公演前売りチケットは、発売直後に売り切れ。800席を超える大ホールに“歓喜の歌”が鳴り響くと、聴衆から万雷の拍手が送られた。
 歌い終えた川向さんは「公演の舞台作りに苦労してきたが、震災を乗り越えていくための“器”をいただけてありがたい。感動でいっぱい」と笑顔だった。

【東日本大震災】鉄都に響く“歓喜の歌” 岩手・釜石の「第九」 新生ホールこけら落とし公演
産經新聞:2017.12.12 06:02更新


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