ロシアのウクライナ侵 ..
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55:世界@名無史さん
22/05/14 16:34:35.95 0.net
イヴァン四世の母エレナ・グリンスカヤは、いわゆる「クリコヴォの戦い」で、イヴァン四世の父方の先祖のドミトリー・ドンスコイ大公が戦った相手という、ジョチ家のクリミアの領主ママイの子孫であった。
つまりイヴァン四世は、母方ではチンギス・ハーンの血を引いていたわけである。
(中略)
イヴァン四世は、一五七五年八月、シメオン・ベクブラトヴィチというモンゴルの皇族を迎えてクレムリンの玉座につけ、全ルーシのツァーリに推戴して、かれに忠誠を誓った。
シメオン・ベクブラトヴィチは、モンゴル名をサイン・ブラトといい、その父のベクブラトは、黄金のオルドのアフマド・ハーン(一四六○~一四八一年に在位)の孫であった。
ベクブラトはモスクワの東方のカシモフのハーンとなり、息子のサイン・ブラトがそのあとを継いでいた。
いずれにせよ、このサイン・ブラト、一名シメオン・ベクブラトヴィチはチンギス・ハーンの子孫であり、「チンギス統原理」によってハーンと称する権利があった。
翌一五七六年の六月になって、ツァーリ・シメオン・ベクブラトヴィチは位をイヴァン四世に譲り、自分はトヴェリ大公になった。
「チンギス統原理」を踏まえたこの手続きによって、モスクワのツァーリ(ハーン)の位は、モンゴル帝国のなかで合法のものとなり、イヴァン四世はあらためてツァーリと称することができた。
これがロシア帝国の起源である。
(岡田英弘『チンギス・ハーンとその子孫』)


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