春秋戦国時代 4 at WHIS
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700:世界@名無史さん
21/11/19 16:59:05.48 0.net
章が弟の恵文王に臣下の礼をとっている姿を武霊王が不憫に思ったというのは
史料にもあったはずなんで、小説はそこを膨らませたんだろうとは思う

701:世界@名無史さん
21/11/19 18:54:58.24 0.net
当時16歳の恵文王にどこまで政治的軍事的な実権あったかはわからないが
恵文王本人が目の上のたんこぶでしかない兄と父を親子水入らずの場を利用して殺したか
あるいは年少の王を操り実権を主父武霊王から奪うべく公子成や李克がクーデターを起こして少なくとも当時は何の実権も無かった恵文王(と平原君)は父と兄見殺しにされても何も出来なかったのか

702:世界@名無史さん
21/11/20 01:56:24.40 0.net
恵文王が同意してたらさっさと殺されてるだろうから
後難を畏れて幽閉わ解け無いけど、殺害も容認出来無いって感じじゃね
他国は攻めないでしょ、長引いた方が深刻だし

703:世界@名無史さん
21/11/20 07:52:35.38 0.net
>>702
死ね

704:世界@名無史さん
21/11/20 18:23:39.27 O.net
>>699
昭襄王は内外含めて実に多くの英雄たちと関わってるが彼自身を主役とした作品は無いんだな

705:世界@名無史さん
21/11/21 03:59:52.68 0.net
中国ドラマであったよ,タイトル忘れたけど2年くらい前にCSの再放送でやってた

706:世界@名無史さん
21/11/21 09:00:15.99 0.net
>>705
秦の昭襄王だな
あれの孝公と恵文王までは見た

707:世界@名無史さん
21/11/23 12:37:18.10 0.net
大河ドラマで春秋戦国時代やらないかな
オール日本人キャストで

708:世界@名無史さん
21/11/24 15:34:48.23 0.net
坊やはキングダムの映画でも観てなさい

709:世界@名無史さん
21/11/24 16:16:45.79 0.net
案外囲んだ当初にサクっと武霊王ぶっ殺してたんだけど包囲で時間稼いだだけだったり
ってミステリー脳が俺に言ってくる
包囲中にコンセンサス形成していざ死を発表しても問題ないようにした
という可能性は結構あると思ってる

710:世界@名無史さん
21/11/24 23:20:15.06 0.net
秦の異人(荘襄王)は何故趙の人質になっていたのですか?
争いばかりの上、秦が上。長平の戦いもあった。そのときの和睦条件なら、その後の期間が短すぎて合いません

711:世界@名無史さん
21/11/25 04:40:38.36 0.net
下の方の庶子なんてガラクタだし

712:世界@名無史さん
21/11/25 09:30:59.55 0.net
相続争いで家臣団が分裂するし追放しかなかったのでは

713:世界@名無史さん
21/11/25 11:58:03.49 0.net
王のやらかしで一族郎党皆殺し→後日罪を一族の人間が(臣下として)お家再興許されるってパターンはそういう他国に追放されてた庶子の子孫パターンになるのかな?

714:世界@名無史さん
21/11/25 12:20:50.25 0.net
人質派遣って、ときに大使館のような外交上の役割を果たしてることもあるよな?

715:世界@名無史さん
21/11/25 13:52:54.22 0.net
>>714
仮に君主になれたら保護した恩恵大きいからね
領土割譲してくれたり援軍出してくれたりするかも
なお晋の恵公

716:世界@名無史さん
21/11/25 16:38:57.36 0.net
>>709
そこに恵文王の指示があったか
家臣達の暴走に口出し出来なかったか

717:世界@名無史さん
21/11/26 03:57:46.07 0.net
恵文王単独なら態々殺す必要無いしな
胡服令を憎悪したネトウヨ貴族が殺したんでしょ

718:世界@名無史さん
21/11/27 01:46:10.17 0.net
生かしてしまうと恵文王の地位が動揺し続けるかもしれないし
勢威を回復した主父に囲んだことを咎められて殺される可能性もある
状況証拠からいえば
恵文王には公子成や李兌に負けず劣らず主父を殺す動機があるような

719:世界@名無史さん
21/11/28 19:00:18.57 0.net
申不害が昭候に使えていた時期を別とすれば韓って弱小国扱い受けてる戦国時代の宋 衛 魯 越 中山あたりと比べて本当に七雄と強国扱いされる程差があったのかな?

720:世界@名無史さん
21/11/28 19:01:42.76 0.net
有ったよ後わ自分で調べてね

721:世界@名無史さん
21/11/28 19:18:25.93 0.net
>>720
死ねよ

722:世界@名無史さん
21/11/28 19:26:14.70 0.net
>>719
韓の立地は最悪だから、弱小なら最後まで残ってない

723:世界@名無史さん
21/11/28 20:25:33.26 0.net
かつての強国の鄭を滅ぼしたし

724:世界@名無史さん
21/11/29 15:31:25.53 0.net
春秋戦国〜漢の初めまでは異民族の女が王の妃にっての結構あったけど
あの辺の異民族ってどのくらい遺伝子違ってるんだろう
本州人と沖縄人ほどの違いある?幕藩体制下の他藩の人くらいの感覚?

725:世界@名無史さん
21/11/29 15:53:22.58 0.net
>>724
三国時代に漢民族激減
五胡十六国の華北政権は異民族だった
ところを見ると春秋戦国時代は華夏人はまだ黄河周辺にしかいないから、晋、斉以外は国土の一部にしか華夏人はいないと思う
呉、越、燕、蜀、楚の南側、秦の西側なんかは化外の地だろうな

726:世界@名無史さん
21/11/29 23:24:16.12 0.net
戸籍数が減るのと人口減少は必ずしも一致しない
南北朝期の北朝で漢族胡族半々
晋と斉わ元々わ中原から外れてる

727:世界@名無史さん
21/11/30 06:51:57.18 0.net
一致はしないが中央官庁が機能を無くしたことは確かだ
支配範囲が限定的になってアウトローが増えてる
記録を見ると大量に匈奴などから移民が住み着いた状態になってる

728:世界@名無史さん
21/11/30 07:54:50.51 0.net
>>726
死ね

729:世界@名無史さん
21/11/30 08:09:54.70 0.net
五胡十六国の時代の遊牧民移住は漢王朝の移民政策の結果だろう

730:世界@名無史さん
21/11/30 08:18:28.72 0.net
>>727
オマエ基本の史書すら読んで無いじゃんww
史書と矛盾する妄想垂れ流してるし

731:世界@名無史さん
21/11/30 09:42:27.17 0.net
>>730
五胡十六国時代に匈奴が山西で挙兵してる
曹操時代に劉淵の祖父を帰順させて住まわせてるからだ
山西って既に晋の領域内だ
成漢も羌族で漢中から入ってきて成都を落としてるしかなりの数の異民族が入ってきてないとこうはならない
これは中央省庁の制御が働かない地帯が増えたと見るのが妥当だろう
戸籍減少に表れている
逆に春秋戦国時代や始皇帝の時期に異民族が浸透しなかった方が疑問だ
族同士で食い合ってたんかな

732:世界@名無史さん
21/11/30 10:00:13.07 0.net
後漢以降の貨幣政策を見ると三国すべてが落第点
悪貨を量産しインフレを招いている
魏などは実質徴税は物納で貨幣は銅の価値のみを重視した民間でのみ流通されてたようだ
これは単純に税収が低く以前に比べ国力が低かったと見るべきだろう

733:世界@名無史さん
21/11/30 11:47:44.90 0.net
>>731
オマエ最初に三国時代って指定してるじゃん

734:世界@名無史さん
21/11/30 11:49:57.80 0.net
>>732
数十年暴政と戦乱が続いた後なのだから
そりゃ生活は悪く成ってる

735:世界@名無史さん
21/11/30 12:08:14.89 0.net
別に批判は構わんがもっと実のある情報くれよ
国力下がってたら中央機能の低下は予想出来るだろ
指摘されるまでもない
史書読んでないとの批判があるなら史書情報を示してくれよ

736:世界@名無史さん
21/11/30 12:21:05.81 0.net
>>726
後漢末から三国時代、西晋初期ぐらいまでの時期には、人口が減ったことによる兵員減を補うために遊牧民の集団移住を何度も受け入れてて、漢代よりも遊牧民人口が大幅に増えてるからだよ
その後、五胡十六国の乱のときにさらに遊牧民が流入したり、遊牧民たちが漢人を奴隷化したり殺しまくったりして減らしたから、半々になったんじゃね
知識人階級(要するに豪族たち)すら奴隷化されてた記録もある

737:世界@名無史さん
21/11/30 13:09:42.03 0.net
>>735
後漢〜魏の時期だと南匈奴わ部族として纏ったまま長城沿いに居住してて烏丸も同様
異民族が内地に大量流入したのわ八王の乱の後から

738:世界@名無史さん
21/11/30 14:00:28.48 0.net
戸籍人口の減少と異民族は無関係ではあるまい
異民族を利用し、兵力として取り込み、利用しなければ曹操は外敵に勝てまい
論文を見るに袁紹も烏桓を利用してこそ公孫瓚に勝てたとある
兵力として利用するには居住地を与えねばならず、それは中国内部に他ならない
曹操の政策として記録がある
言わば国内同盟勢力としての外国
これが戸籍減少の一因という推測は矛盾していない
逆に春秋戦国時代は都市国家が故に異民族の援助までは必要無かったと解釈もできるかもしれない

739:世界@名無史さん
21/11/30 15:30:21.34 0.net
遊牧民族に関してむしろ逆じゃないかな
元々漢民族圏は周ー殷の支配圏を中心とする黄河中ー下流地域周辺だけだったが
春秋ー戦国初期の人口増に合わせて各都市国家が勢力拡大して遊牧民族の地域にまで支配圏を伸ばした
そして領土国家に統合されていくと同時に長城を築いて遊牧民を城壁外に排除したけど
後漢王朝が方針転換して友好部族を勢力圏内に移住させて敵対部族に対する防衛を担わせたことで
遊牧民が再び漢民族支配圏内に移住してきた
人口減という説は戸籍上の人数が根拠だけど、現代と違って戸籍調査も流動人口の把握も困難だった古代中国で
動乱が起きれば中央政府が把握してる人数が一気に減る

740:世界@名無史さん
21/11/30 15:49:26.14 0.net
>>739
なるほど、春秋戦国時代は華夏人の高度成長期というわけか
それならば矛盾はないな

741:世界@名無史さん
21/11/30 16:14:32.06 0.net
春秋時代に鉄製農具が登場したり農業の技術が進歩したからな
今の中国と同じ人口ボーナスを武器に周辺地域に勢力拡大していった

742:世界@名無史さん
21/11/30 17:01:40.17 0.net
官吏や官吏を輩出する家庭や教育機関の知的水準が高く、圧倒的に官僚機構が整備され資料が多数ある後世においてすら
天朝の兵員数はカタログスペックです
思ったほど人いなくて人口オーナスやばいじゃねーか!(つい最近までむしろ人口多すぎ、黒孩子数千万人とか内外で言われてたのに)
みたいな事態が発生するんだし、稀に数字が載ってる程度な古代中世の史書戸籍人口の過信は禁物よね

743:世界@名無史さん
21/11/30 17:49:56.27 0.net
>>737
死ね
三国時代から普通に内地に移住させてるわ

744:世界@名無史さん
21/11/30 19:11:20.92 0.net
春秋戦国時代の場合高度成長期の結果として秦が蜀を併合したのも大きいのかもしれない
黄河流域圏でない別の文化圏だった外国を併合したようなもの
規模は小さいがアレクサンダー大王のペルシア支配に比べられるかもしれない

745:世界@名無史さん
21/11/30 19:35:53.23 0.net
>>738
逆だ
後漢後半から寒冷化が進んで凶作連発の飢饉連発で人口が減っていってたんだよ
そんななかでの戦乱だから、生活苦から流浪して行きだおれる人も多く

746:世界@名無史さん
21/12/01 03:15:46.07 0.net
>>738
妄想垂れ流して無いで三国志読めよ
はい論破

747:世界@名無史さん
21/12/01 03:17:33.45 0.net
>>739
商周は黄河上中流域,下流は東夷

748:世界@名無史さん
21/12/01 03:18:20.80 0.net
>>739
史書読もうな
排除じゃ無く征服同化

749:世界@名無史さん
21/12/01 03:22:43.37 0.net
>>744
秦の超大国化わ社会を根本から変えた革命に由るもの
まあ高度経済成長も半分は米軍に由る革命のお陰だけど
勿論残り半分は毛沢東大乱に因る中国の不在と人口動態

750:世界@名無史さん
21/12/01 04:43:14.91 0.net
無知が四連打してどうする
殷の支配圏(河南省から黄河下流の地域)が黄河の上流とか地理も歴史も知らないとしか言いようがないし
燕、趙、秦がそれぞれ長城を築いて遊牧民族を排除したり
趙が逆に遊牧民族の文化を取り入れて軍事面を強化したり
周辺民族の侵入に手を焼いてたし
周辺民族が漢民族圏に進出する状況を憂いて提唱されたのがあの尊王攘夷

751:世界@名無史さん
21/12/01 06:45:18.44 0.net
燕も秦も趙も牧畜民(春秋期わこっちが主)や遊牧民の征服同化が勢力拡張の過程

752:世界@名無史さん
21/12/01 07:04:54.16 0.net
同化(教化)は中華帝国形成後の概念ね
攘夷という言葉にあるようにこの時期の周辺民族は漢民族にとって支配地域を奪い合うライバル
そもそもこの時期の漢民族は農業技術進歩の恩恵を受けて人口が増加したから欲しいのは居住地域
異民族に対して趙のように戦力として欲しいから労力かけて漢民族に同化させるようなことはまだやってない
皇帝を頂点に華夏始め諸民族が支配される概念は戦国末期の秦が広めたもの

753:世界@名無史さん
21/12/01 07:31:00.85 0.net
>>749
死ね

754:世界@名無史さん
21/12/01 07:32:07.72 0.net
>>751
いいから死ねよ

755:世界@名無史さん
21/12/01 08:49:30.15 0.net
>>752
いいから史書読めよ

756:世界@名無史さん
21/12/01 09:08:39.47 0.net
無知が史書読め連呼とかギャグだな

757:世界@名無史さん
21/12/01 09:13:32.15 0.net
微管仲、吾皆被髪左衽
一歩間違えば被征服民になってた春秋時代の漢民族が他民族を同化する余裕なんてない

758:世界@名無史さん
21/12/01 10:19:09.00 0.net
異民族も早くに同化した,斉の服属征服させた東夷,普が征服した雑多な牧畜民,秦が服属征服した西戎等と
長城外の東胡その他遊牧民が居た事も理解して無い無知無知くん
といっても戦国期に成ると燕や趙がそれ以前の長城外も支配下に組み込んでるけど

759:世界@名無史さん
21/12/01 10:34:09.29 0.net
歴史観が古いし漢民族中心被れだし都合の悪い歴史は無視するしダメだなこいつ
胡服騎射導入してやっと異民族に立ち向かえた趙のように
周王朝東遷以降
強いリーダーを失った周王朝支配圏は都市国家による緩い集合体になったから
まとめられる覇者が出現するまで全員被髪左衽になりかねない状態だったのに
征服同化してた!など後世の中華帝国の価値観で語る馬鹿が無知にも程がある

760:世界@名無史さん
21/12/01 12:05:59.50 0.net
>>747
上流域は含まなくないか
上流域には周を含めた、不完全な上下関係しか受け入れてない隣国があっただろ

761:世界@名無史さん
21/12/01 12:13:40.44 0.net
秦って周初には存在しなかった国だし、元は遊牧民系の国だったのが中国化して建国されたんじゃないの?

762:世界@名無史さん
21/12/01 12:15:26.03 0.net
>>758
いいからいい加減死ね

763:世界@名無史さん
21/12/01 17:52:26.08 0.net
>>758
普ってなんですかw?
こいつが史書を読んでないことは確実

764:世界@名無史さん
21/12/01 18:57:57.96 0.net
>>760
商周
>>761
冊封じゃ無く封建

765:世界@名無史さん
21/12/01 20:03:37.89 0.net
>>764
アンカー先の数字を間違ってない?
どう繋がってるのかさっぱりわからん

766:世界@名無史さん
21/12/02 00:05:22.85 0.net
無知に理解出来無いのが春秋の筆w

767:世界@名無史さん
21/12/02 08:14:55.01 0.net
中国は、20世紀になっても
「省が違えば別世界。言葉は通じないし、風習もまるきり異なる」
「隣の省に貨物列車を送ると、列車ごと返ってこない」
と言われる世界だった
ましてや、2500年前なんか
鉄道も電話もテレビもなにもなく、
「秦の始皇帝が車軌を統一したおかげで、隣の国まで馬車で行けるようになった」
「斉(山東省)の人なのに、莱(山東半島)の人とも会話することができた」
と言われる世界だ
「中国化した」と言ったって、単一民族になったわけでもなんでもないんで

768:世界@名無史さん
21/12/02 09:34:30.03 0.net
清朝末期わ暴政続きその後の滅亡崩壊と内戦
日帝国の侵略と虐殺略奪破壊,一時的統一と毛沢東大乱
近代国家の建設が始まって未だ半世紀経って無いからね
琉球や蝦夷島は完全に言語不通で辺境の南九州と東北も難儀
琉球語アイヌ語の絶滅化と標準語教育を始めて時間経ったから

769:世界@名無史さん
21/12/02 11:31:15.34 0.net
>>768
春秋戦国時代と関係ねー話すんな
死ね

770:世界@名無史さん
21/12/02 12:06:41.48 0.net
>>767
そりゃまあ、中国というひとつの世界を作り上げてるのは知識人階級以上の上層部だけで
庶民は地域間交流も少なくて文化的にバラバラではあるな
中国全土で統一されてた度量衡だって上層部だけが使ってて、村の中までは入り込んでない、
庶民が使う度量衡は公定度量衡とは別物だったとされているし

771:世界@名無史さん
21/12/02 12:42:27.35 0.net
ヨーロッパもそうだな
上層部は交流が盛んで、親戚同士だったりするし、共有している文化がある
でも、それは上層部だけ

772:世界@名無史さん
21/12/02 12:48:04.35 0.net
大体文字が誕生したのも異文化交流のためのツールだからな
縄文時代の日本人など言葉だけで充分足りたからモジなど必要なかった

773:世界@名無史さん
21/12/02 12:58:05.34 0.net
>>770
又誤読or曲解してるのか無知無知くんは
統一の度量衡は定めたが,征服地での実務でわ旧六国の単位を引き続いてた

774:世界@名無史さん
21/12/02 12:59:43.09 0.net
>>772
石器時代の日本列島とか精々隣の集落までが全世界

775:世界@名無史さん
21/12/02 13:34:26.52 0.net
アフォか
5千年前の青森の三内丸山遺跡から、糸魚川でしか取れない翡翠が出て、広範囲での交易が確認されただろ

776:世界@名無史さん
21/12/02 14:40:03.00 0.net
>>773
おまえもう話に入らなくていいよ
邪魔だから

777:世界@名無史さん
21/12/02 14:52:15.13 0.net
>>775
弥生時代の遺跡からローマ領内のガラスとかコインとか出てるからな
ローマと邪馬台国の広範囲な交易が確認されたよな(判らない方の為に説明しておくとこれわ皮肉である)

778:世界@名無史さん
21/12/02 15:24:00.97 0.net
近隣の村との交易でリレー的に遠くまで材物、宝物系が運ばれる程度は珍しくない
貿易商人が遠くまで往来するようになるのはもっとあと

779:世界@名無史さん
21/12/03 12:27:59.10 0.net
隣の人がイギリスに旅行に行ってお土産に色々貰って
そのうちの一部を沖縄の親戚に家に行って譲渡した
沖縄の親戚がイギリスと交流があったわけでも、イギリスと交流がある隣の人と接触したわけでもないという

780:世界@名無史さん
21/12/03 15:09:29.16 0.net
縄文時代の交易はお土産、部族間友好用とは聞いたことはあるな
この時代の積載能力はいかほどかな

781:世界@名無史さん
21/12/03 18:33:15.37 0.net
縄文人が生活必需品も交易してたんじゃないかとの説もあるんだけど

782:世界@名無史さん
21/12/03 20:17:33.17 0.net
縄文人が食べてたものは、煮込んだ魚介スープに、鳥や獣の肉もある
要するに、旨いものを食べていた
中国の内陸部は、食べるものがないから農耕を始めるのは早かった

783:世界@名無史さん
21/12/03 20:37:48.79 0.net
>>782
羊の放牧はやってなかったの?

784:世界@名無史さん
21/12/03 21:59:49.60 0.net
羊はいなかったようだ

785:世界@名無史さん
21/12/03 22:01:54.30 0.net
そもそも、なんでモンゴル高原で羊の放牧をするかっていったら、草原の草しか食べるものがないからだ
残念ながら、人間の胃腸では消化できない
だから、代わりに羊に食べて消化してもらって、その乳や肉を食べる

786:世界@名無史さん
21/12/04 00:34:00.90 0.net
殷の甲骨文でイケニエの筆頭が羊、次が奴隷(羗とか)だよな
あんまり牛や馬のイケニエはメインでないイメージ

787:世界@名無史さん
21/12/04 01:37:05.65 0.net
>>784
勝手に華北の羊を絶滅させんなww
春秋期までの華北は結構牧畜民居た

788:世界@名無史さん
21/12/04 11:37:02.15 0.net
ひょっとして、>>784 は縄文日本に羊がいなかったと言ってるのか?
春秋時代の中国の話と縄文時代の日本の話が平行で進んだから区別困難なレスが出てる気がする

789:世界@名無史さん
21/12/04 13:07:37.95 0.net
>>786
馬や牛って労働力になるからかね

790:世界@名無史さん
21/12/04 13:47:32.19 0.net
その一方で、牛をイケニエにする際に最初に耳を切る風習があって、そこから「牛耳る」という言葉が出てきたとされるように、牛をイケニエにする風習自体は存在した模様

791:世界@名無史さん
21/12/04 13:58:07.97 0.net
祝祭の時とかに牛を生贄に捧げて、その肉をみんなで食べるっての結構あった気がするけど

792:世界@名無史さん
21/12/04 17:35:14.24 0.net
>>789
「羊車」って言葉一応あるらしいけど
羊を使って荷車動かさせても効率悪いのかな?
あるいは鹿や猪(豚)も

793:世界@名無史さん
21/12/04 17:54:04.97 0.net
牛は畑を耕してくれるからな
労働力としてもかなり優秀
羊は毛が取れる
豚は食うしかないな

794:世界@名無史さん
21/12/04 19:48:50.21 0.net
1991年にアルプス氷河で発見された通称アイスマンは、5300年前に生存していたとされています。
彼が身にまとっていたのはヤギと羊のコート、ヤギ革のレギンス、クマの毛皮の帽子。羊革の腰布。靴紐は牛革。矢筒は鹿の革。上から下まで全部革でした。

795:世界@名無史さん
21/12/05 00:23:56.91 0.net
アイスマンはハプログループNだっけ?
遼河文明や周王室に関係があったそうだな

796:世界@名無史さん
21/12/05 00:53:35.47 0.net
Nって満洲族とかでしょ

797:世界@名無史さん
21/12/05 01:00:19.70 0.net
>>796
秋田県人にも7%ほどいるそうだ
大陸から東北地方にやってきたとかなんとか

798:世界@名無史さん
21/12/06 09:57:23.53 0.net
すまんアイスマンはハプログループGだったわ
早期にヨーロッパに進出してストーンヘンジとか作ったが印欧語族に上書きされてる
Nは中国系のOとの兄弟だったわ
はじめはNの方が栄えてたがOに取って代わられた

799:世界@名無史さん
21/12/06 11:24:15.52 0.net
Nって西進して北欧まで拡がってるよね

800:世界@名無史さん
21/12/06 11:44:49.69 0.net
>>795-799
ということは流入してきた異民族で、周辺民族とうまくいかず攻撃されて絶滅した?

801:世界@名無史さん
21/12/06 12:10:55.08 0.net
>>799
フィン・ウゴル系に痕跡が残ってるらしいな

802:世界@名無史さん
21/12/06 12:12:49.98 0.net
>>800
非主流派になったのは間違いないね
バスク人はハプログループGを汲むとも言われている
今はRに置き換わってしまったが
それだけ印欧語族が強かったのだろう

803:世界@名無史さん
21/12/06 18:51:56.45 0.net
有名なのはケルト人とゲルマン人だけど、その前からヨーロッパに流入してる民族はたくさんいるからな

804:世界@名無史さん
21/12/07 17:57:44.76 0.net
印欧語族の侵入は紀元前2000〜1000まで断続的に続いた
海の民、ドーリア人(後のスパルタ人)などがそれで既存の王国を幾つも滅ぼした
中国だと夏の時代か

805:世界@名無史さん
21/12/10 19:56:46.75 0.net
王国つったって炎帝とか三苗より小規模未発達な段階だけどな

806:世界@名無史さん
22/01/25 09:57:35.36 0.net
まあ殷、夏も黄河中流くらいだろうけどな
興味深いのは楚でここだけ長江の一部を含む華夏文化圏が早期に出来てる
三国志の時代で言えば荊州北部か

807:世界@名無史さん
22/03/08 13:35:05.12 0.net
キングダム前夜ぐらいの時代を描いたマンガの達人伝を読んでたら、白起が死んだ後一年以内に劉邦生まれててびっくりしたわ
あとダメな方の刎頸の友の片割れ張耳もでてきてて、戦国四君とかの時代と楚漢戦争の時代ってホントに近いんだなと
戦国末期も秦帝国〜楚漢戦争も全部知ってるけど、それぞれ別の時代として認識してたから驚いた

808:世界@名無史さん
22/03/08 13:48:25.72 0.net
始皇帝即位〜中国統一が15年
統一時代が10年
劉邦が武関突破して秦降伏がそれから3年という超スピード
春秋戦国時代が約550年だからこの間早いこと早いこと

809:世界@名無史さん
22/03/08 13:53:13.85 0.net
すまん即位から統一は約20年
親政から統一が15年だな

810:世界@名無史さん
22/03/12 14:32:27.90 0.net
>>800
むしろ父系では子孫を残せなかったのが多数
石器時代でも13%しかで謎扱いだけど
保見サピエンスの進出での人類種の絶滅も
そんなのニンゲンの先祖がやったに決まってる

811:世界@名無史さん
22/03/12 18:51:43.26 0.net
>>807
秦の始皇帝が生まれたのは紀元前259年。劉邦が生まれたのは諸説あるが前256年とされてるから、ほぼ同世代だな。歴史的には次の世代に見えるけど
前210年に始皇帝が死去(織田信長と同じ49歳)して大乱世に突入。旗揚げしたときの劉邦は48歳でまだ泗水の亭長、全国的には無名の存在だった
項羽は、劉邦とは親子くらい年の離れた血気盛んな若者。正真正銘の次世代だった

812:世界@名無史さん
22/03/12 18:53:30.13 0.net
北条早雲も51歳で歴史に登場するけど、それ以前はどこで何やってたか誰も知らない、どこの馬の骨とも知れない人物
高齢化社会の現代ならともかく、大昔でこれはすごい

813:世界@名無史さん
22/03/12 19:15:36.40 0.net
もっとも、劉邦が生まれたのは前247年という説もある。これだと、始皇帝より10歳以上も後の生まれ
司馬遼太郎は前256年説(つまり早い方)を取っていた。「項羽と劉邦」の第1巻の劉邦は、「48歳にして一介の亭長。人生においてまだ何事もなし得ていない男」として登場する

814:世界@名無史さん
22/03/12 20:50:32.59 0.net
>>811
>>813
年齢不明なのがなあ
隠していたわけでもなさそうだから劉邦か同じ日生まれのロワンの年齢の資料出ないかねえ
韓信とか他にも年齢不明なのがいるけど
少なくとも項伯が張良より年上と聞いて儂も師事すると言っているから
劉封が張良より年下で、張良は父が死んで25年後に国が滅亡だから
当時25歳以上ってのは分かるけど

815:世界@名無史さん
22/03/12 21:51:47.06 0.net
否定することは、実利を生まないばかりか、人間関係まで崩しかねない。

816:世界@名無史さん
22/03/14 11:32:59.42 0.net
呂氏の他に女がいて庶長子がいたんだろ?
しかし48だと子供もかなりいい歳になってそうだな

817:世界@名無史さん
22/03/14 13:39:40.57 0.net
結婚してなかったから皇后になれなかったのか?
それとも呂氏と繋がる時に清算したのだろうか

818:世界@名無史さん
22/05/29 12:43:15.07 0.net
>>812
早雲は生年の誤伝が原因であって、ホントは1世代ほど若いってのが近年の主流では

819:世界@名無史さん
22/05/29 12:58:41.87 0.net
>>818
ここは中国史に興味を持つ人々の集まるスレだから>>812の古い認識も無理は無い。
現段階での定説を一応書いておく。
・北條早雲なる虚構の呼称は使わない。伊勢盛時(入道後は早雲庵宗瑞)と呼ぶ。
・生年は1432年ではなくて1456年。表舞台に名を顕すのは32歳。享年は88歳に非ず64歳。
・馬の骨どころか室町幕府高級実務官僚(申次衆)。
・駿河クーデターも伊豆侵攻も幕命による公務。
スレチ、まことに失敬。

820:世界@名無史さん
22/05/29 18:57:49.27 0.net
>>814
張良には弟がいたのでもう少し年齢上でいいかもしれない

821:世界@名無史さん
22/05/30 00:36:44.55 0.net
>>819
毛利元就はさらに高齢になってから活躍

822:世界@名無史さん
22/12/28 00:43:06.91 0.net
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823:世界@名無史さん
23/04/30 22:58:07.49 0.net
現代では春秋戦国時代で最高の戦略家・戦術家はなんとなく孫子みたいな雰囲気あるけど
その他の人物でこの人の軍才すげーぜって時によく引き合いに出されて
「司馬穰苴もかくや…」って言われる司馬穰苴のほうが上だと当時は考えられていたのだろうか?

824:世界@名無史さん
23/05/24 18:12:16.30 0.net
>>819
なるほど
日本史も変わってきているんだな

825:世界@名無史さん
23/05/24 18:14:10.96 0.net
>>823
管仲・楽毅が最高なのでは?

826:世界@名無史さん
23/06/14 16:58:47.53 0.net
この国でずーっと♪ 斉王建♪


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