春秋戦国時代 4 at WHIS
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600:世界@名無史さん
21/10/09 13:11:57.44 0.net
>>596
室町初期まで全国何処でも掘っ建て小屋だよ

601:世界@名無史さん
21/10/09 13:29:59.70 0.net
掘っ立て小屋を作るために必要な板が安くなったのが鎌倉末なんで、それまでは掘っ立て小屋は高すぎて庶民には重負担だったんだが

602:世界@名無史さん
21/10/09 16:21:52.74 0.net
弥生から古墳時代の出土文物を見る限り
竪穴式があると思えば相当ご立派な家屋も割とよく見られるし
ラインナップが豊富よね

603:世界@名無史さん
21/10/09 16:29:35.96 0.net
古代人にとって、壁を構築するのは大変だった。
地面に穴を掘るほうが、よほど早かった
でも、やろうと思えば出来なかったわけではない

604:世界@名無史さん
21/10/09 16:51:57.60 0.net
機能面でも、冬の寒さを凌ぐという点だと竪穴式は劣ってるとはいえないしね
黄土高原では近現代まで竪穴的な設計の住居が頑張ってる

605:世界@名無史さん
21/10/09 17:12:16.96 0.net
日本の沖積平野の軟弱地盤とは違って、中国の黄土高原の土は、ツルハシで穴を開けるのも大変なほど硬い
(雨が降ると脆くなる。でも乾燥気候なので滅多に雨が降らない)
だから、「地面に穴を掘って家にした」といっても、黄土高原のは立派な建築。専門家でなければ造るのは無理
若き日の毛沢東も習近平も、そんな家で暮らしたことがあるらしい

606:世界@名無史さん
21/10/09 17:22:10.41 0.net
だからこそ材料が入手しやすく高度な建築技術もいらない
干し煉瓦を積んだ住居がよく見られるのだろうな(死ぬほど寒そう)

607:世界@名無史さん
21/10/18 19:42:13.39 0.net
あんな新石器時代を抜け出したばかりのような人たちが、よく広大な領域国家を形成できたものだ

608:世界@名無史さん
21/10/18 21:06:55.06 0.net
>>542
こうして見ると福建、広東、台湾は平野が
ほとんど無いのによく発展したな

609:世界@名無史さん
21/10/18 21:08:56.43 0.net
>>570
さすがに鉄までは自作出来ないけどね

610:世界@名無史さん
21/10/18 21:21:50.68 0.net
戦国四君子
どういう功績があるかわからない上に単独での列伝すら用意されていない平原君より同じ趙なら安平君趙成の方が相応しいような
儒教的にも父親と兄と主君(恵文王)への孝・悌・忠を守り中華の衣装を廃止しようとした甥っ子(武霊王)を諌めたとか理想化されそうな人物なのに

611:世界@名無史さん
21/10/18 21:34:22.29 0.net
>>608
珠江三角洲 面積1万1千平方キロ 人口7200万人
関東平野 面積1万7千平方キロ 人口3400万人

612:世界@名無史さん
21/10/18 21:39:42.37 0.net
広東省の平野は関東平野より狭いのに、人口は関東平野の倍以上
不動産価格が高騰するのは当たり前。
経済規模はすでに関東平野を超えた

613:世界@名無史さん
21/10/19 06:23:17.33 0.net
>>611
中国の公式データだと珠江三角州経済特区の総人口は6028万人、2020年のGDPは日本円換算して158兆円
日本の関東地方の人口は約4300万、2019年GDPは約220兆円

614:世界@名無史さん
21/10/19 07:27:56.87 0.net
どこからどこまでを平野と見るかで、推計値は変わる
でも、それを見ると珠江三角洲はまだ関東平野の経済力を超えてないみたいだな
いまは不動産バブルが絶賛崩壊中だから、関東平野を追い抜くことはなさそうだ

615:世界@名無史さん
21/10/19 07:35:19.89 0.net
もっとも、春秋戦国スレで広東省の話はスレチだが
まだ歴史に登場するのは先の話になる

616:世界@名無史さん
21/10/19 07:39:29.45 0.net
でも、中国の長江以南の南部は、日本と同様に山がちで人が住むのには適さないということ
そんな中で「もう1つの関東平野」とも言えるような地が広東省にあるということは、
現代中国を理解する上では知っといたほうが良い知識

617:世界@名無史さん
21/10/19 07:50:01.38 0.net
春秋戦国時代のストーリーの大部分は、華北平原とその周辺で展開された
地形図で一目瞭然の超巨大な扇形の平野、面積は関東平野の20倍以上

618:世界@名無史さん
21/10/19 07:55:48.13 0.net
大雑把なスケール比較 (四捨五入)
関東平野 2万平方キロ、人口4千万人
華北平原 40万平方キロ、人口4億人
日本 40万平方キロ、人口1億人
フランス 60万平方キロ、人口6千万人

619:世界@名無史さん
21/10/19 08:00:59.47 0.net
楚も、後世でいうような江南の国ではなく、「華北平原の南の端にある」というイメージ

620:世界@名無史さん
21/10/19 09:51:24.66 0.net
楚は三国志で言うと苑(宀)から寿春までが領域かな
袁術みたいね

621:世界@名無史さん
21/10/19 11:15:32.23 0.net
たしかに、寿春といえば連想するのは偽帝・袁術

622:世界@名無史さん
21/10/19 11:16:40.73 0.net
春秋の呉はいまでいう江蘇省、越はいまでいう浙江省に相当する

623:世界@名無史さん
21/10/19 11:22:51.91 0.net
呉の首都だった蘇州は、いまでも江蘇省の省都

624:世界@名無史さん
21/10/19 11:29:43.26 0.net
朝からオナニーしすぎ

625:世界@名無史さん
21/10/19 11:52:11.49 0.net
>>625
気をつけろ、身体が資本だぞ
余計なことで消耗するな

626:世界@名無史さん
21/10/19 11:58:04.82 0.net
衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、その実在について論争のない朝鮮半島の最初の国家であ
る。
中国の燕に出自を持つ中国人亡命者である衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは2世紀頃に書かれた王符の『潜夫論』以降)が今の朝鮮半島北部に建国した。

627:世界@名無史さん
21/10/19 11:59:26.31 0.net
衛 満(えい まん、生没年不詳)は、紀元前2世紀に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物。朝鮮の歴史において同時代の歴史書に明記される最初の君主である。
『史記』朝鮮伝では名のみ「満」と記す。
姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降である。衛満は、中国から古朝鮮に亡命して王位を簒奪した人物である。
衛満について『史記』及び『漢書』に詳細に記述されており、それによると、衛満は燕人である。

628:世界@名無史さん
21/10/19 12:01:37.30 0.net
燕人の衛満が、北朝鮮を乗っ取って朝鮮半島で最初の王になった
それまでの朝鮮は神話・伝説時代。
朝鮮の歴史はここから始まる

629:世界@名無史さん
21/10/19 12:13:19.42 0.net
戦国の七雄のなかで存在感がイマイチ薄い燕だが、満州方面にも勢力を広げる北の大国だった
朝鮮の歴史も、燕人の衛満から始まった

630:世界@名無史さん
21/10/19 12:25:35.29 0.net
>>616
そもそも現代中国の話がスレチ

631:世界@名無史さん
21/10/19 12:30:08.03 0.net
>>619
楚の中心地域は荊州だもんな
三國志中盤には魏に併合される辺り。
呉だって揚州じゃなく徐州だし
会稽が呉じゃなく越の首都だもんな

632:世界@名無史さん
21/10/19 13:27:40.22 0.net
三國志の頃になると、呉っていったら会稽あたりの地域を真っ先にイメージするくらいだけどなあ

633:世界@名無史さん
21/10/19 13:47:33.46 0.net
また朝鮮キチガイが現れた

634:世界@名無史さん
21/10/19 16:44:33.62 0.net
>>627
実は衛の王族の末裔とか無いのかな衛満

635:世界@名無史さん
21/10/20 12:58:17.28 0.net
それだったら面白いけどな
「衛氏朝鮮は中華の正統を受け継いでいる」とかいって、朝鮮人が自慢しそうだが

636:世界@名無史さん
21/10/20 23:08:40.89 0.net
>>610
それでも一応列伝が立てられている平原君で足りないのであれば
彼より存在感がなく平原君を上回るような赫赫たる功績も特に記されていない人物は更に不適切では?
つか亡くなるまで国を支える重臣の地位を保ち続けた(多分)点を評価するなら他の三君に劣らない

637:世界@名無史さん
21/10/25 13:53:46.68 0.net
魏は首都が
安邑(山西省夏県)から大梁(河南省開封市)に移っている
調べると安邑は洛陽と長安の真ん中辺、
大梁は三国時代なら陳留近辺、隋以降なら開封
黄河文明的には中心地だったんだろうね

638:世界@名無史さん
21/10/25 15:26:04.26 0.net
秦に西河獲られたからまあ

639:世界@名無史さん
21/10/25 16:43:51.19 0.net
商鞅や孫ピンや孟子を登用せず代わりに宰相として魏の恵王の右腕となった諸子百家名家の恵施の政治手腕は果たして
散々からかいながらも彼以外では私の喧嘩の相手は務まらないと亡くなった後友人の荘子は語っているが等の荘子が宋の漆職人だしなあ

640:世界@名無史さん
21/10/25 22:56:34.50 0.net
魏の大梁遷都って竹書紀年だと秦の鋭鋒避けるよりも早い時期からじゃなかったっけか

641:世界@名無史さん
21/10/26 08:02:58.86 0.net
大梁遷都はBC364かBC361とされる
秦で言えば前者は献公の最晩年、後者は孝公の初年
この頃の魏は主に趙・韓・秦と戦火を交えており秦の攻勢が影響した可能性はあります
一方いわゆる商鞅変法は少し後ということになっているので直接的関係はないと思われる

642:世界@名無史さん
21/10/26 08:31:50.57 0.net
そう聞くと秦と言うより他の勢力との戦いの為っぽそうだな

643:世界@名無史さん
21/10/26 10:04:47.47 0.net
燕→北京
趙→邯鄲、安陽市のあたり、三国志のギョウ(業阝)の近く
斉→臨淄、三国志の青州
韓→韓城市、安邑の黄河沿いに少し北西、洛陽、長安、延安の丁度中間にある

644:世界@名無史さん
21/10/26 12:36:29.17 0.net
恵施(魏の宰相)の言葉をWikiより引っ張り出してきた
かなりの哲学者のようだ
歴物十事 編集
「至大無外、謂之大一。至小無内、謂之小一」
「無厚不可積也、其大千里」
「天与地卑、山与沢平」
「日方中方睨、物方生方死」
「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」
「南方無窮而有窮」
「今日適越而昔来」
「連環可解也」
「我知天下之中央、燕之北、越之南也」
「氾愛万物、天地一体也」

645:世界@名無史さん
21/10/26 12:47:41.65 0.net

無限の大きさをもつものには、その外側となるものがない。これを大一と名づける。無限に小さいものにはその内側となるものがない。これを小一と名づける
厚みのないものは、いくら積み重ねても厚みができない。だが、その厚みのないものは、千里の大きさをもつといえる。
天と地は同じ高さにあり、山と沢とは同じ高さにある。
太陽は中天にあると同時に、東西のいずれかに傾いている。万物は生まれると同時に、死んでいる。
大きな類概念からみればみな同じになるが、小さな種概念からみれば異なっている場合、これを小同異という。万物は、根本ではまったく同じであるとともに、個物としてはそれぞれにまったく異なっているが、その場合これを大同異という。

646:世界@名無史さん
21/10/26 12:49:35.86 0.net
南方ははてがないと同時に、はてがある。
きょう越の国に向かって出発することは、きのう越の国に到着したということである。
鎖のようにつながった知恵の輪は、解くことができるものである。
私は世界の中央にあたる場所を知っている。
それは北国の燕の北、南国の越の南にある。
万物をひろく愛すれば、天地のあいだにあるすべてのものは一体となる。

647:世界@名無史さん
21/10/26 12:58:20.48 0.net
禅問答だな

648:世界@名無史さん
21/10/26 19:26:51.92 0.net
なんとなく荘子と通じるものがあるな恵施の言葉

649:世界@名無史さん
21/10/27 07:06:23.04 0.net
荘子との交流を好んだらしいな

650:世界@名無史さん
21/10/27 07:17:50.94 0.net
古代ギリシャのデモクリトスは物質は最小単位がある事を以下の論法で行っている
仮に物質に最小単位が無いと仮定してこれ以上できないところまで分割する
それらを足し合わせると、最小単位が無いために結果はゼロとなってしまい元の姿に戻せなくなってしまう
よって、物質には最小単位が存在する
これによって原子の存在を予想した
一方の中国の思想はこんな感じであったからこれ以上考えるのをやめたようなもの

651:世界@名無史さん
21/10/27 07:24:25.27 0.net
ところが理論物理学になってくると荘子の言葉が真理を突いてくると思うようになるらしく湯川秀樹は荘子を大変好んだようだ

652:世界@名無史さん
21/10/29 09:35:20.70 0.net
楚の懐王とか秦に捕まっちまうのな
王が捕まるって前例あったんだろか

653:世界@名無史さん
21/10/29 13:20:56.93 0.net
前線に出ていく王だと割とポコポコ捕まってるような

654:世界@名無史さん
21/10/29 15:08:44.72 0.net
始皇帝後の三世子嬰みたいに降伏しても捕まえられる気がするが

655:世界@名無史さん
21/10/29 16:19:49.11 0.net
捕まらないなら降伏して無えじゃん

656:世界@名無史さん
21/10/29 16:27:33.56 0.net
秦の商鞅と魏の公子卬が会見して卬が捕らえられたとか宰相、公子級は結構あるんだけどな
捕虜交換のネタにもなるし

657:世界@名無史さん
21/10/30 13:00:43.21 0.net
古い時代だと晋恵公とか呉王夫差とか周の誰だっけ?とか
偶に捕まってるよね

658:世界@名無史さん
21/10/30 15:47:12.26 0.net
捕えられたまでは行ってないけど、
五覇の斉の桓公も和議の時に相手の将軍に剣を突きつけられて不利な講和結ばされてるし、
平原君の食客の毛遂も相手の王のそばまでよって脅して同盟結ばせてるし、
みんなしょっちゅう危ない目にあってるわ

659:世界@名無史さん
21/10/30 22:41:17.47 0.net
会同先で拘束されるケースも春秋時代は多い

660:世界@名無史さん
21/10/31 01:10:40.83 0.net
宋襄公とかいう恥晒しも捕まってたよね
陳の誰かも楚に拘禁されたし、結構居るな

661:世界@名無史さん
21/11/01 09:10:56.82 0.net
宋の襄公を恥の一言で片づけるのは頷けないかな
当初は太子を退いて兄に譲ろうとし斉の内乱を鎮めて流浪の重耳を優遇もしてる
理想主義者的な面は否定できんが春秋公羊伝では擁護もされてる
殆ど事績もなく消えてく小国君主のなかではそういるものでもない
宋が大国なら盟主であれた気もする

662:世界@名無史さん
21/11/01 11:40:51.49 0.net
当時の道徳では華夏人の美徳だったんだろうな

663:世界@名無史さん
21/11/01 12:14:32.18 0.net
>>661
現実を見ない為政者わ
ホルホル妄想して現実から逃避してるネトウヨと同じ

664:世界@名無史さん
21/11/01 13:58:12.87 0.net
王莽っていうとんでもない人物を輩出した国だしなあ

665:世界@名無史さん
21/11/01 19:16:22.37 0.net
>>663
死ね

666:世界@名無史さん
21/11/02 09:41:51.19 0.net
淫志わ志じゃ無い

667:世界@名無史さん
21/11/02 13:17:13.01 0.net


668:世界@名無史さん
21/11/02 19:44:31.53 0.net
>>666
死ね

669:世界@名無史さん
21/11/03 01:29:00.24 0.net
話を戻すと大臣や君主が外交で捕まるケースはそこそこあるわね
外交官、ましてや国家元首を外交の場で拉致るとか現代的価値観では暴挙の中の暴挙だけど春秋戦国の諸国は稀によくやる

670:世界@名無史さん
21/11/03 14:02:20.78 0.net
君主制だとどの国も遠い親戚だからな
国としての外交儀礼よりも私怨が勝ることもあるわな

671:世界@名無史さん
21/11/03 20:35:08.18 0.net
春秋時代は君主を弑逆なり追放して挿げ替えた臣が会同先で捕らえられた
なんて例もあった気が

672:世界@名無史さん
21/11/04 13:36:35.41 0.net
君主を殺して自分が君主に、あるいは暫定君主になったやつすぐ殺されるよな
斉の桓公は父親が暴君だから兄弟で亡命して、父親が暗殺されたと思ったら殺したやつも死んで即位レース始まったし

673:世界@名無史さん
21/11/04 13:39:51.28 0.net
魏、趙、韓は3氏で共謀したから晋の簒奪が上手く行ったのかな

674:世界@名無史さん
21/11/04 16:39:43.65 0.net
襄公って桓公の兄でしょ
妹とヤリ捲ってて子供居ないし

675:世界@名無史さん
21/11/04 17:54:51.05 0.net
>>672
このパターンはよく見るな
外国に亡命して返り咲くやつ
公子級って大体は人質だしな

676:世界@名無史さん
21/11/04 20:01:02.84 0.net
殺されずに亡命してる時点でそれなりに優秀だしね

677:世界@名無史さん
21/11/05 21:44:34.75 0.net
太公望から田氏に乗っ取られるまで32人も君主がいる姜斉だけど玄孫(哀公・胡公・献公)の辺りから次々君主が兄弟に簒奪されてはその兄弟も殺されるの繰り返しなんだな
暗君扱い受ける事の多い頃公霊公景公(後、ぶっちゃけ菅仲の付いてない桓公も)あたりは本人が殺されずに死ねただけまだ真っ当な君主なのかも

678:世界@名無史さん
21/11/06 10:17:02.53 0.net
文公は悪人だよね? 里克の後援は嫌だったけど、他国の穆公の援助は受ける。
世話になった楚や秦と戦っているわ、周の領土を奪ったりしてるわ… 恨みは終生忘れないって
穆公も長寿だね。文公より年上か年下か分からない。なんか皆長命だけど

679:世界@名無史さん
21/11/06 11:12:18.94 0.net
里克なんて典型的な権力壟断する奸臣じゃん
雑魚の周を横領したから何?って話だし

680:世界@名無史さん
21/11/06 23:20:44.44 0.net
三家分晋は周王が三家に公位を授けたんだろう。まだ権威があったということじゃん
なぜ対価というか貢物を貰えなかったの?

681:世界@名無史さん
21/11/07 04:47:21.98 0.net
三晋は簒奪したばかりで
他国と違って権威付け欲しい時期だし

682:世界@名無史さん
21/11/10 07:26:27.73 0.net
>>677
優れた君主だろうが政治的に成功するとは限らないし、凡君だからといって失敗するわけでもない
天王に殺された西周期の斉公と春秋後期の斉公を殺されたか否かで線引きしても君主個々の資質は見えてこない気がするよ
>>678
悪人といえば悪人かもしれないけど、今日的倫理観で悪人じゃない君臣はなかなかいないと思う

683:世界@名無史さん
21/11/10 07:37:04.90 0.net
君主の初代なんて皆簒奪者だしなあ

684:世界@名無史さん
21/11/10 08:14:19.02 0.net
始皇帝は誰からも簒奪してないと思うが

685:世界@名無史さん
21/11/10 09:31:01.12 0.net
始皇帝は征服だからなあ
儒教的価値観では好まれんだろうよ
まあ言うて禅譲が本当の禅譲だった例もないだろうけど

686:世界@名無史さん
21/11/10 09:39:24.90 0.net
春秋戦国時代なら儒家はまだ諸子百家の一派の主流だし秦は法家だからセーフ

687:世界@名無史さん
21/11/10 10:32:19.10 0.net
そうね
始皇帝の評価も後付フィルタは沢山かかってるだろな

688:世界@名無史さん
21/11/10 12:22:00.22 0.net
>>685
帝尭から帝舜への禅譲(神話中の出来事)だけは真の禅譲
まあ、リアルには存在しないわけだな

689:世界@名無史さん
21/11/10 12:51:52.18 0.net
今日的価値観で書かれている小説でも善人扱いじゃん
劉備や孔子も評価が変わってきているけど

690:世界@名無史さん
21/11/10 13:35:28.39 0.net
>>688
つ「囚尭城」

691:世界@名無史さん
21/11/10 14:16:13.86 0.net
そういう禅譲が理想の政治って思われてたから、本当に禅譲したのもいくつかはあると思う
名誉欲が強いやつが名君だと思われたくてとかな…

692:世界@名無史さん
21/11/10 15:16:37.50 0.net
それにしては禅譲してあげた元君主の生存率が低すぎる
後漢の献帝並に禅譲後も神経を使ってようやく生き延びれる

693:世界@名無史さん
21/11/10 15:48:59.71 0.net
旧主殺すとそいつには復讐されなくなるが後で他のやつが自分を殺してもいいってなるわな
モラルハザードと言えなくもない

694:世界@名無史さん
21/11/10 18:43:25.06 0.net
南北朝期わ族滅やら謀叛やら多過ぎだしね
凄惨な殺戮が流行

695:世界@名無史さん
21/11/10 19:11:33.61 0.net
凄惨なのは宇宙大将軍ぐらいじゃない?

696:世界@名無史さん
21/11/10 19:26:10.23 0.net
>>694
死ね

697:世界@名無史さん
21/11/11 01:09:48.69 0.net
>>684
始皇帝は初代どころか封神演義の悪来から続いてる人でしょ
そもそも趙正書じゃ皇帝を自称していないし

698:世界@名無史さん
21/11/11 07:16:57.60 0.net
>>695
五胡十六国は皆凄惨よ

699:世界@名無史さん
21/11/18 19:45:10.09 0.net
沙丘の乱って恵文王と廃太子章の醜い兄弟争いに偶然武霊王が巻き込まれて今さら事実上の支配者に弓を向けてこのまま包囲解けば許されるはずが無いと判ってた恵文王と公子成がそのまま餓死させた説と
宮城谷先生の小説のとっくに寵愛が平原君の母親に移っていた武霊王が後継者にさせたいが為に恵文王(と多分公子章も)を都合よく同士討ちさせようとして公子章が自分の元に逃げてきて以下同文
どっちが真実に近いのか
そもそも3ヶ月も国の真の支配者をその息子が包囲し続けている状態で趙が他の国から攻め込まれたりしなかったのか?
斉のビン王も秦の昭襄王もそんな隙見せたらたちまち侵略してきそうなのに

700:世界@名無史さん
21/11/19 16:59:05.48 0.net
章が弟の恵文王に臣下の礼をとっている姿を武霊王が不憫に思ったというのは
史料にもあったはずなんで、小説はそこを膨らませたんだろうとは思う

701:世界@名無史さん
21/11/19 18:54:58.24 0.net
当時16歳の恵文王にどこまで政治的軍事的な実権あったかはわからないが
恵文王本人が目の上のたんこぶでしかない兄と父を親子水入らずの場を利用して殺したか
あるいは年少の王を操り実権を主父武霊王から奪うべく公子成や李克がクーデターを起こして少なくとも当時は何の実権も無かった恵文王(と平原君)は父と兄見殺しにされても何も出来なかったのか

702:世界@名無史さん
21/11/20 01:56:24.40 0.net
恵文王が同意してたらさっさと殺されてるだろうから
後難を畏れて幽閉わ解け無いけど、殺害も容認出来無いって感じじゃね
他国は攻めないでしょ、長引いた方が深刻だし

703:世界@名無史さん
21/11/20 07:52:35.38 0.net
>>702
死ね

704:世界@名無史さん
21/11/20 18:23:39.27 O.net
>>699
昭襄王は内外含めて実に多くの英雄たちと関わってるが彼自身を主役とした作品は無いんだな

705:世界@名無史さん
21/11/21 03:59:52.68 0.net
中国ドラマであったよ,タイトル忘れたけど2年くらい前にCSの再放送でやってた

706:世界@名無史さん
21/11/21 09:00:15.99 0.net
>>705
秦の昭襄王だな
あれの孝公と恵文王までは見た

707:世界@名無史さん
21/11/23 12:37:18.10 0.net
大河ドラマで春秋戦国時代やらないかな
オール日本人キャストで

708:世界@名無史さん
21/11/24 15:34:48.23 0.net
坊やはキングダムの映画でも観てなさい

709:世界@名無史さん
21/11/24 16:16:45.79 0.net
案外囲んだ当初にサクっと武霊王ぶっ殺してたんだけど包囲で時間稼いだだけだったり
ってミステリー脳が俺に言ってくる
包囲中にコンセンサス形成していざ死を発表しても問題ないようにした
という可能性は結構あると思ってる

710:世界@名無史さん
21/11/24 23:20:15.06 0.net
秦の異人(荘襄王)は何故趙の人質になっていたのですか?
争いばかりの上、秦が上。長平の戦いもあった。そのときの和睦条件なら、その後の期間が短すぎて合いません

711:世界@名無史さん
21/11/25 04:40:38.36 0.net
下の方の庶子なんてガラクタだし

712:世界@名無史さん
21/11/25 09:30:59.55 0.net
相続争いで家臣団が分裂するし追放しかなかったのでは

713:世界@名無史さん
21/11/25 11:58:03.49 0.net
王のやらかしで一族郎党皆殺し→後日罪を一族の人間が(臣下として)お家再興許されるってパターンはそういう他国に追放されてた庶子の子孫パターンになるのかな?

714:世界@名無史さん
21/11/25 12:20:50.25 0.net
人質派遣って、ときに大使館のような外交上の役割を果たしてることもあるよな?

715:世界@名無史さん
21/11/25 13:52:54.22 0.net
>>714
仮に君主になれたら保護した恩恵大きいからね
領土割譲してくれたり援軍出してくれたりするかも
なお晋の恵公

716:世界@名無史さん
21/11/25 16:38:57.36 0.net
>>709
そこに恵文王の指示があったか
家臣達の暴走に口出し出来なかったか

717:世界@名無史さん
21/11/26 03:57:46.07 0.net
恵文王単独なら態々殺す必要無いしな
胡服令を憎悪したネトウヨ貴族が殺したんでしょ

718:世界@名無史さん
21/11/27 01:46:10.17 0.net
生かしてしまうと恵文王の地位が動揺し続けるかもしれないし
勢威を回復した主父に囲んだことを咎められて殺される可能性もある
状況証拠からいえば
恵文王には公子成や李兌に負けず劣らず主父を殺す動機があるような

719:世界@名無史さん
21/11/28 19:00:18.57 0.net
申不害が昭候に使えていた時期を別とすれば韓って弱小国扱い受けてる戦国時代の宋 衛 魯 越 中山あたりと比べて本当に七雄と強国扱いされる程差があったのかな?

720:世界@名無史さん
21/11/28 19:01:42.76 0.net
有ったよ後わ自分で調べてね

721:世界@名無史さん
21/11/28 19:18:25.93 0.net
>>720
死ねよ

722:世界@名無史さん
21/11/28 19:26:14.70 0.net
>>719
韓の立地は最悪だから、弱小なら最後まで残ってない

723:世界@名無史さん
21/11/28 20:25:33.26 0.net
かつての強国の鄭を滅ぼしたし

724:世界@名無史さん
21/11/29 15:31:25.53 0.net
春秋戦国〜漢の初めまでは異民族の女が王の妃にっての結構あったけど
あの辺の異民族ってどのくらい遺伝子違ってるんだろう
本州人と沖縄人ほどの違いある?幕藩体制下の他藩の人くらいの感覚?

725:世界@名無史さん
21/11/29 15:53:22.58 0.net
>>724
三国時代に漢民族激減
五胡十六国の華北政権は異民族だった
ところを見ると春秋戦国時代は華夏人はまだ黄河周辺にしかいないから、晋、斉以外は国土の一部にしか華夏人はいないと思う
呉、越、燕、蜀、楚の南側、秦の西側なんかは化外の地だろうな

726:世界@名無史さん
21/11/29 23:24:16.12 0.net
戸籍数が減るのと人口減少は必ずしも一致しない
南北朝期の北朝で漢族胡族半々
晋と斉わ元々わ中原から外れてる

727:世界@名無史さん
21/11/30 06:51:57.18 0.net
一致はしないが中央官庁が機能を無くしたことは確かだ
支配範囲が限定的になってアウトローが増えてる
記録を見ると大量に匈奴などから移民が住み着いた状態になってる

728:世界@名無史さん
21/11/30 07:54:50.51 0.net
>>726
死ね

729:世界@名無史さん
21/11/30 08:09:54.70 0.net
五胡十六国の時代の遊牧民移住は漢王朝の移民政策の結果だろう

730:世界@名無史さん
21/11/30 08:18:28.72 0.net
>>727
オマエ基本の史書すら読んで無いじゃんww
史書と矛盾する妄想垂れ流してるし

731:世界@名無史さん
21/11/30 09:42:27.17 0.net
>>730
五胡十六国時代に匈奴が山西で挙兵してる
曹操時代に劉淵の祖父を帰順させて住まわせてるからだ
山西って既に晋の領域内だ
成漢も羌族で漢中から入ってきて成都を落としてるしかなりの数の異民族が入ってきてないとこうはならない
これは中央省庁の制御が働かない地帯が増えたと見るのが妥当だろう
戸籍減少に表れている
逆に春秋戦国時代や始皇帝の時期に異民族が浸透しなかった方が疑問だ
族同士で食い合ってたんかな

732:世界@名無史さん
21/11/30 10:00:13.07 0.net
後漢以降の貨幣政策を見ると三国すべてが落第点
悪貨を量産しインフレを招いている
魏などは実質徴税は物納で貨幣は銅の価値のみを重視した民間でのみ流通されてたようだ
これは単純に税収が低く以前に比べ国力が低かったと見るべきだろう

733:世界@名無史さん
21/11/30 11:47:44.90 0.net
>>731
オマエ最初に三国時代って指定してるじゃん

734:世界@名無史さん
21/11/30 11:49:57.80 0.net
>>732
数十年暴政と戦乱が続いた後なのだから
そりゃ生活は悪く成ってる

735:世界@名無史さん
21/11/30 12:08:14.89 0.net
別に批判は構わんがもっと実のある情報くれよ
国力下がってたら中央機能の低下は予想出来るだろ
指摘されるまでもない
史書読んでないとの批判があるなら史書情報を示してくれよ

736:世界@名無史さん
21/11/30 12:21:05.81 0.net
>>726
後漢末から三国時代、西晋初期ぐらいまでの時期には、人口が減ったことによる兵員減を補うために遊牧民の集団移住を何度も受け入れてて、漢代よりも遊牧民人口が大幅に増えてるからだよ
その後、五胡十六国の乱のときにさらに遊牧民が流入したり、遊牧民たちが漢人を奴隷化したり殺しまくったりして減らしたから、半々になったんじゃね
知識人階級(要するに豪族たち)すら奴隷化されてた記録もある

737:世界@名無史さん
21/11/30 13:09:42.03 0.net
>>735
後漢〜魏の時期だと南匈奴わ部族として纏ったまま長城沿いに居住してて烏丸も同様
異民族が内地に大量流入したのわ八王の乱の後から

738:世界@名無史さん
21/11/30 14:00:28.48 0.net
戸籍人口の減少と異民族は無関係ではあるまい
異民族を利用し、兵力として取り込み、利用しなければ曹操は外敵に勝てまい
論文を見るに袁紹も烏桓を利用してこそ公孫瓚に勝てたとある
兵力として利用するには居住地を与えねばならず、それは中国内部に他ならない
曹操の政策として記録がある
言わば国内同盟勢力としての外国
これが戸籍減少の一因という推測は矛盾していない
逆に春秋戦国時代は都市国家が故に異民族の援助までは必要無かったと解釈もできるかもしれない

739:世界@名無史さん
21/11/30 15:30:21.34 0.net
遊牧民族に関してむしろ逆じゃないかな
元々漢民族圏は周ー殷の支配圏を中心とする黄河中ー下流地域周辺だけだったが
春秋ー戦国初期の人口増に合わせて各都市国家が勢力拡大して遊牧民族の地域にまで支配圏を伸ばした
そして領土国家に統合されていくと同時に長城を築いて遊牧民を城壁外に排除したけど
後漢王朝が方針転換して友好部族を勢力圏内に移住させて敵対部族に対する防衛を担わせたことで
遊牧民が再び漢民族支配圏内に移住してきた
人口減という説は戸籍上の人数が根拠だけど、現代と違って戸籍調査も流動人口の把握も困難だった古代中国で
動乱が起きれば中央政府が把握してる人数が一気に減る

740:世界@名無史さん
21/11/30 15:49:26.14 0.net
>>739
なるほど、春秋戦国時代は華夏人の高度成長期というわけか
それならば矛盾はないな

741:世界@名無史さん
21/11/30 16:14:32.06 0.net
春秋時代に鉄製農具が登場したり農業の技術が進歩したからな
今の中国と同じ人口ボーナスを武器に周辺地域に勢力拡大していった

742:世界@名無史さん
21/11/30 17:01:40.17 0.net
官吏や官吏を輩出する家庭や教育機関の知的水準が高く、圧倒的に官僚機構が整備され資料が多数ある後世においてすら
天朝の兵員数はカタログスペックです
思ったほど人いなくて人口オーナスやばいじゃねーか!(つい最近までむしろ人口多すぎ、黒孩子数千万人とか内外で言われてたのに)
みたいな事態が発生するんだし、稀に数字が載ってる程度な古代中世の史書戸籍人口の過信は禁物よね

743:世界@名無史さん
21/11/30 17:49:56.27 0.net
>>737
死ね
三国時代から普通に内地に移住させてるわ

744:世界@名無史さん
21/11/30 19:11:20.92 0.net
春秋戦国時代の場合高度成長期の結果として秦が蜀を併合したのも大きいのかもしれない
黄河流域圏でない別の文化圏だった外国を併合したようなもの
規模は小さいがアレクサンダー大王のペルシア支配に比べられるかもしれない

745:世界@名無史さん
21/11/30 19:35:53.23 0.net
>>738
逆だ
後漢後半から寒冷化が進んで凶作連発の飢饉連発で人口が減っていってたんだよ
そんななかでの戦乱だから、生活苦から流浪して行きだおれる人も多く

746:世界@名無史さん
21/12/01 03:15:46.07 0.net
>>738
妄想垂れ流して無いで三国志読めよ
はい論破

747:世界@名無史さん
21/12/01 03:17:33.45 0.net
>>739
商周は黄河上中流域,下流は東夷

748:世界@名無史さん
21/12/01 03:18:20.80 0.net
>>739
史書読もうな
排除じゃ無く征服同化

749:世界@名無史さん
21/12/01 03:22:43.37 0.net
>>744
秦の超大国化わ社会を根本から変えた革命に由るもの
まあ高度経済成長も半分は米軍に由る革命のお陰だけど
勿論残り半分は毛沢東大乱に因る中国の不在と人口動態

750:世界@名無史さん
21/12/01 04:43:14.91 0.net
無知が四連打してどうする
殷の支配圏(河南省から黄河下流の地域)が黄河の上流とか地理も歴史も知らないとしか言いようがないし
燕、趙、秦がそれぞれ長城を築いて遊牧民族を排除したり
趙が逆に遊牧民族の文化を取り入れて軍事面を強化したり
周辺民族の侵入に手を焼いてたし
周辺民族が漢民族圏に進出する状況を憂いて提唱されたのがあの尊王攘夷

751:世界@名無史さん
21/12/01 06:45:18.44 0.net
燕も秦も趙も牧畜民(春秋期わこっちが主)や遊牧民の征服同化が勢力拡張の過程

752:世界@名無史さん
21/12/01 07:04:54.16 0.net
同化(教化)は中華帝国形成後の概念ね
攘夷という言葉にあるようにこの時期の周辺民族は漢民族にとって支配地域を奪い合うライバル
そもそもこの時期の漢民族は農業技術進歩の恩恵を受けて人口が増加したから欲しいのは居住地域
異民族に対して趙のように戦力として欲しいから労力かけて漢民族に同化させるようなことはまだやってない
皇帝を頂点に華夏始め諸民族が支配される概念は戦国末期の秦が広めたもの

753:世界@名無史さん
21/12/01 07:31:00.85 0.net
>>749
死ね

754:世界@名無史さん
21/12/01 07:32:07.72 0.net
>>751
いいから死ねよ

755:世界@名無史さん
21/12/01 08:49:30.15 0.net
>>752
いいから史書読めよ

756:世界@名無史さん
21/12/01 09:08:39.47 0.net
無知が史書読め連呼とかギャグだな

757:世界@名無史さん
21/12/01 09:13:32.15 0.net
微管仲、吾皆被髪左衽
一歩間違えば被征服民になってた春秋時代の漢民族が他民族を同化する余裕なんてない

758:世界@名無史さん
21/12/01 10:19:09.00 0.net
異民族も早くに同化した,斉の服属征服させた東夷,普が征服した雑多な牧畜民,秦が服属征服した西戎等と
長城外の東胡その他遊牧民が居た事も理解して無い無知無知くん
といっても戦国期に成ると燕や趙がそれ以前の長城外も支配下に組み込んでるけど

759:世界@名無史さん
21/12/01 10:34:09.29 0.net
歴史観が古いし漢民族中心被れだし都合の悪い歴史は無視するしダメだなこいつ
胡服騎射導入してやっと異民族に立ち向かえた趙のように
周王朝東遷以降
強いリーダーを失った周王朝支配圏は都市国家による緩い集合体になったから
まとめられる覇者が出現するまで全員被髪左衽になりかねない状態だったのに
征服同化してた!など後世の中華帝国の価値観で語る馬鹿が無知にも程がある

760:世界@名無史さん
21/12/01 12:05:59.50 0.net
>>747
上流域は含まなくないか
上流域には周を含めた、不完全な上下関係しか受け入れてない隣国があっただろ

761:世界@名無史さん
21/12/01 12:13:40.44 0.net
秦って周初には存在しなかった国だし、元は遊牧民系の国だったのが中国化して建国されたんじゃないの?

762:世界@名無史さん
21/12/01 12:15:26.03 0.net
>>758
いいからいい加減死ね

763:世界@名無史さん
21/12/01 17:52:26.08 0.net
>>758
普ってなんですかw?
こいつが史書を読んでないことは確実

764:世界@名無史さん
21/12/01 18:57:57.96 0.net
>>760
商周
>>761
冊封じゃ無く封建

765:世界@名無史さん
21/12/01 20:03:37.89 0.net
>>764
アンカー先の数字を間違ってない?
どう繋がってるのかさっぱりわからん

766:世界@名無史さん
21/12/02 00:05:22.85 0.net
無知に理解出来無いのが春秋の筆w

767:世界@名無史さん
21/12/02 08:14:55.01 0.net
中国は、20世紀になっても
「省が違えば別世界。言葉は通じないし、風習もまるきり異なる」
「隣の省に貨物列車を送ると、列車ごと返ってこない」
と言われる世界だった
ましてや、2500年前なんか
鉄道も電話もテレビもなにもなく、
「秦の始皇帝が車軌を統一したおかげで、隣の国まで馬車で行けるようになった」
「斉(山東省)の人なのに、莱(山東半島)の人とも会話することができた」
と言われる世界だ
「中国化した」と言ったって、単一民族になったわけでもなんでもないんで

768:世界@名無史さん
21/12/02 09:34:30.03 0.net
清朝末期わ暴政続きその後の滅亡崩壊と内戦
日帝国の侵略と虐殺略奪破壊,一時的統一と毛沢東大乱
近代国家の建設が始まって未だ半世紀経って無いからね
琉球や蝦夷島は完全に言語不通で辺境の南九州と東北も難儀
琉球語アイヌ語の絶滅化と標準語教育を始めて時間経ったから

769:世界@名無史さん
21/12/02 11:31:15.34 0.net
>>768
春秋戦国時代と関係ねー話すんな
死ね

770:世界@名無史さん
21/12/02 12:06:41.48 0.net
>>767
そりゃまあ、中国というひとつの世界を作り上げてるのは知識人階級以上の上層部だけで
庶民は地域間交流も少なくて文化的にバラバラではあるな
中国全土で統一されてた度量衡だって上層部だけが使ってて、村の中までは入り込んでない、
庶民が使う度量衡は公定度量衡とは別物だったとされているし

771:世界@名無史さん
21/12/02 12:42:27.35 0.net
ヨーロッパもそうだな
上層部は交流が盛んで、親戚同士だったりするし、共有している文化がある
でも、それは上層部だけ

772:世界@名無史さん
21/12/02 12:48:04.35 0.net
大体文字が誕生したのも異文化交流のためのツールだからな
縄文時代の日本人など言葉だけで充分足りたからモジなど必要なかった

773:世界@名無史さん
21/12/02 12:58:05.34 0.net
>>770
又誤読or曲解してるのか無知無知くんは
統一の度量衡は定めたが,征服地での実務でわ旧六国の単位を引き続いてた

774:世界@名無史さん
21/12/02 12:59:43.09 0.net
>>772
石器時代の日本列島とか精々隣の集落までが全世界

775:世界@名無史さん
21/12/02 13:34:26.52 0.net
アフォか
5千年前の青森の三内丸山遺跡から、糸魚川でしか取れない翡翠が出て、広範囲での交易が確認されただろ

776:世界@名無史さん
21/12/02 14:40:03.00 0.net
>>773
おまえもう話に入らなくていいよ
邪魔だから

777:世界@名無史さん
21/12/02 14:52:15.13 0.net
>>775
弥生時代の遺跡からローマ領内のガラスとかコインとか出てるからな
ローマと邪馬台国の広範囲な交易が確認されたよな(判らない方の為に説明しておくとこれわ皮肉である)

778:世界@名無史さん
21/12/02 15:24:00.97 0.net
近隣の村との交易でリレー的に遠くまで材物、宝物系が運ばれる程度は珍しくない
貿易商人が遠くまで往来するようになるのはもっとあと

779:世界@名無史さん
21/12/03 12:27:59.10 0.net
隣の人がイギリスに旅行に行ってお土産に色々貰って
そのうちの一部を沖縄の親戚に家に行って譲渡した
沖縄の親戚がイギリスと交流があったわけでも、イギリスと交流がある隣の人と接触したわけでもないという

780:世界@名無史さん
21/12/03 15:09:29.16 0.net
縄文時代の交易はお土産、部族間友好用とは聞いたことはあるな
この時代の積載能力はいかほどかな

781:世界@名無史さん
21/12/03 18:33:15.37 0.net
縄文人が生活必需品も交易してたんじゃないかとの説もあるんだけど

782:世界@名無史さん
21/12/03 20:17:33.17 0.net
縄文人が食べてたものは、煮込んだ魚介スープに、鳥や獣の肉もある
要するに、旨いものを食べていた
中国の内陸部は、食べるものがないから農耕を始めるのは早かった

783:世界@名無史さん
21/12/03 20:37:48.79 0.net
>>782
羊の放牧はやってなかったの?

784:世界@名無史さん
21/12/03 21:59:49.60 0.net
羊はいなかったようだ

785:世界@名無史さん
21/12/03 22:01:54.30 0.net
そもそも、なんでモンゴル高原で羊の放牧をするかっていったら、草原の草しか食べるものがないからだ
残念ながら、人間の胃腸では消化できない
だから、代わりに羊に食べて消化してもらって、その乳や肉を食べる

786:世界@名無史さん
21/12/04 00:34:00.90 0.net
殷の甲骨文でイケニエの筆頭が羊、次が奴隷(羗とか)だよな
あんまり牛や馬のイケニエはメインでないイメージ

787:世界@名無史さん
21/12/04 01:37:05.65 0.net
>>784
勝手に華北の羊を絶滅させんなww
春秋期までの華北は結構牧畜民居た

788:世界@名無史さん
21/12/04 11:37:02.15 0.net
ひょっとして、>>784 は縄文日本に羊がいなかったと言ってるのか?
春秋時代の中国の話と縄文時代の日本の話が平行で進んだから区別困難なレスが出てる気がする

789:世界@名無史さん
21/12/04 13:07:37.95 0.net
>>786
馬や牛って労働力になるからかね

790:世界@名無史さん
21/12/04 13:47:32.19 0.net
その一方で、牛をイケニエにする際に最初に耳を切る風習があって、そこから「牛耳る」という言葉が出てきたとされるように、牛をイケニエにする風習自体は存在した模様

791:世界@名無史さん
21/12/04 13:58:07.97 0.net
祝祭の時とかに牛を生贄に捧げて、その肉をみんなで食べるっての結構あった気がするけど

792:世界@名無史さん
21/12/04 17:35:14.24 0.net
>>789
「羊車」って言葉一応あるらしいけど
羊を使って荷車動かさせても効率悪いのかな?
あるいは鹿や猪(豚)も

793:世界@名無史さん
21/12/04 17:54:04.97 0.net
牛は畑を耕してくれるからな
労働力としてもかなり優秀
羊は毛が取れる
豚は食うしかないな

794:世界@名無史さん
21/12/04 19:48:50.21 0.net
1991年にアルプス氷河で発見された通称アイスマンは、5300年前に生存していたとされています。
彼が身にまとっていたのはヤギと羊のコート、ヤギ革のレギンス、クマの毛皮の帽子。羊革の腰布。靴紐は牛革。矢筒は鹿の革。上から下まで全部革でした。

795:世界@名無史さん
21/12/05 00:23:56.91 0.net
アイスマンはハプログループNだっけ?
遼河文明や周王室に関係があったそうだな

796:世界@名無史さん
21/12/05 00:53:35.47 0.net
Nって満洲族とかでしょ

797:世界@名無史さん
21/12/05 01:00:19.70 0.net
>>796
秋田県人にも7%ほどいるそうだ
大陸から東北地方にやってきたとかなんとか

798:世界@名無史さん
21/12/06 09:57:23.53 0.net
すまんアイスマンはハプログループGだったわ
早期にヨーロッパに進出してストーンヘンジとか作ったが印欧語族に上書きされてる
Nは中国系のOとの兄弟だったわ
はじめはNの方が栄えてたがOに取って代わられた

799:世界@名無史さん
21/12/06 11:24:15.52 0.net
Nって西進して北欧まで拡がってるよね

800:世界@名無史さん
21/12/06 11:44:49.69 0.net
>>795-799
ということは流入してきた異民族で、周辺民族とうまくいかず攻撃されて絶滅した?

801:世界@名無史さん
21/12/06 12:10:55.08 0.net
>>799
フィン・ウゴル系に痕跡が残ってるらしいな


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