春秋戦国時代 4 at WHIS
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350:世界@名無史さん
21/06/05 13:04:54.20 0.net
袁紹も司馬懿も仕官に出てこないと殺されるから仕方なく仕官
本音では高等遊民していたかったようだ

351:世界@名無史さん
21/06/05 13:28:28.16 0.net
未だ未耕地有る時代だし
上古わ道徳を競い 中世わ智謀を逐い 当世わ総力を争う

352:世界@名無史さん
21/06/05 15:47:56.22 0.net
>>351
死ね

353:世界@名無史さん
21/06/05 16:00:26.35 0.net
>>350
司馬懿はわかるけど、袁紹もなの!?

354:世界@名無史さん
21/06/05 16:45:37.93 0.net
袁紹は董卓に脅されて仕官したんだっけ
袁紹が離反した腹いせに叔父が殺されてるな、たしか?

355:世界@名無史さん
21/06/05 16:52:32.20 0.net
朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い危険視していた。そのことを聞いた叔父の袁隗は、一族を滅ぼすつもりかと袁紹を叱ったという(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)。そのため、何進の掾(属官)に召されるとようやく官途に就くことにした

356:世界@名無史さん
21/06/05 17:40:46.81 0.net
>>354
訂正
董卓のときに仕官したわけではない
すまん。指摘のレスの意味も読み取れてなかったし……

357:世界@名無史さん
21/06/05 18:03:36.75 0.net
秦の知恵者と言えば厳君かな

358:世界@名無史さん
21/06/06 03:34:29.86 0.net
史上活躍した人物となると、他の国と同じくまずは宗族ということになる
昭王期くらいまでは公子や公孫が政戦によく登場する
まあ出自が明らかな人間は殆どいないから公孫某でも秦出身確定にならんのが辛いとこだが
他にパッと思い浮かぶ出身地が書いてある有力者は・・・
白起:バリバリの秦地出身
王氏:秦の本拠地、関中東端出身
犀首:秦の周縁、魏との係争地域出身
あと蒙恬みたく先祖は他国者だけど本人は秦育ちな秦人(知らんけど)も割といるかもしれん

359:世界@名無史さん
21/06/06 07:54:57.14 0.net
どいつもこいつも実務的な人で私塾を建てて後進の育成になんて考えそうになさそうだ
お国柄終わりを全うできないってのも要素の1つかな

360:世界@名無史さん
21/06/06 08:52:37.40 0.net
私塾で後進の育成とか無いしな
基本はサロン

361:世界@名無史さん
21/06/06 13:49:14.03 0.net
王朝のその後を考えない利己主義者の集まりで、自分の能力を活かしたい人が来るから乱世には発展するけど後に続かない
始皇帝没後の帝国を見ているようにで面白い
趙高・李斯と陳平・周勃の差よ

362:世界@名無史さん
21/06/06 16:13:33.53 0.net
始皇帝に人を見る目が無かったというだけの気も

363:世界@名無史さん
21/06/06 16:48:16.26 0.net
豎5fc; 趙高 公子開方みたいな一見忠義面した輩わ質悪いから

364:世界@名無史さん
21/06/06 17:02:48.55 0.net
>>363
死ね

365:世界@名無史さん
21/06/06 19:02:33.34 0.net
>>359
>>361
秦は諸子百家に分類される人材を雇用しているけど、多くが便利な侵略案内人&権力強化のお供(寵臣)タイプで
史料を見る限り諸子百家的な文化を振興しよう、みたいなタイプの権力者は戦国末の呂不韋を待たなければいけないからなぁ
しかも孤立する甘茂説話の数々や、逐客令というワード、厳格な移動の制限から考えて
東方で流行る諸子百家ムーブを積極的に否定、拒絶する有力者&地元秦人は少なくなさそう

366:世界@名無史さん
21/06/06 19:34:38.51 0.net
側近と寵臣は違うでしょ

367:世界@名無史さん
21/06/07 01:54:19.39 0.net
側近は君主と親しい、つまり君寵を得ている人物、すなわち寵臣である場合が少なくないし
君主の信頼を背景に強大な政治権力を握る寵臣は側近出身であることが多いのでは?

368:世界@名無史さん
21/06/07 06:02:18.25 0.net
寵臣は権力握って無い場合も多いよね

369:世界@名無史さん
21/06/07 07:09:09.32 0.net
もちろん場合によりけり
寵臣政治する事もあればただの遊び相手でしかないこともある、それは側近も同じだけど

370:世界@名無史さん
21/06/07 19:18:47.13 0.net
側近は近臣と手足となって働く信頼厚い体制幹部を指す場合がほとんどだけど
寵臣は要するにお気に入りなのでやや範囲が広いかな
上は君主個人の寵愛を頼りに強権を振るい改革を強行する歴史的人物から下は寝室で活躍する人まで

371:世界@名無史さん
21/06/08 14:41:37.49 0.net
斉の国は山東省にあって海岸線が長いので、製塩や漁業には便利だが、
土地はアルカリ性が強く農業には適さなかった
管仲は製塩業、漁業のほか、養蚕、絹織物業を奨励するとともに、
土壌の改良につとめ、農業を盛んにし、また物資の流通、物価の安定を図った
これによって斉の国の経済は発展し、軍事力は強化された
こうして斉の国は春秋最初の覇者となる道を歩み始める

372:世界@名無史さん
21/06/08 16:41:39.94 0.net
管仲というか、後世管仲に仮託された思想というか

373:世界@名無史さん
21/06/08 17:47:44.21 0.net
製鉄忘れてる

374:世界@名無史さん
21/06/08 18:34:37.12 0.net
>>371
春秋時代の斉は海岸まで支配してなかったのでは?

375:世界@名無史さん
21/06/08 19:07:12.25 0.net
春秋時代も終わり頃になると広く海岸を支配してたんじゃないかな
むろん管仲が生きていた比較的前期には当てはまらないけども

376:世界@名無史さん
21/06/08 22:41:13.67 0.net
斉の桓公にとっては、北方の山戎や狄よりも、
南方の楚の国のほうがおそるべき敵だったとか

377:世界@名無史さん
21/06/12 22:17:38.06 0.net
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益がある上に、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えた

378:世界@名無史さん
21/06/13 02:45:09.56 0.net
冶金は元から先進地域の1つだし
農業は長江流域に典型の稲作だから
黄河流域の天水農法と違うよ

379:世界@名無史さん
21/06/13 02:55:59.90 0.net
ずっとあとの三国時代の呉でも旱魃が多く記録されてる
北に比べて人口が少なく
豊作が当たればでかいが、安定しなかったみたい
そんなわけで人狩りとか精出して

380:世界@名無史さん
21/06/13 09:09:28.09 0.net
稲作の方が畑作より安定してる
三国呉の領域の多くは戦国楚
江南で旱害が起き易いのわ丘陵地

381:世界@名無史さん
21/06/13 10:31:51.69 0.net
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する

382:世界@名無史さん
21/06/13 14:03:57.60 0.net
陸稲なんて栽培されて無い
はい論破

383:世界@名無史さん
21/06/13 14:25:20.24 0.net
この時代の南方は原住民による焼き畑農業がおおく、それに華北人が乗っかった
いきなり水田なんてないよ。まず原住民を追い払ってから開発

384:世界@名無史さん
21/06/13 14:27:19.07 0.net
考古学的には、日本では縄文時代から陸稲が栽培されていた形跡があり、水田稲作より起源が古い

385:世界@名無史さん
21/06/13 16:38:20.50 0.net
>>380
死ね

386:世界@名無史さん
21/06/13 18:47:19.25 0.net
>>384
現存の陸稲わ中世に分岐した物だし遺伝的多様性にも乏しい

387:世界@名無史さん
21/06/13 19:39:20.17 0.net
春秋戦国時代は中国の思想が急激に発展した時代だけどその要因はなんだったの?
三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代も同じ分裂時代だけど新しい思想は生まれなかったのはなぜ?

388:世界@名無史さん
21/06/13 20:18:41.92 0.net
>>380
戦国の呉は後の徐州あたりだよね、会稽あたりは呉の南がわ隣国の越だよね
すると戦国の呉の領域の大半は三国時代には魏の領土だよね

389:世界@名無史さん
21/06/13 20:20:02.16 0.net
>>382
陸稲は黄河文明の方のエリアで細々と作られてたぐらいで、長江文明の圏内では育てられてないよね

390:世界@名無史さん
21/06/13 20:21:53.29 0.net
>>383
そかな
原住民が稲作で入植した華人は小麦とかヒエアワメインなんでは?

391:世界@名無史さん
21/06/13 20:26:18.20 0.net
>>387
あたらしい思想は色々あったけど、だいたいは古い思想の外皮をかぶせられて新規性が見えにくい
三国時代になる前から、後漢の頃から色々とあたらしい思想は出まくってるよ

392:世界@名無史さん
21/06/13 21:15:46.05 0.net
>>386
死ね

393:世界@名無史さん
21/06/13 22:13:35.21 0.net
前584年、晋では楚の力をそぐ手段として南方の呉に目をつけ、
申公巫臣を呉に派遣し、進歩した車戦法を教えさせた
これは呉王寿夢のときだったが、この時から呉は勃興し、
晋の目論見どおり、楚の一強敵となった

394:世界@名無史さん
21/07/09 19:40:50.03 0.net
中国の軍隊についてだけど、春秋時代になると、貴族だけでは軍事力不足なので、
平民による常備軍が編成されるようになったな
ただし彼らには武器自弁の義務はなく、代わりに「金」を徴収するようになった
そして戦国時代には貴族の子孫が増加したので、本国で生計を立てられない者たちが
同盟国で寄食するようになった
彼らは戦時には軍を率いるものの、平時にもどれば軍を解いて、主君に返上するのが
ふつうだった
将軍職も、周代に比べればもはや高貴な地位とはいえなくなった

395:世界@名無史さん
21/07/10 03:58:20.58 0.net
貴族が増加したからというより
知識人層が形成されたから行政改革で
有能でない無能な世襲ゴミがポイーされた
楚や秦や燕の様な田舎わ相変わらずだったけど

396:世界@名無史さん
21/07/10 16:45:05.94 0.net
>>395
死ね

397:世界@名無史さん
21/07/27 15:30:04.25 0.net
呉越の長江流域や巴蜀の人達は日本の弥生人にもあたるそうだね

398:世界@名無史さん
21/07/27 17:42:08.95 0.net
数万年前にアフリカから出てきた人たちは今の中国人にあたるそうだよ

399:世界@名無史さん
21/07/28 09:50:06.83 0.net
巴蜀は違うけどな

400:世界@名無史さん
21/07/28 13:42:57.37 0.net
秦の巴蜀併合までは長江文明と近い文化があった
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E7%A7%A6)
抜粋
また紀元前316年には秦の領域である関中の後ろに大きく広がる巴蜀(中国語版)を併合する(秦滅巴蜀の戦い(中国語版))。この地域には三星堆文化を元とした独自の文化を持った国が栄えており、
また、これらの人々(巴蜀、呉越)は後世に辰韓に移住した可能性がある
そしてこの頃に巴蜀に住んでいたと思われるイ族、ハニ族はDNA(YハプログループO1b2)、文化が弥生人に近い

401:世界@名無史さん
21/07/28 18:57:53.85 0.net
秦が滅んだあとも、あの辺りには独自文化をもった小国が乱立して、夜郎自大で知られる夜郎国とかがあった
後漢の頃でさえ、多地域と違う文化が残ってたから三国時代前に劉璋が独立性力を作ってたわけだし、三国時代にも儒教の特殊な学派が勃興したりしてるよ
どこかに去ったりはしていない

402:世界@名無史さん
21/07/29 08:35:04.14 0.net
勿論全員去ってはいない
一部が移住しただけ
後に日本では秦氏になったものもいるかもしれない
考えられるのは紀元前1000〜有史以降にかけて断続的に辰韓に移住していったと考えられる
呉越の滅亡と秦の中国統一あたりがきっかけとして考えられる
縄文人遺伝子YハプログループDも弥生人遺伝子O1b2も羌族系に近い
華夏人遺伝子O2が黄河周辺に居たのでそこ以外を避けて移住してるのだろう
昔はチベット→姜→巴蜀→長江ラインが近い民族で繋がっていたと考えられる
夜郎国もそうだし山越なんかもそうかもしれない
越人は日本の北陸に移り住んで越前などの国名由来になったかも

403:世界@名無史さん
21/08/03 18:47:19.91 0.net
Y染色体ハプロを調べると結局はほとんどが同じ系統になるんだな

404:世界@名無史さん
21/08/03 20:00:42.83 0.net
全国展開のグループって組織的な協力や動きがあって魅力的だな・・・
いまの会社じゃチャンスないし俺もスターグループ移ろうかな

405:世界@名無史さん
21/08/20 09:48:41.62 0.net
>>402
長江文明の末裔だろう呉越は膠着語なので
チベットと言語が違う

406:世界@名無史さん
21/08/24 15:40:27.65 0.net
コロナ対策でやってることは羊頭狗肉の語源になった晏嬰の逸話と内容一緒だなーとずっと思っていた
同じこと思った人いる?

407:世界@名無史さん
21/09/15 13:55:33.55 0.net
アベ登極以降ずっと羊頭虫肉

408:世界@名無史さん
21/09/15 19:30:04.54 0.net
ジンギスカンかと思ったらポシンタンだった

409:世界@名無史さん
21/09/26 19:25:57.22 0.net
春秋時代になると、犬戎、山戎、林胡、赤狄、白狄などが中国へ侵入してきた
覇者というのは、周王にかわってこれらの異民族の侵入から
中国を防衛することを任務とした
農耕民族だった南の荊蛮は、比較的早くから容易に中国文化に同化されて
中国社会の一員となった。楚の国がこれである。

410:世界@名無史さん
21/09/26 19:46:18.58 0.net
楚は中原の国際秩序とは距離を置き、早くから周王の権威に対抗して楚王を称した
斉の桓公も、晋の文公も、楚の脅威に対抗するため、諸侯を会盟して覇者となった

411:世界@名無史さん
21/09/26 20:43:57.93 0.net
>>409
覇者の代表格である晋の文公には、狄の血が入っていた。
少なくとも、クオーター
晋の文公の終生のライバルは、楚の成王だった。
文公を覇者と仰いで会盟した諸侯も、みんな楚の脅威から自国を防衛すべく集まってきた国々

412:世界@名無史さん
21/09/26 20:47:44.89 0.net
その前の覇者だった斉の桓公も、「楚が急速に力をつけており、周囲の国々を脅かしています」という管仲の言を容れ、諸侯を会盟した
楚の成王も、桓公の威に服して会盟に加わることにした
いま、中国包囲網だったはずのTPPに中国が加盟申請してきて話題になってるが、それと似たエピソード

413:世界@名無史さん
21/09/26 20:53:23.10 0.net
斉の桓公と、晋の文公。
2人の超大物の間に、ちょっと小粒な宋の襄公もいた。
宋の襄公は会盟を主宰しようとして成王を招いたが、成王は「宋ごときが無礼な」と言って子玉を派遣し、会盟の席で襄公を大いに辱しめさせた
宋は楚に戦いを挑み、両軍は泓水で激突したが、襄公は楚軍が河を渡りきるまで攻撃を仕掛けなかったので、宋軍は大敗した

414:世界@名無史さん
21/09/26 20:58:59.41 0.net
この頃までは、「春秋の覇者」にとって諸侯の会盟とは、「対楚包囲網」だった
その後の、呉王や越王が覇者となる時代になると様相が変わるけど、呉越は南方の国々であり、最大の脅威はやはり大楚
彼らも、北方の異民族から中原を防衛しようとしていたわけではない

415:世界@名無史さん
21/09/26 21:41:16.43 0.net
>>412
たしかに、楚のような国だとは思う

416:世界@名無史さん
21/09/27 06:48:28.31 0.net
子の曰わく、
管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たり、
天下を一匡(いっきょう)す。
民、今に到(いた)るまで其の賜(し)を受く。
管仲微(な)かりせば、
吾れ其れ髪(はつ)を被り衽 (じん)を左にせん。

417:世界@名無史さん
21/09/27 06:52:53.92 0.net
管仲が斉の桓公に諸侯の会盟を進言した直接の理由は、増大する楚の脅威に対抗することだった
でも結局、楚の成王も会盟に参加し、史上空前の大連合ができあがった。
孔子はこれを、「北方の異民族の侵略から中華を守った」として評価している
もっとも、孔子は桓公の会盟から百年後に生まれた人。その頃には、すでに情勢がだいぶ変化していたと考えられる

418:世界@名無史さん
21/09/27 07:14:43.80 0.net
おそらく、斉の桓公や晋の文公がいた紀元前7世紀においては、楚は「南の野蛮な国」というイメージだった
孔子がいた紀元前5世紀の前半においては、楚はすでに「広い意味で中華の一員」というくらいには考えられてたんじゃなかろうか
それよりも、北方の異民族の脅威がすでに増大していた

419:世界@名無史さん
21/09/27 07:41:17.65 0.net
>>415
先進国グループのようでもあり、発展途上国グループのようでもある
ケタ違いに巨大で専制的で軍国主義。
先進国グループにとっては共通の脅威だけど、抜け駆けして手を組もうとする国もある
現代の中国と、春秋時代の楚のポジションは似ている

420:世界@名無史さん
21/09/27 12:45:18.75 0.net
でも、春秋時代には「北方の異民族の脅威に対抗するため、楚とも手を組もう」となったわけだが
現代の世界では、中国を上回る脅威が存在しない
そこが違う

421:世界@名無史さん
21/09/27 15:39:25.82 0.net
スレの文脈的には斉の桓公が居た頃の楚の話なんでないの
そのころは楚以上の脅威が無かったわけでしょ

422:世界@名無史さん
21/09/27 20:36:18.01 0.net
>>420
ロシアが復活して世界の脅威になれば

ないな。中国の次ぐらいの脅威なら、なりそうではあるが。

423:世界@名無史さん
21/09/28 01:35:56.05 0.net
北胡対応で桓公が燕の救援に出たよ

424:世界@名無史さん
21/09/28 05:42:26.47 0.net
燕も、中華といえるのか微妙な国だけどな

425:世界@名無史さん
21/09/28 12:09:52.80 0.net
楚も何だかんだで寿春あたりが首都なんよな
思ったより北にある

426:世界@名無史さん
21/09/28 12:24:33.19 0.net
もともとは荊州北部が根拠地で、そこを秦に攻めとられたから東に遷都して徐州に移ったんだっけ
三国時代の呉と比べて、かなり北よりだよなあ

427:世界@名無史さん
21/09/28 12:31:34.10 0.net
燕は、当時としては異民族の土地って感じの地域で、すさまじく辺境だけど、今は北京だよなあ

428:世界@名無史さん
21/09/28 12:43:50.82 0.net
それは漢文化が絶えず拡大したからだ

429:世界@名無史さん
21/09/28 13:05:13.25 0.net
>>427
遼と金が、中国支配の拠点と定めた

430:世界@名無史さん
21/09/28 14:31:49.36 0.net
>>427
坂東も、古代には日本の辺境だったけど、今では首都圏

431:世界@名無史さん
21/09/28 14:32:45.87 0.net
斉も大国って言われたけど今から見ればかなり小さい

432:世界@名無史さん
21/09/28 14:49:46.34 0.net
古代の中国では、河北省北部・山西省北部・陝西省北部・寧夏回族自治区・甘粛省には
可耕地と遊牧用草原とが入り組み、どちらにも利用できる土地の広がりが点在した
楚をはじめとする南方諸国と同様、いわばグレーゾーンの地域

433:世界@名無史さん
21/09/28 15:06:55.09 0.net
中国の京って言葉自体に特別な意味ある?
日本は京は特別な都みたいな意味で首都の代名詞でもあるから、西の京都と東に新しく東京っての作ったけど
北京も中国版の東京みたいな感じなんだろうか

434:世界@名無史さん
21/09/28 15:11:22.76 0.net
>>433
そだよ
てか、もともと中国語の用法だよ

435:世界@名無史さん
21/09/28 15:37:35.24 0.net
東京という地名は、中国人にもナジミやすい
今となっては良い地名だった

436:世界@名無史さん
21/09/28 15:40:41.98 0.net
>>433
小学生みたいな質問だなあ

437:世界@名無史さん
21/09/28 16:33:52.36 0.net
古代中国は黄河沿いよな
他は辺境なんだろうな

438:世界@名無史さん
21/09/28 17:00:28.46 0.net
秦漢までは黄河文明だな
三國志の呉あたりから、長江文明が台頭してくる

439:世界@名無史さん
21/09/28 17:26:28.95 0.net
遼河文明が先だろ

440:世界@名無史さん
21/09/28 19:31:22.70 0.net
楚国では人々が鬼を信じて祭祀を好み、祠で巫覡たちに歌楽鼓舞させ、
神々を楽しませていたが、中原の人々には、こういう信仰は
淫祀邪教と映っていたんだろうか

441:世界@名無史さん
21/09/29 00:00:43.19 0.net
女禍の人類創造神話とか長江文明というか南方の神話なんじゃないの?
女禍の伝承は相当古くからあるのに対して黄帝や夫神ということになってる伏儀の伝承は意外と後世になってからそれこそ春秋時代には見当たらないって話では?

442:世界@名無史さん
21/09/29 01:25:36.80 0.net
迫るー、女媧ー、地獄の軍団ー
(略)ライダー、ライダー、仮面ーライダーー

あれ、ソッカーだっけ?

443:世界@名無史さん
21/09/29 06:08:33.53 0.net
黄河流域といっても、上流の大きく迂回しているところは内モンゴルの辺境
下流も、いまとは違って黄河の流量が大きかったので、洪水が多すぎて人が住むのに適していなかった

444:世界@名無史さん
21/09/29 10:01:39.71 0.net
春秋戦国時代の中国では、小国が覇者の大国に朝するには
弊物を持参しなければならなかったとか
近代ヨーロッパの主権国家のように、どの国も
対等というわけではなかったのか?

445:世界@名無史さん
21/09/29 12:19:54.82 0.net
でも、覇者としての仕事するにも経費は必要だろ
ご苦労さんって意味で手土産ぐらいはもっていかないと失礼なんじゃないか
仮にも国家間の外交なんだから、個人の手土産よりは豪勢な手土産が必要って程度に思ったらおかしいかな?

446:世界@名無史さん
21/09/29 15:58:49.51 0.net
覇者は「ご苦労さん」といって朝貢使節に下賜してやらなければいけない
朝貢外交の基本だろ

447:世界@名無史さん
21/09/29 16:42:56.02 0.net
覇者「侵略されて全員虐殺跡形もなく文化根絶やしにされたくなければそっちの金と名産品全部もってこいや。労いの下賜品?何で超強い俺様がお前ら弱小国に物くれてやらにゃいけねえのさ?」
これでは無理なの?

448:世界@名無史さん
21/09/29 16:59:23.00 0.net
それは無理だな
というのも、朝貢というのは覇者の権威を国内に見せつけるための、一種のセレモニー
数年前にも、習近平が各国首脳を北京に呼び集め、長い赤カーペットを歩かせて「謁見」したとして話題になったが、
本当に重要なのは対外的なことより、それによって「さすがは俺たちの皇帝陛下だ。あんなに偉いんだな!」
と国民や各地の有力者たちに思わせ、国内を統治しやすくすること
それがあの国の伝統。もちろん、中国に限らず外交には大なり小なりそういう面があるけど、中国では特にそれが伝統

449:世界@名無史さん
21/09/29 18:14:59.79 0.net
>>448
江戸時代の朝鮮通信使と同じだな
日本国内で幕府の権威を高めるため

450:世界@名無史さん
21/09/29 18:59:16.55 0.net
>>446
朝貢外交は覇者の仕事じゃなく王、周王室の仕事だろ

451:世界@名無史さん
21/09/30 05:42:16.39 0.net
後世の皇帝も、春秋の覇者の延長上にある

452:世界@名無史さん
21/09/30 07:30:03.64 0.net
>>438
黄河文明わ長江文明より後発

453:世界@名無史さん
21/09/30 12:07:03.20 0.net
秦の恵文王は魏王や韓王に馬車引かせたってドラマでやってたな

454:世界@名無史さん
21/09/30 22:15:55.30 0.net
前579年に、晋・楚両国が宋の都の西門外で盟約を結んだ
それは、今後両国は互いに侵略することなく、災患のあったときは
お互いに救助しあい、従わない国を協同して討つというものだった
これは北と南の二つの世界を代表する両国が対等の立場において、
ともに天下の秩序を保つことを約束したもので、これまでにまったく
なかった新しい形式だった

455:世界@名無史さん
21/10/01 07:04:34.16 0.net
「これからは、アメリカと中国が世界を半分ずつ統治しましょう」
みたいな感じか?

456:世界@名無史さん
21/10/01 07:06:32.64 0.net
一昔前だったらアメリカとソビエト連邦かな

457:世界@名無史さん
21/10/01 07:38:11.19 0.net
>>455
実際、今の中国はそういう状態を夢見ていると思う
欧米の歴史家にも「チャイメリカ」なんて造語を作った人間がいるし

458:世界@名無史さん
21/10/01 08:51:04.01 0.net
しかし、米ソと違い米中冷戦という感じではない
鉄のカーテンは無いから

459:世界@名無史さん
21/10/01 09:00:54.79 0.net
それは、ソビエト連邦には「衛星国」と呼ばれる多くの同盟諸国があったが、中国には衛星国がなく孤立しているだけ
強いていえば、韓国とカンボジアが衛星国みたいに見える。
でも、それは精神的な従属であって、同じ陣営にあるわけではない

460:世界@名無史さん
21/10/01 09:16:23.44 0.net
対中債務が国内総生産(GDP)の10%を超える国は42カ国にのぼる。
ラオス、コンゴ共和国、赤道ギニア、ジブチ、モルディブ、
トンガ、スリナム、モザンビーク、ザンビアなど
これらの国々は中国の奴隷

461:世界@名無史さん
21/10/01 09:16:41.79 0.net
>>459
そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽいというか
(それよりむしろ北朝鮮の方だろ?)
米中は米ソの自由主義経済圏・社会主義経済圏という構造と異なり
グローバル経済システムというひとつの系に組み込まれている
だから単純に相手を打ち負かせばいいというものではない
経済的な混乱は米国や中国互いのダメージにつながる
それも致命的な

462:世界@名無史さん
21/10/01 09:31:50.95 0.net
第一次世界大戦の勃発は、誰も望まず、誰も予測できない出来事だった
でも世の中には予期せぬ不幸というものが存在する
だから現在のグローバル経済もいつかは終わるのかもしれない

463:世界@名無史さん
21/10/01 12:08:47.39 0.net
その点古代中国は君主の気まぐれで変わるから楽!?だな

464:世界@名無史さん
21/10/01 15:20:15.90 0.net
米国の凋落は明白に成ってるからね

465:世界@名無史さん
21/10/01 17:48:58.52 0.net
>そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽい
俺様はニュースなんか見ないぜ(キリッ)、という自慢なのか、
韓国はバランサーなんですぅ〜、という妄想世界の住人なのか。

466:世界@名無史さん
21/10/01 22:01:57.96 0.net
ニュース?
韓国が衛星国だったらベトナムや北朝鮮、中国の支援受けてるアフリカや中南米諸国もみんな中国の衛星国になるな
そういう主張をしたいわけではないだろ?

467:世界@名無史さん
21/10/01 23:50:48.79 0.net
韓国とカンボジアより、韓国と日本の方がはるかに似ている
韓国人が中華人民共和国に精神的に従属しとるなら五十歩百歩の日本人も従属してることになりそうわね

468:世界@名無史さん
21/10/02 07:37:59.86 0.net
>>467
いや、お前以外の誰もそう思ってない

469:世界@名無史さん
21/10/02 14:25:42.40 0.net
前546年、晋、楚、宋、魯、鄭、蔡、陳、許、曹、衛の
大夫が宋の都に会同して、和平条約を結んだ
この和平会議によって、戦乱に明け暮れた中原にも、
一時的ながら平和が訪れた
しかし中原の小国群は、晋、楚両国へ絶えずいろいろな
物資を貢献しなければならないため、人民の負担は
けっして軽くはならなかったのだとか
春秋戦国時代の中国には多様性があったとかいう人がいるけど、
一般の民衆にとっては過酷な時代だったのだろうな

470:世界@名無史さん
21/10/02 14:55:46.71 0.net
そんな時代だから、「苛政は虎よりも暴なり」などと言われてたわけだよな

471:世界@名無史さん
21/10/02 16:49:00.74 0.net
小さい国は自分で全部作らなきゃならないからね
交易の重要性が分かる

472:世界@名無史さん
21/10/02 18:55:25.96 0.net
そんな中始皇帝すら征服できなかった衛という中原のど真ん中にあった弱小国

473:世界@名無史さん
21/10/02 19:36:10.54 0.net
秦の二世皇帝まで粘ったらしいっすね

474:世界@名無史さん
21/10/02 19:46:47.69 0.net
>>468
まあ、そうかもしれんけど
概ね中国に従っているカンボジアを日本と同じく普通に西側で政治的にも国民感情的にも中国と距離がある韓国を一緒にカテゴリーに置く貴殿の認識よりは一般的かと
>>469
同盟国に対する負担の増大はまず春秋の名臣を多く輩出してきた卿大夫及び国人層を直撃するので
春秋後期に見られる晋を中心とする覇者体制崩壊や民衆支配の拡大に発展し、後の戦国時代を準備したと言われますね

475:世界@名無史さん
21/10/03 10:24:13.42 0.net
春秋時代、河南中部の国々は、晋・楚ふたつの大国の間にあって、
両方からいろいろな要求を受けて非常に苦しんでいた
なかでも鄭はとくに狙われ、争奪の的となっていた
鄭では国を守るために、楚に攻められれば楚に服属し、
晋に攻められればすぐに晋に寝返った
前597年、楚の荘王が鄭の都を攻め落とすと、鄭候は肌脱ぎし、
羊をひいて出迎えた。これは当時諸侯が降伏するときのしきたりだった

476:世界@名無史さん
21/10/03 10:59:52.55 0.net
同盟和議が意図しない方向へうねりだし歴史を動かしてしまったのか
長文役立たずの豆知識だけを永遠書き連ねるよりよっぽどおもしろい

477:世界@名無史さん
21/10/03 12:08:18.05 0.net
日本の国人みたいなもんだしなあ
でも「王」を名乗っていた分誇りはありそう

478:世界@名無史さん
21/10/03 13:51:22.00 0.net
その書き方で永遠とか書いちゃうやつはもっと本を読んだほうが良いな

479:世界@名無史さん
21/10/03 14:13:47.08 0.net
重要事項を役立たずの豆知識とか書いちゃうやつももっと本を読んだほうが良いな

480:世界@名無史さん
21/10/03 14:16:25.40 0.net
>>477
鄭公や宋公が、日本の国人みたいなもの?

481:世界@名無史さん
21/10/03 14:28:54.64 0.net
>>476
役立たずのハト頭には、豆鉄砲がお似合いだ

482:世界@名無史さん
21/10/03 15:11:05.43 0.net
きいてるきいてる

483:世界@名無史さん
21/10/03 17:54:33.23 0.net
中国の場合、他国や異民族に攻め滅ぼされて統一、というパターンが多いけど、
ヨーロッパの場合は同君連合という形をとる場合が多いな
西欧には「王と王は対等であり、王冠(王国)は王冠(王国)を吸収できない」
という観念が存在したからだが
中国が統一されて、ヨーロッパがいくつもの国に分裂しているのは
この辺にも原因があるのかな

484:世界@名無史さん
21/10/03 18:07:40.04 0.net
>>483
西欧の人達があんまり認めたくないまだまだ強さを残していた東ローマ帝国に対抗して作り上げたシャルルマーニュおよびその後の神聖ローマ帝国の根っこの脆さがその同君連合の意識を生んだのでは?
形式的にはローマ帝国の復活と言っても現実には「神聖でもなければローマでもなければましてや帝国でもない」存在だったと

485:世界@名無史さん
21/10/03 18:53:18.40 0.net
>>476
おそらく根底には晋or楚と戦っても特に領土は増えない、戦利品もさほどない
新たに分配できる邑田がほとんどない、という大問題があるから
晋楚和平する以外の道はないという事になるのだろうけど
矛盾が国内や小国に転化されれば国内外問わず秩序が瓦解するというジレンマ

486:世界@名無史さん
21/10/03 19:24:27.24 0.net
>>483
そうとも言えるだろうけど
そもそも西欧と東アジアでは地勢や周辺環境が大きく違うのだし異なる形態になる方が自然かと
ロマノフ朝以降のロシアなんて東ヨーロッパから中央アジア、沿海州樺太まで支配してる中国以上に広大な統一政権だけど
その制度なり思想なりが大統合成功の原因です、とはあまり言われないし

487:世界@名無史さん
21/10/03 19:54:11.89 0.net
晋が結果的に臣下に国をとられたように貴族だらけだった楚が臣下に国を分割統治されたりしなかったのかな?
呉と越がそれなのかもしれないが

488:世界@名無史さん
21/10/03 20:18:20.87 0.net
>>483
中国は三国志とかでも爵位の複数持ちがいない
功績を立てたりすると元の爵位を譲ったり、さらに上位の爵位に変わったりする
州牧の複数兼任さえ劉備以外やっていないらしい
曹操も袁紹も冀州牧以外の州牧は身内に就任させていた
漢中王兼蜀王みたいなありそうなのでさえ恐らくない
もしかしたら歴史上1人もいない???

489:世界@名無史さん
21/10/03 20:19:48.49 0.net
>>487
王族ということになっているけど周の姫姓みたいに実は血のつながりがないかもしれん
また殷の官職や制度を受け入れているということから
殷王でなく楚王がのっとったともいえる

490:世界@名無史さん
21/10/03 20:20:59.07 0.net
>>483
イングランドもスペインも複数の小王国がたくさんあったような
まあ、複数の会社の社長を兼ねるか
全部混ぜて1つの会社にするかの違いなんだろうけど

491:世界@名無史さん
21/10/03 20:22:53.88 0.net
>>475
韓が首都にしていたし、いい場所なんだろうか
周から分離独立したようなもんだし
一時は小覇とも言われ、ある作品では斉の桓公の父親になっていた

492:世界@名無史さん
21/10/03 20:52:37.46 0.net
>>491
戦国の七雄最弱で魏や趙と違って一時的な覇権を取った事もない韓がどうしてそんないい場所取れたんだろう?

493:世界@名無史さん
21/10/03 21:44:08.04 0.net
>>492
そりゃ、中央の国は領土を広げにくいからな
大国というのは、辺境に向かって成長していくもんでしょ

494:世界@名無史さん
21/10/03 22:16:23.35 0.net
中国の場合、唐の皇帝が天可汗を兼ねた例、清の皇帝が大ハーンを兼ねた例がある

495:世界@名無史さん
21/10/03 22:38:21.52 0.net
イギリス国王がムガル帝国皇帝を兼ねたのはアジアの事例に入らないわけではないだろうけど、主にヨーロッパの事例なんだよな
インドの皇帝との兼任だから大英「帝国」だったわけだし

496:世界@名無史さん
21/10/03 23:06:15.69 0.net
ロシア皇帝がフィンランド大公とポーランド国王を兼ねた例もあるよな

497:世界@名無史さん
21/10/03 23:31:18.85 0.net
>>483
単純に行政技術が未熟だったからってだけ

498:世界@名無史さん
21/10/03 23:52:28.82 0.net
中国が統一された理由の一つに、商業の発展の結果、産物の交流も盛んになり、
各地域の経済が互いに依存しあう度合いが強まってきたというのがあるが、
中世ヨーロッパの場合、そこまで商業は発達していなかったんだろうな
もっとも現代ではグローバル化の時代を迎えてEUをつくったが

499:世界@名無史さん
21/10/04 07:23:28.55 0.net
ヴェネツィアが交易担ってたようだしそこそこ交易はしてるようだぞ

500:世界@名無史さん
21/10/04 09:26:57.90 0.net
北海の貿易も盛んだった

501:世界@名無史さん
21/10/04 09:27:28.44 0.net
でも、最も重要な交易ルートは、ライン川の水運

502:世界@名無史さん
21/10/04 09:34:37.08 0.net
西欧が割拠できたのはユーラシアンステップの影響が少なかったと思われる
イスラム圏も中世は割と割拠していたがテュルク系民族が浸透するに伴い専制に変わった

503:世界@名無史さん
21/10/04 09:38:19.22 0.net
多民族を統制するには権威だけではダメで軍事力の専制しかない
反対に日本は民族的多様性が低く平安以後は割拠になり必要な時だけ天皇の権威を利用した

504:世界@名無史さん
21/10/04 10:17:58.73 0.net
古代のオリエントは専制帝国だが、あれはスキタイ人の影響なのだろうか

505:世界@名無史さん
21/10/04 12:45:01.23 0.net
エジプトのファラオの影響だろ

506:世界@名無史さん
21/10/04 14:01:32.95 0.net
古代メソポタミアは割と都市国家だけどな
外部民族の流入が激しいから専制になったのかも

507:世界@名無史さん
21/10/04 23:39:24.73 0.net
バビロニアもアッシリアも春秋期と同じく都市国家の連合体よな
ペルシャ帝国も未だ封建的

508:世界@名無史さん
21/10/05 03:19:18.05 0.net
>>498-500
まあ、商業発展や先進性イコール統一(専制国家)ではないだろうな
先進地域のヴェネツィアやフランドルは別に統一を必要としないだろうし
雑にいえば専制と割拠って要するに一強化するか列強化するかの違いでしかない

509:世界@名無史さん
21/10/05 03:30:50.36 0.net
統一国家はなかったが、その代わりハンザ同盟があった

510:世界@名無史さん
21/10/05 04:21:27.42 0.net
ヴェネツィアもフランドルも17世紀に入ると
領域国家の政治的軍事的妨害に太刀打ち出来無く成ったよ

511:世界@名無史さん
21/10/05 06:20:27.73 0.net
>>510
質より量の時代に入ったんだよな
ヨーロッパ諸国が、一国だけでは
アメリカ合衆国に太刀打ちできなくなったのと同じ

512:世界@名無史さん
21/10/05 06:39:23.87 0.net
>>510
17世紀っていったら、オランダが大国スペインから独立して世界の海を制覇してた頃だが?

513:世界@名無史さん
21/10/05 06:43:09.17 0.net
>>512
そのオランダも、やがてイギリスやフランスのような
自国より規模の大きい国家に太刀打ちできなくなった

514:世界@名無史さん
21/10/05 06:44:05.22 0.net
ヴェネツィアみたいな裕福な資本階級は産業革命には必要で、それには専制より封建制の方が向いている

515:世界@名無史さん
21/10/05 07:49:48.38 0.net
ヴェネチアとジェノヴァは地中海貿易の覇者として競い合ったが、
今でいうトルコ・レバノン・シリア・イスラエル・エジプトはみんなオスマン帝国の領土
東地中海はバラバラだったわけではない

516:世界@名無史さん
21/10/05 07:54:39.48 0.net
多様性はつねに人間にとって好ましいものと決まっているわけではない
それは混乱をもたらしうるし、その結果、無政府状態が現れ、
「万人の万人に対する戦いの状況」が訪れるならば、文明は危険にさらされ、
人間は苦しむことになる
現在のアメリカ合衆国はそのような状態に陥りつつあるんじゃないのか?

517:世界@名無史さん
21/10/05 08:32:47.57 0.net
生物学的には多様性は環境変化への手段
そして個体は個体としては成り立たず群れを作り分業する
別種の群れとは敵対しやすくなるのは道理
人間社会では多民族の時には昔は専制で抑え込むしかなかった

518:世界@名無史さん
21/10/05 09:06:20.79 0.net
要は不満を抑え込めればいいのであっていくつか方法はある
・軍事力(法律も含む、執行に軍事力必要)
・権威
 封建制なら王や皇帝、他なら宗教
 道徳も権威に含まれるだろう
・経済
今は経済でやってるところが殆どで格差などできると不満が貯まっていく

519:世界@名無史さん
21/10/05 09:22:41.71 0.net
>>517
海外では精子提供によって子供を産む女性が増えている
女性にモテるタイプの男性だけがどんどん子孫を増やしていけば、
やがては人間の生物多様性が薄れていくだろう
それは人間社会にとっていいことだとは思えないが、
リベラル派はそれは女性の権利だと主張するんだろうな

520:世界@名無史さん
21/10/05 09:48:23.56 0.net
>>519
生物の遺伝子として多様性は維持するようにできている
人工的な操作によって多様性を縛る場合疫病などの大淘汰を受けることになるだろう
天然痘→新大陸に大絶滅をもたらした
コロナも人種差がある
中国の皇帝レベルになると凡人では務まらない
始皇帝のようなサイコパスも淘汰圧を免れたような要因はあったのだろう

521:世界@名無史さん
21/10/05 10:50:28.80 0.net
ナチスドイツの「レーベンスボルン計画」だが、
金髪碧眼の人間だけを大量に人工的に作り出そうとした
すると当初の目的とは反対に、障害児が大勢生まれてきたとか

522:世界@名無史さん
21/10/05 13:34:10.05 0.net
まあ、今の調子だとインド人とアフリカ人が地球人類の大半を占めることになるからな
金髪碧眼は絶滅危惧種になってくるので、なんらかの対策を打つ必要が出てくるだろう

523:世界@名無史さん
21/10/05 14:18:59.90 0.net
でも白人女性や東アジア人・東南アジア人の女性が、
インド人やアフリカ人男性と結婚したがるとは思えないが
ラテンアメリカでも、アジアでも、売れているのは白人男性の精子

524:世界@名無史さん
21/10/05 14:52:53.93 0.net
ここ数十年でフィジカル的に優れた人間、特に外見が美しい人間の可能性・評価がウナギ登りだからな

525:世界@名無史さん
21/10/05 15:06:31.09 0.net
スラリとした人種はもの凄い淘汰圧を生き残っている
戦争が最も多かったヨーロッパなどは顕著だろう
同時に合理的でもあり、残忍でもある
そりゃそうだ、生き残るためには簡単に裏切る
私はそういう人種が幸福とも思えないがなあ

526:世界@名無史さん
21/10/05 17:22:47.49 0.net
サラブレッドはスラリとして姿かたちは美しいが、
よく整えられた馬場でないと走れない
脚が弱いのですぐ骨折する
つまり生物として脆弱だということ

527:世界@名無史さん
21/10/05 17:22:51.75 0.net
>>515
統一主体の名前こそ異なるが確かにオスマン帝国は地中海を半ば以上再統合した帝国やね
しかし逆にいえば強大なイスラム諸帝国でもそこまで
中国でいえば中原に当たる巨大な中央が海で大きく分断され、その北半はそれなりに大きな半島や島や山脈で分かたれている地域とか再統一に不向きすぎる

528:世界@名無史さん
21/10/05 17:31:56.97 0.net
>>522
金髪碧眼が絶滅危惧種になると思ってたら
ちょっと前までは大人口、資源食い過ぎ(後者は現在進行形だが)で泡吹いてた漢民族が
いつの間にか追い越して行く勢いなんだから分からんものよ

529:世界@名無史さん
21/10/05 17:40:32.55 0.net
>>527
中国は日本海と東シナ海で隔てられているから、
日本列島を征服することはできなかったな
ある意味日本海と東シナ海は地中海に相当する
役目を果たしていたのかも

530:世界@名無史さん
21/10/05 18:27:05.37 0.net
>>529
東シナ海や日本海や地中海や北海より小ぶりな渤海や黄海でさえ
容易に越えられない障壁となって隋唐の朝鮮進出を妨げているからね
もし仮にもっと海が入り組んでいたら東亜も中小国の活躍が目立つ地域になっていただろう

531:世界@名無史さん
21/10/06 01:04:30.76 0.net
仏独伊西陸続きだけど

532:世界@名無史さん
21/10/06 04:38:20.29 0.net
もしゲルマン人に分割相続の習慣がなかったら、
カール大帝のフランク帝国がそのまま続いていたかも?

533:世界@名無史さん
21/10/06 10:00:37.56 0.net
統治しきれなくて分割するしかないだろうな
いい加減スレ違いだと思うが

534:世界@名無史さん
21/10/06 11:17:56.95 0.net
>>516
何を持って多様性というかはあれだけど
多民族が混在しているのが多様性の一因としていうなら
現代アフガンの惨状が多様性の悪い例が出て来る最たるものだよな
多民族国家で中央政府の意向無視して各部族が割拠するのに
中途半端にアフガン人の意識あるから完全分割や傀儡国も拒むしめんどくさい

535:世界@名無史さん
21/10/06 12:12:04.98 0.net
ユーゴスラビアも多民族国家でチトー死後結局分裂した
前秦の苻堅みたいなカリスマか皇帝専制軍事力がいないとまとまらない
古代中国は黄河流域の華夏人の範囲で統一国家となった
一部長江文明人も入っていたようだが

536:世界@名無史さん
21/10/06 12:37:03.53 0.net
誰に向かって喋ってんだ

537:世界@名無史さん
21/10/06 13:47:55.33 0.net
春秋戦国時代も、日本の戦国時代も、「分裂した時代」ではない。
むしろ逆だ
もともと無数のムラやクニ、都市国家に分かれていた世界が、各地で国家に統合され、いくつかの大国へと成長していくプロセス
旧社会主義国の分裂・崩壊を例に出すのは適切ではない

538:世界@名無史さん
21/10/06 13:56:08.20 0.net
友達に、今の中国と台湾ってどっちが真の中国なの?(台湾だろ?というニュアンス)の浅い質問されたことあるんだけど
一周回って深い質問だなと思った
どっちが本当かどうかはともかく、真の中国みたいな考え方がある時点で「一つの中国」って考え方が広く浸透してるということなんだよな
春秋戦国や三国志、五胡十六、五代十国の分裂の時代と日本にも中国にも思われている

539:世界@名無史さん
21/10/06 15:30:45.67 0.net
>>537
これはある程度正しいとは思うが
ユーラシアンステップの侵略はすべてをひっくり返す要因だと思う
遊牧民の影響が少ない社会は、古代中国、日本、あと中世ペルシャも当てはまると思う
権威として軍事力の無い周の天子、天皇、カリフの元緩い結束があった
だが中国、ペルシャは遊牧民が文化的権威をひっくり返し、専制となるか統一感がない時代を繰り返すしかなかった
日本と西欧は遊牧民の影響が低く封建制となった

540:世界@名無史さん
21/10/06 17:18:41.39 0.net
>>531
ローマの本拠地イタリアは三方海に囲まれた細長い半島だしイベリアも似たようなもんだし
実はフランスも北西南の多くが海に面しているので中原とは異なるよ
地理的な条件でいえば中国というより日本や朝鮮に近いところがある

541:世界@名無史さん
21/10/06 17:23:07.98 0.net
イギリスは島国だし、イタリアとスペインは半島で、しかも半島の付け根は峻険な山脈で区分されている。
これらが大陸欧州から切り離されて別の国になったのは、天の意思みたいなもんだろう
フランスは南仏を除けば大平原の国、ドイツもそうだけど森林と湿原・湖沼のおかげで統一しにくい


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