春秋戦国時代 4 at WHIS
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150:世界@名無史さん
21/04/04 12:51:58.39 0.net
×半島南西部のオクキョン遺跡→半島北西部の松菊里遺跡

151:世界@名無史さん
21/04/04 13:11:33.27 0.net
半島南部は、倭国の領土だったと言う説もあるし、倭国の5世紀前半の高句麗攻めも広開土王碑に残っているから、我々が思う以上に半島と倭国との往き来は頻繁にあったんじゃないの?

152:世界@名無史さん
21/04/04 13:20:50.81 0.net
>>151
説というか三国志魏書東夷伝で半島北部の帯方郡
半島中部の三韓(馬韓弁韓辰韓)
その南に倭人の国あって国境を接してる
というモロな記述があって半島南部は倭人の直接的な支配領域だったことが書いてある
所謂任那日本府の存在なんかもあるから唐が半島に進出するまで
半島は倭人の勢力圏だったことが推定される
岡田英弘は帯方郡の設置理由そのものが倭人との交易であり
倭人が漢や魏に直接出向いた時は、その帯方郡が機能していないため
これまで取引していた倭人が直接朝廷に出向いただけだ、という説を提唱していたな

153:世界@名無史さん
21/04/04 13:38:45.90 0.net
今でも、人口的には日本は1億2333万人(2021年1月)で、韓国5130万人(2021年)、北朝鮮2588万人(2021年)合わせての、1.56倍なので、昔から倭国は大国だと思われていたのだろうな。

154:世界@名無史さん
21/04/04 15:11:55.46 0.net
そりゃそうだ
魚と米が取れるのが、古代においては豊かな地
倭国は中国江南とならぶ東アジアで最良のエリアだ

155:世界@名無史さん
21/04/04 18:45:36.45 0.net
倭人が繁殖して縄文人の人口をあっという間に追い抜いた
古墳時代には倭人のほうがずっと優勢だったようだ

156:世界@名無史さん
21/04/04 19:03:38.20 0.net
>>155
DNAから倭人は縄文人の子孫だってちゃんとわかってるよ
ただ半島や大陸経由で渡来系が2000年間持続的に入り込んだ結果
縄文人と現代人の遺伝子にある程度差異はあるけどね

157:世界@名無史さん
21/04/04 19:07:24.81 0.net
縄文人の直系子孫は
蝦夷、アイヌ、国栖、
クマソ、隼人あたりだな
日本人は渡来系にすこし縄文系をブレンドしている

158:世界@名無史さん
21/04/04 19:13:23.41 0.net
>>157
アイヌはオホーツク系の民族に縄文人が征服された存在
蝦夷は謎、九州の諸民族は縄文系に東南アジアからの南方系が混ざってる
グレートジャーニーの吹き溜まりは伊達じゃない

159:世界@名無史さん
21/04/04 20:04:42.20 0.net
>>154
面積あたりの生育重量という意味では漁業の生産力は畜産より一桁以上低いぞ
海洋国ならともかく内陸河川での漁獲は、山林よりはましだが耕地に及ばない
ただ、移動しやすいことで広範囲から資源を集める余地があるだけ

160:世界@名無史さん
21/04/04 21:14:02.20 0.net
アイヌは、北海道の先住民族ではないみたいだね。
サハリンアイヌがオホーツク倭人を追い出して、北海道を乗っ取ったらしいけど、先住民族の定義が難解なのかな。

161:世界@名無史さん
21/04/04 21:17:10.55 0.net
東南アジアからの南方系?
台湾から南に行ってわざわざ日本に来たんか?

162:世界@名無史さん
21/04/04 23:32:58.44 0.net
ポリネシアのほうからも来てるけど=東南アジアから来てないとはならないでしょ

163:世界@名無史さん
21/04/05 10:08:36.57 0.net
南島諸語の比較言語研究によると台湾高地種族の言語が一番古い。そこから南下して東はポリネシア、イースター島まで、南はニュージーランドまで、西はアフリカのマダガスカルまではるばる拡散した。それを思えば、沖縄や日本本土なんてほんのご近所にすぎない。

164:世界@名無史さん
21/04/07 23:31:37.89 0.net
海に出て、海流に乗れば割りとすぐに着く

165:世界@名無史さん
21/04/08 01:00:44.48 0.net
女禍の伝説とか海洋民族の話に近いのかな?
そちらでは女性が動物と結婚して産まれた男児と結婚して子孫繁栄する事が多いんだっけ
いつ頃から伏儀っていう兄にして夫が現れて場合によっては女禍を三皇から除外(単なる伏儀の妹にして嫁)って扱いになったんだろ?

166:世界@名無史さん
21/04/14 17:58:35.56 0.net
【春秋時代】
前771年 周の幽王、殺害される
前770年 周の平王、洛邑へ遷都
前651年 斉の桓公、会盟して覇者となる
前639年 宋の襄公、会盟して覇者となる
前632年 晋の文公、会盟して覇者となる
前624年 秦の穆公、晋を破る
前546年 宋の仲介で楚・晋の停戦協定
前506年 呉が楚の都を陥落
前496年 越王勾践が即位、呉を攻撃
前494年 呉が越を破る
前482年 呉王夫差、会盟して覇者となる
前479年 孔子が死去
前473年 呉王夫差が自害、呉滅亡
前465年 越王勾践が死去
前451年 晋が分裂し、韓魏趙が独立
前426年 周王朝が東西に分裂
前403年 韓魏趙が諸侯となる

167:世界@名無史さん
21/04/14 18:08:02.63 0.net
【戦国時代】
前388年 斉の田和がクーデター
前376年 晋が滅亡
前341年 斉の孫ピンが、馬陵で魏のホウ涓を倒す。
前333年 蘇秦が「合従策」に成功する
前318年 楚燕趙魏韓が函谷関で秦に敗北
前316年 秦が蜀を滅ぼす。
前311年 張儀が「連衡策」に成功する
前284年 燕の楽毅の連合軍が斉に侵攻
前278年 秦の白起が楚の都を陥落させる
前270年 趙の趙奢が閼与で秦魏を撃破
前264年 秦が西周を滅ぼす
前260年 秦の白起が長平で趙に圧勝
前259年 秦王・始皇帝生まれる
前255年 秦が東周を滅ぼす
前247年 魏の信陵君の連合軍が秦を撃破
前241年 楚の春申君の連合軍が秦に敗退
前238年 秦の宰相・呂不韋が失脚
前233年 李斯が韓非を暗殺
前227年 燕による秦王暗殺未遂
前226年 燕の都が陥落
前225年 秦が魏を滅ぼす。
前223年 秦の王翦が楚を滅ぼす
前222年 秦が燕を滅ぼす。
前221年 秦が斉を滅ぼし、天下統一

168:世界@名無史さん
21/04/14 18:21:58.34 0.net
きちっとしている!

169:世界@名無史さん
21/04/14 18:39:19.99 0.net
呉と越は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えたのだとか

170:世界@名無史さん
21/04/14 19:15:46.23 0.net
>>167
衛「あの…」

171:山野野衾
21/04/14 21:28:15.82 0.net
『太平広記』を読んでいたら面白い話があったので、ここでいいものか迷ったのですが抄訳を。
唐の時代、見鬼を能くする英禅師という僧侶がいたが、ある時寺主の慧蘭禅師に言った。
「秦の荘襄王と従者二百人余りが飢えて晩餐を求めておりますので、ご用意を願います。」
やがて時間になると荘襄王と貴賤様々な従者が現れたが、食べ方ががっついていた。
荘襄王「八十年ぶりの食事です。生前はまだ仏法がないのでたいした功徳を積めず、囚人の解放
や鰥寡孤独への施与ぐらいしか功徳がなかったので福徳が薄く、罪を贖い切れていないのです。」
これで四十年はもつと言い、荘襄王は周囲の人間を示して言った。
荘襄王「この者が陳軫です。虚偽の罪に苦しんでおります。そしてこの二人が白起と王翦で、殺人
が多過ぎた罪で苦しんでおり、未だ解放されておりません。」
英禅師「なぜもっと生者に食を要求されぬのか。」
荘襄王「私も貴人であり、濫りに祟りをなすような真似は致しかねます。」
去り際に言った。
荘襄王「城門の外に弟子の墓があります。呂不韋の墓とされていますが、誤りです。」
英禅師「あれは赤眉の乱であばかれたそうじゃが。」
荘襄王「賊が荒らしたのは上っ面。深部に財宝があるので差し上げましょう。」
英禅師「いや、わしは出家じゃ。それには及ばぬ。」

172:山野野衾
21/04/14 21:31:16.04 0.net
荘襄王は礼を言って去ったということですが、後世のイメージを察して楽しめました。
流石に始皇帝では罪が重過ぎると思われたものでしょうか。
『太平広記』には、他に歴史上の人物同士が数世紀を隔てて出会うような話があります。
過去の歴史好きにとっては夢の展開であったことでしょう。

173:世界@名無史さん
21/04/15 07:33:34.71 0.net
遊牧民が北部中国の辺境地帯にもちこんだ物資は、まず第一に家畜だった
馬の獲得は辺境都市を都市国家に成長させ、都市国家の中から殷、周、秦などの
王朝が出て、他の都市とその周辺の農耕地帯を支配下に入れた
これが北部中国に統一国家が、南部よりも早く出現した理由
南部は辺境がなく、都市が育たず、馬が手に入らないために、
北部の軍事力に対抗するすべがなかった

174:世界@名無史さん
21/04/15 21:28:47.93 0.net
>>167

わかりやすい

175:世界@名無史さん
21/04/16 12:47:42.66 0.net
家畜は農耕社会の方が先なんですが

176:世界@名無史さん
21/04/19 16:44:04.55 0.net
馬が辺境を国家にするって論理がよくわからんな
別に馬が都市の必要条件ってわけじゃあるまいし

177:世界@名無史さん
21/04/20 00:25:22.47 0.net
馬肉美味いからなあ
「ちょっと国家でも作ったろか」という気も起こるやろ

178:世界@名無史さん
21/04/20 01:56:41.75 0.net
>>171
物知り荘襄王カワイイ
なぜ活動期間が陳軫や白起と被る昭襄王ではなく荘襄王なのか?
1.昭襄王と混同or誤字(先秦あるある)
2.困窮してそう(妻子の境遇から連想)
3.呂不韋って言いたかった
4.即位時に親族、重臣を手厚く遇し、罪人を赦したから
5.まともな秦王は荘襄王くらいという認識だった
理由があるとすればこの辺りか…

179:世界@名無史さん
21/04/20 21:30:39.03 0.net
>>176
移動手段を得てはじめて広い土地を支配できるということでは

180:世界@名無史さん
21/04/20 21:35:41.83 0.net
移動の早い遅いよりも、情報伝達手段の整備の方が重要では
文字無しでは都市国家単位の朝貢関係より以上の緊密な支配は無理だろ

181:世界@名無史さん
21/04/20 21:35:57.48 0.net
インカ帝国「馬肉美味いよな!」

182:世界@名無史さん
21/04/20 21:36:40.38 0.net
情報伝達手段でもあるからな。
当時、携帯電話があれば、当時より広大な領域を把握できそう。

183:世界@名無史さん
21/04/21 19:38:57.50 0.net
携帯電話があって、タワーとかのインフラが何故か保全されてる状況なら戦争のあり方からかわるよな

184:世界@名無史さん
21/04/21 20:24:43.73 0.net
>>182
まあ、広域行政ができたとしても遠隔地まで物資を運ぶ手段が整ってなかったら広域国家で徴税とかできないしなあ

185:世界@名無史さん
21/04/21 21:02:02.97 0.net
羊を肉と毛とチーズ以外に輸送の動力源として繁殖しようぅて動きは無かったのかな?遊牧民って
単純育て増やすだけなら馬より用意だろうけど

186:世界@名無史さん
21/04/21 21:30:01.33 0.net
>>179
馬なし文字なしでも4000キロの領域を駅伝制による道路網で支配したインカ帝国があるからなあ
馬ありきは結果であって原因とはいいきれない

187:世界@名無史さん
21/04/22 01:52:44.16 0.net
羊に頼りたくなるほど輸送に余裕がないわけではないからな
移動はあくまで牧草を求めてのものだし数多いと管理も大変だから司馬炎がやってた以上の使い道はないのかねぇ

188:世界@名無史さん
21/04/22 19:41:38.17 0.net
>>186
徒歩で支配してたんだろうか?
文字は縄か?

189:世界@名無史さん
21/04/22 21:06:46.26 0.net
羊車って単語があるってことは一応そういう使い方もあったのかな?

190:世界@名無史さん
21/04/22 21:28:52.32 0.net
インカに舟運はなかったのか?

191:世界@名無史さん
21/04/23 09:20:57.20 0.net
夏王朝がタイ系だったというのは本当ですか?
そして殷王朝は北狄(森林地帯の狩猟民)出身で、山西高原から南下してきたとか

192:世界@名無史さん
21/04/23 21:07:41.13 0.net
何一つ合って無いよ
知能障害だね病院行って

193:世界@名無史さん
21/04/24 00:05:04.35 0.net
>>191
正しい

194:世界@名無史さん
21/04/28 18:43:24.27 0.net
呉はむかし周の王族の一人が東南の地に来て建てた国と自称していたが、
断髪に文身という蛮族の風俗からみて、それはただの伝説の可能性が高い

195:世界@名無史さん
21/04/29 01:21:55.92 0.net
多分伝説だろうけど
文明人が僻地へ入植すると文化を維持出来無く成って原始的な生活に退行するのわ
地理や時代を問わず普遍的に見られる現象らしいよ

196:世界@名無史さん
21/04/29 06:27:47.22 0.net
>>194
『史記』に記されているように、呉の開祖、太伯・虞仲が自ら
現地の習俗を取り入れたという説明で、それが史実であっても
何ら問題ないでしょう。

197:世界@名無史さん
21/04/29 11:42:29.00 0.net
この時代の長江下流域ってどの程度南下してきた中原出身の集団がいたんだろうね
オーストロネシア系がマジョリティっぽいが
客家はもう定住していたのかな

198:世界@名無史さん
21/04/29 12:54:18.24 0.net
呉越はオーストロネシア語じゃ無いよ

199:世界@名無史さん
21/04/29 18:19:22.16 0.net
越は夏王朝の子孫と自称していた
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、
農業にも適しており、中原の進歩した生産技術が伝わると、
たちまち繁栄を迎えた

200:世界@名無史さん
21/04/29 19:05:05.06 0.net
史記の記述ですら、けっこうフィクション比率が高いみたいだし、それ以外の典籍はそれ以上のフィクション率だ
基本、話半分で理解しといて、考古学とか他系統の研究をペースにするべき

201:世界@名無史さん
21/04/29 20:30:24.09 0.net
先祖を中原の王朝と結びつけてるのはただのフィクションだね
司馬遷の時代からさらに千年以上前のことなんて細かくわかるわけないからね

202:世界@名無史さん
21/04/29 21:12:54.37 0.net
呉越や匈奴の祖先伝承はフィクションかもしれんが
商、夏王朝は史記の記述通り実在したからね
神武欠史八代王朝と倭の五王王朝を適当に接木した天皇王朝が創造した記紀と違って

203:世界@名無史さん
21/04/29 21:22:33.76 0.net
>>202
コジツケだよ、そんなもん
古代都市の遺跡を、強引に「これは夏王朝なのである」ということにした

204:世界@名無史さん
21/04/29 21:52:05.80 0.net
無知な妄想症患者に救いわ無いな

205:世界@名無史さん
21/04/29 22:04:00.30 0.net
夏王朝は存在してないよな、妄想過ぎる

206:世界@名無史さん
21/04/29 22:42:28.19 0.net
それを「夏」と呼ぶかどうかは文字史料がないから決定打はないけど、二里頭文化が王朝と呼びうるような高度な政治的求心制や勢力圏を持っていたこと、建築や習俗において後の中国との強い連続性があったこと、はもう確実

207:世界@名無史さん
21/04/29 23:09:24.63 0.net
正直、中国の史家の怪力乱心を語らずって偉いと思うけども
そういうの後の世界の人間が判断するから、全部書き残しとけと思わんでもない
それがあれば、この春秋時代だってもっと沢山の話が残ったはずなのに

208:世界@名無史さん
21/04/29 23:10:36.95 0.net
倭の五王は中国史書に記録が残ってるけど
前代の神武王朝に関する記述は乏しい上に在っても事実と全然一致してない

209:世界@名無史さん
21/04/30 02:27:53.33 0.net
>>206
二里頭文化で王権っぽいものが確立されてたであろう事や
政治的にある程度の成熟を見せてたっぽい事は否定する奴ぁ居らんと思うが
それが夏かどうかってのがどうしても思想的、政治的な問題になっちゃうよな
現状は夏王朝とすべき明確な証拠はないから、「かもしれない」以上の事は
妄言、妄想か希望的に言ってるだけになってしまうが

210:世界@名無史さん
21/04/30 02:38:16.44 0.net
>>209
クノッソスやトロイアだって、はっきりと「そうです、ここがクノッソス(トロイア)です」って看板が出土したわけじゃないんだし、もう「たぶん夏」としてもいいんじゃないの?
クノッソスやトロイアを認めて夏を認めないのも政治性入ってる気がする

211:世界@名無史さん
21/04/30 03:22:37.20 0.net
>>209
いや成ら無いよ
史書に夏王朝の記録が有り
考古物も発見された
夏王朝の実在わ確定
倭の五王以前の天皇神話とわ違うよ

212:世界@名無史さん
21/04/30 04:18:57.14 0.net
>>210
あれもシュリーマンがホメロースのトロイア発掘云々で出土したからトロイアっぽいよね
って話にはなってるけど、学術的には詩に出て来たトロイアそのものとは認められとらんぜ?

213:世界@名無史さん
21/04/30 17:59:49.92 0.net
何を言ってるのか意味不明

214:世界@名無史さん
21/04/30 18:20:39.14 0.net
>何を言ってるのか意味不明
・夏王朝を実在したと言っている奴は、夏王朝の実在と何の関連もない記紀の記述を引き合いにだすのは
 夏王朝が実在したかどうかはどうでもよく、記紀をデスりたいだけなんだろうなということは分かる。
・記紀と単純に一纏めにしているのは、両書を区別できていないからで、その点から論者の教養のなさ頭の悪さが垣間見えることは読み取れる。

215:世界@名無史さん
21/04/30 18:24:06.44 0.net
>>214
そいつは世界史板名物のバカ
相手にするのはホドホドに

216:世界@名無史さん
21/04/30 20:36:09.84 0.net
>>215
わ、の使い方で分るあの人のことね

217:世界@名無史さん
21/05/01 01:13:38.70 0.net
殷より古い遺跡が続々発掘されるにつれ、
「夏が実在したかどうか」というのはどうでもよくなってるのでは?
日本だと同じ王朝がずっと続いてるから
古代の遺跡が大和朝廷と連続性があるかどうかは問題になるが。

218:世界@名無史さん
21/05/01 02:22:14.35 0.net
>>214
倭の五王以前の天皇神話は考古学的な裏付け無いからね
奈良盆地が征服された形跡って発見されて無いし

219:世界@名無史さん
21/05/01 07:55:09.74 0.net
神武東征神話、九州出身で奈良盆地に攻めこんだって部分は少なくとも嘘だわな
神武が実在かどうかはいまも不明のままだが。

220:世界@名無史さん
21/05/02 01:32:28.35 0.net
>>219
うそじゃなく、むしろ史実くさいんだけど
西暦100年ごろに関西の遺跡はまとまって破壊されてる

221:世界@名無史さん
21/05/02 10:37:28.04 0.net
稲荷山古墳の金文しかない現状では、そうじゃないかな?以上の事は言えん
殷墟で大量の甲骨文が発見されたように、誰かの古墳で大量の文字が発見されない限りは

222:世界@名無史さん
21/05/02 12:49:13.75 0.net
>>220
奈良盆地でも大阪平野でも破壊跡無いよ

223:世界@名無史さん
21/05/02 15:50:50.95 0.net
畿内の遺跡で、二世紀とか三世紀四世紀あたりに旧来文化から九州などの文化に置き換わるような入れ替りの痕跡がない
他の地域要素が流入するようになったのはたしかだが、基調が旧来文化なんで、外来勢力による侵攻を受けたとは考えられないよ

224:世界@名無史さん
21/05/03 02:03:23.79 0.net
>>222
ソースが見つからないけど
西暦100年ごろにいっせいに関西の遺跡が破壊されたのは事実よ

225:世界@名無史さん
21/05/03 03:28:15.44 0.net
少なくとも奈良盆地と大阪平野でそんな事起きて無いよ
奈良わずっと安定的で大坂も居住区の変遷は有るけど
河川の堆積や流路変更等の地形要因ってのが有力

226:世界@名無史さん
21/05/03 11:31:19.42 0.net
>>223
多くの遺跡が衰退消滅してるけど破壊されたわけではない
破壊の痕跡なんてない
そもそも、古代社会には生活環境の変動で集落が破棄されて別の場所に移動することは珍しくなく、移転ラッシュの時代が何度かあるほどだ
そんな移転ラッシュが畿内では一世紀から二世紀にかけておこってただけ

227:世界@名無史さん
21/05/03 12:03:36.29 0.net
古代の倭はコロコロ首都移転するのが日常茶飯事だ
何が「まとまって破壊されてる」だよ、妄想もいい加減にしろ(笑)

228:世界@名無史さん
21/05/03 13:09:10.77 0.net
そんなこと言われても
どうすりゃいいのさ
    ___
   /ノ ヽ\
  /(●) (●)\
 |  (_人_)  |
  \  `⌒′ /
  /     \
 / /     ||
_| L[]o___/_/_
 \_三)
   |
   |__ コロ…
  ___\  コロ…
  ()__)┘

229:世界@名無史さん
21/05/03 14:01:15.96 0.net
浅草が衰退して、新宿が繁栄するようなものか

230:世界@名無史さん
21/05/03 14:27:47.50 0.net
いや、単に建物の寿命の20年とか30年で、立て替えだろ

231:世界@名無史さん
21/05/03 14:36:41.15 0.net
黄河の下流や、チグリス・ユーフラテス川のような極端な暴れ川だと、都市が洪水に飲まれて消滅することが珍しくない

232:世界@名無史さん
21/05/03 15:40:18.10 0.net
DNA的にも時間をかけてゆっくり混じり合った説が有力で100年そこらで急激にゲノムが入れ替わった説はDND分布的にありえないんだっけか

233:世界@名無史さん
21/05/04 00:11:13.82 0.net
>>230
法隆寺や千本釈迦堂みたいな奇跡的に現存している木造建築物って無いの?

234:世界@名無史さん
21/05/04 02:01:25.52 0.net
どっちも何度も建て替えてるしな

235:世界@名無史さん
21/05/04 02:12:29.68 0.net
防蟻剤のない時代に掘立柱建物だもん

236:世界@名無史さん
21/05/04 09:23:42.50 0.net
現代の長安も洛陽も、古都ではない
単なるショボい地方都市

237:世界@名無史さん
21/05/04 09:57:48.72 0.net
京都の悪口言うなよ
京都タワーがご自慢なんだって?京カスはw

238:世界@名無史さん
21/05/04 10:33:45.81 0.net
>>236
そりゃ場所が近いだけで同一じゃないしな
漢の頃の洛陽はいまの洛陽の場所に隣接した隣町みたいな場所だろ

239:世界@名無史さん
21/05/04 10:57:31.60 0.net
西安は昔の長安城と微妙にずれたけど移動ってほどじゃないな。明代の城壁も完全に残ってるし。

240:世界@名無史さん
21/05/04 18:12:41.80 0.net
明の歴史は日本では滅多に話題にならないけど
万里の長城や紫禁城などそのビジュアルの影響力は中国歴代王朝ナンバーワン、圧倒的やな
他の王朝が束になっても敵わん……いや清の辮髪と旗装はわりとインパクト強いか

241:世界@名無史さん
21/05/04 23:03:48.92 0.net
春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするものだったから、洪水はしばしば隣国に
流れ込んで大災害をもたらしたとか
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた

242:世界@名無史さん
21/05/05 02:05:17.31 0.net
この時代のトイレはどうしてたんだろ

243:世界@名無史さん
21/05/05 08:44:22.19 0.net
>>241
春秋戦国の堤防、洪水、水害といえば
趙の恵文王は河水を決壊させて魏を攻撃してますね(楽毅が活躍してた頃)
なお同年自国も別の河川の氾濫で水没した模様

244:世界@名無史さん
21/05/05 09:23:57.75 0.net
揚子江や珠江沿いには多くの都市が並んでいるのに、
山東省の省都、済南は河岸には建設されなかった
その理由は黄河があまりに激しく荒れるからだと

245:世界@名無史さん
21/05/05 15:14:43.10 0.net
以前の開封みたく氾濫で埋まって発見されて無いだけじゃねーの

246:世界@名無史さん
21/05/05 18:38:58.16 0.net
古代の都市国家の分布をみると、山西高原の東縁をなす太行山脈の東麓に
沿っているし、その東方では、平原のなかに顔を出しているいくつかの
丘陵の上に都市国家が建設され、山東省の泰山山塊にいたっている
「中原」とはいいながら、平原部は黄河の氾濫と水質の悪さのために、
人間の生存にあまり適さない環境だった

247:世界@名無史さん
21/05/05 22:53:17.80 0.net
土木技術が未発達だと河川沿いの大平原はあまり都市が形成されないよね

248:世界@名無史さん
21/05/06 02:47:27.65 0.net
古代黄河の場合はマジでやらかすと武帝の時みたく水が溢れた地域が壊滅して流民大発生するからな…
中小(現代的感覚なら悲惨な)被害は毎年のようにあっただろうし
後この辺りの時代は城壁だけじゃなく大きな宮殿とかも版築の山に屋根かぶせるような作りだし
おそらく浸水は軽度でも避けたいよなぁ…

249:世界@名無史さん
21/05/06 02:55:28.67 0.net
それなりに良い屋敷なんかわ木柱と梁構造だよ

250:世界@名無史さん
21/05/06 06:25:49.97 0.net
洛陽盆地は、黄河の氾濫の危険に直接おびやかされることもなく、
それを貫流する洛河とその支流伊河は原始的な技術で十分に
灌漑工事が可能な規模だった
さらに洛陽盆地は東アジアの南北を結ぶ陸路と水路の結節点にあたっていた
洛陽から東方、開封にいたる約200qの間だけは、河の流速は緩く、
両岸は低く、水路は安定して、南から北へ、北から南への渡河は容易である

251:世界@名無史さん
21/05/07 05:33:52.61 0.net
>>249
それなりの良い屋敷はそれでいいだろうけど
戦国諸侯の首都にあるような高大な宮殿建築は柱と梁だけじゃ無理だったらしい
咸陽宮や燕下都、中山王陵などに残る宮殿遺構から推測される内部構造は基本的に中身土台

252:世界@名無史さん
21/05/07 06:14:19.73 0.net
臨淄は現代では山東省の一小都市に成り下がったけど、春秋戦国時代には、
大国斉の都であり、当時、最大の大都市だった
周の洛陽、趙の邯鄲、魏の大梁、楚の郢なども、政治都市であるとともに
手工業あるいは商業都市にもなって巨大化した

253:世界@名無史さん
21/05/07 18:56:38.02 0.net
>>251
中身が土台なんじゃ無く土台の上に建築するんだぞw
歴史ドラマでもよく出て来る高い位置に築かれてるアレ

254:世界@名無史さん
21/05/07 23:49:08.03 0.net
>>253
歴史ドラマのそれとは違うらしいよ
段差をつけた土台を壁にして建物をへばりつくように建てるのが戦国期の宮殿
だから一層目や二層目の中心部は土が詰まってて内部に大きなスペースを確保できない
外からは高層建築に見えても実際に土台上に建ってるのは上層のみで復元図では概ね平屋or二階建て

255:世界@名無史さん
21/05/08 01:18:19.39 0.net
>>254
いや合ってるよ
咸陽の宮殿は土台の上に築かれてる
ドラマでよく見掛けるヤツと同じ建造法
底層は一層だし抑々土台以外の建築部分は極一部
土台の上に築かれてるのが三階建て

256:世界@名無史さん
21/05/08 09:32:24.84 0.net
>>255
回答ありがとう、詳しいね
三層くらいの階段状土台を核心とする台?建築らしい燕下都や中山王陵遺跡の宮殿とは違うってことか
咸陽宮の基壇が一層というのはわかる
構造物が三階建てというのは随分具体的だけど、なにか決定的な証拠が見つかっているのかな?
もしよければネットで閲覧可能な発掘調査報告の類や論文など、参考になるものがあれば教えていただけないだろうか

257:世界@名無史さん
21/05/08 14:12:57.70 0.net
燕下都の建築は主に平屋だけど木造二階建て部分も有る,建築考古学論文集1987年
咸陽も3階建てと思ってたけど見たら外側二階建て,内側二階建てで重なって無いのね,秦咸陽宮一号宮殿遺址立面復原図

258:世界@名無史さん
21/05/08 20:05:48.41 0.net
やっぱ先秦は平屋か二階建のイメージだよなぁ
楼閣とかと違って普段使用する大型宮殿建築で無理する必要ないし

259:世界@名無史さん
21/05/09 00:44:11.28 0.net
>>257
さっそく情報ありがとうございます
土台の使い方こそ重ねて高さを強調する?燕趙中山あたりとは多少趣が異なるけど
台上にある建物の主要構造は基本的に大差ない感じですね

260:世界@名無史さん
21/05/09 05:36:52.70 0.net
ローマでは庶民のほうが高層化したが
中国でもそんなふうかな

261:世界@名無史さん
21/05/09 13:07:42.29 0.net
ローマの石造高層建築は一旦地震起きると倒壊し捲って被害惨重だったから
地震の多い地域じゃ無理だよ

262:世界@名無史さん
21/05/09 19:43:28.30 0.net
まあ中原は地震被害の少ない地域だからあまり気にしてなさそうだが

263:世界@名無史さん
21/05/10 05:05:09.12 0.net
イタリア半島はアフリカプレートとユーラシアプレートがぶつかる地震多発地帯だけどな

264:世界@名無史さん
21/05/10 15:54:17.29 0.net
だから崩落しまくってるしな
材木に向いた森林も少ない

265:世界@名無史さん
21/05/11 00:21:12.93 0.net
紀元前2000年ごろ、中国の森林被覆率は64%だった
それが清代のはじめごろには21%に低下していた

266:世界@名無史さん
21/05/11 01:19:03.15 0.net
日本は森林率65パーセントだが江戸時代は40パーセントほど
と考えるといまの日本もかなり異常
イギリスは森林率10パーセントと低い
現在ドイツフランスイタリアなど森林率は三十パーセントあまり
三割程度の森林率をめざしてるんだろうな

267:世界@名無史さん
21/05/11 01:47:17.02 0.net
ヨーロッパは中世までは森林におおわれてるとこが多かったが三行革命前ぐらいに森が禿げたんだっけ

268:世界@名無史さん
21/05/11 02:03:08.26 0.net
また髪の話をしてる

269:世界@名無史さん
21/05/11 02:17:36.15 0.net
>>266
戦後の復興で増えたのか
おそらく杉だよね。花粉症がひどくなったのか

270:世界@名無史さん
21/05/11 06:46:37.55 0.net
江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど、
それでも森林率は40%もあったのか
ヨーロッパ諸国の場合、大航海時代以降、帆船を大量に製造したことも
影響しているのかな

271:世界@名無史さん
21/05/11 07:59:16.03 0.net
江戸時代前半に大規模開発で禿げ山が増えて洪水とかの災害多発するようになったから、江戸時代半ばごろから開発に規制が入って、環境保全が進んでるからなあ
それで40%なんじゃね?

272:世界@名無史さん
21/05/11 08:01:12.41 0.net
ヨーロッパで森林がなくなったのは、製鉄で木炭を使いすぎたかららしいよ
森がなくなって木炭が入手しにくくなったことで、木炭よりやすい石炭が普及したと。

273:世界@名無史さん
21/05/11 10:20:36.17 0.net
明治政府が関東平野の田畑生産力を東京でつぶしたのを悔んで
仙台平野など東北北海道に強力な規制しいて
住宅開発は山地に追いやったらしいが
江戸でやっていればなぁ

274:世界@名無史さん
21/05/11 12:08:26.02 0.net
当時、同程度な土地でも地域によって単位面積あたりの収穫が二倍三倍も違うほどの格差があったわけで、生産力に劣る東北とかで農地を保護しても実際の効果は低かっただろうけどな

275:世界@名無史さん
21/05/11 12:34:57.24 0.net
おしいことに先進地帯の近畿は平野平地がほとんどない日本

276:世界@名無史さん
21/05/11 13:05:18.70 0.net
日本の場合ハゲ山は土砂崩れ起こすばかりで利用価値ほとんどないけど、平坦なイングランドでは牧草地や耕地として利用できるからなあ
少なくとも産業政策としては森林を回復させる必要はそんなに感じなかったんだろう

277:世界@名無史さん
21/05/11 13:07:07.50 0.net
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278:世界@名無史さん
21/05/11 15:02:12.28 0.net
>>270
エゲカスは製鉄の為に森林乱伐し捲って禿げた

279:世界@名無史さん
21/05/11 15:04:29.73 0.net
>>276
17世紀初頭に最も生産量多かった地域の製鉄量が
半世紀で10%まで激減してるけどね

280:世界@名無史さん
21/05/11 18:30:40.49 0.net
>>272
木炭枯渇で石炭に切り替えた当初は木炭より不純物が多かったせいで銑鉄の品質が落ち、鉄の精錬技術を高める必要が出たんだよな
木炭の時代の銑鉄より石炭の銑鉄の方が、どうしても脆くなってたから。

281:世界@名無史さん
21/05/11 18:39:50.96 0.net
>江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど
この種の本って必ずと言っていいほど広重の浮世絵を根拠に挙げているけど、
「東海道五十三次」に描かれている全ての山が禿山ではないし
鞠子のような前面の落葉樹が葉を散らしていて冬の情景なのは明らかなのに、背後の山が
青葉に覆われていないのが証拠だとか、先日産経抄で紹介された著者が断定しているらしいが、マジわけが分からん。
前面の木が繁っているのに背景が土山だから、これは禿山を描いたのだというのなら分かるんだけどね。
森か山なのか区別するための絵画表現ではないと決めつける根拠も分からん。
何より広重は現地に行かず想像で「東海道五十三次」を画いたのに……
六甲や生駒のように花崗岩の採取で荒山なのは自明なのに、わざわざ調査して禿山なのが
明らかになったと手柄顔で調査報告と称する無意味な事実を証拠にしていたり、
『森林の江戸学』には東北の山が乱伐されたと参考文献を挙げているが、
同書にある和泉国の山は大半が樹木に覆われていたという不都合な真実はスルーするという悪書もある。
スレチなのは承知だが、話の流れのついでに、俺が読むべき良書を誰か紹介してくれないか?

282:世界@名無史さん
21/05/12 02:45:57.21 0.net
村に近い山だと乱伐で禿山に成りそうだから
その都度領主の許可が要る様に命令出してた所もあるけど
何で読んだか忘れた

283:世界@名無史さん
21/05/25 18:59:04.40 0.net
春秋戦国時代の食糧は稲、粟、黍、麦、豆など数種類あったが、
豆は下層階級の食物だったのだとか
『菅子』巻五「重令」には、「豆や穀物が不足すると、民衆には必ず飢餓の様子が
現れる」という言葉があり、ここからも豆が庶民の食糧であることがわかる

284:世界@名無史さん
21/05/25 19:15:05.50 0.net
豆はタンパクだが毒性も

285:世界@名無史さん
21/05/25 22:23:33.87 0.net
古代中国には牛をはじめとする家畜を生贄に捧げる祭儀が存在したが、
ああいうものはいつの時代まで存続していたんだろう?
地中海世界ではキリスト教の普及とともに廃れていったらしいが

286:世界@名無史さん
21/05/25 23:17:13.34 0.net
少なくとも、後漢とか三国時代までは存続してそう
隋唐時代はどうなんだろ?
宋代は?

287:世界@名無史さん
21/05/26 04:49:40.94 0.net
古代ゲルマン人の地母神なども聖牛だったらしい

288:世界@名無史さん
21/05/26 06:15:40.06 0.net
頻度の問題でしょ
日本国は今に至っても天皇家が何かやってるし

289:世界@名無史さん
21/05/26 06:25:59.38 0.net
ネパールでは、今でも生け贄の動物が何十万頭も殺されて問題になってるけどな

290:世界@名無史さん
21/05/26 07:42:14.23 0.net
犠牲と言ったってお供えしたあとちゃんと食べるんだろ。ご近所に振る舞ったり。
なら別にいいんじゃね?

291:世界@名無史さん
21/05/26 08:03:34.34 0.net
農耕民族が米や麦をお供えするのも、牧畜民族が家畜をお供えするのも、やってることは同じだ

292:世界@名無史さん
21/05/26 08:29:11.87 0.net
宗教儀式という点でわね
血腥さの観点なら全然違う

293:世界@名無史さん
21/05/26 09:15:30.73 0.net
>>289
URLリンク(www.afpbb.com)
この写真だな、ネパールのいけにえ祭り

生贄とはまた意味が違うが、唐代には白馬を屠ってその血をすすって
誓いを立てる儀式というのがあったらしい

294:世界@名無史さん
21/05/26 10:39:11.03 0.net
キリスト教以前のケルト人ではインドとおなじバラモン
僧侶が勢力張っていた
どういうわけか僧侶階級が衰退したあとでローマ人が来たらしい
ブリテン島が中心だった

295:世界@名無史さん
21/05/26 12:12:14.96 0.net
あえて言うなら、スペインの闘牛だって元々は宗教儀式で家畜を生け贄に捧げてるわけだよなあ

296:世界@名無史さん
21/05/26 22:42:36.83 0.net
殷代には人間を生贄に捧げることもあったとか

297:世界@名無史さん
21/05/26 23:44:25.49 0.net
羌という異民族だけどな。一説に羌という漢字は二本足の羊の意味だとか。

298:世界@名無史さん
21/05/27 05:34:47.44 0.net
そんな説無いけどな
甲骨文すら見た事無いおっさんが全く予備知識無しに妄想

299:世界@名無史さん
21/05/27 10:38:56.71 0.net
春秋戦国時代には、商工業の発達が農村の閉鎖的な経済をゆさぶり、共同体の上層の
人びとがうまく土地をとりこんで富農となる反面、土地を失って没落して貧農と
なったり、生活の途を失って都市へ流れていった者も少なくなかった
江戸時代の日本で士農工商といわれたのは、このように商業が社会の安定を脅かす
おそれがあったからなのかな?

300:世界@名無史さん
21/05/27 12:52:22.82 0.net
原始共産制の農村共同体なんてのは、マルクス主義史観の学者たちの空想妄想の中にしか存在しない架空の農村

301:世界@名無史さん
21/05/27 16:11:01.93 0.net
粗放農業は農産共同体を形成し易いよ稲作より
>>299
社会変動が起きる位経済活動が発達したのわ漢代入ってからじゃね?
一応七国に分かれてたし

302:世界@名無史さん
21/05/27 17:25:13.63 0.net
>>300
原始共産制って農耕以前の狩猟採集社会が想定されてるんだが・・・
こういうマルクスのマの字も知らん低能が「ぼくのかんがえたまるくすしゅぎ」を妄想しては叩くのって何なの?
お前の妄想はママにでも聞いてもらえよ誰も興味ねーから

303:世界@名無史さん
21/05/28 03:25:15.75 0.net
>>298
士農工商って言葉自体が最近じゃ使われないのでは

304:世界@名無史さん
21/05/28 07:41:57.15 0.net
>>299
江戸時代の日本について士農工商と言ったのは、同時代にはほとんどなくて、主に明治以後の人が江戸時代をあしざまに言うための言葉という状態
というか、本来は朱子学の言葉で日本の江戸時代の社会とはぜんぜん違うんだよ

305:世界@名無史さん
21/05/28 08:45:15.21 0.net
士7%農22%工7%商7%農奴44%奴婢14%奴隷9%

306:世界@名無史さん
21/05/28 18:07:21.77 0.net
波動砲!エネルギー充填率120%!!
艦長!安全深度限界ですー!!
まだいける!あと20m潜れ!!
みたいな?

307:世界@名無史さん
21/05/28 18:29:21.30 0.net
春秋戦国時代にはさまざまな形の貨幣があったが、布銭(農具をかたどった銭)は
おもに中原地域で、刀銭はおもに燕や斉で、円銭は秦で用いられていたんだよな
ある意味多様性があって面白いともいえるが

308:世界@名無史さん
21/05/28 18:49:00.80 0.net
>>307
復古主義者の王モウは、前漢を滅ぼして古銭を復刻した

309:世界@名無史さん
21/05/28 20:18:49.93 0.net
宝貝が貨幣として用いられていたのはいつ頃ぐらいまでなんだろ?
海岸にいけば入手できる貨幣とかインフレデフレ凄まじい気がするけど

310:世界@名無史さん
21/05/28 22:16:47.51 0.net
>>309
王莽の政策が破綻したのちは、貝貨が雲南以外で使われることはなかったらしい

311:世界@名無史さん
21/05/29 05:04:39.14 0.net
>>305
徳川時代中期以降は農奴が奴隷奉公で都市へ奴婢として出荷される数が増加したよ

312:世界@名無史さん
21/05/31 14:56:48.61 0.net
江南では昔から巫術が盛んだったらしいけど、道教とはどう違うのかな?

313:世界@名無史さん
21/05/31 16:09:00.87 0.net
鬼道ってヤツじゃね?
どんなのか知らんけど

314:世界@名無史さん
21/05/31 19:39:01.15 0.net
江南の巫女は楽器を叩いて死人の魂を下ろし、死者に話をさせたらしい
さらに吉凶を占い、ときにはひでりや雨乞いのとき、犠牲として天に
捧げられる場合もあった
周の時代には手に茅を持って舞い、託宣をしたという

315:世界@名無史さん
21/05/31 20:42:40.94 0.net
公孫衍って前314年に秦に攻められて敗走したあとの動向わかっているのでしょうか?
武王のもとで甘茂にどうこうとか、その後の伊闕の戦いでは魏の使者となり秦と和平したとか何とか書いてあるところがちらほらありますがあれ向寿や公孫奭とかという人と混同しているような…

316:世界@名無史さん
21/06/01 06:44:53.44 0.net
>>312
道教よりむしろ、儒教のルーツがそれ
孔子が「怪力乱神を語らず」とする以前の儒教はシャーマニズムだった
孔子の母も巫女だったと言われている

317:世界@名無史さん
21/06/01 07:09:54.74 0.net
違うよ
祖先神を祭る宗族制と政教一体だけど
既にシャマニズムでわ無いよ

318:世界@名無史さん
21/06/01 07:42:31.64 0.net
戦国時代中期以後、漢民族共通の祖先と考えられるようになった黄帝も、
風雨を支配する巫術者と考えられていた
しかし、中国の古代ではシャーマン=王だったにしても、為政者が儒教を民衆統治の
手段にしてから後、巫術者の行為はおおむね時の権力に対してアンチテーゼとして
働くため、史料に残される例がきわめて少ない

319:世界@名無史さん
21/06/01 08:06:54.71 0.net
>>315
史記張儀列伝では張儀死後に入秦したことになっているからね
個人的には武王〜昭王の初期は公孫なんとかがよく登場するので混同の可能性は相当あると思う
向寿「そろそろ誰が昭襄王の真の幼馴染か決めようではないか?」

紀年記事における公孫衍または犀首という名での登場は
たぶん魏世家の哀王九年が最後じゃないかな?(岸門に敗走したのが哀王五年、哀王十年に張儀卒)
その後も存命かもしれないけど魏または秦の将軍、宰相としての活動は確認できない気がする

320:世界@名無史さん
21/06/01 10:42:26.11 0.net
夏后少康の庶子の無余という人が会稽に封じられ、
土地の風習に従って入墨をし、
髪を切って村落をつくった
その子孫が越王勾践

321:世界@名無史さん
21/06/01 11:32:56.04 0.net
こじつけ伝説だろそんなん

322:世界@名無史さん
21/06/01 15:46:00.79 0.net
>こじつけ伝説だろ、そんなもん
いや、問題は何故こじつける必要があったか?そして、それを記録するだけの裏付けはあったのかどうか?
が、問題なんだろ
つまり、当時に二里頭文化の集団移民が実際にあって、それを夏の王族に仮託されたのか
そして、それを裏付ける文化的な連続性があったのかどうか

323:世界@名無史さん
21/06/01 18:06:20.25 0.net
たとえ当時なんらかの根拠があったとしても
今となっては匈奴≒夏の末裔みたく証明できないだろうしなんとも
初期越の有力者墓は中原型だった、という話も聞かないし

324:世界@名無史さん
21/06/01 18:55:04.67 0.net
>>319
ご丁寧に解答くださってありがとうございます!
古代特有の楽しく同時にもどかしい感じ…おとしどころ探さなくては

325:世界@名無史さん
21/06/01 19:57:28.42 0.net
呉太伯の父は古公亶父といい、周王朝の祖だが、
長男の太伯よりも末子を位に即けたいと願っていた
それを知った太伯は位を弟に譲るため、髪を切り、
入墨をする蛮族の風習をして会稽に行き、呉の始祖となったという
これもこじつけ伝説?

326:世界@名無史さん
21/06/01 20:04:38.49 0.net
>>324
いえいえ、張儀列伝と魏世家という基礎中の基礎の範囲でしか答えられず申し訳ない
一応魏将の記述が史記比豊富な竹書紀年に犀首がいないか探したこともあるのですがそれらしき人物はいませんでした
武王期以降になると宣太后一族他に関心が移ってしまい完全に勉強不足です(汗)

327:世界@名無史さん
21/06/01 21:40:39.51 0.net
>>325
あのまま周に残っていたら殺されたのが李歴ではなく太伯だったんだろうか?

328:世界@名無史さん
21/06/02 11:38:01.29 0.net
殷周時代の大都市、とりわけ王都は、王朝の滅亡とともに
放棄されるものであり、政治的な性格を強く帯びていた
しかし戦国時代になると、王朝の興亡に左右されない、
巨大な経済都市が出現する
なかでも大規模な城郭都市が生まれたのは、韓・魏・趙の地域

329:世界@名無史さん
21/06/02 14:38:04.45 0.net
そんだけ都市の力が強くなったってことか
インフラとマンパワーが

330:世界@名無史さん
21/06/02 19:35:50.47 0.net
戦国期には社会的・地域的な分業が相当な水準まで発展し、天然資源のみならず、
日常的な什器の流通も始まっていた
北海では馬や犬、南海では大鳥の羽・象牙・犀の角・青色の染料・丹砂、
東海では紫貝・葛製の布・魚・塩、西海では皮革やヤクの尾を産出した
中国の民はこれを交易で手に入れることができた

331:世界@名無史さん
21/06/03 00:09:04.54 0.net
>>330
それだけ色んな交易品があるのに調味料は塩と酢だけなのか


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