春秋戦国時代 4 at WHIS
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100:世界@名無史さん
21/03/26 04:24:30.74 0.net
>>96
米かな?

101:世界@名無史さん
21/03/26 07:36:50.83 0.net
稲作はすでに行われていたはずだが、主流ではなかったんじゃないか?
普通に熱帯のジャングルのイメージで良いのでは

102:世界@名無史さん
21/03/26 10:29:43.57 0.net
史料の記録が乏しすぎる

103:世界@名無史さん
21/03/26 14:46:49.65 0.net
黍なんかは主食だった様だな

104:世界@名無史さん
21/03/26 18:38:11.11 0.net
司馬遷は『史記』で、江南について、
「稲を飯にし、魚を羹にする。……果物屋や瓜類、魚介類は商人をまたずとも
十分自足している」
と書いている

105:世界@名無史さん
21/03/28 07:49:03.75 0.net
ということはやはり、コメが主食だった?

106:世界@名無史さん
21/03/28 11:02:55.01 0.net
俺はオコメよりオメコのほうが・・・

107:世界@名無史さん
21/03/29 22:36:23.39 0.net
>>68
>全身に刺青した土人たちの世界
全身に入れ墨したぐらいで土人なら我が国の推古天皇や聖徳太子も土人だな
隋書倭国伝
男女多黥臂、點面文身
男女の多くは腕から顔、身体にいたるまで入れ墨を施している。

108:世界@名無史さん
21/03/30 04:36:06.22 0.net
>>107
古代だと中国の南部、日本、東南アジアにかけて皆そうだ

109:世界@名無史さん
21/03/30 18:18:10.03 0.net
>>105
当たり前じゃん
江南で稲作始まったの10000年前だし

110:世界@名無史さん
21/03/30 18:20:11.94 0.net
戦国時代に入ると鉄製の武器が普及し、歩兵戦が中心となり、
次いで騎馬戦が導入され、犠牲者の数が格段に増えたな
秦と趙が戦った長平の戦役では、降伏した趙の兵卒40万人が
一挙に穴埋めにされ、総勢45万人が殺された

111:世界@名無史さん
21/03/30 18:23:29.94 0.net
>>110
都市国家的な国民皆兵を領域国家のスケールでやらかしてる感じの数字だな

112:世界@名無史さん
21/03/30 19:04:31.22 0.net
>>110
秦軍の武器は青銅製ではないか?

113:世界@名無史さん
21/03/30 19:25:35.10 0.net
武器は後漢辺りまで青銅製のが多いくらいだったはずだよな
むしろ鉄器の普及は武器よりは農具に金属器が使えるようになったことで
耕作や開墾が楽になった事に恩恵があったはず

114:世界@名無史さん
21/03/30 19:28:25.34 0.net
騎馬の導入で追撃戦とか包囲戦が格段にしやすくなったんだろうね

115:世界@名無史さん
21/03/30 19:40:08.27 0.net
>>109
でも、初期の稲作は面積あたりの収穫量が桁違いに低かったんだぞ
現代の水田より、何十分の一ほどとされている

116:世界@名無史さん
21/03/30 22:05:28.95 0.net
>>115
生産量を増やすには1つは土地を掘り起こす農具特に鉄器の普及(おそらく祭具や武器より普及は後年)
もう一つが地味を豊かにする肥料‥豆類の普及と人なり家畜なりの出すものを効率よく集めること
豆は家畜特に馬の飼育に必要不可欠だし調味料としても保存食としても重要な食物
この辺も急速に整備されたのかな?

117:世界@名無史さん
21/03/30 22:31:15.01 0.net
>>116
各種遺跡の発掘で出土した花粉から森林が消失して平地が広がった事がわかってるから
肥料とか使わないで開拓、植民を繰り返して効率悪く生産量を増やしてったんだと思われ
肥料に関する記述って古代の文献だと全然見た事ないんだよな

118:世界@名無史さん
21/03/30 23:56:31.81 0.net
初期の水田は湿田、沼地のかたちそのままで田地の形状すら整備できてない
てか、おそらくは整備する必要を感じてなかったと思われる。依存度が低かったから片手間ぐらいだった、とかだろうかね?
栽培に向いた性質、収穫しやすい性質、収穫量の多くなる性質などを選別して品種改良するより前だし、
どれほど収穫が低かったかは測定困難ではないかと

119:世界@名無史さん
21/03/31 08:46:51.54 0.net
>>113
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢軍は鉄器

120:世界@名無史さん
21/03/31 11:12:01.84 0.net
>>119
漢代でも遺跡から出て来る武器は鉄器よりは青銅器のが多めの模様
俺も教科書的に漢代は鉄器やろwwwと思ってたから結構びっくりした

121:世界@名無史さん
21/03/31 11:18:59.13 0.net
面白いのが鋼鉄製すらも既に戦国時代には登場していたってことだな
なのに銅と錫をいい具合で混ぜないと耐久性に問題の出ちゃう青銅もかなり後まで武器になってる

122:世界@名無史さん
21/03/31 11:40:04.84 0.net
自分はよく国立博物館に行くけど、「漢の文化」っていったら真っ先に連想するのは青銅器だな

123:世界@名無史さん
21/03/31 11:41:11.94 0.net
鋳鉄は、型に流し込んで同じモノを大量生産するのに向いている
だから、漢代には農具として普及した

124:世界@名無史さん
21/03/31 12:11:25.11 0.net
青銅器の方が作るのは大変そうに思うが、鉄器は加熱が大変なのかな?

125:世界@名無史さん
21/03/31 12:25:11.76 0.net
>>124
青銅は、ずっと低い温度で溶かせる

126:世界@名無史さん
21/03/31 12:28:40.67 0.net
古代人にとって、鉄を溶かすほどの高温にするのは簡単なことではなく、大量には作れない
中国は人口が多いから、型に流し込んで同じモノを大量に作ることが好まれたようだ
それが、青銅や鋳鉄が多用された理由かもしれない

127:世界@名無史さん
21/03/31 12:31:47.38 0.net
ヒッタイトでは鍛造した鍛鉄が主流
古代中国では鋳物の鋳鉄が主流だった

128:世界@名無史さん
21/03/31 13:20:20.34 0.net
>>127
墓の副葬品なんかだと鍛造の鋼鉄が出土してるから
量産品は鋳鉄、一品物とかは鍛鉄みたいな使い分けがあったっぽい

129:世界@名無史さん
21/03/31 14:05:59.38 0.net
>>120
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢遺跡から出る武器の大半は鉄器
2000年前だと鉄器の残存はかなり厳しい条件にも拘らず鉄器
前漢の青銅剣は儀礼用以外に全く使われて無い

130:世界@名無史さん
21/03/31 14:09:10.27 0.net
>>128
鍛造は前漢末期に普及した
それと無関係に鍛鉄は腐食が進み難く鋳鉄は腐食が早い

131:世界@名無史さん
21/04/02 06:41:55.53 0.net
古代中国っていうと、巨大な青銅器の甕が真っ先に思い浮かぶ
なんで、あんなにデカいんだろうな?

132:世界@名無史さん
21/04/02 09:26:15.81 0.net
日本列島では、銅鐸がやたら巨大化したよな

133:世界@名無史さん
21/04/02 09:45:07.57 0.net
やっぱり、祭祀用なんだろうな

134:世界@名無史さん
21/04/03 13:25:47.17 0.net
権威の象徴はデカければデカい程有意義だしね

135:世界@名無史さん
21/04/04 05:20:39.54 0.net
呉や越とか治水できてないだろあの当時は、
稲作有っても 原始的な陸稲とかだろうな
春秋戦国時代に書かれた儒教の書物 《周礼(しゅらい)》では、
この時代の 五穀は 麻・黍(しょ)・稷(しょく)・麦・豆とあるが、
だいたいが 中原の方で 寒冷・冷涼な大陸性気候の作物が書かれてる。
しかしながら、書物ではなく、
遺跡とかの 稲のプラントオパールの分布は
縄文時代 (約1万2,000年前〜2,500年前)には 日本(九州とか)に伝わっていて、
稲作の歴史は 『実は 日本から大陸側に伝わったのではないか?』と言う説もある。
日本の方が 稲のプラントオパールの分布は古い
URLリンク(inoues.net)
呉や越の稲作は 河川付近の限定的な作付の可能性が高いと思う

136:世界@名無史さん
21/04/04 05:43:13.19 0.net
呉や越の地方に近い、
タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる ミャオ族が、
山岳地帯に住んで トウモロコシや陸稲を栽培している、
ミャオ族は 古くは 河川や湖畔の近くに住んでいたが
ある時期から土地を追われて 山奥の山岳地帯に放浪した民と言われている。
呉や越の亡国の民ではないかと思う。

137:世界@名無史さん
21/04/04 08:32:48.84 0.net
土器も稲も、日本の遺跡のほうが大陸より古いんだよな
古墳も半島より日本のほうが古くて、圧倒的に規模がデカい

138:世界@名無史さん
21/04/04 08:49:11.57 0.net
>>135
IQ70くらいしか無さそう病院で診断して貰え

139:世界@名無史さん
21/04/04 09:19:01.98 0.net
そもそも根本的な問題として、稲は熱帯性の作物なんだよな
寒くて雨が降らない朝鮮から、暑くて雨が多い日本に「稲作が伝わりました」というのは論理的におかしい
しかも、水稲耕作の遺跡は、朝鮮より日本のほうが古い

140:世界@名無史さん
21/04/04 09:21:08.76 0.net
同じ熱帯性である唐辛子は、東南アジア→日本→朝鮮と伝播している

141:世界@名無史さん
21/04/04 10:05:03.18 0.net
水田遺跡は韓国のオクキョン遺跡のほうが日本最古の板付遺跡より古いけどな
また農具も半島南部と日本は共通しているが江南とは共通していない

142:世界@名無史さん
21/04/04 10:20:26.58 0.net
>>135
起源的には陸稲より水稲栽培のほうが古い
原始的な陸稲栽培なんてものは存在しない

143:世界@名無史さん
21/04/04 10:37:21.50 0.net
古代で、半島→日本、日本→半島と新技術・新製品などが伝わる時間は、せいぜい1年くらい?

144:世界@名無史さん
21/04/04 11:35:03.51 0.net
>>139
違うよ
温帯〜亜熱帯気候の作物
農具も長江下流域の物と日本の物わ共通

145:世界@名無史さん
21/04/04 11:57:35.53 0.net
>>139
朝鮮半島の南部なら水稲はできるんだろう

146:世界@名無史さん
21/04/04 12:01:01.44 0.net
朝鮮半島南部で
北アジアの農耕文化と江南の稲作文化が合体して
それが日本に渡来したみたいな感じ?

147:世界@名無史さん
21/04/04 12:20:54.07 0.net
かつては朝鮮北部→朝鮮南部→九州北部と考えられていたけど
現在では朝鮮北部より朝鮮南部と九州北部の農耕文化のほうが早く成立したことが明らかとなりこの説は否定されている
現在では蔚山広域市のオクキョンにある日忽然と水稲文化をもつ集団が現れ
九州北部へと次いで半島北西部へと水稲をもたらしたことになる
この集団がどこから来たのか現在でもはっきりとしたことは分かっていない

148:世界@名無史さん
21/04/04 12:40:29.38 0.net
船使って移動してるなら朝鮮半島の南にいきなり到着してもおかしくはないからな
朝鮮には陸路で伝わったと決めつけるのはよくないよ

149:世界@名無史さん
21/04/04 12:49:46.58 0.net
海路沿いに中国から来たのなら普通は半島南西のはずだろ?
ところがオクキョン遺跡は半島南東部の蔚山にある
そこから九州北部の板付遺跡や半島南西部のオクキョン遺跡へと波及している

150:世界@名無史さん
21/04/04 12:51:58.39 0.net
×半島南西部のオクキョン遺跡→半島北西部の松菊里遺跡

151:世界@名無史さん
21/04/04 13:11:33.27 0.net
半島南部は、倭国の領土だったと言う説もあるし、倭国の5世紀前半の高句麗攻めも広開土王碑に残っているから、我々が思う以上に半島と倭国との往き来は頻繁にあったんじゃないの?

152:世界@名無史さん
21/04/04 13:20:50.81 0.net
>>151
説というか三国志魏書東夷伝で半島北部の帯方郡
半島中部の三韓(馬韓弁韓辰韓)
その南に倭人の国あって国境を接してる
というモロな記述があって半島南部は倭人の直接的な支配領域だったことが書いてある
所謂任那日本府の存在なんかもあるから唐が半島に進出するまで
半島は倭人の勢力圏だったことが推定される
岡田英弘は帯方郡の設置理由そのものが倭人との交易であり
倭人が漢や魏に直接出向いた時は、その帯方郡が機能していないため
これまで取引していた倭人が直接朝廷に出向いただけだ、という説を提唱していたな

153:世界@名無史さん
21/04/04 13:38:45.90 0.net
今でも、人口的には日本は1億2333万人(2021年1月)で、韓国5130万人(2021年)、北朝鮮2588万人(2021年)合わせての、1.56倍なので、昔から倭国は大国だと思われていたのだろうな。

154:世界@名無史さん
21/04/04 15:11:55.46 0.net
そりゃそうだ
魚と米が取れるのが、古代においては豊かな地
倭国は中国江南とならぶ東アジアで最良のエリアだ

155:世界@名無史さん
21/04/04 18:45:36.45 0.net
倭人が繁殖して縄文人の人口をあっという間に追い抜いた
古墳時代には倭人のほうがずっと優勢だったようだ

156:世界@名無史さん
21/04/04 19:03:38.20 0.net
>>155
DNAから倭人は縄文人の子孫だってちゃんとわかってるよ
ただ半島や大陸経由で渡来系が2000年間持続的に入り込んだ結果
縄文人と現代人の遺伝子にある程度差異はあるけどね

157:世界@名無史さん
21/04/04 19:07:24.81 0.net
縄文人の直系子孫は
蝦夷、アイヌ、国栖、
クマソ、隼人あたりだな
日本人は渡来系にすこし縄文系をブレンドしている

158:世界@名無史さん
21/04/04 19:13:23.41 0.net
>>157
アイヌはオホーツク系の民族に縄文人が征服された存在
蝦夷は謎、九州の諸民族は縄文系に東南アジアからの南方系が混ざってる
グレートジャーニーの吹き溜まりは伊達じゃない

159:世界@名無史さん
21/04/04 20:04:42.20 0.net
>>154
面積あたりの生育重量という意味では漁業の生産力は畜産より一桁以上低いぞ
海洋国ならともかく内陸河川での漁獲は、山林よりはましだが耕地に及ばない
ただ、移動しやすいことで広範囲から資源を集める余地があるだけ

160:世界@名無史さん
21/04/04 21:14:02.20 0.net
アイヌは、北海道の先住民族ではないみたいだね。
サハリンアイヌがオホーツク倭人を追い出して、北海道を乗っ取ったらしいけど、先住民族の定義が難解なのかな。

161:世界@名無史さん
21/04/04 21:17:10.55 0.net
東南アジアからの南方系?
台湾から南に行ってわざわざ日本に来たんか?

162:世界@名無史さん
21/04/04 23:32:58.44 0.net
ポリネシアのほうからも来てるけど=東南アジアから来てないとはならないでしょ

163:世界@名無史さん
21/04/05 10:08:36.57 0.net
南島諸語の比較言語研究によると台湾高地種族の言語が一番古い。そこから南下して東はポリネシア、イースター島まで、南はニュージーランドまで、西はアフリカのマダガスカルまではるばる拡散した。それを思えば、沖縄や日本本土なんてほんのご近所にすぎない。

164:世界@名無史さん
21/04/07 23:31:37.89 0.net
海に出て、海流に乗れば割りとすぐに着く

165:世界@名無史さん
21/04/08 01:00:44.48 0.net
女禍の伝説とか海洋民族の話に近いのかな?
そちらでは女性が動物と結婚して産まれた男児と結婚して子孫繁栄する事が多いんだっけ
いつ頃から伏儀っていう兄にして夫が現れて場合によっては女禍を三皇から除外(単なる伏儀の妹にして嫁)って扱いになったんだろ?

166:世界@名無史さん
21/04/14 17:58:35.56 0.net
【春秋時代】
前771年 周の幽王、殺害される
前770年 周の平王、洛邑へ遷都
前651年 斉の桓公、会盟して覇者となる
前639年 宋の襄公、会盟して覇者となる
前632年 晋の文公、会盟して覇者となる
前624年 秦の穆公、晋を破る
前546年 宋の仲介で楚・晋の停戦協定
前506年 呉が楚の都を陥落
前496年 越王勾践が即位、呉を攻撃
前494年 呉が越を破る
前482年 呉王夫差、会盟して覇者となる
前479年 孔子が死去
前473年 呉王夫差が自害、呉滅亡
前465年 越王勾践が死去
前451年 晋が分裂し、韓魏趙が独立
前426年 周王朝が東西に分裂
前403年 韓魏趙が諸侯となる

167:世界@名無史さん
21/04/14 18:08:02.63 0.net
【戦国時代】
前388年 斉の田和がクーデター
前376年 晋が滅亡
前341年 斉の孫ピンが、馬陵で魏のホウ涓を倒す。
前333年 蘇秦が「合従策」に成功する
前318年 楚燕趙魏韓が函谷関で秦に敗北
前316年 秦が蜀を滅ぼす。
前311年 張儀が「連衡策」に成功する
前284年 燕の楽毅の連合軍が斉に侵攻
前278年 秦の白起が楚の都を陥落させる
前270年 趙の趙奢が閼与で秦魏を撃破
前264年 秦が西周を滅ぼす
前260年 秦の白起が長平で趙に圧勝
前259年 秦王・始皇帝生まれる
前255年 秦が東周を滅ぼす
前247年 魏の信陵君の連合軍が秦を撃破
前241年 楚の春申君の連合軍が秦に敗退
前238年 秦の宰相・呂不韋が失脚
前233年 李斯が韓非を暗殺
前227年 燕による秦王暗殺未遂
前226年 燕の都が陥落
前225年 秦が魏を滅ぼす。
前223年 秦の王翦が楚を滅ぼす
前222年 秦が燕を滅ぼす。
前221年 秦が斉を滅ぼし、天下統一

168:世界@名無史さん
21/04/14 18:21:58.34 0.net
きちっとしている!

169:世界@名無史さん
21/04/14 18:39:19.99 0.net
呉と越は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えたのだとか

170:世界@名無史さん
21/04/14 19:15:46.23 0.net
>>167
衛「あの…」

171:山野野衾
21/04/14 21:28:15.82 0.net
『太平広記』を読んでいたら面白い話があったので、ここでいいものか迷ったのですが抄訳を。
唐の時代、見鬼を能くする英禅師という僧侶がいたが、ある時寺主の慧蘭禅師に言った。
「秦の荘襄王と従者二百人余りが飢えて晩餐を求めておりますので、ご用意を願います。」
やがて時間になると荘襄王と貴賤様々な従者が現れたが、食べ方ががっついていた。
荘襄王「八十年ぶりの食事です。生前はまだ仏法がないのでたいした功徳を積めず、囚人の解放
や鰥寡孤独への施与ぐらいしか功徳がなかったので福徳が薄く、罪を贖い切れていないのです。」
これで四十年はもつと言い、荘襄王は周囲の人間を示して言った。
荘襄王「この者が陳軫です。虚偽の罪に苦しんでおります。そしてこの二人が白起と王翦で、殺人
が多過ぎた罪で苦しんでおり、未だ解放されておりません。」
英禅師「なぜもっと生者に食を要求されぬのか。」
荘襄王「私も貴人であり、濫りに祟りをなすような真似は致しかねます。」
去り際に言った。
荘襄王「城門の外に弟子の墓があります。呂不韋の墓とされていますが、誤りです。」
英禅師「あれは赤眉の乱であばかれたそうじゃが。」
荘襄王「賊が荒らしたのは上っ面。深部に財宝があるので差し上げましょう。」
英禅師「いや、わしは出家じゃ。それには及ばぬ。」

172:山野野衾
21/04/14 21:31:16.04 0.net
荘襄王は礼を言って去ったということですが、後世のイメージを察して楽しめました。
流石に始皇帝では罪が重過ぎると思われたものでしょうか。
『太平広記』には、他に歴史上の人物同士が数世紀を隔てて出会うような話があります。
過去の歴史好きにとっては夢の展開であったことでしょう。

173:世界@名無史さん
21/04/15 07:33:34.71 0.net
遊牧民が北部中国の辺境地帯にもちこんだ物資は、まず第一に家畜だった
馬の獲得は辺境都市を都市国家に成長させ、都市国家の中から殷、周、秦などの
王朝が出て、他の都市とその周辺の農耕地帯を支配下に入れた
これが北部中国に統一国家が、南部よりも早く出現した理由
南部は辺境がなく、都市が育たず、馬が手に入らないために、
北部の軍事力に対抗するすべがなかった

174:世界@名無史さん
21/04/15 21:28:47.93 0.net
>>167

わかりやすい

175:世界@名無史さん
21/04/16 12:47:42.66 0.net
家畜は農耕社会の方が先なんですが

176:世界@名無史さん
21/04/19 16:44:04.55 0.net
馬が辺境を国家にするって論理がよくわからんな
別に馬が都市の必要条件ってわけじゃあるまいし

177:世界@名無史さん
21/04/20 00:25:22.47 0.net
馬肉美味いからなあ
「ちょっと国家でも作ったろか」という気も起こるやろ

178:世界@名無史さん
21/04/20 01:56:41.75 0.net
>>171
物知り荘襄王カワイイ
なぜ活動期間が陳軫や白起と被る昭襄王ではなく荘襄王なのか?
1.昭襄王と混同or誤字(先秦あるある)
2.困窮してそう(妻子の境遇から連想)
3.呂不韋って言いたかった
4.即位時に親族、重臣を手厚く遇し、罪人を赦したから
5.まともな秦王は荘襄王くらいという認識だった
理由があるとすればこの辺りか…

179:世界@名無史さん
21/04/20 21:30:39.03 0.net
>>176
移動手段を得てはじめて広い土地を支配できるということでは

180:世界@名無史さん
21/04/20 21:35:41.83 0.net
移動の早い遅いよりも、情報伝達手段の整備の方が重要では
文字無しでは都市国家単位の朝貢関係より以上の緊密な支配は無理だろ

181:世界@名無史さん
21/04/20 21:35:57.48 0.net
インカ帝国「馬肉美味いよな!」

182:世界@名無史さん
21/04/20 21:36:40.38 0.net
情報伝達手段でもあるからな。
当時、携帯電話があれば、当時より広大な領域を把握できそう。

183:世界@名無史さん
21/04/21 19:38:57.50 0.net
携帯電話があって、タワーとかのインフラが何故か保全されてる状況なら戦争のあり方からかわるよな

184:世界@名無史さん
21/04/21 20:24:43.73 0.net
>>182
まあ、広域行政ができたとしても遠隔地まで物資を運ぶ手段が整ってなかったら広域国家で徴税とかできないしなあ

185:世界@名無史さん
21/04/21 21:02:02.97 0.net
羊を肉と毛とチーズ以外に輸送の動力源として繁殖しようぅて動きは無かったのかな?遊牧民って
単純育て増やすだけなら馬より用意だろうけど

186:世界@名無史さん
21/04/21 21:30:01.33 0.net
>>179
馬なし文字なしでも4000キロの領域を駅伝制による道路網で支配したインカ帝国があるからなあ
馬ありきは結果であって原因とはいいきれない

187:世界@名無史さん
21/04/22 01:52:44.16 0.net
羊に頼りたくなるほど輸送に余裕がないわけではないからな
移動はあくまで牧草を求めてのものだし数多いと管理も大変だから司馬炎がやってた以上の使い道はないのかねぇ

188:世界@名無史さん
21/04/22 19:41:38.17 0.net
>>186
徒歩で支配してたんだろうか?
文字は縄か?

189:世界@名無史さん
21/04/22 21:06:46.26 0.net
羊車って単語があるってことは一応そういう使い方もあったのかな?

190:世界@名無史さん
21/04/22 21:28:52.32 0.net
インカに舟運はなかったのか?

191:世界@名無史さん
21/04/23 09:20:57.20 0.net
夏王朝がタイ系だったというのは本当ですか?
そして殷王朝は北狄(森林地帯の狩猟民)出身で、山西高原から南下してきたとか

192:世界@名無史さん
21/04/23 21:07:41.13 0.net
何一つ合って無いよ
知能障害だね病院行って

193:世界@名無史さん
21/04/24 00:05:04.35 0.net
>>191
正しい

194:世界@名無史さん
21/04/28 18:43:24.27 0.net
呉はむかし周の王族の一人が東南の地に来て建てた国と自称していたが、
断髪に文身という蛮族の風俗からみて、それはただの伝説の可能性が高い

195:世界@名無史さん
21/04/29 01:21:55.92 0.net
多分伝説だろうけど
文明人が僻地へ入植すると文化を維持出来無く成って原始的な生活に退行するのわ
地理や時代を問わず普遍的に見られる現象らしいよ

196:世界@名無史さん
21/04/29 06:27:47.22 0.net
>>194
『史記』に記されているように、呉の開祖、太伯・虞仲が自ら
現地の習俗を取り入れたという説明で、それが史実であっても
何ら問題ないでしょう。

197:世界@名無史さん
21/04/29 11:42:29.00 0.net
この時代の長江下流域ってどの程度南下してきた中原出身の集団がいたんだろうね
オーストロネシア系がマジョリティっぽいが
客家はもう定住していたのかな

198:世界@名無史さん
21/04/29 12:54:18.24 0.net
呉越はオーストロネシア語じゃ無いよ

199:世界@名無史さん
21/04/29 18:19:22.16 0.net
越は夏王朝の子孫と自称していた
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、
農業にも適しており、中原の進歩した生産技術が伝わると、
たちまち繁栄を迎えた

200:世界@名無史さん
21/04/29 19:05:05.06 0.net
史記の記述ですら、けっこうフィクション比率が高いみたいだし、それ以外の典籍はそれ以上のフィクション率だ
基本、話半分で理解しといて、考古学とか他系統の研究をペースにするべき

201:世界@名無史さん
21/04/29 20:30:24.09 0.net
先祖を中原の王朝と結びつけてるのはただのフィクションだね
司馬遷の時代からさらに千年以上前のことなんて細かくわかるわけないからね

202:世界@名無史さん
21/04/29 21:12:54.37 0.net
呉越や匈奴の祖先伝承はフィクションかもしれんが
商、夏王朝は史記の記述通り実在したからね
神武欠史八代王朝と倭の五王王朝を適当に接木した天皇王朝が創造した記紀と違って

203:世界@名無史さん
21/04/29 21:22:33.76 0.net
>>202
コジツケだよ、そんなもん
古代都市の遺跡を、強引に「これは夏王朝なのである」ということにした

204:世界@名無史さん
21/04/29 21:52:05.80 0.net
無知な妄想症患者に救いわ無いな

205:世界@名無史さん
21/04/29 22:04:00.30 0.net
夏王朝は存在してないよな、妄想過ぎる

206:世界@名無史さん
21/04/29 22:42:28.19 0.net
それを「夏」と呼ぶかどうかは文字史料がないから決定打はないけど、二里頭文化が王朝と呼びうるような高度な政治的求心制や勢力圏を持っていたこと、建築や習俗において後の中国との強い連続性があったこと、はもう確実

207:世界@名無史さん
21/04/29 23:09:24.63 0.net
正直、中国の史家の怪力乱心を語らずって偉いと思うけども
そういうの後の世界の人間が判断するから、全部書き残しとけと思わんでもない
それがあれば、この春秋時代だってもっと沢山の話が残ったはずなのに

208:世界@名無史さん
21/04/29 23:10:36.95 0.net
倭の五王は中国史書に記録が残ってるけど
前代の神武王朝に関する記述は乏しい上に在っても事実と全然一致してない

209:世界@名無史さん
21/04/30 02:27:53.33 0.net
>>206
二里頭文化で王権っぽいものが確立されてたであろう事や
政治的にある程度の成熟を見せてたっぽい事は否定する奴ぁ居らんと思うが
それが夏かどうかってのがどうしても思想的、政治的な問題になっちゃうよな
現状は夏王朝とすべき明確な証拠はないから、「かもしれない」以上の事は
妄言、妄想か希望的に言ってるだけになってしまうが

210:世界@名無史さん
21/04/30 02:38:16.44 0.net
>>209
クノッソスやトロイアだって、はっきりと「そうです、ここがクノッソス(トロイア)です」って看板が出土したわけじゃないんだし、もう「たぶん夏」としてもいいんじゃないの?
クノッソスやトロイアを認めて夏を認めないのも政治性入ってる気がする

211:世界@名無史さん
21/04/30 03:22:37.20 0.net
>>209
いや成ら無いよ
史書に夏王朝の記録が有り
考古物も発見された
夏王朝の実在わ確定
倭の五王以前の天皇神話とわ違うよ

212:世界@名無史さん
21/04/30 04:18:57.14 0.net
>>210
あれもシュリーマンがホメロースのトロイア発掘云々で出土したからトロイアっぽいよね
って話にはなってるけど、学術的には詩に出て来たトロイアそのものとは認められとらんぜ?

213:世界@名無史さん
21/04/30 17:59:49.92 0.net
何を言ってるのか意味不明

214:世界@名無史さん
21/04/30 18:20:39.14 0.net
>何を言ってるのか意味不明
・夏王朝を実在したと言っている奴は、夏王朝の実在と何の関連もない記紀の記述を引き合いにだすのは
 夏王朝が実在したかどうかはどうでもよく、記紀をデスりたいだけなんだろうなということは分かる。
・記紀と単純に一纏めにしているのは、両書を区別できていないからで、その点から論者の教養のなさ頭の悪さが垣間見えることは読み取れる。

215:世界@名無史さん
21/04/30 18:24:06.44 0.net
>>214
そいつは世界史板名物のバカ
相手にするのはホドホドに

216:世界@名無史さん
21/04/30 20:36:09.84 0.net
>>215
わ、の使い方で分るあの人のことね

217:世界@名無史さん
21/05/01 01:13:38.70 0.net
殷より古い遺跡が続々発掘されるにつれ、
「夏が実在したかどうか」というのはどうでもよくなってるのでは?
日本だと同じ王朝がずっと続いてるから
古代の遺跡が大和朝廷と連続性があるかどうかは問題になるが。

218:世界@名無史さん
21/05/01 02:22:14.35 0.net
>>214
倭の五王以前の天皇神話は考古学的な裏付け無いからね
奈良盆地が征服された形跡って発見されて無いし

219:世界@名無史さん
21/05/01 07:55:09.74 0.net
神武東征神話、九州出身で奈良盆地に攻めこんだって部分は少なくとも嘘だわな
神武が実在かどうかはいまも不明のままだが。

220:世界@名無史さん
21/05/02 01:32:28.35 0.net
>>219
うそじゃなく、むしろ史実くさいんだけど
西暦100年ごろに関西の遺跡はまとまって破壊されてる

221:世界@名無史さん
21/05/02 10:37:28.04 0.net
稲荷山古墳の金文しかない現状では、そうじゃないかな?以上の事は言えん
殷墟で大量の甲骨文が発見されたように、誰かの古墳で大量の文字が発見されない限りは

222:世界@名無史さん
21/05/02 12:49:13.75 0.net
>>220
奈良盆地でも大阪平野でも破壊跡無いよ

223:世界@名無史さん
21/05/02 15:50:50.95 0.net
畿内の遺跡で、二世紀とか三世紀四世紀あたりに旧来文化から九州などの文化に置き換わるような入れ替りの痕跡がない
他の地域要素が流入するようになったのはたしかだが、基調が旧来文化なんで、外来勢力による侵攻を受けたとは考えられないよ

224:世界@名無史さん
21/05/03 02:03:23.79 0.net
>>222
ソースが見つからないけど
西暦100年ごろにいっせいに関西の遺跡が破壊されたのは事実よ

225:世界@名無史さん
21/05/03 03:28:15.44 0.net
少なくとも奈良盆地と大阪平野でそんな事起きて無いよ
奈良わずっと安定的で大坂も居住区の変遷は有るけど
河川の堆積や流路変更等の地形要因ってのが有力

226:世界@名無史さん
21/05/03 11:31:19.42 0.net
>>223
多くの遺跡が衰退消滅してるけど破壊されたわけではない
破壊の痕跡なんてない
そもそも、古代社会には生活環境の変動で集落が破棄されて別の場所に移動することは珍しくなく、移転ラッシュの時代が何度かあるほどだ
そんな移転ラッシュが畿内では一世紀から二世紀にかけておこってただけ

227:世界@名無史さん
21/05/03 12:03:36.29 0.net
古代の倭はコロコロ首都移転するのが日常茶飯事だ
何が「まとまって破壊されてる」だよ、妄想もいい加減にしろ(笑)

228:世界@名無史さん
21/05/03 13:09:10.77 0.net
そんなこと言われても
どうすりゃいいのさ
    ___
   /ノ ヽ\
  /(●) (●)\
 |  (_人_)  |
  \  `⌒′ /
  /     \
 / /     ||
_| L[]o___/_/_
 \_三)
   |
   |__ コロ…
  ___\  コロ…
  ()__)┘

229:世界@名無史さん
21/05/03 14:01:15.96 0.net
浅草が衰退して、新宿が繁栄するようなものか

230:世界@名無史さん
21/05/03 14:27:47.50 0.net
いや、単に建物の寿命の20年とか30年で、立て替えだろ

231:世界@名無史さん
21/05/03 14:36:41.15 0.net
黄河の下流や、チグリス・ユーフラテス川のような極端な暴れ川だと、都市が洪水に飲まれて消滅することが珍しくない

232:世界@名無史さん
21/05/03 15:40:18.10 0.net
DNA的にも時間をかけてゆっくり混じり合った説が有力で100年そこらで急激にゲノムが入れ替わった説はDND分布的にありえないんだっけか

233:世界@名無史さん
21/05/04 00:11:13.82 0.net
>>230
法隆寺や千本釈迦堂みたいな奇跡的に現存している木造建築物って無いの?

234:世界@名無史さん
21/05/04 02:01:25.52 0.net
どっちも何度も建て替えてるしな

235:世界@名無史さん
21/05/04 02:12:29.68 0.net
防蟻剤のない時代に掘立柱建物だもん

236:世界@名無史さん
21/05/04 09:23:42.50 0.net
現代の長安も洛陽も、古都ではない
単なるショボい地方都市

237:世界@名無史さん
21/05/04 09:57:48.72 0.net
京都の悪口言うなよ
京都タワーがご自慢なんだって?京カスはw

238:世界@名無史さん
21/05/04 10:33:45.81 0.net
>>236
そりゃ場所が近いだけで同一じゃないしな
漢の頃の洛陽はいまの洛陽の場所に隣接した隣町みたいな場所だろ

239:世界@名無史さん
21/05/04 10:57:31.60 0.net
西安は昔の長安城と微妙にずれたけど移動ってほどじゃないな。明代の城壁も完全に残ってるし。

240:世界@名無史さん
21/05/04 18:12:41.80 0.net
明の歴史は日本では滅多に話題にならないけど
万里の長城や紫禁城などそのビジュアルの影響力は中国歴代王朝ナンバーワン、圧倒的やな
他の王朝が束になっても敵わん……いや清の辮髪と旗装はわりとインパクト強いか

241:世界@名無史さん
21/05/04 23:03:48.92 0.net
春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするものだったから、洪水はしばしば隣国に
流れ込んで大災害をもたらしたとか
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた

242:世界@名無史さん
21/05/05 02:05:17.31 0.net
この時代のトイレはどうしてたんだろ

243:世界@名無史さん
21/05/05 08:44:22.19 0.net
>>241
春秋戦国の堤防、洪水、水害といえば
趙の恵文王は河水を決壊させて魏を攻撃してますね(楽毅が活躍してた頃)
なお同年自国も別の河川の氾濫で水没した模様

244:世界@名無史さん
21/05/05 09:23:57.75 0.net
揚子江や珠江沿いには多くの都市が並んでいるのに、
山東省の省都、済南は河岸には建設されなかった
その理由は黄河があまりに激しく荒れるからだと

245:世界@名無史さん
21/05/05 15:14:43.10 0.net
以前の開封みたく氾濫で埋まって発見されて無いだけじゃねーの

246:世界@名無史さん
21/05/05 18:38:58.16 0.net
古代の都市国家の分布をみると、山西高原の東縁をなす太行山脈の東麓に
沿っているし、その東方では、平原のなかに顔を出しているいくつかの
丘陵の上に都市国家が建設され、山東省の泰山山塊にいたっている
「中原」とはいいながら、平原部は黄河の氾濫と水質の悪さのために、
人間の生存にあまり適さない環境だった

247:世界@名無史さん
21/05/05 22:53:17.80 0.net
土木技術が未発達だと河川沿いの大平原はあまり都市が形成されないよね

248:世界@名無史さん
21/05/06 02:47:27.65 0.net
古代黄河の場合はマジでやらかすと武帝の時みたく水が溢れた地域が壊滅して流民大発生するからな…
中小(現代的感覚なら悲惨な)被害は毎年のようにあっただろうし
後この辺りの時代は城壁だけじゃなく大きな宮殿とかも版築の山に屋根かぶせるような作りだし
おそらく浸水は軽度でも避けたいよなぁ…

249:世界@名無史さん
21/05/06 02:55:28.67 0.net
それなりに良い屋敷なんかわ木柱と梁構造だよ

250:世界@名無史さん
21/05/06 06:25:49.97 0.net
洛陽盆地は、黄河の氾濫の危険に直接おびやかされることもなく、
それを貫流する洛河とその支流伊河は原始的な技術で十分に
灌漑工事が可能な規模だった
さらに洛陽盆地は東アジアの南北を結ぶ陸路と水路の結節点にあたっていた
洛陽から東方、開封にいたる約200qの間だけは、河の流速は緩く、
両岸は低く、水路は安定して、南から北へ、北から南への渡河は容易である

251:世界@名無史さん
21/05/07 05:33:52.61 0.net
>>249
それなりの良い屋敷はそれでいいだろうけど
戦国諸侯の首都にあるような高大な宮殿建築は柱と梁だけじゃ無理だったらしい
咸陽宮や燕下都、中山王陵などに残る宮殿遺構から推測される内部構造は基本的に中身土台

252:世界@名無史さん
21/05/07 06:14:19.73 0.net
臨淄は現代では山東省の一小都市に成り下がったけど、春秋戦国時代には、
大国斉の都であり、当時、最大の大都市だった
周の洛陽、趙の邯鄲、魏の大梁、楚の郢なども、政治都市であるとともに
手工業あるいは商業都市にもなって巨大化した

253:世界@名無史さん
21/05/07 18:56:38.02 0.net
>>251
中身が土台なんじゃ無く土台の上に建築するんだぞw
歴史ドラマでもよく出て来る高い位置に築かれてるアレ

254:世界@名無史さん
21/05/07 23:49:08.03 0.net
>>253
歴史ドラマのそれとは違うらしいよ
段差をつけた土台を壁にして建物をへばりつくように建てるのが戦国期の宮殿
だから一層目や二層目の中心部は土が詰まってて内部に大きなスペースを確保できない
外からは高層建築に見えても実際に土台上に建ってるのは上層のみで復元図では概ね平屋or二階建て

255:世界@名無史さん
21/05/08 01:18:19.39 0.net
>>254
いや合ってるよ
咸陽の宮殿は土台の上に築かれてる
ドラマでよく見掛けるヤツと同じ建造法
底層は一層だし抑々土台以外の建築部分は極一部
土台の上に築かれてるのが三階建て

256:世界@名無史さん
21/05/08 09:32:24.84 0.net
>>255
回答ありがとう、詳しいね
三層くらいの階段状土台を核心とする台?建築らしい燕下都や中山王陵遺跡の宮殿とは違うってことか
咸陽宮の基壇が一層というのはわかる
構造物が三階建てというのは随分具体的だけど、なにか決定的な証拠が見つかっているのかな?
もしよければネットで閲覧可能な発掘調査報告の類や論文など、参考になるものがあれば教えていただけないだろうか

257:世界@名無史さん
21/05/08 14:12:57.70 0.net
燕下都の建築は主に平屋だけど木造二階建て部分も有る,建築考古学論文集1987年
咸陽も3階建てと思ってたけど見たら外側二階建て,内側二階建てで重なって無いのね,秦咸陽宮一号宮殿遺址立面復原図

258:世界@名無史さん
21/05/08 20:05:48.41 0.net
やっぱ先秦は平屋か二階建のイメージだよなぁ
楼閣とかと違って普段使用する大型宮殿建築で無理する必要ないし

259:世界@名無史さん
21/05/09 00:44:11.28 0.net
>>257
さっそく情報ありがとうございます
土台の使い方こそ重ねて高さを強調する?燕趙中山あたりとは多少趣が異なるけど
台上にある建物の主要構造は基本的に大差ない感じですね

260:世界@名無史さん
21/05/09 05:36:52.70 0.net
ローマでは庶民のほうが高層化したが
中国でもそんなふうかな

261:世界@名無史さん
21/05/09 13:07:42.29 0.net
ローマの石造高層建築は一旦地震起きると倒壊し捲って被害惨重だったから
地震の多い地域じゃ無理だよ

262:世界@名無史さん
21/05/09 19:43:28.30 0.net
まあ中原は地震被害の少ない地域だからあまり気にしてなさそうだが

263:世界@名無史さん
21/05/10 05:05:09.12 0.net
イタリア半島はアフリカプレートとユーラシアプレートがぶつかる地震多発地帯だけどな

264:世界@名無史さん
21/05/10 15:54:17.29 0.net
だから崩落しまくってるしな
材木に向いた森林も少ない

265:世界@名無史さん
21/05/11 00:21:12.93 0.net
紀元前2000年ごろ、中国の森林被覆率は64%だった
それが清代のはじめごろには21%に低下していた

266:世界@名無史さん
21/05/11 01:19:03.15 0.net
日本は森林率65パーセントだが江戸時代は40パーセントほど
と考えるといまの日本もかなり異常
イギリスは森林率10パーセントと低い
現在ドイツフランスイタリアなど森林率は三十パーセントあまり
三割程度の森林率をめざしてるんだろうな

267:世界@名無史さん
21/05/11 01:47:17.02 0.net
ヨーロッパは中世までは森林におおわれてるとこが多かったが三行革命前ぐらいに森が禿げたんだっけ

268:世界@名無史さん
21/05/11 02:03:08.26 0.net
また髪の話をしてる

269:世界@名無史さん
21/05/11 02:17:36.15 0.net
>>266
戦後の復興で増えたのか
おそらく杉だよね。花粉症がひどくなったのか

270:世界@名無史さん
21/05/11 06:46:37.55 0.net
江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど、
それでも森林率は40%もあったのか
ヨーロッパ諸国の場合、大航海時代以降、帆船を大量に製造したことも
影響しているのかな

271:世界@名無史さん
21/05/11 07:59:16.03 0.net
江戸時代前半に大規模開発で禿げ山が増えて洪水とかの災害多発するようになったから、江戸時代半ばごろから開発に規制が入って、環境保全が進んでるからなあ
それで40%なんじゃね?

272:世界@名無史さん
21/05/11 08:01:12.41 0.net
ヨーロッパで森林がなくなったのは、製鉄で木炭を使いすぎたかららしいよ
森がなくなって木炭が入手しにくくなったことで、木炭よりやすい石炭が普及したと。

273:世界@名無史さん
21/05/11 10:20:36.17 0.net
明治政府が関東平野の田畑生産力を東京でつぶしたのを悔んで
仙台平野など東北北海道に強力な規制しいて
住宅開発は山地に追いやったらしいが
江戸でやっていればなぁ

274:世界@名無史さん
21/05/11 12:08:26.02 0.net
当時、同程度な土地でも地域によって単位面積あたりの収穫が二倍三倍も違うほどの格差があったわけで、生産力に劣る東北とかで農地を保護しても実際の効果は低かっただろうけどな

275:世界@名無史さん
21/05/11 12:34:57.24 0.net
おしいことに先進地帯の近畿は平野平地がほとんどない日本

276:世界@名無史さん
21/05/11 13:05:18.70 0.net
日本の場合ハゲ山は土砂崩れ起こすばかりで利用価値ほとんどないけど、平坦なイングランドでは牧草地や耕地として利用できるからなあ
少なくとも産業政策としては森林を回復させる必要はそんなに感じなかったんだろう

277:世界@名無史さん
21/05/11 13:07:07.50 0.net
エスプレッソを音を立てて啜り込むお前らのようなハゲを見る若い女性の目は、完全に汚物を見た時の表情と一致しています。
お前らの、その憚りの無い態度と頭皮にはもううんざりです。
そんなみすぼらしさ全開なお前らに素敵なお知らせが届いています。
髪をすばやく長く成長させたいですか?この作物はお前らの髪質を改善し、成長過程を固定するのに主要な役割を果たします。
ここではお前らのたてがみを育てるための奇跡の作物をお教えします。
お前らが抜け毛の総合商社で、毛髪の密度が落ち込んでいる限界集落であれば、サツマイモはお前らにとって絶対必要です。
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ビタミンAは皮脂の生成を促進し、毛包を強化し、髪の成長を促進し、髪の毛が抜けるのを防ぎます。
NASAの研究ではサツマイモは準完全食として認定されています。
NASA毛ない話ですが、これを知らない者は非常に多く、ハゲ治療研究においても見逃されていました。
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278:世界@名無史さん
21/05/11 15:02:12.28 0.net
>>270
エゲカスは製鉄の為に森林乱伐し捲って禿げた

279:世界@名無史さん
21/05/11 15:04:29.73 0.net
>>276
17世紀初頭に最も生産量多かった地域の製鉄量が
半世紀で10%まで激減してるけどね

280:世界@名無史さん
21/05/11 18:30:40.49 0.net
>>272
木炭枯渇で石炭に切り替えた当初は木炭より不純物が多かったせいで銑鉄の品質が落ち、鉄の精錬技術を高める必要が出たんだよな
木炭の時代の銑鉄より石炭の銑鉄の方が、どうしても脆くなってたから。

281:世界@名無史さん
21/05/11 18:39:50.96 0.net
>江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど
この種の本って必ずと言っていいほど広重の浮世絵を根拠に挙げているけど、
「東海道五十三次」に描かれている全ての山が禿山ではないし
鞠子のような前面の落葉樹が葉を散らしていて冬の情景なのは明らかなのに、背後の山が
青葉に覆われていないのが証拠だとか、先日産経抄で紹介された著者が断定しているらしいが、マジわけが分からん。
前面の木が繁っているのに背景が土山だから、これは禿山を描いたのだというのなら分かるんだけどね。
森か山なのか区別するための絵画表現ではないと決めつける根拠も分からん。
何より広重は現地に行かず想像で「東海道五十三次」を画いたのに……
六甲や生駒のように花崗岩の採取で荒山なのは自明なのに、わざわざ調査して禿山なのが
明らかになったと手柄顔で調査報告と称する無意味な事実を証拠にしていたり、
『森林の江戸学』には東北の山が乱伐されたと参考文献を挙げているが、
同書にある和泉国の山は大半が樹木に覆われていたという不都合な真実はスルーするという悪書もある。
スレチなのは承知だが、話の流れのついでに、俺が読むべき良書を誰か紹介してくれないか?


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